石川善朗さん~「霞ヶ関」から「日本の人事部」へ送るメッセージ
人事院 公務員研修所長
石川 善朗さん
中央官庁のある霞ヶ関では、「官から民へ」の大きな流れの下、国際競争に勝ち残っていくために規制緩和を推進するなど、さまざまな改革を行っています。その動きは、現在民間企業に求められている改革や取り組みとも大きな関係があります。今回ご登場いただく石川善朗氏は、これまでの30年余りに及ぶ公務員キャリアを通じて、人材育成やマネジメントに関わる経験が長く、また、組織マネジメントのあり方や人材育成に関する講演や執筆活動も精力的に行われています。個人的にも多くの民間企業とのパイプや人脈を持つ石川善朗氏から、日本的な組織、日本人の特性を踏まえた、これからの時代に向けての人材育成、組織のあり方について、その考え方や具体的な施策などを伺いました。
いしかわ・よしろう●1955年静岡県清水市(現静岡市)生まれ。清水東高を経て、1978年東大法学部卒。同年自治省(現総務省)に入り、山梨県財政課長、京都市企画調整局参事、静岡県教育委員会教育次長、同県総務部長、総務省電波部基幹通信課長、同省官房参事官、人事院生涯設計課長、企画法制課長、会計課長、公平審査局審議官等を経て、2010年1月より現職。主な著書に、『部下と上司の人間学(時事通信社)』『行政マンの条件-志と技術を高める(時事通信社)』『公職選挙法(ぎょうせい)』等がある。
日本の現状と問題点~求められる「企業倫理」の確立
日本企業ではバブル崩壊後、高度成長モデルがうまく機能しなくなりました。その後、「成果主義」など欧米型の仕組みが導入されましたが、これもあまりうまくいきませんでした。そうした状況を踏まえて、日本企業の現状について、どのような認識をお持ちですか。
戦後の高度経済成長で、日本企業はどんどん大きくなっていきました。パイも大きくなって、皆が豊かになり、今日よりも確実に明日は良くなる、そういう希望や展望が持てました。だからこそ、人々はモチベーションを高く持ち、頑張って働き、その結果、給料も上がっていく――そういう幸せな時代でした。
このように皆が頑張って、高度成長を実現できた根底にあるものは何だったのでしょうか。それは、儲けることは大事だけれど、それ以上に世の中のためにやるのだという「志」です。なぜなら、企業も人も社会を構成する一員だからです。誰もがそのことをよく分かっていました。社会と企業と働く個人、全てが幸せになることへの強い思いが根底にありました。
松下幸之助氏や本田宗一郎氏など、戦後勃興期の創業者たちは皆、そう思って社業に邁進していました。自分たちが先頭に立って、これからの日本を良くしていこうと考えたわけです。ところが、それが実現し、世代交代が進んでいくと、当初の志は忘れられ、モノを作って売ること自体が目的となっていきました。そうすると、「どうしたら儲かるのか」という考えが支配的になっていきます。さらには「儲かれば何をしてもいい」ということになり、社会のルールを逸脱した不祥事が出てきました。もちろん、創業以来の伝統を守り、社会貢献してきた企業も数多くあり、敬意を表する次第ですが。
「儲かれば何をしてもいい」という考え方では、短期的には儲かることがあっても、長期的に見れば儲けることにはなりません。最も重要な安全性などを、過剰スペックだとして削ってしまう。短期的に費用は浮くかもしれませんが、長期的には信用を失っていきます。また、将来を見越した研究開発を行なうべきなのに、実現できていない。10年後には花開くかもしれませんが、短期的な利益には寄与しないからです。実際、先を見通した研究開発は長期間、赤字となることが多々あります。そのため、赤字を垂れ流す事業は止めるということになり、その結果、将来的に良い製品を出すことができなくなる。もちろん、会計基準など短期でクリアしなければならない課題もありますが、目先の利益にばかりとらわれていると、短期思考の会社経営に陥ってしまい、将来の発展が望めなくなってきます。
利益を出さなければ企業は存在し続けることはできません。しかし、利益を出すことだけを考えていては、広く社会で受け入られることはできないということですね。
短期的な利益志向の企業、自分たちさえよければいいといった考えの企業は、長い目で見れば支持を失っていきます。その意味からも、企業にとっては「企業倫理」の確立がとても重要です。それを世の中に示し、実践していくこと。それが崩れていくと企業はダメになるし、さらには社会もダメになっていきます。
こういうことは、やはりトップ自らが繰り返し言わなければなりません。さらに、そこで働く人たち一人ひとりの志が大切で、日頃の活動時から示していくことが重要です。これはまさに企業文化、企業風土の問題であるということができるでしょう。
駅のホームでの出来事~率先して組織で対応できるかどうか
では、日本の企業の強みはどんなところにあるのでしょうか。
こんな話がありました。寒い冬の日、ある私鉄の急行が停まる駅のホームでは、たまたま屋根のない部分に雪が積もっていて、ホームに降りた乗客がとても歩きづらそうでした。この状況を見たら、駅員はすぐホームの雪を掃除すればいいわけです。ところが、急行の停車する大きな駅ですから駅員が多いはずなのに、誰もそれをしません。一方で、別の各駅停車が停まる小さな駅では、ホームに屋根がないのにもかかわらず、大変きれいに雪が掃除されているのです。この違いは何なのでしょうか。
「ジョブ・ディスクリプション」(職務記述書)があるとしても、おそらく、駅員がホームの雪を掃除するということが書かれていなかったのでしょう。仮に、雪の掃除をするにしても、清掃会社が行うといったことが規定されているのではないでしょうか。しかし、現実問題として、大切なお客様である乗客のことを考えれば、ホームに積もっている雪を早く除去しなければ、転倒事故が発生するかもしれません。欧米流に言えば、ホームに雪が積もった時に、誰が雪の掃除をやるのかを書いておかなくてはなりません。
しかし、各駅停車の駅ではそういう必要はなく、駅員が皆で協力し合って雪の掃除をしたと思います。組織としてまとまりのあるところでは、たとえあらかじめ役割分担を決めていなくても、乗客が困らないよう、皆で雪を掃除していき、ホームはすぐ綺麗になっていきます。このように何か問題があったら、率先して組織で対応していくことが、日本の伝統の良いところではないかと思います。
組織としてまとまって行動していくというこの日本の伝統は、どこから来ているのでしょうか。
それは、日本人の仲間を大切にするという伝統から来ていると思います。米作りなど日本の農業は、集落の仲間が共同で水路を引いたり、皆で田植えをしたりと仲間としていろいろと協力しあってやってきました。そうしたことが、背景にあると思います。仲間として共同して対応する、仲間のためには自己犠牲をいとわないなど、仲間を大切にすることはいいことだと思っているのです。ホームでの転倒事故など、仲間としたら大変不名誉なことで、とても受け入れることはできません。ですから、進んでそうしたことがないように行動するわけです。もちろんお客様を大切にするということもありますが、お客様も一種の仲間なのでしょうね。
では、仲間意識を醸成するために大切なことは何ですか。
常日頃から仲間を大切にすることです。さらに言えば、何か問題が起こった時、上司が自己犠牲をいとわずに行動することです。そうすれば部下も付いていきますし、上司も現場で部下がいかに大変なことをやっているのかが分かります。すると、上司は部下が仕事をしやすいようにサポートしていくことを考えるようになります。その結果、チームとしてまとまりができ、仲間としての結束が高まっていく。先のケースで言うなら、雪の積もったホームで転倒事故が起きてしまってからでは遅いのです。それを事前に考え、リーダーが自ら行動に移し、仲間で対応していく――。組織としてこういう行動をできることは、そもそも日本の伝統、日本人の行動様式としてあるのではないでしょうか。
ところが失われた20年の間に、こうした日本企業や日本人の特性が薄れてきているのではないかと言われてきました。
私も正直、そこを心配していました。なぜなら、こうした無形のものは、上司から部下へ、また先輩から後輩に伝えられていきます。しかし、規範を示し、教える人がいなくなれば、その意味や重要性が組織に残っていきません。そうすると、スパイラル状にどんどん消えていってしまいます。
しかし、今回の東日本大震災後の様子を見ると、「ひとつになろう」というキャッチフレーズが示すように、日本人の本質はあまり変わっていないように思いました。事実、多くの若い人たちが自発的に震災地に行ってボランティア活動を行っています。その行動を見ていると、日本人の伝統は脈々と生きていると感じます。皆で仲間を助け合おうという考え方は、まだまだすたれていません。1990年以降の「失われた20年」の間に、こうした部分が薄れたように思いましたが、多くの日本人には仲間を大切にする心が残っていると感じました。この先も、こうした日本人の良さを大事にして、組織運営を考えていったほうがいいと思っています。
ここで人事部が考えることは、仲間意識の醸成に焦点をあて、さまざまな活動をすることです。例えば、社内運動会を行なう企業も出てきましたし、職場旅行を復活する企業も出てきました。また、組織には仲間を大切にすること、一丸になることの意味・重要性を語れて、体現できる立派な人がいるはずですから、まずはそのような方の話を聞かせる機会を作ることです。そして、若い人たちに感動してもらい、「自分もそうしたい」と思わせることです。結局、心が動かなければ行動にはつながりません。また現場でも、先輩や上司がそういう言動を示していくことです。
とりわけ、トップが自分の体験談を話すことは非常に有効です。こういう風にして事業を行い、社内の役に立ってきた。それで、会社も発展してきた――。トップでしか語れない「リアリティ」や「思い」です。それを直接、社員に伝えていくべきです。事実、大企業でもそういうことを意識的に行っているケースが増えてきました。
なお、基本的には、日本企業はローテーションで人を回して、いろいろな仕事を経験させ、人を育てていきます。信頼できる仲間作りをさせる中で、企業の中核的な人材を育てるということです。これがアメリカの場合、パーツがあって、そのパーツに人をはめ込むという考え方。これも結局、組織中心ではなく、個人主義の国だからでしょう。
さまざまなジャンルのオピニオンリーダーが続々登場。それぞれの観点から、人事・人材開発に関する最新の知見をお話しいただきます。