もうひとつのエンジニア問題
リクルートワークス研究所 豊田義博氏
エンジニア、という言葉から想起されるのは、ITやゲームの分野で活躍するソフトウェアエンジニア。いつしかそんな時代が到来している。
DX(デジタル・トランスフォーメーション)の必要性が訴えられ、ITエンジニアが質量ともに不足していることが 声高に指摘される。デジタル化に遅れた日本の社会課題とされ、産官学がこぞってこのテーマに取り組んでいる。
そんな社会課題の陰に潜んでしまっているが、日本には、もうひとつのエンジニア問題が存在する。電気製品や自動車などの開発・設計に携わるハードウェアエンジニアの課題だ。大学で電気電子・機械工学等を専攻し、メーカーに就職し、「ものづくり大国」ニッポンという評価の獲得に大きく貢献した人材のキャリア課題だ。
キャリア不安の真っただ中にいるハードウェアエンジニア
グローバルマーケットで評価の高い日本企業といえばメーカーが上位を占める。彼ら彼女らハードウェアエンジニアは、今も日本の中核的な人材であることは言を俟たない。そして、デジタル化が進み、ソフトウェアエンジニアのニーズが劇的に高まるからといって、ハードウェアエンジニアのニーズがそれにとってかわられるわけではない。両者は代替的な関係にはない。デジタル化が進もうとも、モノがこの世界から消えるわけではない。これまでのモノが、デジタル化によって新たなモノへと姿を変えるときに、それを推進するのはハードウェアエンジニアだ。彼ら彼女らなくして未来社会はない。
しかし、彼ら彼女らは今、キャリア不安の真っただ中にある。「これまでのモノ」づくりに携わり、専門性を活かし経験を重ねてきた人たちが、「新たなモノ」への世代交代を前に、未来の行き場を見出せずにいる。
会社も、世代交代を意図した動きを取り始めている。業績が堅調なホンダが2021年夏に早期退職を募ったのはその典型例といえる。手を挙げた2000名余の社員の中に、エンジニアも相当数含まれていることだろう。そのエンジニアたちには、どのような未来が待ち受けているのだろうか。
ミドル、シニアのエンジニアの転職事情を探索していくと、そこには三つの市場があることが見えてくる。
一つ目は、これまでに培った知識や技術、専門性をそのまま活かせる、という市場だ。エンジニア本人がさしたる市場価値を感じていないような業務経験が、他の業界や分野などで待望されている、というケースもある。もちろん、それは希少なものに限られるのだが。
これまでの専門的な経験を活かして、ものづくりの周辺の仕事に携わる、という市場もある。事務やサービスの仕事の中にも、ある領域の専門性や知識を持ち合わせていることで生産性が高まるものはたくさんある。
知識や技術、専門性ではなく、もっと総合的な経験を活かしていく、という市場もある。ミドル、シニアのエンジニアの多くは、メンバーマネジメント、プロジェクトマネジメントの経験を持つ。そして、経験してきた業務は多様な知識やスキルが必要なものばかりだ。こうした総合的な経験を活かせる分野、業務もまたたくさんある。
しかし、こうした市場の存在が、多くのミドル・シニアのエンジニアの未来を幸せにできるのか、と問われると、考え込んでしまう。
キャリア移行に影を差す「心のブレーキ」
彼ら彼女らの現在のキャリア移行プロセスは、以下のようにまとめられる。
(1)移行を促される
定年、役職定年、選択定年、キャリア研修などの機会が訪れる
(2)自身の棚卸をする
過去の業務経験を振り返り、活かせる知識スキルを抽出する
(3)労働市場を見つめる
どのような需要があるかを調べる
(4)差を埋める/妥協点を見出す
需要に応えるために、新たな知識スキルを身に着ける/役職、収入などの前職との差異、下落を受け入れる
(5)新たなスタートを切る
新天地で働きはじめる
これまでのキャリアアイデンティティを活かした移行であり、極めて堅実なものだ。しかし、減衰感、喪失感、未達感を抱く人も少なくない。そうした感覚を予期し、こうした移行に尻込みする人も多い。これまでの安定した雇用状況、一定レベル以上の収入、長く勤めた企業への愛着、基幹技術にかかわってきたプライドなどが相まって、知らず知らずのうちに「心のブレーキ」を強く踏んでしまうのだ。
「心のブレーキ」の存在は、エンジニアに限ったものではないだろう。しかし、それがより強くなってしまう要因が、彼ら彼女らにはあるように思う。
大学時代から今に至るまで培ってきた専門性や知識、技術という大きな資産の存在はもちろん大きいだろう。それを活かせない、という選択肢は、人によっては耐え難いものとなる。領域によっては、技術の進歩に対応して業務の細分化が進み、自身の担当領域、専門性が狭いものになってしまっていて、活かす場が他では見つからない、という状況も生まれている。
しかし、大学時代に学び、研究してきたテーマをそのまま活かして今に至っている人は実は少ない。入社時の配属で、自身の意向や希望が十分には叶わなかった、という経験を持つ人は多いし、入社後に、同じ業務を今日まで担当し続けている人などいない。
ミドル・シニアのエンジニアが入社したのは1980年代末から90年代にかけて。それから今日に至るまで、日本のメーカーにはとてつもない強風が幾度となく吹き続けてきた。担当業務がある日突然なくなったり、他国に移管したり、あるいは部門ごと他社に売却されたり、といった状況に直面したエンジニアも多いだろう。好むと好まざるとにかかわらず、エンジニアたちは変化の波にさらされ続け、そうした変化の連続が、キャリアオーナーシップを蝕み続けてきた。長い時間をかけて、彼ら彼女らは「心のブレーキ」を徐々に、しかし確実に深く踏み込んでしまっている。
エンジニアが自身の想いのオーナーになる日
しかし、その強風の中で、彼ら彼女らは変わり続けてきた。「心のアクセル」を強く踏んできたはずだ。今後も、変わることはできるはずだ。そして、心の中には、エンジニアを目指した時の想い、何かを生み出したいという想いが今もきっとある。
先に挙げたキャリア移行プロセスは、バブル崩壊後に生まれた「平成モデル」だ。セカンドキャリアという付け足し感の強い言葉とセットで生まれたものだ。人生100年時代が現実味を帯びる令和においては、長めのロスタイムを何とかやりくりするような「平成モデル」からの離脱が期待される。
「令和モデル」の起点は、企業発ではなく個人発。自身の心の中にある不安や違和感と向き合うところからだ。
(1)不安・違和感を知覚する
仕事環境の変化、雇用状況の変化
(2)旅に出る
新たなコミュニティ参加など、外部(人・社会)と触れる機会
(3)視野が拡がる
新たな価値観との出会い、アンラーニング
(4)オーナーシップに目覚める
自己の再発見、ライフテーマの発見による主体性の形成
(5)新たな行動を始める
学び行動、転職・起業、副業・複業などの外的変容/今の仕事の捉え直しによる姿勢変化などの内的変容
このモデルのような移行は、エンジニアの中にもすでに生まれている。今はまだ一握りだが、萌芽は生まれている。そうした萌芽が目に見えるものになれば。彼ら彼女らの中にある「心のアクセルとブレーキ」を自らが自覚できるようなれば。そして、彼ら彼女らがエンジニアというアイデンティティを大切にしながら新たなキャリアアイデンティティを見出し、まだまだ長く続くライフタイムを楽しみ、生き生きと働き続けることができれば。その最大のハードルは、新たな雇用先を探す、という刷り込みからの脱却にある。
日本では、エンジニアを技術者と訳している。この言葉からは、何かを生み出すうえでの技術的な課題を解決する役割、というようなニュアンスが読み取れる。何かを生み出す会社があり、そこに雇われ、その会社が生み出したいものを形にするために働く、という人物像も浮かび上がる。
しかし、エンジニアリングとは、社会が期待する何かを生み出す、ということそのものを意味する。エンジニアとは、何かを生み出したいという自身の着想に基づき、自身の専門的な知識や技術を活かしてそれを実現する人材を意味している。欧米を中心とした諸外国では、エンジニアの報酬が、他の事務系職種などより相当に高いものになっているが、この人材定義であればそれも当然だろう。
つまり、エンジニアとは、ひとりひとりが自身が生み出したいものを世に送り出すオーナーなのだ。そして、日本のエンジニアも、そうなるに足る「何かを生み出したいという想い」を持っているはずだ。長く会社に働く中で封印されてしまっているその想いを、思い出してほしい。もう一度、自分と出会ってほしい。
しかし、それを個々人の努力のみによって実現することは難しい。企業の役割は大きいが、個々の施策には限界がある。何らかの社会的な機会が必要だ。その機会を、私は生み出したいと思う。そのための研究に着手したいと思う。
2012年に出版された書籍「MAKERS」(クリス・アンダーソン著 NHK出版)には、こんな記述がある。「21世紀の製造業は、アイデアとラップトップさえあれば誰もが自宅で始められる。ウェブの世界で起こったツールの民主化が、もの作りの世界でも始まったのだ」。私は、この記述が、日本において現実となることを強く強く願っている。
リクルートワークス研究所は、「一人ひとりが生き生きと働ける次世代社会の創造」を使命に掲げる(株)リクルート内の研究機関です。労働市場・組織人事・個人のキャリア・労働政策等について、独自の調査・研究を行っています。
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