“人と企業のフラットな信頼関係”が日本を変える
シリコンバレー発の新しい雇用のあり方とは(後編)[前編を読む]
東京糸井重里事務所 取締役CFO
篠田 真貴子さん
シリコンバレーの勝者を支える競争力の源には、退職後も続く個人と企業との信頼関係がある――。そのトレンドを取り上げた、米リンクトインの創業者リード・ホフマンらの著書『ALLIANCE――人と企業が信頼で結ばれる新しい雇用』が注目を集めています。本書の監訳を務めたのは、東京糸井重里事務所(以下、糸井事務所)取締役CFOの篠田真貴子さん。内外で華々しいキャリアを重ねながら、出産・子育てを境に、大企業の中では仕事の面白さを見出せなくなっていた篠田さんが、その面白さを再発見したのが人気ウェブサイト『ほぼ日刊イトイ新聞』(以下、「ほぼ日」)を運営する糸井事務所でした。インタビューの後編では、アライアンスにも通じる糸井事務所の組織のあり方や、人気コンテンツを続々生み出すクリエイティブの仕組みなどについて、人事を含む管理全般を統括するCFOの視点から解説していただきました。
しのだ・まきこ●慶應義塾大学経済学部卒、1991年日本長期信用銀行に入行。1999年、米ペンシルべニア大ウォートン校でMBAを、ジョンズ・ホプキンス大で 国際関係論修士を取得した後、マッキンゼーにて戦略コンサルティングに従事。2002年、ノバルティス・ファーマに入社、人事部を経てメディカル・ニュートリション事業部、後にネスレ・ニュートリションにて経営企画統括部長をつとめる。2008年10月、ウェブサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」を運営する東京糸井重里事務所に入社、2009年1月より現職。2012年、東京糸井重里事務所がポーター賞(一橋大学)を受賞する原動力となった。『ALLIANCE――人と企業が信頼で結ばれる新しい雇用』監訳。
組織のピラミッドを“倒す”――社員を「乗組員」と呼ぶ理由
「アライアンス」という雇用形態を日本企業が即、実践できるかというと、現実問題としてなかなかハードルが高そうです。どういうふうに進めていけばいいのでしょうか。
アライアンスのような柔軟な雇用関係は、日本でも成長フェーズにあるベンチャー企業や、異分野への参入を迅速に図りたい大手企業を中心に実践され始めていて、私は、ここにヒントがあると思っています。アライアンスを取り入れたい企業は、たとえば新規事業を起こす際に、その部門を全くの別組織にして、採用も含めた権限をすべて委譲するところから始めてみてはどうでしょうか。組織に、いわば経営上の“特区”を作り、人事の仕組みも“別注”するのです。新しい領域での事業活動は、規模感、スピード感を含め、本業と全く違うという場合がほとんどですから、社内の既存の人材だけではまかなえません。言い換えれば、その分野でやる気のある優秀な人材を、外部から集める必要が出てきます。そういう人材はキャリアアップや独立への意欲も高く、名前や歴史のある会社だと、かえって「拘束が多そう」と敬遠されがちですが、個人と企業が信頼をベースに、期間限定でメリットを分かち合うアライアンス的な雇用関係なら、十分に手を結ぶことができるでしょう。どういう仕事に、どれくらいの期間を目安にコミットするか――会社側としては、「新しい技術が実装できるまでいっしょにやりましょう」といったように率直にアプローチしたほうが、むしろ欲しい人材を迎えやすくなると思います。
前編で「アライアンスのベースはフラットな信頼関係」という指摘がありましたが、現在、篠田さんがCFOを務める糸井事務所でも、そうした関係が築かれているのですか。
ええ。もともと“事実”として、そういう実態はありました。ただ、私が入社した8年前は、私から見ると、個人事務所が人数を増やしたようにしか見えませんでした。充実したホームページを毎日きちんと更新し、商品を販売して利益も上げていますから、組織自体はちゃんと回っている。仕事の流れやルールもあります。でも、それらを“乗組員”のみんなが意識していたかというとそうではなく、会社として働き方や仕事の仕組みが整っていたかといえば、明確にはありませんでした。なぜかわからないけれど、結果的に組織がうまく回っているという事実だけは、最初からあったんですね。そこへ基本的な会社の仕組みを導入して効率化すれば、クリエイター個人にかかっていた過剰な負担を減らし、新しいコンテンツを創ることにエネルギーを回してもらえるんじゃないか、と考えました。ですから、うちの人事や総務、経理の仕事では、いつも“事実”が先にある。制度や仕組みはその事実にあわせて、後から構築していくんです。特に私の立場は、たとえて言うなら、人類学者がサル山のサルを観察して、群れがどうやって回っているのか、そこにはどんな秩序があるのかを発見していくような感じでしょうか。いや、それはちょっと言い過ぎだったかな(笑)
いま、社員のみなさんのことを、“乗組員”とおっしゃいましたね。
糸井が自分の組織観をよく船になぞらえて説明するところから、糸井事務所では、アルバイトも含めた社員のことを「乗組員」と呼んでいます。ひとつの船に乗り、その船を前に進ませるためにお互いに協力しあって仕事をする、そういうイメージですね。いわゆる伝統的な会社組織といえばピラミッド型ですが、糸井はフラットな組織を志向して、ピラミッドの三角形を文字どおり、バタンと“倒し”ました。三角形を倒してフラットにすると、船の舳先の形になりますよね。だとすれば、社長である自分は頂点に君臨するのではなく、舳先の一番前に出て、船の進む方向を見定めなければならない。それが糸井の考える、組織のリーダー像なんですね。
同時に、船のメタファーにはもう一つ、小さな事業だから、「板子一枚下は地獄」という意味もあります。だからこそ全員の結束が大切なんだ、と。実際の船でも、乗組員の仕事や持ち場はそれぞれ違いますが、誰一人欠けても、長期的に円滑な航行は望めませんよね。舵を取る人が重要で、台所で野菜を切っている人が重要じゃない、なんてことはないわけです。お互いに価値をもたらし合うフラットな関係という意味で、「乗組員」のコンセプトはアライアンスにも通じるといっていいでしょう。
さまざまなジャンルのオピニオンリーダーが続々登場。それぞれの観点から、人事・人材開発に関する最新の知見をお話しいただきます。