社会保障から見たESGの論点と企業の役割
-試金石となる?障害者の合理的配慮義務化に向けた対応
ニッセイ基礎研究所 保険研究部 主任研究員・ヘルスケアリサーチセンター・ジェロントロジー推進室兼任 三原 岳氏
1――はじめに~障害者に対する合理的配慮の義務化にどう対応するか~
近年、企業経営や投資の世界では「ESG」 という言葉をよく目にします。これは「Environment(環境)」「Social(社会)」「Governance(ガバナンス)」の頭文字を取って作られた言葉であり、持続可能な社会を実現する上での企業の役割、さらに企業の長期的な成長を実現する概念として注目されています。
しかし、医療・介護を中心に社会保障政策・制度に関心を持つ研究者として、筆者は「ESG」の「S」について、高齢者ケアや障害者への配慮なども含めて、もっと幅広く考える必要性も感じています。そこで、「社会保障から見たESGの論点と企業の役割-福祉多元主義などで改めて幅広く考える」では、社会保障政策・制度における様々な論点と「S」の共通点を指摘した上で、社会保障の担い手として企業も重要な役割を果たせる可能性を指摘しました。
今回は企業に対しても、障害者への合理的配慮の提供を義務付けた改正障害者差別解消法への対応を取り上げます。
2――障害者差別解消法とは何か
1|差別解消法を理解する三つのキーワード
メディアではほとんど報じられていませんが、2021年の通常国会では企業の行動に大きな影響を与える重要な法改正が実施されました。障害者 *1に対して「合理的配慮」の提供を企業にも義務付ける障害者差別解消法(障害を理由とする差別の解消の推進に関する法)の改正です。
ここで少しだけ障害者差別解消法の沿革を整理すると、国連障害者権利条約(2006年12月13日に国連総会で採択、2008年5月に発効)の国内法整備という側面を持っていました。
しかし、政府が2007年9月に条約を調印した後も、国内法の整備に関する論議は進まず、千葉県が2007年7月から「障害のある人もない人も共に暮らしやすい県づくり条例」という独自の条例を定めた程度でした。
その後、民主党政権期に障害者政策の再検討が進む中で、障害者基本法が2011年8月に大幅改正されたほか、自民、公明、民主の3党の合意で障害者差別解消法が2013年6月に成立、2016年4月から施行されました。さらに、内閣府を中心に施行後5年の見直しが進められる過程で、今回の制度改正が実施されるに至りました。
では、障害者差別解消法には一体、どんな内容が盛り込まれているのでしょうか。あるいは今回の法改正はどんな意味を持つのでしょうか。これらの点を理解する上では、「社会的障壁」「合理的配慮」「過重な負担」の三つのキーワードを頭に入れる必要があります *2。
*1 「障害」の「害」の字が近年、不快の念を与えるとして、「障がい」と言い換えるケースが増えているが、本コラムでは引用などのケースを除き、法令上の表記に従って、「障害」で統一する。
*2 障害者差別解消法の内容については、川島聡(2016)ほか『合理的配慮』有斐閣、障害者差別解消法解説編集委員会編著(2014)『概説障害者差別解消法』法律文化社、長瀬修・東俊裕・川島聡編著(2012)『障害者の権利条約と日本』生活書院などを参照。2018年3月23日拙稿「『合理的配慮』はどこまで浸透したか」も併せて参照。
2|「社会的障壁」とは何か
まず、「社会的障壁」とは、障害者を締め出す社会のあらゆるものを指します。例えば、車椅子の人が街に出掛けた際、移動の不自由を感じる主な理由は駅や公共施設、企業の入口などに設けられた段差であり、これを取り除けば円滑な移動が可能になります。
こうした状況について、障害者差別解消法では「段差という社会的障壁が車椅子の人の社会参加を排除している」と考えます。一見すると分かりにくいかもしれませんが、普段は二足歩行の人でも骨折で松葉杖の生活になれば、移動は困難になり、少しの段差で杖が引っ掛かるかもしれません。さらに、重い荷物やベビーカーを押す場合、段差で円滑な移動が阻まれるケースも少なくなりません。
この状況は病気やケガで「障害者」と認定された車いすの人と同じような環境に位置付けられることになります。さらに、駅のバリアフリー化とか、職員の手助けなどを通じて、段差という社会的障壁を除去すれば、車椅子の人だけでなく、二足歩行の人も移動に不自由を感じなくなります。
このように「足が不自由」といった身体的な特徴ではなく、不自由を作り出す段差を社会的障壁と見なす考え方は一般的に「社会モデル」と呼ばれており、こうした社会的障壁の除去を目指すことが差別解消法の基本的な考え方になります。
社会モデルの理解を深めるため、もう少し事例で考えます。例えば、耳の聞こえない人が不自由を感じているのは、大多数の人が日本語の音声で情報をやり取りしているためです。このため、不自由を作り出す日本語の音声情報が「社会的障壁」を除去するため、手話通訳やパソコンノートテイク(文字通訳、パソコンで発言などを文字で入力し、表示用のパソコンやスクリーンなどに映すこと)を提供することが求められます。
さらに、目の見えない人は文字情報にアクセスできないため、日本語の文字情報が「社会的障壁」となります。この場合では、音声や点字などによる情報提供が求められます。
しかも、普段は日本語の音声・文字情報でやり取りしている人も海外に行けば、コミュニケーションを取りにくくなります。これは「日本語の音声・文字で意思疎通する人」が海外では少数になるためであり、普段は余り感じない多数と少数の関係性は相対的と言えます。
このため、多数の人も何かの契機で少数になる可能性を含んでいると考えると、障害を生み出す社会的障壁を取り除けば、誰もが暮らしやすい社会を作ることが可能になります。
3|「合理的配慮」とは何か
では、どうやって社会的障壁を除去するのでしょうか。その方法が2番目のキーワードである「合理的配慮」です。こちらは元々、国連障害者権利条約に規定された「reasonable accommodation」の訳語になり、条約の国内法として制定された障害者差別解消法でも訳語が継承されています。障害者差別解消法の条文では合理的配慮の提供に関して、下記のように規定されています。
(第7条)
行政機関等は、その事務又は事業を行うに当たり、障害者から現に社会的障壁の除去を必要としている旨の意思の表明があった場合において、その実施に伴う負担が過重でないときは、障害者の権利利益を侵害することとならないよう、当該障害者の性別、年齢及び障害の状態に応じて、社会的障壁の除去の実施について必要かつ合理的な配慮をしなければならない。
(第8条2)
事業者は、その事業を行うに当たり、障害者から現に社会的障壁の除去を必要としている旨の意思の表明があった場合において、その実施に伴う負担が過重でないときは、障害者の権利利益を侵害することとならないよう、当該障害者の性別、年齢及び障害の状態に応じて、社会的障壁の除去の実施について必要かつ合理的な配慮をするように努めなければならない。
いずれも「社会的障壁の除去の実施」に向けて「合理的な配慮」を提供する旨が書かれていますが、行政機関等は「~しなければならない」という義務規定、事業者は「~努めなければならない」という努力規定が書かれています。
このうち、昨年の法改正では、事業者の部分が行政機関と同じく「~しなければならない」という規定に変更され、2024年6月までに施行される予定になっています。
では、どういう配慮を実施すればいいのでしょうか。障害者差別解消法に基づく基本方針の内容を抜粋すると、合理的配慮について、下記のように定めています。
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障害の特性や社会的障壁の除去が求められる具体的場面や状況に応じて異なり、多様かつ個別性の高い。
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障害者が現に置かれている状況を踏まえ、社会的障壁の除去のための手段及び方法について、「過重な負担の基本的な考え方」に掲げた要素を考慮し、代替措置の選択も含め、双方の建設的対話による相互理解を通じて、必要かつ合理的な範囲で、柔軟に対応がなされる。
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合理的配慮の内容は、技術の進展、社会情勢の変化等に応じて変わり得るものである。
つまり、障害者の置かれた環境を踏まえ、双方の建設的な対話と相互理解を通じて、柔軟に対応する旨が書かれています。さらに、技術の発展など社会情勢の変化でも変わり得ると定められており、合理的配慮の内容や水準は法令で厳格に定められているわけではありません。
言い換えると、支援の可否や水準、内容について、国は基準などで一律に定めておらず、社会的障壁の除去に当たる行政機関や事業者が配慮を求める障害者との対話を通じて、個別の事情に応じて判断することが想定されており、現場に近いところでの合意形成が重視されています。これを筆者は「対話→調整→合意のプロセス」と呼んでいます *3。
さらに、ここで先に挙げた二つの条文と基本方針の抜粋を見ると、「過重な負担」(条文は「負担が過重でないとき」)と書かれているのに気付かれると思います。ここで3番目のキーワードである「過重な負担」が登場します。
*3 ここでは詳しく触れないが、障害者差別解消法の対象は障害者手帳を有する「障害者」に限定しておらず、他の障害者関係の制度よりも幅広く設定されている。
4|「過重な負担」とは何か
先の条文に従うと、障害者のニーズが行政機関や事業者にとって、「過重な負担」でない時には合理的配慮の提供が義務付けられる、言い換えると「過重な負担」を伴う時には合理的配慮の提供が義務付けられないことになります。
しかし、国の基本方針を読んでも、(1)事務・事業への影響の程度(事務・事業の目的・内容・機能を損なうか否か)、(2)実現可能性の程度(物理的・技術的制約、人的・体制上の制約)、(3)費用・負担の程度、(4)事務・事業規模、(5)財政・財務状況――を考慮しつつ、具体的場面や状況に応じて総合的・客観的に判断することが必要と定めているに過ぎません。つまり、合理的配慮の内容と同様、「過重な負担」の線引きも特に示されておらず、柔軟に判断することが求められているわけです。
以上の三つのキーワードを使い、障害者差別解消法のコンセプトを説明すると、社会で少数派である障害者の社会参加を排除する「社会的障壁」の除去に向け、多数を占める障害のない人が「過重な負担」にならない範囲で、「合理的配慮」の提供を義務付けた法律ということになります。
さらに、支援の可否や水準、内容などに関しては特に定められておらず、現場レベルで状況に応じて柔軟に判断するとされており、当事者で対話→調整→合意のプロセスを取ることが求められます。
5|具体的な場面をイメージすると……
では、どんな場面が想定されるのでしょうか。障害者差別解消法のコンセプトでは「個別性」に配慮する必要があるため、あくまでもイメージ、一例に過ぎないのですが、聞こえない人が「リアルタイムでイベントに参加したい」と希望したケースで考えてみましょう。
仮に企業の担当者が「後で議事録を渡す」と答えると、「リアルタイムで参加したい」という権利を侵害している点で障害者差別になる可能性が高くなります。この場面では、リアルタイムでの参加機会を確保するため、企業の過重な負担にならない範囲で、手話通訳やパソコンノートテイクなど情報保障の方法について、企業の担当者が聴覚障害者と調整することになります。
ただ、その際には「過重な負担」の線引きが決まっていない以上、企業の人員、予算など個別の状況に応じて、支援の内容や水準も変わります。このため、それぞれの現場で個別の事情に応じて、「対話→調整→合意プロセス」をたどりつつ、柔軟に対応することが重要になります。
3――求められる企業の対応
1|合理的配慮の浸透は不十分
だが、現状ではどこまで実効性を持つのか、疑問も残ります。例えば、東京都のインターネット意識調査によると、図1の通りに73.8%の人が合理的配慮を「知らない」と答えています *4。
何よりも昨年の法改正も含めて、メディアでも取り上げられる機会が少なく、「障害者差別解消法」「合理的配慮」という単語が主要新聞に登場した頻度を示す図の通り、一般の人が目に触れる機会が少ないのが実情です。
さらに一例を挙げると、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、イベントはオンラインに移行したものの、管見の限りでは「情報保障が必要な方は事前にご連絡下さい」という一文が入った告知文の事例はごくわずかです。
しかも、「社会保障から見たESGの論点と企業の役割-福祉多元主義などで改めて幅広く考える」でも述べた通り、日本の大企業の多くは長期雇用、年功序列に支えられた「メンバーシップ雇用」の下、社会課題と向き合うことを得意としていないし、「個別の事情に応じて、現場で柔軟に考えて下さい」「対話→調整→合意のプロセスが大事です」という障害者差別解消法のコンセプトを聞いても、「何をやったらいいのか」「どう考えたらいいのか」と立ちすくんでしまう企業の担当者も少なくないかもしれません。
こうした状況では2024年6月までに障害者差別解消法が施行された場合、合理的配慮に伴うコスト増だけがクローズアップされるような事態も想定されます。
*4 2020年1月23日「都政モニターアンケート結果 障害者差別解消条例等」を参照。
2|差別解消法への対応は一つの試金石?
しかし、障害者の権利を確保する上で、合理的配慮は重要な機会です。もし企業が障害者に対する顧客対応などで十分に配慮できなければ、顧客を失うリスクに加えて、訴訟リスク、あるいは評判を落とすリスクにも繋がります。ESGの「S」は海外の児童労働の問題だけでなく、実は顧客対応などでも求められていると言えます。
さらに、合理的配慮のコンセプトは障害者だけでなく、全ての人権配慮に共通しています。例えば、聞こえない人への対応として、日本語の音声情報だけに頼らない情報提供を意識できれば、「難聴の高齢者に対する情報提供で、文字を併用する」とか、「日本語の音声情報にアクセスできない外国人に対し、多言語で対応する」といった対応も視野に入ると思います。
これは別に筆者自身の思い付きではありません。一例を挙げると、2022年3月に成立した千葉県浦安市の「認知症とともに生きる基本条例」(施行は7月)では、市が認知症施策の推進に際して、「認知症の人及びその家族等が不当な差別を受けることがなく、合理的な配慮が受けられるような地域社会の実現に特に留意する」と定めています。
さらに、2021年9月に成立した神奈川県大和市の「大和市認知症1万人時代条例」でも、市による認知症施策の推進などと併せて、企業の役割に関して、「サービスを提供するに当たっては、その事業の遂行に支障のない範囲内において、認知症の人に対し必要かつ合理的な配慮をしなければならない」と規定されています *5。
このため、合理的配慮を「障害者の問題」と単純に捉えるのは表層的な理解であり、ESGの「S(Social)」に対する本質的な対応にはならないと思われます。筆者は障害者差別解消法への対応については、「SDGs(持続可能な開発目標)やESGのコンセプトが企業に浸透しているかどうか見極める上での一つの試金石になる」と思っています。
*5 条文の主語は「基盤サービス事業者」。条例では「市内において日常生活及び社会生活を営む基盤となるサービスを提供する事業者(保健医療等サービス事業者を除く)」と定義されているが、ここでは企業の役割と読み替えた。
4――おわりに
ESGのうち、「S(Social)」について、社会保障政策・制度から企業の役割を再考する今回のコラムでは、2024年6月までに施行される障害者差別解消法への対応を中心に考察しました。合理的配慮の提供について、国は一律に支援の可否や内容、水準を定めておらず、2024年6月までに改正される新しい法律では、企業は配慮・支援を求める障害者のニーズに対し、個別性を勘案しつつ、「対話→調整→合意」のプロセスを実施することが義務付けられます。
合理的配慮や法改正の内容に関して、人口に膾炙(かいしゃ)している状態とは言えませんが、「人権問題として少数派の権利をどう担保するか」という点で見ると、ESGの「S」に対応する上での必要なエッセンスが詰まっていると思います。単に「法律が変わるから」とか、「障害者の問題」などと表層的に考えるのではなく、個別性を考慮しつつ柔軟に対応するというコンセプト的な部分に立ち返りつつ、企業として合理的配慮の提供を検討、対応してほしいと思います。
ニッセイ基礎研究所は、年金・介護等の社会保障、ヘルスケア、ジェロントロジー、国内外の経済・金融問題等を、中立公正な立場で基礎的かつ問題解決型の調査・研究を実施しているシンクタンクです。現在をとりまく問題を解明し、未来のあるべき姿を探求しています。
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