ライフスタイルに合ったワーキングスタイルを選ぶ時代へ
「パートタイム型人材派遣サービス」の市場をゼロから生み出す
株式会社ビースタイルホールディングス 代表取締役社長
三原邦彦さん
子育てや介護といった事情により、能力とは関係なくフルタイムで働けない人は少なくありません。さらに労働人口が減少するこれからは、さまざまな人材が自分のライフスタイルにあわせて活躍できる多様な働き方を実現していく必要があります。この課題の突破口となる「パートタイム型人材派遣サービス」を2002年という早い時期に立ち上げ、数多くのビジネス賞を受賞しているのが株式会社ビースタイルホールディングスです。創業者であり、現在も代表取締役社長を務める三原邦彦さんに、ご自身のバックグラウンドや起業にいたった経緯、国内に確かな市場がなかった画期的サービスに挑んだ意図、さらには人事や人材サービス業界の現状や課題、今後の方向性などをうかがいました。
- 三原 邦彦さん
- 株式会社ビースタイルホールディングス 代表取締役社長
みはら・くにひこ/芝浦工業大学を卒業後、1996年、株式会社インテリジェンス(現・パーソルキャリア株式会社)に入社。同子会社のECサーブテクノロジー株式会社、代表取締役社長などを歴任。2002年に株式会社ビースタイル(現・株式会社ビースタイルホールディングス)を創業、代表取締役社長に就任。現在に至る。
大学時代から人材派遣営業に携わりインテリジェンスへ
これまで一貫して人材ビジネスに関わっていますが、最初に人材の仕事に興味を持ったきっかけをお聞かせください。
大学入学後すぐに人材派遣会社で営業のアルバイトをはじめたことが、人材ビジネスとの出合いです。なぜ派遣だったかというと、先輩から聞いた「派遣会社はもうかるらしい」という話が頭に残っていたから。あと、当時つきあっていた彼女がすでに就職していて、自分もスーツにネクタイ姿で働く社会人っぽい仕事をしてみたいという気持ちもありました。2年ほどアルバイトをしたことで、人材ビジネスの営業の基礎が身についたと思います。
ところが3年ほど経ったところで、アルバイト先が倒産してしまいます。給料は未払いだったので、かわりにオフィスコンピューターの派遣システムのマニュアルをもらって帰りました。当時の人材派遣会社では、企業からのオーダーと人材のマッチングは紙ベースの手作業。PC上で稼働し効率化できないかとずっと思っていたので、この機会に自分でシステムをつくってみることにしたのです。友人たちと一緒にマニュアルを読み込んで、ほどなくWindows版の派遣マッチングシステムを完成させました。
そのシステムを売り込みに行った先のひとつが、インテリジェンス(現・パーソルキャリア株式会社)でした。人材派遣ビジネスに参入する準備をしていると聞いていたので、大学時代の親友(人材紹介系システムサービスのブレインラボ創業者 永井正樹氏)と共にチャンスがあると考えたのです。
対応してくれたのは、創業者で当時社長だった宇野康秀さん。一通り説明を終えると、宇野さんが「このシステムは買ってあげよう。ただ、条件として一緒に派遣事業の立ち上げをやってほしい」と持ちかけられました。その頃のインテリジェンスでは学生のアルバイトがたくさん働いていて、大学にもほとんど行かずに夜中まで働いている人が大勢いました。話を聞くうちにおもしろそうだなと思い、学生時代の後半はインテリジェンスで派遣事業の立ち上げを手伝うことになりました。
インテリジェンスではどんな仕事を経験されましたか。
はじめはシステム担当と派遣営業のかけもちという話でしたが、営業が忙しく、ほぼシステムは親友任せに近い状態でした 。システム面ではマッチングシステムの運用・管理に加えて、当時はOA機器がワープロくらいしかなかったインテリジェンスのオフィスを、クライアントサーバー型のIT環境に置き換えていく仕事も加わり、営業の合間でお手伝いしていました。
最初にシステムに携わったので、ITに強くなりましたね。後にITエンジニア派遣専門の事業部の立ち上げを担当しますが、私に白羽の矢が立ったのはITと派遣の両方に強かったからだと思われます。
結局、大学で専攻していた機械工学の道には進みませんでしたが、理工系の勉強をしていたおかげで、派遣ビジネスで出てくる技術的な専門用語もまったく難しいと感じませんでした。ただ、徐々に営業の比率が増え、最終的には派遣営業の専任になっていきます。
大学卒業後は、親友と共にそのままインテリジェンスに就職しました。大学生らしく就活もしてみたのですが、インテリジェンス以上によいと思える会社はありませんでした。
正式入社にあたって、今度は私から宇野さんにひとつお願いをしました。それは、これまでの約2年の実績があるのだから、未経験の新卒と同じ待遇では嫌だということ。営業成績が社内で公表されていましたが、私は正社員と比較しても常に上位の実績でしたので、入社式には他の新卒と一緒に出席しましたが、私だけは経験者扱いの中途入社だったのです。
初期のインテリジェンスからは三原社長をはじめ、数多くの起業家、経営者が育っていますが、どのような職場だったのでしょうか。
とにかくすごいスピード感でしたね。私は正式入社から半年後には、派遣事業部のマネージャーとして仕事をしていました。ITエンジニア派遣の専門部署を事業部長として立ち上げたのは26歳のときです。3年で売上23億円ぐらいを実現しました。
最初はSEなど一般的なシステム開発職と、テクニカルサポートやサーバー管理といった保守系職種の両方を取り扱っていましたが、やがてテクニカルサポートだけを切り出してECサーブテクノロジー(現パーソルプロセス&テクノロジー株式会社)という関連会社として独立させることに。当時は各地でデータセンターなどの需要が急拡大し、FWA、ADSL、FTTHなどの新しい通信キャリアも増え市場拡大がみえていました。これはIP技術中心のサポート需要が増えるだろうと推測し、社内で提案したところ認められ、そのまま社長に就任しました。
この会社には約1年半在籍して、年商8億円くらいの規模に育ちました。マーケットの拡大という追い風もありましたし、とにかくやればやっただけ結果もついてきた時代でした。
そんな環境で働くのは本当に楽しかったですね。インテリジェンスのカンパニープレジデントにも抜てきされました。今でいうと、執行役員的なポジションでしょうかね。
起業を決めた「社会課題を解決したい」という思い
インテリジェンスでのキャリアも順調だった中、2002年に独立して貴社を立ち上げていますが、起業のきっかけは何だったのでしょうか。
インテリジェンスには約6年いました。その間、他の人の5倍は働いた自信があります。正直、ある程度やりきった感覚もありました。
転機は代表だった宇野さんがUSEN(現USEN-NEXT HOLDINGS)に移られたこと。私自身も ECサーブテクノロジーから、本体のM&Aのミッションで異動することになり、社長を退任。もう少し腰をすえて仕事をしたいという心境になっていました。
大きなミッションをどんどんまかされることにやりがいを感じていましたが、それよりも自分自身のテーマ、カルチャーを優先した会社をつくってみたいという思いの方が強くなっていったのです。チャレンジしたい事業のアイデアも固まってきたので、区切りをつけて起業に踏み切りました。
もともと経営や起業に関心はあったのでしょうか。
100%やろうとは思っていませんでしたが、会社を創業することにはポジティブでした。父が海産物問屋を経営していて、忙しいとほとんど家に帰ってこないような環境で育ったことが大きいかもしれないですね。母も父を全面的に応援していましたし、大人になったら昼夜問わず働くのはあたりまえだと思っていました。
大学時代から自分たちでシステムを開発して企業に売り込みに行くくらいですから、経営志向、ビジネス志向は強かったのだと思います。
独立して手がけたのが、特に既婚女性、主婦にフォーカスをあてた「パートタイム型人材派遣サービス」です。この分野に注目された理由をお聞かせください。
当時、日本の労働市場では、若い働き手が減少していくことが明らかでした。それを埋めあわせる力としてまっさきに考えられるのが主婦、シニア、外国人、ロボットなど。その中でも主婦には「働きたいのに働けない」という悩みを抱える人がたくさんいました。
当時、結婚前の女性のキャリア形成は徐々に進みつつありましたが、結婚・出産後になるとそれがいきなり途切れてしまうことが大きな問題でした。私の知り合いにも、TOEIC900点クラスの語学力と高い事務スキルを持ちながら、出産後は会社に戻れなかった女性がいました。子どもを産み育てるのはすばらしいことですが、それが働きたい人の妨げになる状況は問題だと思いました。そのため、新たな選択肢をつくりたいというのが最初のアイデアです。
ただ、その頃の企業社会には、ホワイトカラーの仕事で「ライフスタイルにあったワーキングスタイルを実現する」という発想がありませんでした。私がこの分野で起業したいと言うと、「やめた方がいい」と忠告をくれる人もたくさんいました。どうせやるならニーズのあるエンジニア派遣の方がいいとも言われました。マーケットを創造するところからはじめるわけですから、確かに手間は何倍もかかります。
しかし、あえて主婦の分野で勝負することにしました。優秀な女性がたくさんいることがわかっていたからです。彼女たちが働けるワーキングスタイルさえ具体化できれば、企業側もかならず共感して利用してくれるはずだという自信もありました。
不思議なことにそのときは、自分の使命として「やれ」と背中を押されているような感覚がありました。インテリジェンスで充実したキャリアを重ねてこられたのは、この仕事をするためだったのだという思いさえありました。格好よくいえば「目の前の社会課題を解決したい」という思いだけで突き進んでいきました。
実際に事業をスタートしてみて、手応えはいかがでしたか。
最初は人材の確保よりも派遣のオーダーを集めるのが大変でした。企業の価値観を変えるので、営業というよりも説得です。並行して力を入れたのが世の中にムーブメントをつくっていくこと。メディアに当社の取材記事を掲載してもらい、新しいワーキングスタイルとして社会的に影響力のある方々に発信しました。すると感度の高い企業が徐々に理解を示してくれるようになっていったのです。地道な努力を続けていくうちに、売上・利益とも拡大基調で推移していきました。
顧客企業の価値観を変えるカギとなったことは何でしょうか。
価値と価格です。雇用はボランティアではないので、メリットを論理的に説明できないと使ってもらえません。
また、価格が価値とつりあってないと受け入れられません。使ってもらえなければ、その理由を感情的にならずに冷静に振り返り、どうやったらサービスの価値を上げられるのかを考えました。
めざすのは時代にあわせた価値を創造できる会社
「パートタイム型人材派遣」で貴社は日本の労働市場に新しいワーキングスタイルを創出しました。あらためてサービスの特色を教えてください。
当社の派遣事業の最大の特長は、従来のようなフルタイム派遣ではなく、主婦も働きやすいパートタイムであることです。立ち上げからしばらくは、事務などの定型業務を中心に、「パートタイム型人材派遣」のメリットを浸透させていくことに注力しました。サービスがある程度定着してからは、総合職の経験があるようなハイスキル人材にもライフスタイルにあわせた活躍の場を提供する、もうひとつの軸をつくっていきました。こちらは「スマートキャリア」というブランドでのサービスとなっています。
働き手に対しては、それぞれのライフスタイルにあわせて無理なく働けて、経験も生かせることをアピールすることで、多くの優秀な人材に登録してもらっています。
一方、企業側に訴求してきたのは全体最適を意識したコストの見直しです。フルタイム派遣に対してパートタイム派遣はよりきめ細かく段階的な運用が可能なので、全体の費用も削減できます。予算はどの企業にとっても関心の高いことです。
いったん理解を得られてからは着実に成長軌道に乗っていきました。売上は毎期130~140%の伸びで、ベンチャーを表彰するいろいろな賞もいただきました。
同様のサービスを提供する競合はありましたか?
当時は少なかったと思います。なぜならフルタイム派遣では一人であがる売上を、パートタイムだと二人以上手配する必要があるからです。もともとフルタイム派遣を行ってきた会社は、「なぜ非効率なことに力を入れなければいけないのか」と考えるでしょう。
当社は「パートタイム型」をコンセプトにスタートしています。いわば他社の逆をめざす戦略なので、競合が出現しにくかった。仮に参入してきても、思っていたのと違うのか、短期間で撤退する会社が多かった印象です。
現在は、働く時間、日数、場所など、コロナによって働き方のフレキシブルさに理解がある顧客が増えました。主婦だけでなく、副業やフリーランスなど多様性に合わせた働き方を実現しつつ、顧客にも多くの雇用属性に合わせたソリューションが必要になってきているので、雇用属性や働き方に隔たりが無くなりつつあります。事業目的の拡大修正や、競争優位性を変える必要があると思いますね。
現在は「パートタイム型人材派遣」以外にもサービスのラインナップを拡大されています。どのような視点で事業を拡張されているのでしょうか。
創業からの10年は主婦のパートタイム派遣事業「しゅふJOBスタッフィング」がメインでしたが、リーマンショック後は複数のビジネスでより安定感のある経営をめざしています。ハイスキル人材の「スマートキャリア」、ビジネスハイキャリアのスタッフィングサービス「BIZ-directors」、業務自動化ソリューションやITエンジニア派遣&委託の子会社ビースタイルバリューテクノロジーズなどです。新しいビジネスへ進出する際に考えているのは、まずシナジー、そしてマーケットが求めている価値を提供できるサービスかどうかということです。
価値創造という言葉は、貴社のパーパス、ミッションなどとも深く関係している印象を受けます。
会社をつくるときにまず考えたのは「強い会社にしたい」ということでした。では強い会社とは何か。それは「時代にあわせた価値を、創造する。」会社であると考え、存在意義、パーパスにしました。具体例としてイメージしやすいのは、富士フイルムさんです。既にフィルムの売上は、10%以下です。時代にあわせて製品も技術も変化させていて、それでいて世界を代表する企業、すばらしいと思います。それぞれの時代に「best」な価値を時代の「basic」に、という思いから、社名も「b-style(ビースタイル)」としました。
使命、ミッションの「『はたらく』をもっと、しあわせに。」は、人と仕事の適材適所の追及により、いつまでも、どこででも、自由に働ける社会を、人材サービスと技術サービスで目指すことで実現したいと思っています。
また人材育成も重要です。日本では給与がなかなかあがらないと言われますが、希少性の高い職種の人は給与が高くなっています。その人の働きで生み出される価値が大きいからです。そうした人材を育てることができれば、社会全体の給与水準もあがっていくはずです。リスキリングなどを通じて、その実現に寄与していきたいですね。ここでもキーワードは「価値創造」です。
失敗を成功に結びつけることができれば、前に進む情熱が生まれる
現在の日本企業の「人と組織」「人事」の現状や課題をどのように捉えていますか。
組織マネジメントが非常に難しくなったと感じます。かつては「ここで働いていればいずれ管理職になれるだろう」といったキャリアコースが見えていました。しかし現在は、年功序列がほとんどなくなっています。働く人もわかっていて、将来よりも現在を重視するようになっています。価値観やライフスタイルも多様化する中で、仕事内容ややりがいを含め、金銭的にも環境的にも常に満足できる職場をつくっていかなければ、人はついてきません。マネジメントが難しいのも当然だといえます。
当社も、時代に合わせて変わっていかなければなりません。これまで主婦にフォーカスをあててきましたが、今後は50代を中心に急増するであろうフリーランスをどう生かすかも視野に入れていくことになると思います。大企業の早期退職、役職定年などが定着してきたので、この流れは変えられません。最大で80歳くらいまで働く未来がくると、働き方の幅はもっと広がります。
企業側も人手不足がより深刻化するので、正社員だけで必要な労働力をまかなうのは不可能です。雇用形態は関係なく、どの仕事にどんな人材をどう調達するかを考えて組織運営を進めることになるでしょう。そこでも最適な提案ができる会社をめざしています。
貴社も含めた人材サービス業界のあり方も変化していくということでしょうか。
トップクラスの人材ばかりを提供できればいいのですが、働き手が不足しているため、難しくなっています。そのため、テクノロジーと人材を組み合わせて最大の成果を生み出せる提案をすることも、人材サービスの仕事になっていくと思います。また、正社員・派遣・フリーランス・副業・アウトソーシングなど、さまざまな人材を組み合わせて組織運営を行うための手助けをすることも大切な役割になるはずです。さらなる提案力が求められるのではないでしょうか。
貴社で今後新たに手がけようと考えていることがあればお聞かせください。
さまざまな構想がありますが、すべてに共通しているのは顧客や市場のニーズに応えるということです。そのためには、リスキリングなどによって人材を新しい産業に適応できるようにし流動化を促していくこと、テクノロジーと人の働きを組み合わせて成果を生める仕組みを提案していくことが大きなテーマになると考えています。多様化する働き方にあわせて多くのエンゲージを生み出し、雇用を創出する役割を果たしていきます。
最後に人材サービス、HRソリューションなど法人向け業界で働く皆さんに、ビジネスで結果を出すために大切なこと、若いうちからやっておいた方がいいことなど、成功へのヒントをいただけますでしょうか。
起業して20年以上経ちますが、うまくいかないことも多々ありました。理想と現実のギャップをどう埋めようかと考え続けてきたように思います。工夫して、挑んで、振り返って、ということの繰り返しです。すべては「理想と学習」ではないでしょうか。
成功体験は次のステップに向かうための大きなエネルギーになりますが、逆にうまくいかないときは諦めたくなることもあるでしょう。しかし、そこで諦めないことが大事です。失敗してもその原因を分析できれば糧になります。そして失敗を成功に結びつけることができれば、前に進む情熱が生まれます。このスパイラルを生み出すことがポイントだと思います。
社名 | 株式会社ビースタイル ホールディングス |
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本社所在地 | 〒160-0023 東京都新宿区西新宿6-18-1 住友不動産新宿セントラルパークタワー 32F |
事業内容 | 時短人材の派遣・紹介サービス、主婦・主夫に特化した求人サイト、業務自動化ソリューションなど |
設立 | 2002年7月 |
日本を代表するHRソリューション業界の経営者に、企業理念、現在の取り組みや業界で働く後輩へのメッセージについてインタビューしました。