タナケン教授の「プロティアン・キャリア」ゼミ【第76回】
キャリアショックと感情知性―AI導入が醸す、人事という仕事の本質―
法政大学 キャリアデザイン学部 教授
田中 研之輔さん

令和という新時代。かつてないほどに変化が求められる時代に、私たちはどこに向かって、いかに歩んでいけばいいのでしょうか。これからの<私>のキャリア形成と、人事という仕事で関わる<同僚たち>へのキャリア開発支援。このゼミでは、プロティアン・キャリア論をベースに、人生100年時代の「生き方と働き方」を戦略的にデザインしていきます。
組織の効率化とキャリア行動の狭間
人事領域におけるAI導入が、急速に進んでいます。採用管理、書類選考、面接支援、適性判定など、かつては人の判断に委ねられていたプロセスに、AIが深く入り込むようになりました。合理性や効率性、公平性という観点から見れば、AIが人事の仕事を大きく前進させたことは間違いありません。しかし同時に、人事の現場では、次のような問いが広がっています。
「効率化は実現しているものの、人が前向きに動かない」
「仕組みは整ったのに、キャリアへの捉え方に変化がない」
この違和感は、AIの精度や運用方法の問題ではありません。むしろ、AIが人事という仕事の前提そのものを変えてしまったことによって、生じているものだと考えることができます。簡潔に述べるならば、AIは、人事を「制度を設計する仕事」から、「人がどのような経験を積み重ねているのかを問う仕事」へと役割転換を提起しているのです。
Anvari(2025)は、AIを採用プロセスに導入した組織を対象に、キャリア発達への影響を実証的に検討しています。その結果、AI導入は、組織における前向きな変化を高め、個人のキャリア発達を促進していることがわかりました。重要なのは、AIそのものがキャリアを直接的に良くしているわけではない、という点です。AI導入という出来事を通じて、組織の中での仕事経験や評価経験を再定義する過程こそが、キャリアを動かしているのです。
ある企業の人事部では、AIによる書類選考を導入した直後、現場から強い反発を受けました。「人を見ていない」「評価が機械的になった」という声です。それに対して人事部は、「これまで、何をもって人を評価してきたのか」「AIに任せる判断と、人が引き受ける判断の違いはどこにあるのか」という問いを、現場と共有しました。その結果、キャリア面談の質が変わりました。昇格要件や異動条件を確認する場ではなく、「あなたはこの組織で、どのような価値を発揮したいのか」を考える場へと変化していったのです。
AI導入とは、単なる制度改革ではありません。組織と個人が積み重ねてきた経験を再定義することなのです。そして、この再定義をどのような方向へ導くかが、人事という仕事の核心になっています。
人事制度は、キャリアを支える重要なインフラです。しかし、制度が整っていることと、キャリアが動くことは同義ではありません。多くの人がキャリアの転機を迎えるのは、制度が改定されたときではなく、「自分の仕事経験の意味」が変わったときです。
キャリアが動かす、ポジティブ・オーガニゼーショナル・ショック
先ほど取り上げたAnvari(2025)の研究では、AI導入がキャリア発達に与える影響のうち、57.31%がポジティブ・オーガニゼーショナル・ショックを通じて媒介されていることが示されています。これは、キャリアの変化の半分以上が、制度変更そのものではなく、制度変更によって生じた経験の再定義によって説明されることを意味します。
組織の中で起こる出来事は、多くの場合、静かに積み重なっていきます。制度は少しずつ改定され、仕事のやり方も徐々に変わっていくため、昨日と今日との違いはそれほど大きくありません。だからこそ、人は「このままで大丈夫だろう」と考えながら働き続けます。キャリアもまた、その延長線上で緩やかに進んでいくものだと思われがちです。
しかし、ときに組織には、連続性を断ち切るような出来事が訪れます。AIの導入、大規模な制度変更、急激な環境変化。こうした出来事は、それまで当たり前だと信じられていた前提を一度壊します。仕事の進め方、評価の基準、求められる役割。これらが揺らいだ瞬間、人は立ち止まり、自分と組織の関係を見つめ直さざるを得なくなります。この「前提が崩れる体験」こそが、組織におけるポジティブ・オーガニゼーショナルショックです。
ポジティブ・オーガニゼーショナル・ショックとは、そのようなショックが、結果として前向きな意味を持つ状態を指します。重要なのは、最初から明るく歓迎される変化である必要はない、という点です。むしろ多くの場合、戸惑いや不安、違和感とともに始まります。それでも、組織がその出来事を丁寧に扱い、意味づけを行うことで、ショックは混乱ではなく成長の起点へと変わっていきます。
AIが人事や採用に導入されると、多くの組織で似たような反応が見られます。人の目で見てきたものが機械に委ねられることへの抵抗感、評価がブラックボックス化するのではないかという不安。これらは自然な感情です。その不安が放置されるか、対話の素材として扱われるかによって、組織の未来は大きく分かれます。
AI導入をきっかけに、「私たちは何をもって人を評価してきたのか」「この組織で価値とは何か」という問いが言葉として交わされ始めたとき、ショックはポジティブなものへと転じます。評価基準が可視化され、仕事の意味が共有され、個人が自分の役割を主体的に考え始める。この一連の変化は、制度そのものよりも、組織経験の質を大きく変えていきます。ポジティブ・オーガニゼーショナル・ショックがキャリアに与える影響は、ここにあります。
キャリアは、日常の延長線上ではなかなか動きません。昨日と同じ前提で今日も働ける限り、人は変わらずにいようとします。しかし、ショックによって前提が崩れたとき、初めて「自分はこのままでいいのか」「これから何を選びたいのか」という問いが生まれます。その問いこそが、キャリアを再構成する力になります。
ポジティブという言葉が意味しているのは、楽しいとか、うまくいくとかいう感情ではありません。それは、意味が更新されることです。組織の中で語られる言葉が変わり、仕事の価値が言語化され、キャリアが他人任せではなく自分のものとして引き取られる。その変化が起きたとき、ショックはポジティブなものとして機能します。
こうした変化は自動的には起きません。同じ出来事でも、扱い方を誤れば、ショックは不信や萎縮を生むだけで終わります。一方的な制度説明、不安の切り捨て、異論を抵抗として処理する姿勢は、ショックをネガティブな方向へと固定してしまいます。ポジティブ・オーガニゼーショナル・ショックとは、出来事そのものではなく、その後に続く関わり方によって成立する状態なのです。
プロティアン・キャリアの視点から見れば、ポジティブ・オーガニゼーショナル・ショックとは、環境変化が個人のキャリア再構築を促す触媒が生まれる瞬間だと言えます。変化があるからキャリアが動くのではありません。変化が意味として引き受けられたとき、初めてキャリアは動き始めます。

感情知性への着目
さらに興味深いのは、Anvari(2025)が感情知性(Emotional Intelligence)にも注目している点です。感情知性とは、感情に振り回されない力ではありません。自分の感情に気づき、それが何を示しているのかを理解し、行動につなげていく力です。感情を抑える能力ではなく、感情を手がかりに考える能力だと言えます。
組織に変化が起きると、人は必ず感情を動かします。不安、違和感、期待、抵抗。これらは変化に弱い証拠ではなく、仕事や組織に真剣に向き合ってきた証しです。感情知性の高い人は、その感情を否定せず、「なぜ自分はそう感じているのか」と問い直します。その内省が、キャリアを動かす起点になります。
AI導入のような変化の場面では、感情知性の差がはっきりと表れます。感情を抑え込もうとする人は混乱し、感情を理解しようとする人は意味を見いだします。後者の人は、変化を脅威ではなく、自分の仕事経験を再定義する機会として引き受けることができます。
感情知性は、個人の内面に閉じた能力ではありません。自分の感情を理解できる人は、他者の感情にも気づきやすく、対話を生み出します。その対話が、組織の中で変化を前向きに扱う空気をつくります。
キャリアが制度だけでは動かないように、感情も理屈だけでは扱えません。感情知性とは、変化の中で揺れる自分を理解し、その揺れを引き受けながら、次の一歩を選び取る力です。AI時代において、この力は、人がキャリアを生きたものとして動かすための、最も基本的な基盤だと言えるでしょう。
Anvari(2025)の研究では、感情知性の高い人ほど、AI導入とポジティブ・オーガニゼーショナル・ショックの関係が強まることが示されています。変化そのものよりも、変化をどのように受け止め、感情的に処理できるかが重要なのです。
加えてAnvari(2025)は、家族からの支援が、ポジティブ・オーガニゼーショナル・ショックとキャリア発達の関係を強めることも示しています。つまり、組織で前向きな変化が起きても、それを引き受けられるかどうかは、職場の外にある支えにも左右されるのです。不確実性の高い時代において、家族はキャリア選択の心理的基盤となります。
この知見は、人事施策の前提を大きく揺さぶります。キャリア支援を研修や配置の問題としてのみ捉えることは、もはや十分ではありません。働き方、生活、支援環境まで含めた「経験の全体」をどう設計するかが問われています。
キャリアとは環境に適応するだけのものではありません。個人の価値観に基づき、自ら方向づけていくプロセスです。AIは、そのプロセスを加速させる外部刺激として機能しています。AI導入が映し出しているのは、技術の未来ではありません。人事という仕事の本質。キャリアは制度だけでは動きません。人が経験をどう解釈し、どんな物語として引き受けるかによって動きます。AIは、その物語を書き換える強力な契機です。そして、その契機を生かせるかどうかは、人事がどれだけ「経験の編集者」として機能できるかにかかっています。
それではまた次回に!
- 【引用文献】
- Anvari, R. (2025). Artificial Intelligence and Career Development. Caucasus Journal of Social Sciences, 18(1).
- 田中 研之輔氏
- 法政大学キャリアデザイン学部教授/一般社団法人プロティアン・キャリア協会 代表理事/明光キャリアアカデミー学長
たなか・けんのすけ/博士:社会学。一橋大学大学院社会学研究科博士課程修了。専門はキャリア論、組織論。UC. Berkeley元客員研究員、University of Melbourne元客員研究員、日本学術振興会特別研究員SPD 東京大学。社外取締役・社外顧問を31社歴任。個人投資家。著書27冊。『辞める研修辞めない研修–新人育成の組織エスノグラフィー』『先生は教えてくれない就活のトリセツ』『ルポ不法移民』『丼家の経営』『都市に刻む軌跡』『走らないトヨタ』、訳書に『ボディ&ソウル』『ストリートのコード』など。ソフトバンクアカデミア外部一期生。専門社会調査士。『プロティアン―70歳まで第一線で働き続ける最強のキャリア資本論』、『ビジトレ−今日から始めるミドルシニアのキャリア開発』、『プロティアン教育』『新しいキャリアの見つけ方』、『今すぐ転職を考えてない人のためのキャリア戦略』など。日経ビジネス、日経STYLEほかメディア多数連載。プログラム開発・新規事業開発を得意とする。
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