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タナケン教授の「プロティアン・キャリア」ゼミ【第74回】
“このままでいいのか”の先へ──ミドルシニア・リスキリング

法政大学 キャリアデザイン学部 教授

田中 研之輔さん

タナケン教授の「プロティアン・キャリア」ゼミ

令和という新時代。かつてないほどに変化が求められる時代に、私たちはどこに向かって、いかに歩んでいけばいいのでしょうか。これからの<私>のキャリア形成と、人事という仕事で関わる<同僚たち>へのキャリア開発支援。このゼミでは、プロティアン・キャリア論をベースに、人生100年時代の「生き方と働き方」を戦略的にデザインしていきます。

ミドルシニア期は、キャリアの折り返し地点ではなく、自分の可能性を再構築するための新たなスタート地点です。とはいえ、組織内での役割や責任が積み重なり、気づけば同じ景色を何年も見続けていて、目の前の仕事をただこなしている人は少なくありません。仕事をこなす状態の心理的幸福感は高くなく、むしろ、キャリアに閉塞感や停滞感を感じやすい時期でもあります。そんなときに必要なことは、キャリアへの向き合い方を変えることです。ほんの小さな行動を積み重ねるだけで、キャリアは驚くほどしなやかに動き始めます。

その鍵を握るのが、越境、内省、対話です。これらは大きな予算や上長の許可がいるような行為ではく、日常の延長にそっと組み込むことのできる“キャリア習慣”です。今回のプロティアン・ゼミでは、ミドルシニアが自分のキャリアを再び動かすための五つの実践を紹介していきます。自らの意思で、誰でも今日から取り組むことができます。

(1)他部署の勉強会に顔を出してみる

キャリアが長くなるほど、所属部署のルールや慣習に染まり、それが自分にとっての「常識」となります。しかし、その“常識”こそが知らぬ間に思考の幅を狭め、行動を限定化させ、新しい発想を遠ざけてしまうのです。この閉塞感を打破する一歩が、「他部署に出てみる」という行動です。

製造業で品質管理部門に所属する長嶺さん(56歳)は、開発部門が開催している勉強会の「聴講だけでもOK」という案内に心を動かされ、軽い気持ちで参加しました。そこで目にしたのは、「自分の知識が当たり前に通用しない世界」でした。

品質部門ではリスク回避を最優先に考えますが、開発部門では挑戦と失敗を前提に議論が進みます。その文化の違いに触れたとき、長嶺さんは「自分の仕事にはいつの間にか“安全第一”の呪縛が染みついていた」と気づいたそうです。他部署の場に出ることは、自分の“職能バイアス”を自覚するきっかけになります。それは単なる情報収集ではなく、組織内越境による思考の柔軟化であり、キャリアの新陳代謝を促す行為です。

さらに、部署を超えた接点は社内ネットワークの拡張にもつながります。実際に長嶺さんは、開発部門の若手と共同で改善プロジェクトを立ち上げ、新たな視点を取り入れたテストフローの刷新を実現しました。越境とは、必ずしも物理的な移動を伴うものではありません。組織内にある“見えない壁”を一つ超えてみること。そこから新しい学びとつながりが静かに積み上がっていきます。見方を変え、行動に移すことで、社内でもキャリア・リスキリングは可能なのです。

(2)学びの棚卸しシートを作成する

キャリアの節目に立ったとき、多くの人は「まず振り返りを」と言います。しかし、ただ思い出すのではなく、これまでの経験を“キャリア資本”として意味づける棚卸しこそが、ミドルシニア期のキャリア再構築には欠かせません。

キャリア形成で重要なのは、knowing-how(知識・スキル)、knowing-whom(人的ネットワーク)、knowing-why(動機・目的)の3要素です。このフレームを用いて、自身の経験を整理するために「学びの棚卸しシート」を作成してみましょう。

サービス業でマネジメント職を務める古谷さん(53歳)は、キャリアに不安を抱えていました。役職は順調に上がっているものの、「自分が何をしてきたのかよく覚えていない」と言います。そこで古谷さんはノートを一冊用意し、三つの問いに沿って棚卸しを始めました。

どんなスキルを、どんな仕事で身につけたのか?
どんな人と、どのような関係性を築いてきたのか?
なぜこの仕事を選び、何を大切にしてきたのか?

書くうちに曖昧だった記憶が鮮やかに蘇り、「あの経験が今の判断基準を形づくっている」と気づく瞬間もあったといいます。棚卸しは、過去の経験を意味づけると同時に、「これから強化すべきことは何か」「誰とつながるべきか」「どんな仕事にやりがいを感じるか」といった未来の問いを明確にしてくれます。

大切なのは量ではなく「質」です。小さな経験でも、その価値を言語化すればキャリア資本として“使える知”になります。また、棚卸しシートは他者との対話ツールにもなります。職場の同僚、社外の友人、あるいは、キャリアコンサルタントの方々と共有すれば、新しい視点を得ることができます。棚卸しとは、過去を清算する行為ではありません。過去の中に眠る可能性を拾い集め、未来への布石とする“創造的な内省”なのです。

(3)“なりたい自分”の1年後を言語化してみる

キャリア後半に差しかかると、「このままで良いのか」とふと立ち止まる瞬間があります。これは不安ではなく、自己概念を更新する絶好のタイミングです。

IT業界で長くプロジェクトマネジメントを担ってきた渡辺さん(54歳)は、「1年後、どうなっていたいか?」という問いに言葉が出てきませんでした。そこでノートを開き、仕事・生活・家族・学び・社会との関わりという五つの観点で“なりたい自分”を書き出してみました。

「自分らしさは活かせているか?」「誰のために、何をしていたいのか?」。これらの問いを重ねるうちに、渡辺さんは「新しい仕組みづくりを通じて、人の可能性を引き出す仕事がしたい」という原点を思い出しました。言語化のプロセスは希望を明確にし、不要な“キャリアのノイズ”を取り除き、未来の選択基準を与えてくれます。即座に書き出すことが目的ではありません。何度も問いに向き合い、練り上げていくのです。

さらに、他者との対話を通じて語ることで、描いた未来はより鮮明になります。大切なのは“正解”を探すことではありません。問いを持ちながら、自分の言葉でキャリアを語ること。それ自体がミドルシニアの成熟したキャリア形成なのです。

今から、静かに自分に問いかけてみてはいかがでしょうか。「1年後、どんな自分でありたいか?」。その一行が、未来の自分を導く羅針盤になります。

イメージ図:“なりたい自分”の1年後を言語化してみる

(4)興味ある領域の“異業種人脈”を広げてみる

ミドルシニア期において、既存の人間関係は安心をもたらす一方で、変化や学びを閉ざすリスクにもなります。

地方自治体で働く竹岡さん(56歳)は、キャリア支援に関心を持つさまざまな業種のメンバーが集まるオンラインコミュニティに参加しました。当初は「場違いでは」と不安を感じていましたが、IT企業やスタートアップの視点に触れるうち、自身の経験との接点に気づき始めました。

その後、竹岡さんは地域のデジタル人材育成事業に関わるようになり、自治体の枠を越えたネットワークを築くことに成功。「異業種の人と話すと、自分では気づかなかった強みに気づける」と語ります。LinkedIn、Facebook、イベント後の名刺交換など、接点の種は日常に無数にあります。重要なのは「知って終わり」にしないことです。

たとえば、毎月一人だけ“異業種の人と30分話す”という小さな習慣でも、キャリアの景色は大きく変わります。異業種の人脈とは、新しい自己像を映し出す“鏡”です。そこには、まだ出会っていない自分の可能性が潜んでいます。

(5)SNSで“問い”を発信してみる

SNSは情報を発信するだけの場ではありません。自分の関心や価値観、そしていま抱えている問いを社会に発信することで、新しい対話や機会が生まれる場でもあります。

メーカー勤務の安西さん(55歳)は、「#キャリア問いノート」というハッシュタグをつけ、自分がいま考えている問いを毎週投稿するようになりました。

「50代の学び直しは遅いのか?」
「自分の強みを言語化できないとき、どうすればいい?」

その素朴で本質的な問いは多くの共感を呼び、フォロワーが増え、コメントやDMで新しい対話が始まりました。問いの発信は自己開示であると同時に、他者との接続点でもあります。思いがけない共鳴や、新しいつながりが生まれることもあります。問いを書き続けることは、自分の内面を整理するプロセスでもあり、自分という物語の再構築でもあります。大切なのは、「答え」を出すことではありません。

いま、何に引っかかっているのか? どんなことに悩んでいるのか?

その揺れを率直に書いてみることです。SNSという公的な場に問いを置くことで、他者とのつながりが生まれ、視野が広がります。まずは1行。あなたの問いから、キャリアは再び動き始めます。

キャリアは環境の変化によって決まるものではなく、私たち自身が「どのように意味づけるか」で日々つくられていきます。これは、プロティアン・キャリアが示す“自己駆動性”と“価値観の更新”の本質です。ミドルシニア期は、まさにこの内省と再物語化が最も力を発揮する時期だといえます。

キャリア後半に求められるのは、完璧な計画でも、大きな挑戦でもありません。必要なのは、変化に応じて方向を調整する柔軟性(アダプタビリティ)と、越境を通じて自分の世界を少し広げる勇気です。成人発達理論が示すように、人は年齢ではなく「経験への向き合い方」で成熟していきます。

今日紹介した五つの行動──他部署に出てみる、学びを棚卸しする、1年後の自分を書く、異業種とつながる、SNSで問いを発信する──は、どれも小さな一歩にすぎません。しかし、この“一歩の連続”こそが、キャリアの自己再生を促す最も確かな方法です。

未来は、いまの行動によって静かにかたちを変えていきます。どんな小さな越境も、あなたのキャリアストーリーを書き換える力を持っています。

50代からのキャリアは、縮むのではなく、むしろ深まり、広がり、豊かさを増していきます。

あなたが今日選んだ一歩が、明日の自分をより自由にしてくれる──その確信を胸に、また新しい日を迎えてみてください。

あなたのキャリアは、これからも育ち続けます。

田中 研之輔氏
田中 研之輔氏
法政大学キャリアデザイン学部教授/一般社団法人プロティアン・キャリア協会 代表理事/明光キャリアアカデミー学長

たなか・けんのすけ/博士:社会学。一橋大学大学院社会学研究科博士課程修了。専門はキャリア論、組織論。UC. Berkeley元客員研究員、University of Melbourne元客員研究員、日本学術振興会特別研究員SPD 東京大学。社外取締役・社外顧問を31社歴任。個人投資家。著書27冊。『辞める研修辞めない研修–新人育成の組織エスノグラフィー』『先生は教えてくれない就活のトリセツ』『ルポ不法移民』『丼家の経営』『都市に刻む軌跡』『走らないトヨタ』、訳書に『ボディ&ソウル』『ストリートのコード』など。ソフトバンクアカデミア外部一期生。専門社会調査士。『プロティアン―70歳まで第一線で働き続ける最強のキャリア資本論』、『ビジトレ−今日から始めるミドルシニアのキャリア開発』、『プロティアン教育』『新しいキャリアの見つけ方』、『今すぐ転職を考えてない人のためのキャリア戦略』など。日経ビジネス、日経STYLEほかメディア多数連載。プログラム開発・新規事業開発を得意とする。

企画・編集:『日本の人事部』編集部

オピニオンリーダーからの提言

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