タナケン教授の「プロティアン・キャリア」ゼミ【第73回】
プロティアン・キャリアAIドックとは?
法政大学 キャリアデザイン学部 教授
田中 研之輔さん

令和という新時代。かつてないほどに変化が求められる時代に、私たちはどこに向かって、いかに歩んでいけばいいのでしょうか。これからの<私>のキャリア形成と、人事という仕事で関わる<同僚たち>へのキャリア開発支援。このゼミでは、プロティアン・キャリア論をベースに、人生100年時代の「生き方と働き方」を戦略的にデザインしていきます。
AIが急速に進化し、働く世界が大きく変わろうとしているいま、私たち一人ひとりに問われているのは、「これからのキャリアを、どのように描き、どう生きるか」という根本的な問いです。
終身雇用や年功序列といった日本型雇用の前提が変容し、組織に自らの未来のすべてを委ねることが難しくなった現代において、キャリアの主導権を再び自分の手に取り戻す動きに注目が集まっています。その理論の核となるのが、本ゼミで主軸に据えているプロティアン・キャリアです。今回のゼミでは、AIとデータサイエンスの力でキャリア開発をさらに深化させる「プロティアン・キャリアAIドック」について概説していきます。
AIによる「キャリアの健康診断」とは?
「AIドック」という言葉が示すように、これは“キャリアの健康診断”を、AIを活用して高度化・個別化・継続化する取り組みです。これまでのキャリア診断は、質問紙による静的な測定が中心でした。そのため自分の強みや興味、価値観を点として把握するに留まり、時間軸の中でどのように変化し、どこへ向かっているのかを可視化することは困難でした。これまでのキャリア開発が静的アプローチであったのに対して、これから求められるのは動的アプローチなのです。
プロティアン・キャリアAIドックは、まさにその限界を超える構想です。自己概念・スキル・行動履歴・学習ログ・ネットワークデータなど、従来は切り離されていた情報を統合し、個人のキャリア状態を「動的に」可視化し続けます。時間とともに蓄積されるデータをAIが解析し、成長曲線や変化の兆しを予測することで、自身では気づいていなかった可能性を見える化することができます。それは同時に、上長による評価をより客観的なデータに基づく公平性の高いものへ磨き上げる一助となるものです。
この仕組みの最大の特徴は、「個別最適化(パーソナライズ)」にあります。従来の一律的なキャリア開発では、同じ年齢や職種であれば似たような提案がなされることが多く、本人の価値観やライフコンテクストまでは十分に反映されませんでした。
プロティアン・キャリアAIドックでは、対話データや言語表現を解析する自然言語処理技術を活用し、その人固有の価値観、キャリア信念、人生戦略を抽出します。例えば、「安定を重視する」「挑戦を楽しむ」「人に貢献したい」といった語彙や感情のパターンを分析し、本人も意識していない“キャリア・ナラティブ(物語)”を浮かび上がらせます。また、子育てや介護といった、それぞれのタイミングで向き合うライフイベントとキャリアの個別的な関係性も、データとして読み込ませることが可能です。その上で、各々のキャリアステージを軸に、いかなるスキルを磨き、どのような学びや越境経験を積むと自己実現に近づくかを提示します。ここに、AIによる“データ駆動型の行動変容伴走”という新しい地平が開かれるのです。
この発想は、単なる診断技術の進化ではありません。むしろ、「キャリアを診る」という行為そのものの意味を変える革新です。プロティアン・キャリアAIドックでは、キャリアを静的な結果ではなく、“進行形のプロセス”として捉えます。人が成長するとは、過去の自分を更新し続けることです。
AIが提供するのは答えではなく、更新のための問いです。たとえば、AIが「あなたの最近の活動から、自己成長への意欲が停滞しています」と知らせてきたとき。それは警告ではなく、内省を促す問いです。なぜ停滞しているのか。何を優先してきたのか。本当に自分が大切にしたい価値観は何なのか。そうした内的対話を通じて、人は再び動き出します。AIは、業務の効率化を促すだけでなく、キャリア開発のパーソナルパートナーとして、沈黙の問いを可視化し、再出発を支援する存在になるのです。
理論的に見ると、このアプローチは「プロティアン・キャリア理論」と「キャリア・エンゲージメント理論」の融合といえます。前者は自己主導・価値観・適応性を重視し、後者はキャリアへの関与や内発的動機づけを測定する理論です。プロティアン・キャリアAIドックは、両者の要素を兼ね備えています。
AIによってキャリアの変化を定量化・可視化することで、自分のキャリアに「関わる」きっかけを増やし、行動変容を促します。キャリアへの関与が高まれば、職務満足やウェルビーイング、生産性も高まることが研究で示されています。つまり、プロティアン・キャリアAIドックは、プロティアン・キャリアを“実践できる状態”に引き上げる装置なのです。

個人の成長を「組織の力」に変える
この仕組みは個人だけでなく、組織にとっても大きな意味を持ちます。人的資本経営の時代、企業に求められているのは「人材をコストではなく資本として捉え、長期的な価値創造の源泉として育てる」ことです。
プロティアン・キャリアAIドックによって可視化されたキャリアデータは、組織にとっての「人的資本データバンク」となり得ます。誰がどのようなスキルポートフォリオを持ち、どこに伸びしろがあるのか。どの部署にキャリア停滞が生じているのか。AIが全体を俯瞰的に分析することで、戦略的な人材配置や育成施策を設計することが可能になります。
しかも、それは個人の意思や価値観と連動しているため、「組織の成長=個人の成長」という両立を実現できます。社員のキャリア自律を促すことが、そのまま組織のレジリエンス強化につながる。これこそが、プロティアン・キャリアAIドックの本質的な価値だといえます。
ただし、プロティアン・キャリアAIドックを導入すること自体を目的としてはなりません。重要なのは、AIが生み出す“洞察”をいかに人間的な学びと行動に接続できるか、という点です。AIが「あなたは変化への意欲が高い」と分析しても、その人が実際に新しい挑戦に踏み出さなければ意味がありません。診断はあくまで出発点であり、そこから対話・振り返り・越境・実践という人間的プロセスを経て、初めてキャリアが動き出します。プロティアン・キャリアAIドックの理想形とは、AIが人間の自己理解を深め、行動の背中を押し、学びを伴走する「キャリア・コーチングAI」として機能する世界です。その意味で、この仕組みは「人間とAIの協働によるキャリア創造」と言えるでしょう。
導入にあたっては、いくつかの留意点もあります。まず、AIがどのように判断し、どのようなアルゴリズムで可視化しているのかを、利用者に説明する「説明可能性」が欠かせません。データの偏りやバイアスを防ぐための設計も重要です。また、AIが提示する結果は絶対的な評価ではなく、あくまで“仮説”であるという認識を持つことが必要です。キャリアは数値化できない側面を多く含みます。AIの洞察を鵜呑みにするのではなく、それを手がかりに「自分はどう感じるか」「どう動くか」を考えることが、人間らしいキャリア形成の核心になります。
今後、プロティアン・キャリアAIドックは、個人・組織・社会をつなぐキャリアエコシステムへと発展していくでしょう。10万人規模の継続的可視化が実現すれば、業界や地域を超えて「キャリア資本の可視化」が進み、個人は境界を越えて成長できる環境を手にします。また、AIが生成するナラティブ(キャリア物語)と人間の感情が結びつくことで、これまでにない“未来自己との対話”が可能になります。AIが「あなたの5年後のキャリア物語」を生成し、それをもとに本人が学びや挑戦を計画する――そんな未来は、もはや夢物語ではありません。キャリアはデータと感情、理性と物語が交錯する“生きたプロセス”へと進化していくのです。
私たちはいま、キャリア開発の歴史的転換点に立っています。かつては会社がキャリアを設計し、評価し、方向づけていました。これからは、自分の価値観を軸に、AIという新たな相棒とともに、自分のキャリアをデザインしていく時代です。AIが問いを投げかけ、データが自己理解を支え、対話が行動を導く。その循環の中で、人は自らの可能性を発見し続けます。プロティアン・キャリアAIドックとは、その循環を日常化するための装置です。すでに開発工程を終え、企業現場での活用が進んでいます。今後のゼミでは、プロティアン・キャリアAIドックのデータ分析も共有させていただきますね。
キャリアは、完成することのない未完のプロジェクト。環境が変わるように、人も変わり続けます。だからこそ、自分のキャリアを「更新し続ける力」を持つことが、これからの時代に最も重要なスキルなのです。AIがそのプロセスを支援し、私たちが自分自身を再定義する。そこに生まれるのは、テクノロジーではなく、人間の可能性そのものです。
プロティアン・キャリアAIドックは、その可能性を引き出すための新しい扉です。その扉を開けるのは、他の誰でもなく、あなた自身なのです。このような歴史的転換期に、皆さまとより良き社会の創出を目指して、ビジネスシーンで切磋琢磨できることをうれしく感じています。
それでは、また次回に!
- 田中 研之輔氏
- 法政大学キャリアデザイン学部教授/一般社団法人プロティアン・キャリア協会 代表理事/明光キャリアアカデミー学長
たなか・けんのすけ/博士:社会学。一橋大学大学院社会学研究科博士課程修了。専門はキャリア論、組織論。UC. Berkeley元客員研究員、University of Melbourne元客員研究員、日本学術振興会特別研究員SPD 東京大学。社外取締役・社外顧問を31社歴任。個人投資家。著書27冊。『辞める研修辞めない研修–新人育成の組織エスノグラフィー』『先生は教えてくれない就活のトリセツ』『ルポ不法移民』『丼家の経営』『都市に刻む軌跡』『走らないトヨタ』、訳書に『ボディ&ソウル』『ストリートのコード』など。ソフトバンクアカデミア外部一期生。専門社会調査士。『プロティアン―70歳まで第一線で働き続ける最強のキャリア資本論』、『ビジトレ−今日から始めるミドルシニアのキャリア開発』、『プロティアン教育』『新しいキャリアの見つけ方』、『今すぐ転職を考えてない人のためのキャリア戦略』など。日経ビジネス、日経STYLEほかメディア多数連載。プログラム開発・新規事業開発を得意とする。
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