タナケン教授の「プロティアン・キャリア」ゼミ【第42回】
人的資本経営を実現するための「三つの段階」とは?
法政大学 キャリアデザイン学部 教授
田中 研之輔さん
令和という新時代。かつてないほどに変化が求められる時代に、私たちはどこに向かって、いかに歩んでいけばいいのでしょうか。これからの<私>のキャリア形成と、人事という仕事で関わる<同僚たち>へのキャリア開発支援。このゼミでは、プロティアン・キャリア論をベースに、人生100年時代の「生き方と働き方」をインタラクティブなダイアローグを通じて、戦略的にデザインしていきます。
タナケン教授があなたの悩みに答えます!
侍ジャパンのWBC優勝、感動しましたね! 世界的な舞台の土壇場で最大限の力を発揮する選手たちから、いろんなヒントをいただきました。
私たちの舞台で取り組むべきことは、人的資本経営による一人ひとりのポテンシャルの最大化です。人はコストではなく、投資の対象である。人への投資によって、性別・年齢・職歴を問わず、誰でもいつからでも成長していくことができる。この実現に向けて、チャレンジしていくのです。
実現のステップは、大きく次の3段階に分かれます。
第1段階は、経営層と人事トップ(CHRO/CHO)が今後の方向性を話し合い、「人への投資」の具体的施策を中期計画として描いて、経営戦略の中に明確に落とし込むこと。現状の経営状態、事業特性、売上高、営業利益、経常利益、ROE(自己資本利益率)、ROA(総資産利益率)などからの総合的な判断として、戦略的に予算を投下し、集中的に実施しない限り、組織が大きく変わることはありません。
およその目安として、10年後に人的資本経営を実現したいというタイムスパンでは変化はおきないと捉えて間違いありません。3年間の中期計画の中で、何をどこで着手するのかを決めていくのです。3年間の中期計画を3回バージョンアップした先に、結果的に10年目が訪れるのです。
第2段階は、人事部が主導し、人的資本経営の具体的施策をマネジャー層へ共有することです。第1段階で構築された中期計画の実行の鍵は、「グロース・マネジャー」が担っています。グロース・マネジャーの役割については、第37回のプロティアンゼミで取り上げました。
あえて従来型の「管理職」ではなく、「グロース・マネジャー」と位置付けることの狙いは明確です。上司である管理職が、部下に仕事を与え、管理していくマネジメントでは人的資本経営は実現しません。「上司と部下」という関係性も変えていくべき転換期を迎えているのです。
人的資本経営を着実に実現させている企業では、「リーダーとメンバー」という関係性が浸透しています。集団の共通目標を達成していくために、リーダーはメンバーの人的資本の最大化をプロデュースしていくのです。
「なぜ、できないのか」を問い詰めるのではなく、「どうしたら、できるのか」を促す。また、「メンバーの受注高を比較して序列化」させるのではなく、「チーム全体で共通目標を達成していく」ために試行錯誤する。それがグロース・マネジャーの役目です。
第3段階は、社員一人ひとりが自らキャリアオーナーシップを持って主体的にキャリアを形成し、組織を最大限に活かしながら、自ら人的資本を最大化させていくことです。この段階の持続的なエンジンになるのが、プロティアン・キャリアやリスキリング施策です。
プロティアンの知見は、人的資本経営の実現のための基礎リテラシーです。自律的なキャリアとは何か? 主体的にキャリア形成していくことのメリットやデメリットは? 組織内キャリアから自律型キャリアへのトランスフォーメーション(変容)は、いかにして可能か? 自律型キャリアの最新知見であるプロティアン・キャリア論は、これらの質問に対する回答を持ち合わせています。
自律的キャリアの本質的意味を理解すると、いつまでに何を学んでいくのかというリスキリングに向けた一歩を踏み出すことができます。組織内キャリア型のままで「自ら学びなさい」といっても、行動は起きないのです。
私が今、15社の企業の戦略顧問をしていて感じるのは、経営層と人事部とのダイアローグによって、第2段階が着実に進展していること。私が実際にお話ししている経営者の中に、人的資本経営を否定する人は一人もいません。どの経営者も、社員の可能性を伸ばしたいと考えています。
その上で、第2段階と第3段階は今、同時並行で行われています。具体的には、グロース・マネジャーへの研修と、メンバーへのキャリア自律型研修を同時期に実施しています。マネジャーの中には、両方の研修を受ける人が多くいますし、メンバー向け研修の録画データを視聴することをマネジャーに促す人事部も少なくありません。
実際に、3年という中期計画の中で人的資本経営を実現していくのであれば、第2段階と第3段階をパラレルに実施していくことが近道です。
「社内研修で効果はあがりますか?」という質問への回答も用意できました。私が開発に関わったキャリア資産診断ツールは、組織内キャリアから自律型キャリアへの施策の実施前後でのキャリア資産の可視化に成功。社内研修、公募制、社内副業・兼業などの実施が個人のキャリア資産の蓄積につながることがわかりました。
また、キャリアオーナーシップ経営診断ツールも開発し、人事部の方が人的資本経営の実現に向けた現在地を把握することができるようになりました。これまでの組織内エンゲージメント調査データなどとクロス集計を行い、自律的なキャリアと組織内エンゲージメントに正の相関があることを導き出しました。
これまでエビデンスのない印象論で語られていたように「自律すると辞めていく」のではなく、「自律するとエンゲージメントが高まる」ことが明らかになったのです。それでも辞めていく社員が減らない職場は、「自律して働くことが許されない従来型の職場」か「自律してエンゲージメント高く働いているにもかかわらず、その先の個人と組織の持続的な成長が見込めない職場」です。人材版伊藤レポートでも的確に指摘されているように、これからの職場は、「選び・選ばれる」対等な関係でなければならないのです。
さらに皆さんに共有したいことがあります。人的資本経営を実現するための具体的な取り組みに失敗は存在しない、ということです。先ほど述べた数値データの分析からも顕著にいえます。
ただし、社内研修は点施策に過ぎません。組織内キャリアから自律型キャリアへの総合的施策をできるだけ集中的かつ計画的に、全社員に伝達していくことで効果は確実にあがります。エンゲージメントスコアの結果があがらないのは、まだ、自律型キャリア開発の浸透が足りてないだけなのです。
いかにして、届けていくのか。
届けるだけではなく、社員一人ひとりがいかに行動していくのか。
動き出した社員が主体的に働き続けていくことのできる職場を、いかに実現するのか。
人的資本経営の実現に向けて、今、人事部が経営のグロース・ユニットであると私が述べているのは、これらの理由からです。
人事に関わる皆さんができる意思決定を迅速に行い、より良き社会にしていくために、今こそ「人に投資」していきましょう。
それでは、また次回に!
- 田中 研之輔
法政大学キャリアデザイン学部教授/一般社団法人プロティアン・キャリア協会 代表理事/明光キャリアアカデミー学長
たなか・けんのすけ/博士:社会学。一橋大学大学院社会学研究科博士課程修了。専門はキャリア論、組織論。UC. Berkeley元客員研究員、University of Melbourne元客員研究員、日本学術振興会特別研究員SPD 東京大学。社外取締役・社外顧問を31社歴任。個人投資家。著書27冊。『辞める研修辞めない研修–新人育成の組織エスノグラフィー』『先生は教えてくれない就活のトリセツ』『ルポ不法移民』『丼家の経営』『都市に刻む軌跡』『走らないトヨタ』、訳書に『ボディ&ソウル』『ストリートのコード』など。ソフトバンクアカデミア外部一期生。専門社会調査士。『プロティアン―70歳まで第一線で働き続ける最強のキャリア資本論』、『ビジトレ−今日から始めるミドルシニアのキャリア開発』、『プロティアン教育』『新しいキャリアの見つけ方』、最新刊『今すぐ転職を考えてない人のためのキャリア戦略』など。日経ビジネス、日経STYLEほかメディア多数連載。プログラム開発・新規事業開発を得意とする。
HR領域のオピニオンリーダーによる金言・名言。人事部に立ちはだかる悩みや課題を克服し、前進していくためのヒントを投げかけます。