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タナケン教授の「プロティアン・キャリア」ゼミ【第41回】
人的資本の最大化のために必要な「人事エスノグラファー」とは?

法政大学 キャリアデザイン学部 教授

田中 研之輔さん

タナケン教授の「プロティアン・キャリア」ゼミ

令和という新時代。かつてないほどに変化が求められる時代に、私たちはどこに向かって、いかに歩んでいけばいいのでしょうか。これからの<私>のキャリア形成と、人事という仕事で関わる<同僚たち>へのキャリア開発支援。このゼミでは、プロティアン・キャリア論をベースに、人生100年時代の「生き方と働き方」をインタラクティブなダイアローグを通じて、戦略的にデザインしていきます。

タナケン教授があなたの悩みに答えます!

2023年は、人的資本経営アクション元年です。2022年までに皆さんが準備・構想してきた「人的資本の情報開示」と「人的資本の最大化」に着手していく1年を迎えています。

「人的資本の情報開示」へのアクションは、明確です。ISO30414の国際基準で求められる必要事項を正確に情報開示できるように、社内のデータ化を粛々と進めていくのです。開示データを算出するために各項目の数式が詳細に記載されているので、社内データを計画的に収集していくことで、情報を開示することが可能です。

「人的資本の情報開示」に関しては、一度公開したデータが今後どうなっていくのか、どう変化していくのかという視点から、継続的に公開することによる業務負荷を軽減していくことが一つのポイントです。また、情報開示データの数値向上のみが目的となり、そのためだけに社内の施策が展開されるようでは本末転倒になりかねないので、注意が必要です。

一方、厄介なのが、明確な定義やゴールがない「人的資本の最大化」です。人的資本を最大化させるため、各種施策に取り組むことが必要だと誰もが気が付いているのに、何をどのようにして取り組むべきかがわからないからです。

そこで今回のプロティアン・キャリア ゼミでは、人事パーソンのあなたが今日からできることについてお伝えしていきます。これまでも人事パーソンには、経営戦略、事業戦略、キャリア戦略の三つをつなぎあわせて具体的な社内施策を実施していくことが求められると話してきました。

向かうべき方向性はすでに見えています。一人でも多くの社員がこれまでの組織内キャリアから脱却し、自律型キャリアを形成していくことです。企業の生産性や競争力のみならず、社員の心理的幸福感や会社へのエンゲージメントも向上させるからです。

では、何から始めたらいいのでしょうか。組織は、一人ひとりの日々の行為の集合的な堆積物です。社員がこれまで行ってきた歴史や伝統があるのです。

たとえば、ベンチャー企業を起業し、今日から「人的資本の情報開示」と「人的資本の最大化」を実現する組織をつくるというパーパスを掲げ、取り組んでいくのであれば、実現することが可能でしょう。それらを実現できるように人事制度や評価、社内施策を戦略的に設計していけばいいからです。

しかし多くの企業は、そうではありません。企業規模、業界・業種、事業フェーズにもよりますが、組織に何らかの歴史があった上で、日々の業務が行われているからです。

そのような状況で人事パーソンが取り組むべきなのは、「組織エスノグラファー」としての視点を持ち、組織の歴史を相対化・客観化して捉えることです。実は、私は組織エスノグラフィーの専門家でもあります。博士論文もエスノグラフィーで書き上げました。

エスノグラフィーとは、人類学や社会学に学問的潮流を持ちます。集団や組織に対して、相対的・客観的な視点を持って、行為や文化の本質を分析する民族誌的アプローチです。近年、企業現場の組織エスノグラフィーも、非常に注目されています。5月に出版する『プロティアンシフト』(千倉書房)も、組織エスノグラフィーの手法を用いて、女性管理職のキャリア形成を分析しました。

なぜ今、人事パーソンに組織エスノグラフィーの視点をおすすめしたいのかというと、誰でも今日から組織エスノグラファーになれるからです。その上で、欲を言えば、その先へと、つまり、人事エスノグラファーとして取り組んでほしい。

エスノグラファーが大切にするのは、「好奇心」と「違和感」です。皆さんが所属している組織を「人的資本の最大化」と関連させて、「好奇心」を持って見つめ直してみましょう。まず、掲げる問いは次の2点です。

  • 「人的資本を最大化」する上で、どんな点が優れていて、何が素晴らしいのか。
  • 今後も、長く受け継いでいきたい「人的資本の最大化」につながる取り組みとは何か。

この問いに対する答えを言語化していくのです。そのためには、社員の方に、あらためてヒアリングをしてみると良いでしょう。また、ヒアリングした内容をまとめて、オウンドメディアなどで社外に公開していくのも良いでしょう。

人事エスノグラファーは、組織の「あたりまえ」の「良い部分」をあらためて発見し、光をあてていきます。

次に、「違和感」です。「なぜ?」と感じることを大切にしましょう。掲げる問いは2点です。

  • 「人的資本を最大化」する上で、何が問題なのか。
  • 「人的資本の最大化」を実現するために、まず、やめるべきことは何か。

この問いの答えを丁寧に探していきましょう。エスノグラファーはある局面では「孤独な役割」を担うことになります。なぜなら、誰もが正しいと思っていることに対して、時に違う角度から提案していくことになるからです。しかし、その役割を誰かが担わなければ、「人的資本の最大化」の実現や促進はあり得ません。

皆さんが人事エスノグラファーとして今日から取り組むことができるように、取っかかりとなる投げかけを共有しておきますね。

  • 定例会議の時間や頻度は、そもそも、適切か?
  • 会議の参加人数や参加者の選定は的確か?
  • 業務連絡の方法に無駄はないか?
  • テクノロジーを柔軟に導入できているか?
  • 事業の成長と社員の成長のバランスはとれているか?
  • マネジャーとメンバーのコミュニケーションは円滑で適切か?
  • 経営者は人的資本の最大化を理解しているか?
  • 人事は人的資本の最大化を実現する中長期での戦略を描けているか?

これらの問いはきわめて具体的なものですが、私たちは目を背けてはいけません。組織の歴史とは、私たちの目の前の行為の集合によって日々アップデートされるものなのです。

「社内のキャリア施策の内容をこの5年間、何も変えていない」「現場のマネジャーはここ数年、『人がいない』と嘆いているだけだ」などといった言葉を現場で聞くようなことがあれば、赤信号です。人事エスノグラファーとしてのあなたの出番です。

組織は必ず生まれ変わります。何が問題で、その問題をどう解決していくのか。

人的資本の最大化は、組織の「人」に誰よりも寄り添ってきた人事パーソンの皆さんが目の前の「あたりまえ」を見つめ直すこと、問題を発見したのであればプロジェクトチームを編成して解決へと取り組んでいくことによって実現します。

組織内キャリアから自律型キャリアへの歴史的転換期には、人事パーソンの一挙手一投足が組織の未来に直接的な影響を及ぼします。組織の歴史を創造しているのは、皆さんの今日の取り組みだと言えるでしょう。

現場での「好奇心」と「違和感」を大切に、今日から人事エスノグラファーとして、より良き組織の創出に取り組んでいきましょう!


田中 研之輔さん(法政大学 教授)
田中 研之輔
法政大学キャリアデザイン学部教授/一般社団法人プロティアン・キャリア協会 代表理事/明光キャリアアカデミー学長

たなか・けんのすけ/博士:社会学。一橋大学大学院社会学研究科博士課程修了。専門はキャリア論、組織論。UC. Berkeley元客員研究員、University of Melbourne元客員研究員、日本学術振興会特別研究員SPD 東京大学。社外取締役・社外顧問を31社歴任。個人投資家。著書27冊。『辞める研修辞めない研修–新人育成の組織エスノグラフィー』『先生は教えてくれない就活のトリセツ』『ルポ不法移民』『丼家の経営』『都市に刻む軌跡』『走らないトヨタ』、訳書に『ボディ&ソウル』『ストリートのコード』など。ソフトバンクアカデミア外部一期生。専門社会調査士。『プロティアン―70歳まで第一線で働き続ける最強のキャリア資本論』、『ビジトレ−今日から始めるミドルシニアのキャリア開発』、『プロティアン教育』『新しいキャリアの見つけ方』、最新刊『今すぐ転職を考えてない人のためのキャリア戦略』など。日経ビジネス、日経STYLEほかメディア多数連載。プログラム開発・新規事業開発を得意とする。

企画・編集:『日本の人事部』編集部

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