「若・貴」騒動は日本企業が抱える問題の縮図だ
慶應義塾大学商学部教授
中島 隆信さん
「貴乃花衝撃告白3時間」「花田家『遺産』戦争」……今年上半期の雑誌メディアとテレビのワイドショーを最も賑わせた話題といえば、「若・貴」の兄弟喧嘩で決まりでしょう。5月末に父の二子山親方が亡くなった後、喪主をどちらが務めるかで対立。親方の遺産相続の問題も絡んで、社会的な関心を集めました。「変な兄弟だ」とか「特殊な人たちの話だから関係ない」などという声も少なくありません。でも若・貴の置かれている大相撲の世界のシステムを経済学の視点から眺め、そのうえでこの騒動を見てみると、どうなるでしょう。たとえば、なぜ2人が父の「年寄名跡」をめぐって対立しなければならないのか。横綱まで出世した2人でも悠々自適の引退後というのは難しいのか。日本相撲協会が終身雇用の家族的経営であること、年寄名跡の問題は日本の年金制度の将来を暗示していることなど、大相撲を一般社会になぞらえた中島教授の話を聞くと、この若・貴の騒動もごく普通の問題に見えてくるはずです。
なかじま・たかのぶ●1960年生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。同大学大学院経済研究科博士課程単位取得。商学博士。エール大学エコノミックグロースセンター訪問研究員などを経て、現在、慶應義塾大学商学部教授。専攻・研究領域は生産性分析、費用構造分析。主な著書に『日本経済の生産性分析』(日本経済新聞社)『大相撲の経済学』『お寺の経済学』(いずれも東洋経済新報社)など。共編著に『実証経済分析の基礎』(慶應義塾大学出版会)『公共投資の経済効果』(日本評論社)『テキストブック経済統計』(東洋経済新報社)など。中学生の頃からの熱烈な大相撲ファンとしても知られる。
日本相撲協会という「会社」、現役力士・年寄という「社員」
中島さんは『大相撲の経済学』(東洋経済新報社)というご著書があり、「普通の人の目からは特殊に見える相撲の世界であっても、経済学的に考えれば、当たり前の人たちが当たり前のように行動しているごく普通の世界に過ぎない」と書かれています。今、長男で元3代目横綱若乃花の花田勝さんと、次男の元横綱・貴乃花親方の確執が社会的な関心を集めていますが、これをどう見ますか。
兄弟の争いはどこの世界にもある話で、実業界でも個人商店でも、相続や財産分与問題でよく揉めますよね。西武グループの問題でも、逮捕された堤義明さんと弟の康弘さんらの確執が表面化しました。今の若・貴の騒動だって、よくある兄弟喧嘩で片付けられるものだと思いますが、なぜこれだけ国民の注目を集めることになったのかというと、日本一幸せな家族とまで言われた花田家がスキャンダルにまみれたからという理由だけじゃないでしょうね。相撲の世界は一般の社会にも通じる要素を多く含んでいるんだと、そう何となく気づくきっかけになったという理由もあるのではないでしょうか。
若・貴の父の故二子山親方(元大関貴ノ花)の遺産には、土地と建物などのほかに「年寄名跡(としよりみょうせき)=年寄株」もあり、その継承を貴乃花親方が主張していました(その後、花田勝さんは「遺産相続放棄の手続きをした」と発表)。その年寄名跡に高い財産価値があると初めて知った、という人も少なくないですね。
平成15年2月24日の読売新聞夕刊に「年寄株1億7500万円認定 事実上、財産価値」という記事が載っています。年寄名跡「立浪」をめぐり2人の親方が争った、民事訴訟の判決です。日本相撲協会は「年寄名跡に財産価値はない」としていますが、裁判所がそれを認めているわけですし、また実態として、年寄名跡に価格がついて取引も行われている。これは仮定の話になるけれど、協会を辞めた花田勝さんも遺産相続で「二子山」などの名跡を入手すれば、引退したら協会に残りたいと希望している力士にレンタルできますよね。それなりのレンタル料と引き換えにして。年寄名跡が欲しいという人は多いですからね。
現役を引退する力士が選ぶ道は2つあって、一つが、花田勝さんのように日本相撲協会を去る。もう一つは「年寄」として協会に残る。年寄は協会から、年収1000万円以上の給与を得ることができます。ただし年寄として残るためには、名跡を取得しなければならない。年寄名跡の数は105(1代年寄の「北の湖」と「貴乃花」を除く)と決まっています。力士は、三役(小結以上)を1場所でも務めたり、幕内・十両に合わせて30場所以上在位していたりすれば、年寄として日本相撲協会に残る権利を得ますが、年寄になるために必要な名跡の取得は、協会を退職する年寄と、現役を引退しても協会に残りたいと希望する力士の間で取引をするんですね。で、今、協会を退職していく年寄の数よりも、引退後も協会に残りたいと名跡の入手を希望している力士の数のほうが多くなっています。潜在的に年寄名跡の需要が供給を上回っているわけです。限られた数の年寄名跡を力士たちが奪い合うような状況になっていますから、そこに価格がつくのは当然なんです。
名跡を手に入れた年寄(=元力士)は、日本相撲協会にずっと残ることができるのですか。
いえ、「年寄の定年は65歳」という規定が協会にあるので、ずっとというわけにはいきません。でも、相撲以外のプロスポーツ、野球でもサッカーでも、選手の引退後の生活の面倒を日本プロ野球機構やJリーグが見てくれることはほとんどないでしょう。相撲の世界では、力士はそれなりの成績を残して年寄名跡を入手すれば、65歳までの「終身雇用」が保障され、それが力士のインセンティブにもなっている。そう考えると、日本相撲協会というのは、現役力士と年寄という「社員」が所属する「会社」と言うことができますね。
番付で「能力給」を決め、褒賞金で「年功賃金」を保証する
「プロスポーツ=究極の実力主義」と考えると、日本相撲協会の定年65歳・終身雇用というシステムはそれにそぐわない気がします。
そう感じて当然ですけど、相撲は「土俵の中に金銀財宝が埋まっている」などと言われるわりには、力士たちの給与が安いんですね。プロスポーツの給与は契約で決まることが大半ですが、相撲では、「番付」という一種の職階で給料が決まります。しかも序の口から幕下までは無給、十両・幕内の関取にならないと給料がもらえない。関取は、現役力士約700人のピラミッドのうち、一握りです。その関取ですら、たいした給与をもらっていません。プロ野球もセ・パ合わせて700~800人の選手がいますが、スター選手になると数億円も稼ぐでしょう。相撲でそんなに稼ぐのは夢のまた夢、力士の頂点の横綱になり、あれだけ勝ち続けている朝青龍でも横綱昇進時の年俸は1億円に届かず、約4000万円程度だったと見られています。
その代わり、力士はある程度の「業績」を上げたときは年寄として、65歳まで協会に残り、仕事ができるようになっています。プロ野球やサッカーで監督やコーチとして球団に残っても、それはあくまで期限付きの契約にすぎません。相撲は年寄名跡だけを取り上げると異常なシステムを採用しているように見えるかもしれませんけど、結局、力士が現役中だけでなく、引退後も含めてトータルで稼げるシステムになっているんですね。
そういうシステムにするのはどうしてでしょう。
一つは、力士が現役を引退してどこか会社へ就職しようとか、次の仕事を見つけようと思っても難しい、ということがあると思います。力士の「人的資本」を考えると、現役時代に積み上げられるそれは他のプロスポーツと比べてもあまりに特殊すぎて、一般のビジネス社会ではほとんど通用しません。現役中、相撲部屋に住み込んで、稽古に明け暮れる。1日2食、昼寝付きの生活を続けて、腹がせり出す力士独特の体型を作っていくわけですからね。学歴にしても、力士は中学卒業という人が多く、やっぱり今の社会では不利です。ですから、衰えた力士を外へ放り出すようなシステムにはしないで、日本相撲協会の中で一生暮らしていけるシステムにしているのです。協会を離れてしまったら、ちゃんこ料理の腕を生かして板前に転身するとか、それぐらいしか道がなくなってしまうのが実情ですから。
また、力士は「年功」的な給与制度にも守られています。さきほど「番付」で給与月額が決まると言ったでしょう。その給与とは別に「力士褒賞金」という給与もあるんですね。つまり力士の給与制度は2階建ての構造になっている。褒賞金は、幕内優勝したり、金星を挙げたり、勝ち越したり、「業績」を上げると増えます。反対に、負け越したり休場したり、成績が落ち込んだらどうなるか。褒賞金は、それでも減額されません。「業績」の内容に応じて――幕内優勝すると30円、全勝の場合50円、金星を挙げると10円というように加算されていって、その加算金額は成績がダメになっても減らない。そしてその加算された褒賞金を4000倍した金額が年6回の本場所ごとに支給されるんですね(引退した時の横綱貴乃花の褒賞金は1060円と見られる。1060円×4000倍×年6回=25440000円となり、褒賞金だけで約2500万円の年収を得ていた計算になる)。
大関の力士が平幕に落ちても相撲をとり続けているというケースがあるでしょう。大関だったプライドを捨てても、現役にこだわる。その理由の一つには、褒賞金のこともあるのではないでしょうか。現役引退してしまうと、その時点でそれまで積み上げてきた褒賞金を受け取ることができなくなってしまうから、できるだけ長く土俵を務めていたほうが得だと、そんな計算もするはずですよ。実際、番付が低くても褒賞金をたくさんもらっていて、格下の先輩力士が格上の後輩力士よりも給与が高い、というケースもよくありますね。
相撲の給与制度というのは、番付によって給与の金額が決まる「能力給」と、褒賞金によって安定的に給与の金額を増やしていくことのできる「年功賃金」を組み合わせているんですね。
そういうことです。日本相撲協会という「会社」は、横綱とか大関など、特定の優秀な「社員」に利益をたくさん配分するのではなく、「社員」のみんな(関取と年寄)で利益をうまく分け合う方法をとっているということです。競争と助け合いの融合ですよね。これは江戸時代、明治時代からの伝統で、企業の日本的経営とよく似たシステムが長い時間をかけてできあがったのです。
角界に浮上してきた「年金問題」と「中堅層の潜在失業」
年功制と安定性を重視したシステムは、すでに日本の企業の中では崩壊しています。それと同様に、大相撲のシステムもやがては立ち行かなくなるという危惧はありませんか。
確かにこれまでの大相撲のシステムにはデメリットもあり、それが最近になって目立ってきました。たとえば、さっきも触れましたが、年寄名跡の問題です。力士にとって年寄名跡とは、一種の年金証書みたいなものだと言えます。現役時代の給与は他のプロスポーツに比べると低いけれども、その代わり、一定の「業績」さえ出せば、65歳の定年までの生活が保障される。力士は現役時代に稼ぎ出した所得の一部を協会に年金として納めて、引退して年寄になった後で受け取っているんです。ところが引退する年寄が減り(年寄の寿命が延びたことによって65歳の定年まで協会にとどまる人が増え)、反対に名跡の取得待ちの力士が増えて(体力的な問題などから力士の引退の時期が早まって)アンバランスな状況となり、相撲の世界も「年金問題」が浮上してきた。若い世代に比べて老年世代の割合が急速に高まったからで、これは年金財政が悪化した日本の社会の現状とそっくりですよね
年寄名跡を105から、もっと増やしたらどうでしょうか。
現役力士たちは「賦課方式」で年寄たちの給与を賄っているかたちにもなっているから、名跡を増やすとなれば現役から「年金負担額」を増やさなくてはいけません。きっと反対の声が出てくるでしょう。といって、逆に、年寄たちに払っている給与を減額するとなっても揉めるでしょうし、とかく年金問題というのは一般の社会でも相撲の世界でも解決が難しいわけですね(笑)。
バブル時代に大量採用をした企業が、その後の不況の中で余剰人員を抱えることになってしまった、という問題が起きていますよね。これと同じような問題が今、相撲の世界にもあるんです。
大相撲はプロスポーツなのですが、力士になるのはすごく簡単です。義務教育を終了した23歳未満の男子で、身長173センチ以上、体重75キロ以上あれば、基本的に誰でも入門できます。若・貴が仲良く大活躍していた10年前、若・貴フィーバーの頃に入門者が殺到したのですが、彼らが今、日本相撲協会という「会社」の中に滞留しているんです。
年齢で言うと、入門から10年後ですから、25歳ぐらいの力士ですか。
ええ。力士は、序ノ口→序二段→三段目→幕下→十両→幕内と出世していきますが、その中で三段目が分かれ道だと言われるんですね。そこを早く勝ち抜けられるかどうかで、その後の出世が決まる、と。ところが今、25歳以上の三段目力士が60人以上もいる。15年前と比べると、その数は約3倍に増えていて、現在の三段目力士全体の3分の1にも達しています。30歳近くになって関取になった力士もいますが、それはまれなケースであって、25歳以上で三段目の力士というのは、まず出世の見込みがありません。
ではなぜ相撲を続けているのでしょうか。
一般社会の就職状況が厳しくて、相撲を辞めて転職、ということができない。それがいちばん大きい理由でしょうね。相撲の道で出世を諦めても、辞められない。身につけてきた「人的資本」が特殊だということもあって、転職したくても、できないんです。
しかし、三段目は無給とはいえ、相撲部屋にいれば基本的に衣食住の世話を受けることができます。25歳の男性といえば、給与を得て、税金や年金などを納め、国民の義務を果たすことを求められるものなのに、彼らは部屋にパラサイトしているような状態になっている。日本相撲協会という「会社」に在籍していながらも、やがて訪れる引退を待ち続けている「潜在失業」のようなものです。
部屋の親方が「退職」を促すとか、何とかできないのですか。
そのへんが難しいところで、相撲部屋は所属の力士1人につき約180万円の補助金を日本相撲協会からもらえるんですね。そういう事情もあって、親方は弟子を無碍に見放すことができない。むろん親方も弟子のために一生懸命、就職先を探していますが、弟子の数が減ってしまうのも痛いわけです。
若・貴フィーバーの頃をピークに、力士になろうという日本人の若者は減少の一途をたどっています。今の若者にしてみると、「会社人間」であることを要求したり、「年功制」の給与システムを続けていたりする相撲の世界は魅力的に映らないのかもしれません。「日本の若者はハングリー精神がないから」とか「豊かな生活に慣れすぎたんだ」などと言う相撲部屋の親方もいますが、人気の凋落を経済事情のせいにしても仕方がないと私は思っています。
大相撲は文化的側面から国民の支持を得ることができる
バブル崩壊後の日本企業と同じように、大相撲も若・貴ブームが去り、古いシステムから新しいシステムへと変革を迫られている、と言えるでしょうか。
そう言えると思いますが、ただ、大相撲は企業とは違って、文化的な側面を強く持っていますよね。オープンで競争性の高いスポーツ的な側面だけでなく、長い伝統から培ってきた文化の側面もある。大相撲だって経済や社会と隔絶されたところにあるわけではなく、グローバル・スタンダードとか市場原理主義を重視した変革の時代に遭遇しているのは間違いないけど、私は、だからといって大相撲がそんな時代に迎合したり、あえて市場原理主義という危ない橋を渡ったりしなくてもいいと思うんですね。
日本企業の中でも、たとえばトヨタなんてどうですか。今も子会社や関連会社と長期契約していて、家族的で、日本的な経営を続けているでしょう。それで1兆円以上の経常利益を上げている。一方、日産自動車は日本的な経営から舵を切って、市場原理主義的なシステムに変えました。それから業績を急回復させている。一見すると異なるビジネスモデルで成功しているようだけど、じつはトヨタも日産も、これまで蓄積してきた資産や長所をどう生かすかを主軸に置いて、そのうえで今のグローバル時代にどうしたらいいかを考えて自分のビジネスモデルを選択している。その選択の仕方という点では同じなんですね。
誰も彼もがグローバルで市場原理的にやらなくてもいい。でもそれを軽視してもいけない。大相撲の今後も、そういった視点から考えるべきだと。
そう。再び相撲ブームがやって来るのをひたすら待つ、というのも困りますけど、ここで述べた大相撲のいろいろなシステムについて、すべてグローバルで市場原理的な観点から批判を加えるのもどうかと思います。私は、大相撲は伝統をきちっと継承していくことで、その文化的側面から国民の支持を得ることができると思うんです。そのためにはまず、大相撲のシステムがどのように機能しているかを知ってもらうことが大事ですから、今回の「若・貴」騒動がそのきっかけになったのはよかったかもしれませんね。
取材は6月20日、東京・三田の慶應義塾大学にて
(取材・構成=丸子真史、写真=羽切利夫)
さまざまなジャンルのオピニオンリーダーが続々登場。それぞれの観点から、人事・人材開発に関する最新の知見をお話しいただきます。