正解に頼らない思考の癖づけが考える力を育てる
人事の役割は主体性のサポートとモヤモヤできる場の醸成にあり
東京大学大学院経済学研究科・経済学部 教授
柳川 範之さん
考える力をつけるためには、モヤモヤすることこそ重要
お話をうかがいながら、癖を直していくには時間が必要な印象を受けました。一方で、現代社会においては、素早い判断も求められます。「正解を求めてしまう」心理の裏側には、そうしたスピードも関係しているのではないでしょうか。
「スピードが求められるから」と正解に頼るのは、結局、スピードに対応できていないからだと思います。上司や頼りがいのある誰かの意見に逃げているというか、判断する人に決断を委ねていることに過ぎません。確かに、それもビジネスパーソンの生きる術の一つです。上司の考えの良い部分を無視して自分がまったく異なる案を出すとなると、組織が円満でなくなる場合もありますから。しかしそうした事情を除けば、自分で考えず、誰かに判断を任せているだけでしょう。
そもそもスピードに対応する前提には、じっくりと学ぶ、考えるという過程があるはずです。決断を迫られる手前の段階で悩んだり迷ったりしているからこそ、問題に直面したときに、「じゃあこれで」とすぐに適切な判断ができます。そのためには時間をかけて、いろんなところに土台をつくっておくこと。また、いろいろなものを頭の中で熟成させていくプロセスを確保すること。そういう時間を設けることが、良い判断を素早く行えるようになるためのステップです。空っぽのところに決断を迫られても、良い判断はできません。
スピードが求められる時代だからこそ、じっくりと考える習慣をつけることが大切なのですね。
「考える」とは、答えを出すことだけでなく、迷ったり悩んだりすることも含まれています。そうした意味では「こんなことを考えていて、意味があるのだろうか」というようなことも、学びのひとつだと思います。近年、リカレント(学び直し)への関心が高まっていますよね。多くの人が「何を学んだらいいのか」と迷うわけですが、そこでも「誰かが決めてくれたらいいのにな」と思っている。「あなたはこれとこれを学びなさい、そうしたら将来安泰です」「この講座を受ければ安全」などと誰かが言ってくれればいいのに、とほとんどの人は考えてしまう。これは私自身もそうで、誰かが決めてくれるのならどんなに楽だろう、と思いますよ。
でも、誰も決めてくれないことこそがポイントで、悩み、手探りしながら、「自分は何を学ぶのに時間を使えばいいのだろう」と真剣に考える。このこと自体がすごく重要な学びだといえます。なぜ大切かというと、人は自分のことを見つめ直すとき、どんな能力が欠けているのか、何をインプットすることが大事なのかを考えますよね。内省し、自分のスキルを棚卸しするわけです。また、それと同時に、将来何が求められるのか、どうしたら活躍できるのかと、未来のことも考えます。この「自分の棚卸し」と「将来の予測」という二軸が同時に進行することが、ものすごく重要です。誰も答えは持ち合わせていませんから、自分の考えに対して「それでいいんだよ」と言ってくれる人もいません。ものすごくモヤモヤしますが、この“モヤモヤ”した時間を過ごすことに非常に意義がある。自信を持って、モヤモヤ悩んでほしいですね。
モヤモヤすることが、自然なのですね。
モヤモヤしないのなら、自分で決めつけているだけかもしれません。いろいろな選択肢があるのに、一つのことしか目に入っていない状態です。そういう場合は、良い選択ができていない可能性が高いでしょう。例えばガイドブックを見てレストランを選ぶにしても、最初に目に入ったお店で決めるより、いろんなページを開いて自分に合うお店を探したほうが納得のいく結果になることが多いですよね。早々に決めてしまうことは、思考のプロセスとしては危ういことです。学びの時間という意味では、むしろたくさん悩むべきでしょう。
私たち日本人はモヤモヤすることに慣れていないし、深く考える経験に乏しいのかもしれません。
そうなんです。たとえば現代は、受験勉強がかなりシステム化しています。勉強の仕方や読むべき本など、予備校や塾の先生、学校の先生が、手取り足取り教えてくれます。「これができたら、次はこれね」と効率良くアドバイスすると、良い先生だと評価されるからです。それ自体は悪いことではありませんが、本人が「次は何をすればいいんだろう」と思い悩む機会は極端に少なくなりました。しかし、書店の本棚の前でどの参考書にしようか悩んだり、問題集が自分に合わなくて別のものに買い直したりといったことも、学びのうえでは貴重な経験です。あまりに周囲がお膳立てし過ぎると、「次に向けて思い悩む」という経験が抜け落ちてしまうので、いざそうした状況に立たされたとき、余計に不安になってしまいます。
会社に入っても同じですよね。なぜこの仕事に取り組むのか、自分は何をしたいのかといったことをあまり考えずに過ごしてきた人も多いのではないでしょうか。
確かにこれまでは、それで機能してきた部分もあると思います。極端な言い方をすれば、会社が指示した通りに働き、学び、文句を言わず配属に従うことがよしとされ、一方で会社や人事部門に任せておけば悪いようにはならない、というスタンスでうまく回っていたわけです。そうした中で素直に働いてくれる人のほうが会社にとっても使い勝手が良かっただろうし、特に高度成長期などは会社の言うとおりに動けば、実際に本人の能力も伸びて、存分に活躍できた。お互いにとって都合が良く、困ることもなかったんですね。
ところが時代は変わり、そのやり方ではうまくいかなくなってきています。何でも好き勝手にされては困るけれども、やはり社員一人ひとりが主体的に考えたり判断したりする癖を身につけて、その結果自身の能力を発揮する、といったシーンが今後増えてくるのではないでしょうか。確かに個々の主張も生まれますから、組織運営は大変になるかもしれませんが、それ以上にプラスの側面が大きい。
一つは、イノベーション創発の面においてです。今の時代、すべてを中央集権的に決めることはできませんし、情報を集めるのにも限界があります。そのため、現場からアイデアやイノベーションが生まれることを期待しているのでしょう。これらは当然、正解のないものであり、クリエイティブなものです。何事も周囲に判断を仰ぐ人が、こなせるはずがありません。となると、早い段階から自分で考え、思い悩み、出口を探し出すスタイルを持った人を育てていく必要があるでしょう。
もう一つは、セカンドキャリアの観点です。多くの企業の人事は、ミドル世代に向けてキャリア研修を行っています。しかし30年以上会社にすべてを任せ続けてきた人が、「あなたの人生は自分で考えてください」と言われても、順応するのはなかなか難しいものがあります。自分がやりたいこと、自分がやるべきことを、自分の頭で考える癖をつけるように働きかけるのが、人事の役割ではないかと感じます。
さまざまなジャンルのオピニオンリーダーが続々登場。それぞれの観点から、人事・人材開発に関する最新の知見をお話しいただきます。