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正解に頼らない思考の癖づけが考える力を育てる
人事の役割は主体性のサポートとモヤモヤできる場の醸成にあり

東京大学大学院経済学研究科・経済学部 教授

柳川 範之さん

柳川 範之さん(東京大学大学院経済学研究科・経済学部 教授)

日進月歩の勢いで、技術革新が進む現在。特にAIの発達により、これからの10年で仕事の内容や役割は大きく変わると言われています。私たちビジネスパーソンにも、物事に対する捉え方の変革が求められています。そうした時代に、私たちはどのように学びを深めていけばいいのでしょうか。そして、学びをサポートする立場である人事部門ができることとは何でしょうか。そのヒントを得るため、東京大学大学院経済学研究科・経済学部教授の柳川範之先生の研究室を訪ねました。柳川先生は著書やメディアを通じて、「考えること」の重要性を説いています。現代社会に必要とされる、「考える力」とは。柳川先生ならではの切り口で、語っていただきました。

Profile

1963年生まれ。中学卒業後、父親の海外勤務の都合でブラジルに渡る。ブラジルでは高校に進学せず、独学生活を送る。その後、大学入学資格検定試験(大検)に合格し、慶應義塾大学経済学部通信教育課程に入学。1988年卒業。1993年、東京大学大学院経済学研究科博士課程修了。慶應義塾大学経済学部専任講師、東京大学大学院経済学研究科助教授などを経て、2011年より現職。話題になった「40歳定年制」の提唱者でもある。著書に『東大教授が教える知的に考える練習』(草思社)、『東大教授が教える独学勉強法』(草思社)、『法と企業行動の経済分析』(日本経済新聞社)などがある。

物知りであることの優位性が下がってきている

柳川先生は長年、海外で過ごされたそうですね。そのころの経験が学び方のルーツになっているのでしょうか。

そうですね。父の仕事の関係で、10代後半から20代にかけて、ブラジルとシンガポールに住んでいました。日本にいれば高校に通っている年代にはブラジルに住んでいたのですが、公用語がポルトガル語なので現地校には通わず、日本で参考書や教科書を買い込んで自分で勉強していました。一度日本に帰国して大学入学資格検定(大検)を取得した後は、父の転勤でシンガポールに行き、慶應義塾大学経済学部の通信教育課程を受講します。そうした意味では、普通の日本人とは少し違った学び方をしてきたかもしれません。

今回のテーマと関連するところでは、シンガポールでの経験が大きな意味を持つと思っています。ブラジル時代の勉強は、参考書を読んでポイントを理解し、問題集を解いて必要なものを覚える、といったものでした。参考書には要点がまとめられていますし、正解に合わせて答えればいいので、何をやればいいのかが明確です。しかし大学の学びとなると、そうはいきません。

通信教育では、まず大学から送られてきたテキストを読み込んで、課題に応じたレポートを書いて提出し、最後は試験を受けます。その中身が高校や大検の勉強とは違いました。やたらと分厚いテキストには、太字もなければアンダーラインもありません。何が重要なのかは、読み手自身が解釈していく必要があります。レポートとなると、さらに大変でした。抽象的な課題に対し、自分の考えや基になる情報をまとめていくのですが、今のようにインターネットはありません。海外に住んでいますから、日本語の文献を探し出すのもひと苦労。検索してコピペはおろか、複数の書籍を書き写すといったこともままならない状況でした。限られた素材でレポートを完成させるには、自分の言葉でまとめ上げなければなりません。すごく苦しい過程でしたが、今思うと、このころに「自分の頭で考える」習慣が身についたのだと思います。

情報量に制約のある環境にいらっしゃったご経験が、学びの礎になっているのですね。

ええ。人の文章を引用しても、それは借り物に過ぎません。自分の頭の中で苦労しながら考えて出てきたものこそが大切だと思います。正解だと言われるものをどんなに書き写したところで、表面上は評価されても本当の意味での自分の力や学びにはつながりません。ひと昔前に比べたら、私たちの周りには情報があふれていますし、これからはAIの時代とも言われています。そうした時代に必要な学びとは、正解のあるものに自分の答えを当てはめるとか、記憶の容量を増やしてたくさん覚える、といったことではないはずです。特に、物知りであることの優位性は低くなっています。

例えば「歩く辞書」と言われることは、少し前までものすごく良いほめ言葉でした。営業先にそうした人を連れていくと、横にいるだけで重宝されたものです。顧客に「製品の性能は?」「関連法規はどうなってるの?」と聞かれたそばから「その件については……」とペラペラ答えられれば、それだけで信頼を勝ちとることができました。しかし今は、スマホやタブレットがあります。何も知識がなくて、調べることすらおぼつかなければ困りますが、百科事典のような人はそれほど必要ではなくなったわけです。

では何が必要とされるのかというと、単なる情報ではないレベルで顧客に提案したり、相談に乗ったりすることです。情報から一歩踏み込んで、データを覚えただけでは言えないことや、複数の情報を整理しながら自分の頭で考えたことなどを相手に提供するのです。つまり情報を加工し、プラスアルファの価値をもたらせられるかどうかが重要なのです。

考えることの大切さはよくわかりました。しかし、自分の考えが間違っていたらどうしよう、という不安も覚えます。

そもそも「間違っていたら」という発想自体が、どこかに正解を求めていることの現われです。正解にたどり着いたら良くて、たどり着かないものは間違っているという考えがあるから、そうした質問が出てくるのです。

とはいえ、自らの学びに対して一定の評価が欲しいものです。

日本人の多くは、受験勉強などを通じて「これは〇」「これは×」「これは何点」といったジャッジの仕方に慣れてしまっています。そうした人にとって「○か×かを誰も判断してくれない」というのは、非常に気持ちの悪い学びのようです。テキストをつくったときに、練習問題の解答をつけるかどうかをよく迷うのですが、解答がないと評判が良くないんです。確かに○や×をつけられる問題もありますし、自分の回答が合っているかそれとも違っているかを知りたいと思うのは自然なことです。

柳川 範之さん(東京大学大学院経済学研究科・経済学部 教授)

しかし、今の世の中は、何が正解なのか誰もわからないし、判断できないことばかり。私たちは、そうした白黒をはっきりつけられないことに頭を使うことを求められているわけです。誰かが「違う」と言っても、それは考えの一つに過ぎません。本人が大切だと思うところをしっかりと掘り下げていき、本人なりの考えが出てくれば、それは学び方、あるいは頭の使い方としては正しいのだと思います。その結果出てきた答えに対して、誰も○や×の評価をつけられるものではないはずです。現在は、「○か×」で評価され続けてきた勉強の仕方から頭を切り替えなければならないのです。

それは、学びのステージを一段高める、ということなのでしょうか。

すごく高度なことを要求されていると感じる人が多いのですが、実はそんなことはありません。頭の使い方の癖を変える、ということです。

例を挙げましょう。かつて『決断という技術』(日本経済新聞出版社)という書籍を一緒に執筆した水野弘道さんは、本書の中でイギリスの歴史教育について触れています。8世紀の農家の様子について、農家の日記、領主の記録、後世にオックスフォード大学の教員が書いた教科書、と三つの文献を並べて、どれがより正確な記述だと思うかを論述させるのだそうです。これこそ正解はなく、私たち日本人にはとても高度な問いのように映ります。しかし、イギリスではこの課題に中学生が挑んでいます。イギリスの学生は、こうした問いに応じた頭の使い方を小さなころから訓練し続けているわけですね。一方日本人は、正解がある中で正解を探すための頭の使い方をし続けていて、そういう癖がついている状態です。

今の頭の使い方の癖を直し、別の癖をつけるようにすれば、誰でも自分なりの正解を考えられるはずです。ただし、癖を直すことは、そう簡単なことではありません。時間もかかります。20年、30年と長く続けてきたことならなおさらです。しかし、癖を直すために何か難しいことが必要かというと、そんなことはありません。例えば、爪を噛む癖や話すときに髪を触る癖を直そうとしたとき、特別なスキルが要求されるわけではありませんよね。頭の使い方の癖を直すことも同じです。

癖をほぐし、正解のないことに対する不安からの解放が大切だということでしょうか。

まずは小さなことから始めればいいのです。例えば、会社の意思決定や自分の人生の選択や転職といったことにいきなり取り組もうとしても、不安でしょう。頭の使い方の癖を直すには、本当に小さなこと、自分が失敗と感じても大きなダメージにならないことから始めるのがコツ。例えば、今日の夕飯に何を食べようかとか、食後のデザートに何を選ぶか、などで十分です。「私はデザートに何を食べればいいですか?」という問いに、正解はありませんから。でも皆さん、意外とこうしたところに正解を求めてしまいがちなんですよ。

確かに周りがアイスクリームを選ぶ中で、自分だけがプリンを選んだら「しまった」と焦ってしまいそうです。

でも、誰も困りませんよね。自分がやりたいことをやればいい。そういう癖を少しずつつけていく。何でもないようなことから始めて、徐々に正解のないことも自分で選んだり考えたりする癖をつけていくのが、これからの学びで重要なプロセスだと思いますね。

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