企業経営に大きな影響!?
未払残業代請求訴訟 その実態と対策
糀谷博和/社会保険労務士
1 過払い金請求の増加と消滅
消費者金融等への過払い金請求という言葉を耳にしたことがあると思います。現在、一部の弁護士や司法書士等の専門家が、この請求を行い、非常に多くの事案を画一的に処理しています。
過払い金請求とは、消費者金融等の貸金業者が定める貸出利率は、出資法の上限利率(年29.2%)を目安に設定される一方で、それとは別に利息制限法の上限利率(貸出金額により、年15~20%)があることから発生するものです(この差を、「グレーゾーン金利」と呼んだりします)。この差により払い過ぎていたお金については、債務者が消費者金融等に返還請求することにより、取り戻すことが可能であり、専門家は取り戻した金額に基づいて、その一部を成功報酬として受け取っています。また、これらの業務は、専門家の補助者により大量に処理をすることができることもあり、市場規模で年間1兆円を超える状況にあります。一部メディアでは、「返還金バブル」と言われるほどの様相です。
読者の方も、テレビやラジオによるCMや立て看板、電車広告をよく見かけるのではないでしょうか。筆者の周辺地域では、電車広告がほとんど過払い金請求の広告という時期もありました。そう考えると、この分野がいかに専門家にとって“おいしい仕事”であるかが理解できると思います。
かつて社会保険労務士が、助成金手続をメインに行い、多額の報酬を得る時期がありました。そんな時代と似ています。「助成金バブル」と言われた時代です。これらもやがて終焉を迎えることになりましたが、いま、過払い金請求も同様にその時期が到来しています。6月までには法改正により、出資法の上限利率が20%にまで引き下げられ、これにより、グレーゾーン金利が撤廃されることになります。そうなると、専門家サイドからすると過払い金請求という1つの仕事がなくなることになります。語弊を恐れず言うならば、1つの収入源が消滅するということになるのです。
2 ポスト「過払い金請求」は?
現在、この状況を見越して一部の専門家が、次の収入源として「サービス残業等による従業員から会社への未払い賃金請求」を検討しています。これは、どのような方法で行われるかというと、『会社に、(労基法115条に基づく)過去2年分の未払い賃金を請求し、それに加え、(労基法114条に基づく)それと同額の付加金請求を求めてくる』というようなものです。
これらが大々的に行われると、会社によっては、存亡の危機に陥ってもおかしくない状況になることが推測されます。
過払い金請求の影響により、消費者金融大手のアイフルが経営困難に陥り、昨年9月に事業再生ADR(裁判外紛争解決手続)の申立てを行ったことは、記憶に新しいところです。同様のことが、残業代請求において起こったとしても、おかしくはありません。
司法制度改革による専門家(法律関連士業)の増加という流れもあり、収入の確保が難しくなる専門家が出てくることは予想されます。競争激化の中、残業代請求に特化する専門家が現われてもおかしくない状況です。
また、もうすでに首都圏では、ラジオCMや電車広告を出すなど、実際に動きが始まっています。もちろん、ホームページで、残業代請求を全面に押し出している専門家も見受けられます。
この法律の規定による賃金(退職手当を除く。)、災害補償その他の請求権は2年間、この法律の規定による退職手当の請求権は5年間行わない場合においては、時効によって消滅する。
3 未払い賃金請求方法の多様化
現状、労働者(退職者)が会社に対し、未払い賃金を請求しようとする場合、実に多岐にわたる方法が考えられます。
(1) 是正勧告
まず、未払い賃金問題がある場合、労働者等は労働基準監督署に相談することが多いものと思われます。通常、労働基準監督署は、労基法104条1項に基づく労働者の申告により、同101条1項に基づく事業場への臨検を行います。法令に違反している事実、すなわちこの場合ですと、労基法24条1項の「全額払いの原則」に違反している事実がある場合、是正勧告を行います。是正勧告により、労働基準監督署は事業主に是正を促す、すなわち未払い賃金を支払うよう促すことになります。悪質な場合は送検され、さらには30万円以下の罰金(労基法120条)という刑事罰が課されます。
事業場に、この法律又はこの法律に基いて発する命令に違反する事実がある場合においては、労働者は、その事実を行政官庁又は労働基準監督官に申告することができる。
(2) 個別労働紛争
問題の解決に、個別労働紛争解決促進法を利用する場合も見受けられます。労働基準監督署などに設置されている総合労働相談コーナーには、年間100万件(平成20年度)を超える相談が持ち込まれます。
都道府県労働局長の助言および指導や紛争調整委員会によるあっせんにより、未払い賃金が請求されることになります。
(3) 内容証明郵便
会社に対し、未払い賃金請求の内容証明郵便を送付する場合もあります。これは、専門家の支援を受けて行うことが多いと思われます。法的拘束力があるわけではありませんが、会社としては、一定の対応を考えることになります。
内容証明郵便の作成を代行するという専門家もインターネット等で簡単に見つけられます。筆者の周囲でも、遠方地域の専門家の名前で内容証明郵便が届いたと聞いたことがあります。インターネット時代ならではの事例だと言えるでしょう。
(4) 労働組合
労働者が労働組合(合同労組やユニオン等を含む)に加入し、未払い賃金を請求してくるケースもあります。個人では会社に対して言いにくいことや気づかないことがあっても、「労働組合なら交渉に慣れているだろう」などという理由で、労働組合に加入することが多いようです。この場合、会社側と労働組合とで団体交渉を行い、未払い賃金についてどのようにするかを話し合うことになります。
(5) 専門家による労働審判・民事訴訟
これは冒頭で説明した部分に該当します。まず、平成18年4月より実施されている労働審判という方法があります。労働審判は、裁判官1名と労働問題に関する専門的知識・経験を有する2名の労働審判員で構成される労働審判委員会で手続きは行われます。審理の回数は、原則として3回以内で行われ、迅速な解決を図れることが特徴です。適宜、調停を試み、それによる解決に至らない場合は、労働審判ということで、実情に応じた解決案を提示することになります。
そして、未払い賃金に対する民事訴訟があります。原告が、裁判所に訴状を提出し訴えを提起することになります。その際には、労基法114条に基づく付加金請求も同時に行われることが多いものと思われ、裁判所が妥当と判断した場合、未払い賃金と同額の付加金を支払うことになる可能性もあります。
このように、未払い賃金がある場合、使用者は、労働者等から、ありとあらゆる方法で請求される可能性があるということをまず、知っておく必要があります。そして、その中でも弁護士が代理人となることができる労働審判や民事訴訟の場合は、厳しい結果が待っている場合が多いということを知らねばなりません
裁判所は、第20条、第26条若しくは第37条の規定に違反した使用者又は第39条第6項の規定による賃金を支払わなかった使用者に対して、労働者の請求により、これらの規定により使用者が支払わなければならない金額についての未払金のほか、これと同一額の付加金の支払を命ずることができる。ただし、この請求は、違反のあった時から2年以内にしなければならない。
4 厳しい結果が予想される残業代訴訟
残業代請求を行う場合、まず労働時間を把握する必要があります。訴えを起こす労働者等は、弁護士を通じて会社に「労働時間の開示請求」を行う可能性が高いものと思われます。労基法においては、労働時間の開示義務までは要求していません。しかし、労基法108条に基づく賃金台帳への「労働時間数の記入義務」、また『労働時間の適正な把握のために使用者が講ずべき措置に関する基準』により「始業・終業時刻の確認および記録義務」は求められており、労働時間管理義務が使用者にあるのは明白です。
よって、裁判所の証拠保全手続等により、労働時間記録に関する資料の開示を求められることが予想されます。労働時間記録の改ざん等をしてごまかすことはできません。また、万が一、労働時間を管理していない事実が発見された場合、労働時間の把握義務を怠ったということで、裁判官への心証が悪くなり、さらに過大な残業代を支払わざるを得ない事態になることも考えられます。
また、「給与に残業代が含まれていた」「時間外労働命令を行っていない」「管理監督者として取り扱っていた」などの反論は、よほどきちんとコンプライアンスに則り管理を行っている事業所でない限りは聞き入れられる可能性は低く、非常に厳しい結果を招くことは想像にかたくないところです。過去の裁判例を見ても、会社側が負けている事例が数多くあります。訴訟に対抗できる制度構築、規定の整備が早急に必要です。
5 ますます厳しくなる監督行政
4月には、月60時間を超える時間外労働に対する割増率を引き上げることを主な改正点とする改正労基法が施行されました。これは、相次ぐ脳血管疾患および虚血性心疾患や精神疾患の発症を受け、「長時間労働を抑制し、労働者の健康確保を図ること」を目的に改正されたものです。また、「仕事と生活の調和」、いわゆるワークライフバランスの流れは今後、加速されるものと考えられます。そして、労働組合等で構成される連合を支持基盤に持つ民主党政権が誕生しました。これらの影響を受け、労働基準監督署をはじめとする行政等の規制が、今後一層厳しくなることも考えられます。
6 当事者意識が欠如している中小企業
ところが、当事者である会社、とりわけ多くの中小企業は法的に非常に無防備です。労基法15条に基づく「労働条件の明示」を行っていない、労働者を10人以上雇っている事業所において就業規則がない(または不整備)など、非常にリスクの高い状況にあります。
いまだに、「営業社員には何時間働かせようと残業代支払いは必要がない」と思っている経営者も散見されます。また、「役職手当を支払っていれば残業代の支払いは必要がない」と思っている経営者も非常に多く存在します。逆に、「役職者でも残業代が必要な場合があるの!?」とびっくりされる始末です。このような状況ですから、当然、未払い賃金を請求されるとひとたまりもありません。筆者の知る限りでも、専門家の支援を受けて、会社に内容証明を送り付けて残業代を請求してきたケースや、退職した元従業員から訴えられて数千万円の支払いを行わざるを得なくなったケースなど、実際にいくつも発生しています。
7 一定の対策が必要!
以上から、残業代などの未払い賃金をきちんと支払い、訴訟リスクを回避する方策、すなわち「会社のための未払い賃金対策」を講じる必要があります。訴えられてからでは遅いのです。やはり、未然防止策が大切です。法律を駆使し、企業防衛を図ることが非常に大切になってきます。
専門家の支援を受けるなど、労基法をはじめとする労働法に関する専門的知識を有する労働者等が増加することが予想される中、従来にも増して、より法令遵守を意識した対応方法を企業は考える必要があります。書店やインターネット上では、未払い賃金を取り戻すマニュアル本の類が多数、見受けられます。これらは、当然法的根拠を押さえたものであり、これらに対抗できないと、企業としては最悪の事態を招く可能性もあるわけです。
ただ、前向きに考えるならば、この流れは企業が業務改善を含め、従来型の労務管理からの脱却を考える良い機会にもなり得ると考えます。
8 対策チェック事項
それでは、企業が行うべき対策をチェックポイントで見ていきたいと思います。
本記事を執筆している間にも雑誌等において「ポスト過払い金請求」という記事を見かけました。専門家によるホームページでの残業代請求に関する宣伝告知も拡がっているような気がします。想像以上に速いスピードで、この問題は企業経営にとって影響の大きいものとなるのかもしれません。
従来は、企業の生き残りのために、売上をどのように上げるかということが重要視されてきた感があったかもしれません。しかし、これからはそれにかかるコストもより重視する必要がありそうです。特に今回の未払い賃金問題は、企業経営を揺るがす可能性があります。企業によっては、この問題への対応が、存続できるか否かのキーを握る時代を迎えるのかもしれません。
日本法令発行の『ビジネスガイド』は、1965年5月創刊の人事・労務を中心とした実務雑誌です。労働・社会保険、労働法などの法改正情報をいち早く提供、また人事・ 賃金制度、最新労働裁判例や公的年金・企業年金、税務などの潮流や実務上の問題点についても最新かつ正確な情報をもとに解説しています。ここでは、同誌のご協力により、2010年2月号の記事「未払残業代請求訴訟 その実態と対策」を掲載します。『ビジネスガイド』の詳細は日本法令ホームページ http://www.horei.co.jp/ へ。
こうじたに・ひろかず● 糀谷社会保険労務士事務所 所長。平成14年開業。滋賀県・京都府を中心に顧問先の人事労務全般にわたる指導を行う。弁護士等の動きを察知していた開業社会保険労務士で「社長のためのサービス残業対策センター」を立ち上げている。
http://www.office-kojitani.com/
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