「世界中の人々を魅了する会社を創る」を掲げ
日本全体の「人材の流動化」と
「組織変革の支援」を担う
株式会社アトラエ 代表取締役CEO
新居 佳英さん
「入社3年目」「26歳」で子会社の社長に抜てきされ、起業を疑似体験
インテリジェンスに入社し、人材紹介事業の立ち上げを経験された後、入社3年目で「関連会社の社長」に就任されます。26歳の若さで子会社の社長に抜てきされるというのは、異例のスピード出世だったのではないでしょうか。
前例のないことだったかもしれません。入社1年目は目の前の仕事を必死でこなし、入社2年目は年上のメンバーも多くいるチームでマネジメントを行う日々。根拠のない自信を持ち、徐々に「自分の力で会社を運営してみたい」という思いを抱くようになっていたんです。そこで、自分なりに起業準備を進めていたとき、会社に見つかって社長から「何をやっているんだ?」と声をかけられました。「起業したいと思っています」と正直に伝えたところ、「グループで新会社をやってみないか?」というお話をいただいたのです。
「子会社の社長」というオファーをもらったときは、どのような気持ちでしたか。
素直にありがたい、と思いました。今すぐ起業するか、グループ会社の社長を経験するか。少し悩みましたが、当時、すぐにでも着手したい壮大なビジネスモデルの構想があったわけではありませんでした。そのため、5000万円の資本金を出資してもらい、新会社を設立できることは非常に貴重な経験だと思い、グループ会社の社長になることを決めました。新会社の社名を決め、登記手続きをし、自身の給与を設定して、社員を雇って、サービスの仕組みをつくって……。本当にゼロから会社を立ち上げました。インテリジェンス側からの指示は一切なく、自由に会社の舵取りをさせてもらえていたので、とても恵まれた環境だったと思います。今の私の社長としての基礎は、この時代に築いたものです。
その後、2003年に「アトラエ」を創業されます。「子会社の社長」から「創業者」になる道を選択されたのは、なぜだったのでしょうか。
子会社社長に就任して3年弱。ビジネスは順調で、組織も30人規模まで拡大していました。ただ、インテリジェンス自体が短期間で急拡大したこともあって、本社機能の強化が急務になっていたのです。子会社に散らばっていた力のある人間を集めようという話になり、インテリジェンスに吸収合併されることになりました。
本社に戻って、200人ほどを率いる人材紹介事業の責任者を任され、組織のいちマネジャーとして働くなかで、ふと思うわけです。私が本当に成し遂げたかったことは叶えられているだろうか、と。そもそも、世の中のサラリーマンがいきいきと働けていない現状に疑問を持ったのが、起業を志したきっかけ。もちろんインテリジェンスの経営層になり、その理想を形にするという道もありましたが、当時のインテリジェンスは1000人近い規模で確固たる組織ピラミッドができあがっていました。良い悪いではなく、それは私が目指すものとは違っていた。やはり初志貫徹で起業をしようと考え、任されていた事業を1年ほどで軌道に乗せた後、インテリジェンスを退職しました。
日本を代表するHRソリューション業界の経営者に、企業理念、現在の取り組みや業界で働く後輩へのメッセージについてインタビューしました。