キャリアに対する焦りは「健全」な成長の証
早期離職につながる若者の「キャリア焦燥感」とは
筑波大学 人間系 准教授
尾野 裕美さん

「同年代の活躍を見て、自分だけが取り残されているように感じる」「今の会社で成長できるビジョンを描けない」。こうした不安から、早期離職を選択する若手社員が後を絶ちません。筑波大学 人間系 准教授の尾野裕美さんは、仕事と人生の両面における「将来への焦り」を「キャリア焦燥感」と呼び、研究を続けてきました。若手が焦りを感じる背景には何があるのか、また、不安をエネルギーへと昇華させるためにはどうすればいいのか――。若手の本音、そして人事が今すぐ取り組むべき支援について、尾野さんにお話をうかがいました。
- 尾野 裕美さん
- 筑波大学 人間系 准教授
おの・ひろみ/筑波大学 人間系 准教授。日本製粉株式会社(現:株式会社ニップン)の人事部門、株式会社インテリジェンス(現:パーソルキャリア株式会社)のキャリアカウンセラー、株式会社リクルートマネジメントソリューションズの研究員を経て独立。博士(カウンセリング科学)。2023年4月より現職。専門はキャリア心理学、産業・組織心理学。主な著書に『働くひとのキャリア焦燥感――キャリア形成を急ぐ若者の心理の解明』(ナカニシヤ出版)、『個人と組織のための男性育休――働く父母の心理と企業の支援』(ナカニシヤ出版)などがある。
なぜ若者は「キャリア焦燥感」を抱くのか
「キャリア焦燥感」とは、どういうものなのかをお聞かせください。
「キャリア焦燥感」とは、「仕事や私生活を含めたキャリア形成に対する焦り」を指します。私が若年就業者のキャリアについて研究する中で生み出した言葉です。
2001年から約3年間、私がキャリアカウンセラーとして勤務していた頃、恵まれた環境で順調に成長しているように見える20代の方が「今すぐ転職しなければ」と相談に来ることがたびたびありました。ところが話を聞くと、転職したい理由を明確に答えられないケースがほとんどだったのです。1時間半ほど丁寧に対話すると、最後には「自分が求めていることは現職でも実現できそうなので、ここでがんばる」と、皆さんとても晴れやかな表情を浮かべていました。
決して忍耐力がないわけでも、わがままなわけでもありません。将来の目標や道筋が見えず、漠然とした焦燥感を抱いていただけでした。私も20代の頃、同じような不安を感じた経験があります。
焦りによって視野が狭まり、「後悔する転職」を選んでしまう人を一人でも減らしたい。揺らぐ思いを「ポジティブなエネルギー」へと変える道筋を示したいと考え、「若者のキャリア焦燥感」の研究に取り組み始めました。
なぜ、若手社員はキャリア焦燥感を抱いてしまうのでしょうか。
大きな要因は二つあります。
まず、現代が「実力主義社会」であることです。1990年代後半以降、かつての終身雇用や年功序列から、実力や成果で個人を評価する時代へと変化しました。「会社が一生を保証してくれるわけではない」という事実が、「ビジネス社会で生き抜くためのスキルを早く身につけなければならない」という若者の焦りにつながっています。
次に、「個性を重視する教育」です。現在の20代や30代は、「自分らしさ」を重視する教育を受けて育ちました。就職活動でも、「あなたの強みは何か」「あなたのやりたいことは何か」を問われます。こうした環境下で、若手社員は「自分がやりたいこと」を早期に見つけなければならないというプレッシャーにさらされています。しかし、若い頃から明確な夢を持っている人はそう多くないはず。与えられた仕事の中で、できることを増やしていきながら、やりたいことを見つける人もいますよね。
若手社員が焦る理由には、構造的な問題があるのですね。キャリア焦燥感は、組織にどのような影響を与えるのでしょうか。
ネガティブな側面としては、早期離職が挙げられます。外から見れば十分に恵まれた環境にいるのに、漠然とした焦燥感から、本来得られたはずの経験を積む前に辞めてしまう。本人や組織にとって大きな損失です。
一方で、ポジティブな側面もあります。「早く成長したい」という前向きな焦りは、新たな仕事や勉強に挑戦するための強力なエンジンとなり、個人や組織の成長につながります。焦燥感が全くない職場は、活気が失われ停滞してしまうでしょう。
焦ることは、必ずしも「悪いこと」ではないのですね。
その通りです。発達心理学の観点から見ると、20代から30代半ばまでは、「自分の生涯の仕事や地位を試行錯誤しながら確立していく時期」にあたります。この時期に「このままでいいのか」と悩んだり焦ったりするのは、健全に発達している証拠。キャリア焦燥感は、成長過程における必要なプロセスとして肯定的に捉えるべきです。
キャリア焦燥感を加速させる「四つの状況」
キャリア焦燥感を抱きやすい状況があればお聞かせください。
キャリア焦燥感を引き起こす状況は、主に四つあります。
一つ目は、「自分のキャリア探索が停滞している」とき。現在の仕事が自分に合っているのかが分からず、キャリアの方向性を見失っている状態を指します。
二つ目は、「所属組織から十分に評価されていないと感じる」とき。上司や同僚からの評価が、自分の期待よりも低いと感じる状況です。
三つ目は、「他者と比較した」とき。「良い会社に転職した」「会社で賞を取った」など、活躍している同世代の知人と自分を比較することにより焦燥感が喚起されます。
四つ目は、「ワークライフバランスが取れていない」とき。結婚や子育てといった将来のライフイベントを考慮した際に、現在の仕事とプライベートの両立に不安を感じるケースです。
特に20代、30代に多いのが、「他者との比較」によるキャリア焦燥感です。学力や経験に大きな差がなかったはずの友人が、SNSなどで「大きなプロジェクトを任された」「転職で成功した」「年収が上がった」と発信しているのを見ると、停滞している自分と比較して焦りを感じてしまうのです。
一方で、40代になると、独身の人や結婚している人、子どもがいる人など、同年代でもライフスタイルが多様化し、他者と比較することが減り焦りにくくなることが研究によって明らかになっています。
また、業務内容によって焦りの感じ方は変わります。例えば、業務のサイクルや昇進のスピードが速い仕事では、成長を実感しやすい反面、同僚と比較して焦燥感が募りやすい。一方、一人前になるまで長い時間を要する仕事では、会社に対する貢献や、成長の見えにくさによる焦りが生じます。

「切迫感」のあるキャリア焦燥感をポジティブに変換するためには
キャリア焦燥感の中にも、いくつかの傾向があるのでしょうか。
20代の若手社員へのインタビュー調査とアンケート調査を通して、キャリア焦燥感は、大きく「キャリア構築への衝動」「キャリアへの懸念」「切迫感」の三つに分けられることがわかりました。
「キャリア構築への衝動」は、「一刻も早くプロとして認められたい」「もっと大きな仕事を任されたい」という、成長への飢えに近いエネルギーに満ちた焦りです。いわば、アクセルを強く踏み込んでいる状態ですね。最もポジティブな焦燥感といえるでしょう。
「キャリアへの懸念」は、「今の仕事の延長線上に理想のキャリアはあるのだろうか」「このスキルだけで10年後も通用するのか」といった、霧の中を歩いているような漠然としたもどかしさのこと。決定的な不満があるわけではないけれど、「このままではダメな気がする」という不安を抱えた状態を指します。
そして、極めてネガティブな感情が「切迫感」です。「どこか違う場所へ逃げ出したい」「八方ふさがりでどうにもならない」といった、袋小路に入り込んでしまったような手詰まり感があり、精神的に激しく追い詰められている状態です。
切迫感のあるキャリア焦燥感は、どのようにすれば払拭できるのでしょうか。
若手社員の切迫感を和らげるためには、三つのアプローチで「視野を広げること」が重要です。
一つ目は、「多角的な視点の獲得」です。たとえば、あまり役に立たないと思っていた現職のスキルが、実は高度なものだと気付くこと。また、順風満帆に映る同期でも同じように悩んでいるとわかると、焦りを和らげることができます。
二つ目は、「仕事への意味付け(ジョブ・クラフティング)」。取り組んでいる業務がやりたいことにつながっている、誰かの役に立っている、という意味や目的を見いだすことができれば、仕事に対して前向きになれます。
三つ目は、「明るい見通しの認知」。「今は下積みの時期かもしれないが、これを乗り越えれば、こうした可能性がある」という未来の展望を持てるようになることです。視野が狭くなっている本人は、「今」という「点」しか見えていません。「線」としてキャリアを意識することで、焦燥感の低減につながります。
私は、人事部門で働いていた新入社員のときに「仕事への意味付け」により、キャリア焦燥感が低減した経験があります。当時、営業に配属された同期が「大阪出張に行ってきた」と話すのを聞いて、一日中座ってPCと対峙している自分は成長できていないと焦っていました。ところがある日、コピーを取るような地味な仕事でも、部長職以上しか見られない経営情報の資料を取り扱っていることに気付いたのです。それから、資料をコピーする時間は「経営を学ぶ時間」になり、私にとって意味のある時間へと変化しました。若い頃は小さな違いが決定的な差に見えてしまうものですが、捉え方一つで仕事に対するモチベーションは劇的に変化します。
視野を広げるためには何をすれば良いのでしょうか。
同僚など信頼できる他者にキャリアについて相談し、対話することがとても有効です。社外の勉強会や交流会に積極的に参加することも、視野を広げるきっかけとなります。
会社という閉ざされた世界だけに身を置いていると、どうしても社内の評価に縛られて焦ってしまいます。外の世界を知ることで、「キャリアの形は一つではない。多様でいいのだ」という大切な気付きを得られるでしょう。
また、一人でキャリア焦燥感に向き合う方法もあります。たとえば、焦りを感じる理由を書き出すこと。自分は何に対して焦っているのかを言語化し、客観的に眺める機会を設ければ、「これは解決できる」「これは今悩んでも仕方のないことだ」と気持ちを落ち着かせることができるでしょう。新しいスキルや知識の習得に挑戦することも、不安の払しょくにつながります。
とはいえ、一人で思い悩んでいると、思考が内向きになってしまい不安や焦りに拍車がかかってしまうことも少なくありません。周囲の人に相談した方が、突破口を見つけやすいと思います。
「短期間」の目標設定が焦燥感から脱するカギ
若手のキャリア焦燥感をポジティブな力に変えるために、人事部門や管理職にできることはありますか。
若手社員が納得する目標を、若手社員と一緒になって設定することです。「どのような仕事をしたいのか」「どのような人間関係を築きたいのか」「どのような自分になりたいのか」といった目標であれば設定しやすいでしょう。ポイントは、3ヵ月や半年といった短期間の目標にすること。例えば、「3ヵ月後までに、話したことがない部署の人とコミュニケーションを取りたい」といった目標であれば達成がイメージしやすいですよね。
焦りの根源は「何もできていない」「止まっている」という感覚です。短いスパンで目標達成を繰り返すことで、苦しい焦りは緩和されていきます。キャリア研修などでよく行われる「10年後の目標から逆算して、5年後、3年後のキャリアを考えましょう」というワークは、「目標が思いつかない」「転職してやりたいことを見つけなければ」と、若手社員の焦りに拍車をかけてしまう可能性があります。
確かに、短期の目標設定は、成長を実感しやすいように思います。
先輩社員の体験談を聞く場を設けることも有効です。最前線で活躍している社員も新人の頃は悩んでいたのだと知ることで、若手社員は孤独な焦燥感から解放され、希望を持つことができます。具体的には、キャリアに関して語る座談会や、ざっくばらんに話せるランチ会、先輩にキャリア相談ができるメンター制度、社内報でのエピソード紹介などが考えられます。
若手社員の焦りを「嘆く」のではなく「受け止める」
最後に、若手社員の離職や育成に悩む人事担当者の方々へメッセージをお願いします。
人事の方から「若手社員がすぐに辞めてしまう」という相談をよく受けます。「忍耐力がない」と嘆く前に、その裏にある彼らの真剣な「焦り」を、まずは否定せずに受け止めてほしいですね。
「このままではスキルが身につかないから辞めたい」という相談は、裏を返せば「もっと成長したい」という欲求の現れです。若者がキャリア焦燥感を抱くのは、発達の過程においてごく健全な反応といえます。読者の皆さんも、かつては将来について悩み、焦った経験があるのではないでしょうか。私は、自分が望んでいた人事の仕事に就いたにもかかわらず、若手の頃はキャリア焦燥感を抱いていました。
「現状から逃げることは甘えだ」と切り捨てるのではなく、「それだけ自分の人生に真剣なんだね」と、肯定することから始めてみる。その上で、今の環境でできることを一緒に模索してほしい。
キャリア焦燥感を会社からの「逃避」に向かわせるのか、それとも「活躍」のエネルギーに変えるのか。人事の皆さんがどう関わるかが大きく影響します。焦りを組織の活力へと変換できるよう、ぜひ若手社員の未来を一緒に描いてください。

(取材:2025年12月15日)
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