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あの仕事の「ヒト」と「カネ」

【絵画修復士】
挑むのはかけがえのない人類の“遺産”
名画の輝きをいまによみがえらせ、命をつなぐ驚異の技とは

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日本人は「美術展」が大好きだ。イギリスの専門誌「The Art Newspaper」が毎年発表する「世界の美術展来場者ランキング」でも、日本の美術展は近年、上位を独占しつづけている。昨年は「ルノワール展」や「カラヴァッジョ展」「ゴッホとゴーギャン展」といった西洋絵画の巨匠に加え、長く異端視されていた日本の天才絵師・伊藤若冲が大ブームに。各地で大小の「若冲展」が開催され、東京都美術館の「生誕300年記念 若冲展」では一日平均入場者数が約1万4千人と、同館過去最高を記録した。完成したときから劣化が始まるといわれる絵画。こうした名作をいま目にすることができるのは、それが「絵画修復士」の手で幾度も手当てを施され、大切に守られてきたからである。  

ただきれいにするだけじゃない――画家の思いや時を経た味わいまで再現する

絵画修復士 イメージ

「モナリザ」には眉毛があった――。修復を重ね、完成当時の姿は失われてしまったと考えられている。

世界で最も有名な美術作品と言われる、あのレオタルド・ダ・ヴィンチ作『モナリザ』には、もともと眉毛があったことをご存じだろうか。2007年にフランス人技師が超高解像度カメラによる調査を行い、制作当初に描かれていた眉毛の“痕跡”を発見した。それが失われてしまったのは、後世の過度な洗浄修復を経て、しだいに薄れていったからではないかと推測されている。手法が適切であったか否かは別として、およそ名画とよばれるものは、「モナリザ」に限らず、ほぼすべてが修復されているといっていい。逆に言えば、修復によって、鑑賞に堪えうる保存状態が維持されてきたからこそ、現代人はそれを名画と呼べるのだ。名画には昔から贋作(がんさく)がつきものだが、専門家が調べると、贋作にさえ“きちんと”修復が施されていることがあるという。

洋画(油彩画)と日本画では、使われている素材や技法が大きく異なるが、高温多湿と低温乾燥を繰り返す日本の気候風土はいずれの絵画にも厳しく、劣化の温床となりやすい。経年で画面が自然に汚れるだけでなく、絵具や顔料がひび割れや剥落を起こしたり、あるいはカビや虫食いの被害が発生したり、ときには過失などによる破損も起こりうる。そうしたさまざまな変化やトラブルに対して、作品の状態がそれ以上ひどくならないように最適な手当てを施し、できる限りオリジナルの出来栄えに近づけるのが「絵画修復士」の仕事である。いかに劣化の進行を食い止めるか、素材や色などを残っている部分としっくりなじむように仕上げるかが、プロの腕の見せどころとなる。

作業は、ちり、ホコリ、カビなどの汚れや異物を丁寧に取り除くのが基本。油彩画の場合は以前の修復時に補筆された箇所や、表面保護のために塗られた古いワニスを洗い落とすこともある。オリジナルの絵具が剥落している箇所には充てん剤を詰め、修復専用の絵具で、慎重に周辺の色調やタッチとの調和を図っていく。日本画の場合は、和紙や絵絹などの繊細で傷つきやすい素材が使われているため、その補修・補強には特別な技術と熟練が欠かせない。

ひと口に保存修復といっても、ただ直せばいい、きれいにすればいいというものではなく、作品を描いた画家の思いを尊重することや、時間の経過とともに醸し出された独特の味わいを残すことも求められる。また、過剰な修復作業は、先述の『モナリザ』の“眉毛”のように、とり返しのつかない事態も招きかねないため、近年では「いかに少ない手当てでオリジナルを守るか」を意味する“ミニマルコンサーベーション”が、修復の基本理念となっている。絵画修復士は、美術館や個人の収集家など絵画の持ち主と入念に打ち合わせ、そのニーズにも応えながら、修復作業を進めていくことになる。

偉大な作品と一対一で向き合える醍醐味、真剣勝負が重圧を至福に変えていく

絵画修復士が、実際の修復作業にかかる前にまず行うこと――それは、絵と真摯に向き合うことである。そして、その作品がどのように制作され、なぜ劣化したのかを探り、どのように修復すべきかをよく考えなければならない。そうした思慮深さや考える力は、修復士の仕事に欠かせない、基本的な素養といえるだろう。最近は、オリジナルの状態を調べるために赤外線カメラなどの先端技術を駆使することも少なくない。あらゆる角度から作品を徹底的に探り、絵の状態に応じた、最適な修復の手順や方法を導き出すためだ。

絵が描かれた時代や使われた画材によっても当然、修復手法は変わってくる。修復の道具も多岐にわたるので、道具に対する幅広い知識も欠かせない。絵画修復士の仕事場をのぞくと、そこにはさまざまな薬剤や、メスに注射器、顕微鏡までが並び、さながら実験室か、手術室のようだという。つまり、絵画や美術そのものへの深い理解だけでなく、歴史から化学、物理、光学に至るまでの専門知識がないと、一人前の修復士にはなれないということである。

もちろん、絵を描くために必要なスキルや美的センス、手先の器用さ、細やかな作業を粘り強くやり遂げる根気や慎重さなどが備わっている人であれば、職業としての適性はより高いといえるだろう。

絵画修復士 イメージ

大切な文化遺産を未来へつなげる責任は重いが、同時に計り知れないやりがいも感じることができる。

絵画修復士は、言うまでもなく、きわめて責任の重い職業である。“仕事”として持ち込まれる作品は価値の高いものばかり。歴史的・経済的価値の高い名画だけでなく、たとえ無名の作品でも、そこには所有者の思いや愛着というプライスレスな価値があるからだ。

日本を代表する修復家の一人である岩井希久子氏は、作業に取りかかる前に、絵を修復することの恐怖を積極的に感じるように努めるのだという。かけがえのない作品に一度手を入れ始めたら、後に引くことはできない。その前に徹底して、失敗の恐怖を自らの体に刻み込み、仕事への覚悟を固めるのだ(NHK「プロフェッショナル――仕事の流儀」2010年11月22日放送分より)。偉大な画家の魂に畏怖の念さえ抱きながら、絵と一対一で向き合うとき、その真剣勝負の一瞬一瞬が修復士にとっての喜びとなり、醍醐味へと変わっていく。

進路は美術系の学校で専門の学科へ、エキスパートを目指すなら海外修業も必須

絵画修復士になるために、求められる資格などはとくにない。美術系の大学や大学院、専門学校の保存修復科へ進んだり、絵画修復を手がける工房の教室を受講したりして、絵画修復に必要な技術や知識を修得するのが一般的な進路である。

卒業後は、美術館や博物館、ギャラリー、美術品の保存・修復を請け負う会社や工房に就職して、絵画修復士の道を目指す人が多いが、学ぶことや覚えることがきわめて多岐にわたり、現場での熟練を要するため、一人前と認められるまでには相当の年月を要する。また、油彩画の修復技術の教育に関しては、やはり海外に一日の長がある。エキスパートを志すなら、イタリアなど西洋美術の本場で、数年間程度の修業を積むのは必須だろう。修復のプロセスや出来栄えが評価されれば、より大きな仕事をまかされるようになり、将来的にはフリーランスでの活動や自らの工房を開く道も開けてくる。

収入については、修復を請け負う会社や工房の場合、現状で月収20万円程度といわれる。日本ではまだ絵画修復士の存在になじみがなく、料金の相場などもよくわからないため、絵を個人で持っていても、依頼する人は多くない。職業としての重要性が理解され、知名度が高まれば、需要も伸びてくるだろう。

この仕事のポイント
やりがい 一つとして同じ修復方法はない美術品。最善策を徹底的に考え、作業を進めていくのはまさに真剣勝負。歴史的価値を未来へつなげる仕事でもある。
就く方法 美術系の大学や大学院、専門学校の保存修復科へ進んだり、絵画修復を手がける工房の教室を受講し、必要な技術や知識を修得するのが一般的。
必要な適性・能力 絵を描くスキルや美的センス、絵画や美術への深い理解、歴史から化学、物理、光学に至るまでの専門知識、手先の器用さ・根気・慎重さなど。
収入 修復を請け負う会社や工房の場合、現状で月収20万円程度といわれる。
職業としての重要性が理解され、知名度が高まることが期待される。

 


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