下山 博志さん~企業の業績アップよりも社員の成長が優先だ
人事制度面での大改革と言われる「成果主義」。
10年後には日本でも常識になっているかもしれない。
だが、この欧米発のシステムが企業内に混乱をもたらすことはないのか。成果主義で成功する企業と失敗する企業はどこが違うのだろうか?
アルバイトを含む約13万人の従業員が全国約3900の店舗を中心に働く日本マクドナルドホールディングス。1990年代の急成長の背景には、企業内大学を中核とする総合的な人材開発・育成があったと言われる。アルバイトも人事考課に基づいて昇給させ、また幹部登用への道も開き、さらに経営戦略と連動した独自の教育システムを開発して、社員個人のモチベーションを高めていった。同社の人事開発の責任者を長く務めた下山博志氏は、その体験から、「業績や成果ばかりで、社員の動機づけや能力の強化はできない」と言い切る。
(聞き手=ジャーナリスト・岩崎義人)
- 下山博志さん
- 人事コンサルタント(元日本マクドナルド人事本部トレーニング部長)
しもやま・ひろし/1972年にアルバイトとして入社して以来32年間、日本マクドナルドに勤務。在職時は人材開発の責任者として手腕を発揮。人事制度と教育制度をリンクさせた新しい人材開発プログラムを生み出し、日本マクドナルド躍進の礎を築いた。その総合的な教育システムの展開と、13万人を擁する幅広い従業員層に対する、現場力向上への継続的努力が評価され、2003年度能力開発優秀企業賞(日本能率協会主催)の大賞も受賞。昨年秋の退職後は、人材開発の総合プロデュースを行う(有)人財ラボを設立。外食産業大手のシダックス、ベンチャー企業のフラワーショップ・花まつなどの人材教育・開発の顧問を務める傍ら、神奈川県立教育センターの評議委員行い、校長・教員教育やのキャリアパスの指導も担当している。日本マクドナルド在職時からeラーニングにも造詣が深く、現在、日本イーラーニングコンソシアム理事も務めるなど、多方面で活躍中。
マクドナルドの成長を下支えした教育システムとは?
アルバイトから経営幹部へ出世していく「純血主義」
今年1月に44歳で亡くなった米マクドナルドのチャーリー・ベル前社長兼最高経営責任者(CEO)は、15歳のときにシドニーの店舗でアルバイトとして働き始めたそうですね。アルバイトから経営幹部になるのは、マクドナルドではよくあるケースなのですか。
はい。アルバイトから社員になった人の多くが経営幹部になっていますね。マクドナルドは、アルバイトから育った人が上まで出世していく「純血主義」の会社で、日本マクドナルドも5年ほど前までは、経営幹部に「外」の血はほとんど入っていませんでした。外から、中途入社してきても、簡単には幹部になれない、そういう風土がありましたね。
昨年3月、アップルコンピュータ日本法人の代表取締役だった原田永幸さんを日本マクドナルドホールディングスの代表取締役副会長兼最高経営責任者(CEO)に招聘して、話題になりました。
「純血主義」では、マネジメント層も皆が店舗販売などの経験を共有しているので、チェーン展開で最も重要な現場レベルの経営の意思決定を迷いなくスピーディにできることが多いんです。そして、経営と現場が近い位置にあり、一般社員はロイヤリティが高い。それが「純血主義」の強みで、日本マクドナルドが成長した背景の一つにあったわけです。しかし、これほどの巨大産業になり、同じ考え方の人間だけで、これからの時代、成長を継続することは不可能だと思います。
CEOだけでなく、現在ではマネジメント層にも外部から入った人が多くなり、プロパーの人間と外部の専門家や、多様な視点を持った人たちがミックスされるようになってきました。
「純血主義」が時代に合わなくなった、ということですか。
いえ、これは「日本マクドナルドという企業が成長した」ということだと思うんです。企業体が大きくなればなるほど、それぞれの部門にスペシャリストが必要になってくる。「純血主義」で、ハンバーガーを焼いていた人の中から、たとえば財務のスペシャリストが育ってくるのを待っていたら、何事もスピードの速い時代についていけなくなるでしょう。それに、これだけ市場の競争が熾烈になって、グローバル化も進展してくると、やはり外の世界で経験を積んだ人のエッセンスが必要になる、ということもあるでしょうね。
アルバイト出身の経営幹部は今後、減ることはあっても増えることはない、とは言えませんか。
そうかもしれません。でも一般的に言って、下から這い上がってきた人がトップのマネジメント層に就けない、というようなシステムにしてしまうと絶対、その会社は失敗しますね。現場に触れたことがない、一般社員と接触したことが少ない、顧客と顔をつき合わせたこともない――外部から招聘した、そういったタイプの人たちだけでマネジメント層を構成して、意思決定すると、笛吹けど踊らずのような状況が生まれてしまい、組織が機能しなくなると私は思います。
マニュアル漬けの社員は円滑なサービスができない
東京・銀座に1号店がオープンしたのは1971年。下山さんが入社されたのもその頃、日本マクドナルド創業後、間もない時期ですね。
ええ。横浜駅前に横浜相鉄店というお店がグランドオープンしたときで、日本マクドナルド創業の翌年です。私もアルバイトとして入社しました。マクドナルドは、世界118カ国に広がるグローバル企業ですが、各国のマクドナルドの従業員同士が社歴を言う時は、アルバイトからの社歴を数えます。世の中の学歴とは関係なく、社員は皆、最終学歴は「ハンバーガー大学」ということになるんです。だから、私の社歴は32年。初めてもらったアルバイトの時給は250円でしたね。
「ハンバーガー大学」とは、銀座の1号店に先駆けて設立した企業内大学ですね。
そうです。マクドナルドの社員は、職位別に順を追って、「ハンバーガー大学」で教育を受けることになっています。全国の店舗で最前線のサービスに従事するアルバイト社員(「クルー」と呼ばれる)も、そこに参加することができます。
マクドナルドのアルバイトは「いらっしゃいませ」から「ご一緒にポテトはいかがですか」に至るまで「マニュアル教育を徹底されている」というイメージがありますが……。
笑顔の振り撒き方まで教え込んでいるのだろう、などとイメージを抱いている人もいるかもしれませんが、実際、マニュアル教育なんてほとんどしていませんよ。マニュアルはありますが、最低限のことしか書いてありません。入社してすぐの頃はそれで仕事を覚えてもらいますけど、その後は現場でお手本を見つけ、それを参考にして自分で考えて、自分でできることを探していくことになりますね。「ハンバーガー大学」という明快な教育システムもあるわけですから。ただ、それらについて最近まで情報公開しなかったから、「マックはどんなアルバイト教育をしているのかわからない。きっとマニュアル教育をしているんだろう」とイメージする人が出てきたのかもしれません。
アルバイト社員をマニュアル漬けにしたら、逆に、巨大チェーン店が円滑に動かなくなるかもしれない。
そうです。マクドナルドのようなチェーンをつくろうと思ったら、マニュアルなんて要らない、と言っても過言ではないと私は思います。つまり、マニュアル教育では、巨大チェーンの展開はできないということです。マクドナルドでは、マニュアルではなく「考え方」を教えているんです。マニュアルとして必要なのは「Why」というキーワードだけ。なぜこれが必要か?という考え方さえ身につけば、自然と実力もついてくるものなんです。マニュアルで縛って教育すると、「自分で学習できる人」が育ちません。
日本マクドナルドの従業員13万人の大半はアルバイト社員です。採用や時給の仕組みはどうなっているのですか。
基本的にアルバイト採用の権限はそれぞれの店舗にあるんです。時給の決定も、同地域の他店舗のそれと比べて、最低ラインさえクリアしていればOK。採用後の昇格・昇給の権限もすべて店長にある。本部は一切、コントロールしません。若い25歳の店長がアルバイトの時給を決定するケースもあります。もちろん、店長は自分で物事を判断し、アルバイトをきちんと育成できるようにトレーニングされ、その仕組みはすごく考慮されている。何がよくて、何が悪いのか、というところを徹底的に教育された人が店長になるわけです。
店長になるまでのステップも考慮されているのですか。
「これとこれができたら次のランク(職位)にしなさい」という教育システムがあるので、コンピテンシーは明確ですよ。アルバイトのカウンターパーソン(店舗販売員)にも、一人前になっているかどうかを見極めるいくつかのステップがあって、ステップアップのための教育をするeラーニングシステムやマニュアル、チェックリストがあります。ステップを一つ終えたら、次の、上の職位にいく。教育と職位が明確に位置づけられているわけです。職位が上がれば当然、時給も上がります。
企業の業績か、それとも社員の成長か?
論理だけで組み立てた教育システムは現場の役に立たない
「ハンバーガー大学」は、アメリカ流の教育のシステム化がベースになっています。
「ハンバーガー大学」は、スタート当初の教育のシステムから、今は変わっています。1983年にアメリカの教育システムを日本に導入したからです。
米マクドナルドにも「ハンバーガー大学」がありますね。
はい。まずはアメリカの教育システムを学ぶために、私がそこへ行きました。現場の仕事に直結した教育のシステムを導入する。それを目的に1カ月半の講習を受けて、帰国後、日本マクドナルドにシステム導入したんです。
それがうまくいって、今に至っている、と。
それがそうじゃないんです。アメリカ流のプログラムをそのまま日本に導入したために、初めはうまくいかない部分が多かった。プログラムをそのとおりに導入しなさい、と言われ、カスタマイズが許されなかったのです。これはマクドナルドに限らず、他の多くのグローバル企業でも生じる問題ではないでしょうか。「グローバル展開すること」イコール「1つのシステムでやること」と捉えて、そのコアを変えてはいけない、とか、コアどころかマニュアルの一字一句まで変えてはいけないという企業もありますからね。でも、アメリカ流の論理で組み立てたシステムが日本の現場で使えるとは限りません。その後、私は現場の仕事に戻り、神奈川県全域の店舗を管轄する役職を経験しましたが、論理だけで組み立てたシステムがいかに脆いか、実感したんです。
それでも下山さんがその後に開発した日本向けの教育システムは、論理的な裏づけがなされています。
システムに日本独自の工夫も盛り込まなければならないけれど、論理的な裏づけがないと、それが確固たるものにはならないと思ったんですね。アメリカのシステムに触れたとき、論理だけじゃダメだけど、論理も大事だと感じていたからです。と同時に、マクドナルドという枠の中だけでものを考えていたら将来、失敗するなとも思いました。市場の転換期に対応できなくなるかもしれない、と。
最近でも、転換期に対応できなくて消えていく企業は多いです。
「企業30年説」というのがあるけど、実際、日本マクドナルドも大きな転換期を経験しました。創業者の藤田田さんは「カリスマ」と呼ばれたほどの経営者で、周囲の状況を本当に的確に判断していたし、店舗経営から資産運用までいろんな面でイニシアティブをとっていた。日本マクドナルドの成長期には、それがマクドナルドというグローバル企業のコアにうまくリンクして、いいかたちで組織が動いていました。でも、そんな絶対的な創業者が引退した後、会社はどうすればいいのか。本当にこのままのかたちでいいのかと感じていたときに、いい意味で、外からいろんな血が入ってきた。その時期と、私がさきほどのシステムを基に人材開発をするタイミングがちょうど重なった。そうした中で、人材開発とビジネスの推進には密接な関係性があり、ガバナンスの中に人材開発・育成がしっかりないと企業活動も展開できない、とわかったんです。そこから現在の、新しい統合的な教育システムが生まれました。
成果主義の流行に乗るよりも企業文化の育成を
その頃、下山さんが人材開発に取り組んでいた時期は、日本の企業が成果主義を導入し始めた時期です。
そうでした。日本マクドナルドも「成果主義」という言い方ではなかったけれども、90年からコンピデンシーは追求していましたね。武田薬品工業など複数の企業が成果主義を導入する動きがあり、私自身、欧米発の成果主義が日本の企業組織にどのような影響を及ぼすか、関心を持って見ていました。
それ以後、日本企業の成果主義をどう見ていますか。
社員個人と企業全体の歯車が噛み合っていないように見えます。双方の成長のバランスが崩れているケースが多いでしょう。企業の側が「業績を上げなければいけないから、個人がもっと貢献するように」と成果主義を入れる場合は、企業の業績が上がる方法を個人に強いているわけです。このような成果主義は、あまりうまくいっていません。逆に、「個人が成果を上げてもらう。そうすれば企業の業績はついてくる」と考えるほうがうまくいくのではないでしょうか。
日本マクドナルドの場合、会社がイニシアティブをとって導入した制度はありますか。
それはないですね。アルバイトを含めた13万人もの社員全員が全社の業績を考えて一生懸命に働くようなる――そんな仕組みなんてありませんよ。そもそも、日本マクドナルドの社員一人ひとりは自分のお店のため、そこでのチームのために働いているという意識が強くて、会社のために働いているとは思ってないかもしれない。しかし社員一人ひとりに対して、いかに仕事が楽しくできるか、いかにコミュニケーションをよくするか、いかに自分が尊敬される存在になるか、というところにフォーカスした教育をずっと続けている。業績とか成果というものばかりでモチベーションを高めさせていないんですね。それがある程度のレベルまで到達した社員たちで構成される店舗では、「今日の売り上げはどれくらい」といった話もするようになっていく。そういう店舗が増えれば増えるほど、日本マクドナルドという企業全体が強くなるわけです。
マクドナルドの各店舗には、アルバイトの社員らが休憩できる専用の「クルールーム」があるそうですね。
そこで学校やテレビの話から悩み相談まで「クルー」同士の会話が交わされる。毎年3月になると、学校の卒業と同時にアルバイト社員がたくさんマクドナルドを卒業していくんですね。そこで、彼らの卒業パーティを多くの店舗が、店長の判断で開催します。学校とマクドナルドから新しい職場へ向かう人たちを拍手で送りだすわけです。本部から「卒業パーティをやれ」と言うことは全くないのですが、どの店でも行われていますね。おそらく、多くの店長やマネージャー自身が、アルバイト時代に、卒業式を経験し、マクドナルドで働くことに強いロイヤリティを感じた体験があるからでしょう。
私は、経営者は成果主義の導入や人事制度の改革ばかりに目を奪われるよりも、社員一人ひとりが楽しく働ける環境づくり――つまり企業文化の育成にもっと力を入れたほうがいいと思うんです。そんな泥臭いと思われるかもしれないけど、企業はもっと社員同士、人と人とが認め合えるような文化をつくって、個人の成長を助けなければいけない。社員の成長がない企業は絶対に成長しません。それは間違いなく言えることです。
日本マクドナルドは2002年12月期連結決算で95%減益でしたが、昨年末は3年ぶりに黒字転換しました。
私は、短期的な業績の良し悪しで企業を評価するのは間違いだと思います。企業業績にはサイクルがあるからです。「今期は業績が3%上がったから、このままの経営でやっていこう」などと考えたらいずれ失敗するでしょうし、業績が下がっていても致命的な失敗さえ犯さずに堅実な経営を続けていれば、いつか巻き返すチャンスが訪れるものです。いまトヨタがすごいと言われていますが、30年ほど前は「潰れるかもしれない」と言われていた会社ですよ。日産だって、3年前はボロボロでした。それが再生した。さまざまな背景があるでしょうが、企業文化をしっかり持っていたこともそこに含まれるのは間違いないでしょう。他社がやっているから当社も成果主義を入れよう、リストラをやろう、というような企業はダメなんです。短いレンジで成功と失敗を判断した会社ほどつまづく。企業は固有のカルチャーを持つことが大切で、私は、そのことが100年続く会社を生みだすと思っています。