顧客企業の経営指標の改善にコミットする
定量分析をベースとした科学的人事コンサルティング
株式会社トランストラクチャ 代表取締役 シニアパートナー
林明文さん
財務諸表を見れば、売上、利益率、成長性、他社と比較しての優位性など、その企業の実態をお金の面からおおよそ把握することが可能です。会計の世界では、第三者が見てもすぐに理解できるように共通の書式や用語が確立しているからです。ところがお金と同じく重要な経営資源とされる「人事」については、財務諸表のような客観的なデータであまり見られてきませんでした。人事用語の定義は各社バラバラで、属人的な人事管理が一般的だからです。これでは真に企業経営に寄与する人事管理は実現できない――こうした見地から、定量的なデータ分析をベースとした科学的人事コンサルティングの重要性を主張しているのが、株式会社トランストラクチャを率いる林明文社長。1980年代から人事コンサルティングの第一線に立ち、多くの企業の課題を解決してきたキャリアから導き出された独自のメソッドで、事業を展開しています。トランストラクチャの起業に至る経緯、経営者としてのバックボーン、同社のビジネスモデルの強み、そして日本の人事と人事コンサルティング業界の現状分析や未来への提言まで、林社長に幅広く語っていただきました。
- 林 明文さん
- 株式会社 トランストラクチャ代表取締役 シニアパートナー
はやし・あきふみ/青山学院大学経済学部卒業。等松・トウシュロスコンサルティング株式会社(現デロイトトーマツコンサルティング合同会社に入社し、人事コンサルティング部門シニアマネージャーとして数多くの組織、人事、リストラクチャリングのコンサルティングに従事。その後大手再就職支援会社の設立に参画し代表取締役社長を経て現職。明治大学専門職大学院グローバルビジネス研究科客員教授。
20代で人事コンサルティング部門の責任者に
まずキャリアのスタートからお聞かせください。学生時代からコンサルティング業界に興味をお持ちだったのでしょうか。
大学は経済学部だったのですが、最初は官公庁に入って広く社会に関わる仕事に就きたいと考えていました。その後、民間でもそれに近い仕事ができるコンサルティング会社という存在を知り、興味を持ったのが最初のきっかけです。私が大学を卒業したのは1987年。当時、コンサルティング業界はまだ注目されていませんでした。日本経済が絶好調の時代で、同級生は金融業界などに就職する人が多かったのですが、そういう人たちからは「よくわからない業界」と思われていたのではないでしょうか。
入社したのはデロイトトーマツコンサルティング。新卒を採用していたコンサルティング会社の中では比較的小規模だったのですが、海外にグループのネットワークを持っていることから、今後伸びる可能性があるだろうと思って選びました。
入社後は、どういった業務を手がけられたのでしょうか。
最初の仕事はシステムコンサルティングでした。会計をはじめとする、管理システム全般のコンサルティングです。財務会計・管理会計からITまで、最初はひたすら勉強しました。すると、企業がどのような仕組みで動いているのかが理解できるようになっていきました。若い時にシステムコンサルティングの仕事に携わったことは、その後とても役立っています。この仕事に約2年間携わりました。
そうこうするうちに好景気で案件がどんどん増え、新人を大量に採用しなければ追いつかないようになりました。新卒以外に中途採用でも人が入ってくるようになったのですが、社内には新人の教育担当がいなかったんです。そこで、なぜか入社3年目の私が担当することになりました。一般的な新人教育から始まって、会計やITの知識の教育のコーディネートを担当しました。最初は社内教育だけだったのですが、そのうち企業より「教育サービスを提供してもらえないか」という話が舞い込むようになりました。情報システムの会社の技術者育成などを任されているうちに、しだいに「会社の欲しい人材像」など、教育以外の人事の話にまで広がっていくんですね。しばらくすると、システムとは関係のない「人事コンサルティング」の仕事まで引き受けるようになっていました。
それが、現在の人事コンサルティングの仕事につながっていくわけですね。
そうなんです。当時、トーマツには人事コンサルティングの部署がなかったのですが、途切れることなく受注していたので、部門を立ち上げることになりました。その際、内部の教育と外部向け人事コンサルティングサービスの責任者として、私が任命されたのです。といっても、私とアシスタント一人がいるくらいの最小単位からのスタートでした。私が26~27歳のころです。
よくわからないうちに足を踏み入れた、教育・人事コンサルティングの世界。当時は、企業にお金があり、教育ブームという追い風も吹いていました。人に対して積極的に投資しようとしていた時代です。価値のあるサービスをしっかり提供すると、それがリピートにつながったり、より大きな規模に発展したりして手応えがありました。業績も順調に伸び、最初は一人で立ち上げた部署でしたが、次第に多くのスタッフを抱えるようになりました。
ただ、1990年代に入ってバブル崩壊の影響が経済界全体に及び始めると、人事コンサルティングのビジネスも少しずつ様相が変わっていきました。教育よりも「リストラ」が増えていったんです。リストラによって企業を再生させたい、という相談を数多くもらうようになっていました。その時、新たなビジネスチャンスがあるのではないかと感じたのです。
日本を代表するHRソリューション業界の経営者に、企業理念、現在の取り組みや業界で働く後輩へのメッセージについてインタビューしました。