経営戦略と人事戦略を連動させた「人事制度改革」
長期的な企業価値向上をめざす「丸紅人財エコシステム」とは
丸紅株式会社 執行役員 人事部長
鹿島浩二さん
2018年、史上最高益を更新しながらも、より長期的・継続的な発展のために大胆な変革に踏み切った、丸紅株式会社。経営戦略と人事戦略の連動を重視し、「既存の枠組みを超える」ことをめざした数々の施策は、同年の「HRアワード」優秀賞に選出されました。同社はその後も抜本的な人事制度改革にチャレンジしており、現在はその中核をなす「丸紅人財エコシステム」の考え方が広く注目されています。グローバルに展開する巨大組織を変革する取り組みはどのように進められたのか。また、具体的な施策やその背景にある発想はどのようなものなのか。同社 執行役員 人事部長の鹿島浩二さんに詳しくうかがいました。
- 鹿島 浩二さん
- 丸紅株式会社 執行役員 人事部長
かしま・こうじ/1989年、丸紅株式会社入社。入社時配属から現在に至るまで一貫して人事業務に従事。2001年から米国・ニューヨーク駐在。2007年に帰国後、人事部企画課長として、人事戦略策定、人事制度改定、ダイバーシティ推進などを担当。2013年に中国・北京駐在、2015年からは営業のグループ企画部副部長としてHRBP(ヒューマン・リソース・ビジネス・パートナー)的役割を担った後、2017年4月 人事部長、2020年4月 執行役員人事部長に就任、現在に至る。
経営会議メンバー全員で議論した人事制度改革
貴社ではこれまでも、経営戦略と人事戦略を連動させたさまざまな取り組みを行ってきました。まずはその背景や導入された施策、また、それらが現在推進されている人事制度の改革にどうつながっているのかをお聞かせいただけますか。
当社では2018年に「丸紅グループの在り姿」を発表するとともに、「人財×仕掛け×時間」をコンセプトとしたさまざまな施策を導入し、経営戦略と人事戦略の連動に取り組んできました。その背景にあったのは、「変革が必要だ」という経営陣の強い危機感です。
当時は史上最高益を更新するなど、きわめて好調であり、従業員全員が最初からピンときていたわけではなかったと思います。しかし、経営陣には大きな時代の転換点が訪れているという意識がありました。今やっていることをそのまま続けていると10年後おそらく生き延びられない、自分たちも変わらなければならない、という強い思いからスタートしました。
「既存の枠組みを超える」ことが大きなテーマでした。商社はビジネスラインが非常に強く、どうしても縦割りになりがちです。「人財×仕掛け×時間」はそういった縦割りの組織を超え、それぞれの強みを組み合わせて、新しいビジネスをつくる、いわばイノベーションを生み出すための仕組みづくりでした。
ポイントはそれを「ソフト」の部分で行ったことです。たとえば自分の時間の15%を本来の業務以外に使ってもいい「15%ルール」は、処遇制度にはひもづいておらず、実際の給与への反映もありません。細かい管理もなく、まずは新しいことが堂々とできるようになったことを伝える内容でした。
ただ、これだけ時代が変わってきたわけですから、ソフトな施策だけでは限界があります。そこで資格・処遇などの人事制度、いわば「ハード」の部分にも手をつけていこうとしたのが、2019年にスタートした中期経営計画"GC2021"での人事制度改革です。考え方は2018年からの取り組みの延長線上にありますが、制度も含めたより抜本的な改革という位置づけになります。
"GC2021"では、具体的な人事制度改革を進めるにあたって「丸紅人財エコシステム」という考え方を重視されたそうですね。
"GC2021"は丸紅グループ中期経営計画であり、今後どういうビジネスを伸ばしていくのかというビジョンを示しています。その戦略をごく簡単にいえば、既存事業を充実・強化することで持続的成長を確保し、同時に2030年に向けて新たなビジネスモデルを創出して爆発的成長を実現する、というものです。特に重要なのが後者です。これまでなかったことに取り組むわけですから、従来の人事のあり方では対応できないと考えなければなりません。
そこで、2030年に向けてどんな人財戦略が必要かということで考えたのが「丸紅人財エコシステム」です。多様な人財、マーケットバリューの高い人財がいきいきとつながり、新しいものを生み出していく。すると、さらに多様な人財、マーケットバリューの高い人財が集まってくる。そういうサイクルをまわしていこうという発想です。これを実現できる組織でなければ、新しいビジネスを生み出すことはできないと考えました。
「多様性」を重視した背景には、これまでは同質性の高い組織だったのではないかという認識があります。また、社内だけで評価されるのではなく、外部でも認められる人でなければ社会や顧客に十分な価値を提供できないと考え、「マーケットバリュー」という視点を組み込みました。こうした多様で優秀な人財が、タテ・ヨコ・ナナメでつながり、力を発揮することでイノベーションが生まれます。「人が活き・繋がる風土」を人事の施策としてつくっていくことも、今後は絶対に必要になっていくはずです。
丸紅人財エコシステムの考え方が固まったのは2019年5月頃です。そこから議論して人事制度改革のコアとなる概念、さらに実際の施策を決めていきました。
それらの議論は、どのようにして行われたのでしょうか。
そこが今回の人事制度改革の非常に大きなポイントです。トップから経営戦略と人事戦略を連動させて抜本的に変えるようにとの指示があり、最初から経営会議で議論しながら改革案をつくっていったのです。従来は人事部が改訂案をつくり、それを経営会議で承認することが多かったのですが、それでは抜本的な改革にはならないということで、経営会議で徹底的に話し合って進めることになりました。
議論を開始するに当たっては、自社および世の中の動向をしっかりとシェアした上で話し合うことが重要と考え、まずは現状認識から共有していきました。当社の過去から現在までの人事制度の変遷、社内外の現状と課題、どういう人事戦略のコンセプトや具体的施策が考えられるのか、といったことです。
議論の結果、人事部で用意した案が大きく変わったケースもありました。この会議は全12回にわたり、まったく白紙の状態から議論して制度づくりにまでこぎつけていきました。
重視した「ミッションレーティング」と「貢献度加算」
経営会議での議論を経てまとめられたという、人事制度改革についてお聞かせください。
今回の人事制度改革は、まずその土台となる考え方を「コアとなる概念」として5項目にまとめています。「実力本位」「チャレンジ」「現場」「オーナーシップ」「オープンコミュニティ」です。最初はもっとたくさんありましたが、経営会議での議論を通じて、本当に必要なものは何かという観点で絞り込んでいきました。具体的な施策をつくる際は、何かあったら必ずこの概念に戻ってくることにしています。
施策については、従業員の目線で大きく3分野にカテゴライズしています。報酬に直結する「処遇」、キャリアにまつわる「タレントマネジメント」、職場に関係する「働く環境」です。
さまざまな施策がありますが、とくに力を入れたのはどの制度でしょうか。
「ミッションレーティング」です。組織の戦略と個人の特性を考慮しながら、毎年の個人のミッション(役割)を決めていく制度です。ミッションに応じて、その年の資格・報酬が決まります。ミッションが大きくなれば当然、報酬も高くなります。
これまではコンピテンシー評価の蓄積で資格・報酬を決めていました。蓄積なので一定の期間が対象となり、資格・報酬の変動はあっても比較的緩やかでした。しかし、このミッションレーティングでは、毎年のミッションに応じて資格・報酬が決まることから、資格・報酬が一気に変わることもあり得ます。若い人でも、大きなミッションを担えば大きな報酬が得られる制度です。
ボーナスを原資分配型にした「貢献度加算」も大きな変化です。それまでは、全社で分布調整される個人業績評価でボーナスを決めていましたが、会社が定めた分布に当てはめにくい部署もあり、社員の納得性の観点からも改善が必要と感じていました。そこで、新制度では管理職が割り当てられた原資を分配する形にしたのです。ミッションレーティングとあわせて、部下に何を任せて、そのミッションと創出した成果に対してどれだけの報酬を払うかを、すべて現場の上司が決める制度になりました。
これらはコア概念でいえば「現場」を重視した人事制度改革です。上司と部下が緊密にコミュニケーションをとりながら、誰に何を任せるかを決めていくことが求められます。評価について上司は説明責任を負いますが、しっかりとやれば部下の納得感が増す制度でもあります。部下も上司との対話の中で「自分はこれができる、この仕事をやりたい」といったアピールがしやすくなりました。
発想としては、いわゆるジョブ型雇用に近いものと考えていいのでしょうか。
さまざまなメディアの方からもそう言われるのですが、ジョブ=ミッションと捉えると、確かに近い考え方だと思います。ただし、職務記述書(ジョブディスクリプション)を細かくつくるわけではありません。当期の事業戦略からミッションに落とし込んで個人の役割を決めているので、厳密には同一でなく、策定に当たってジョブ型を意識したものでもありません。ただ、ミッションレーティングを取り入れたことで、マーケットバリューの高い人財にも働きがいのある職場と捉えてもらいやすくなったと思います。
他にも工夫された施策があればぜひご紹介ください。
「クロスバリューコイン」は、他社でもあまり事例がないと思います。2018年から「15%ルール」で組織横断の取り組みができるようになったという話をしましたが、当時は「自身の業務以外のやりたいことをやれることこそが報酬」という考え方で、処遇にはひもづけていませんでした。しかし、実際に成果が出てくると「何か報酬があった方がよいのでは?」という声が出てきました。そこで考えたのが、貢献を受けた組織から貢献に見合った数の「コイン」をもらえる仕組みです。
1コインは1万円相当で、ボーナス時に現金化して支給されます。これは非常にインパクトがありました。コインの対象となった事例は、付与されたコイン数も含めてすべてイントラネットで参照できるようになっているので、より身近に感じることができ、縦割りを打破するという本来の目的にも大きく寄与しています。
処遇といっても加算のみなので導入のハードルは高くなく、とても効果・効率のいい施策だと思います。
「総合職掌 エリア限定コース」も思い切った改革です。総合職は海外勤務もあることを前提にしてきましたが、優秀な一般職がより高度な業務を目指して総合職に転換しようとした時に、海外を含めた転勤に難しさを感じてチャレンジできていない現実があったことから、転勤のない総合職を設け、より一般職からのチャレンジができる仕組みとしたものです。結果として女性活躍につながることも期待しています。
「Career Vision採用」は、新卒や若年層を対象としたジョブ型・配属先限定採用です。これにより、どこに配属されるかわからないという理由で商社を敬遠していた人材を採用できるようになりました。選考も配属先の人たちが行うので、応募者にとっては一緒に働く上司にあらかじめ会えますし、選ぶ側も真剣度が高いです。その結果、選考段階から十分なコミュニケーションがとれるようになり、新人のエンゲージメントが高まるという効果もありました。
従業員の80%がポジティブに受け止めている
人事制度改革を進めるにあたり、社内にはどのようにして浸透をはかったのでしょうか。
「経営会議で議論してできたもの」という重みは、浸透に大きく影響したと思います。経営会議のメンバーが内容をすべて理解しているので、それぞれが管轄する組織に徹底していく際もまったくブレがありませんでした。トップもことあるごとに「人財が大事な会社だから改革を進めている」と社内外に向けて発信してくれたことから、大事なことだという意識が全社に共有される大きな原動力になりました。
これだけ大きな取り組みですから、現場での混乱は当然あります。そこで五つある営業グループそれぞれにHRBPに相当するポジションを新設して、改革の後押しをすることにしました。やや距離がある現場と本社人事部の間を埋める役割を果たすものです。2020年から、より現場に近いところで制度の説明会を開いたり、部長クラスを対象に評価の考え方を伝えたりする活動を行っています。それ以外に、個別の相談にも対応しています。とても効果があったので、今後も重視していきたいと考えています。
人事制度改革について、従業員の皆さんからはどんな反響がありましたか。
サーベイの結果を見ると、80%以上がポジティブに捉えてくれていました。現場では上司と部下のコミュニケーション機会が確実に増えていますし、会社からのお仕着せではなく現場でいろいろなことを決めていけることには、特に大きな納得感が得られているようです。これは予想以上でした。
スタートとしてはとても良かったのですが、常に見直していくことも忘れてはいけないと考えています。トップも「100%正解の人事制度はありえない」と言っています。実際、今回の改革でも「本当にこれでいいのか」という部分がすでに出ています。今後はそれらを順次チェックしてアップデートしていきます。
評価については、1サイクル終わるごとに全従業員にアンケートを取っています。また、それとは別にエンゲージメントサーベイも実施しています。現場のHRBPからのフィードバックも貴重な情報です。それらを踏まえて、すでに手直ししたところもあります。
現場重視になったことで、現場のマネジャーが判断することも多くなったと思います。現場の負担についてはどのように対処されているのでしょうか。
たしかにマネジャーの人事面での仕事が増えているのは間違いありませんが、重要な業務と捉えて、行ってもらっています。実際、最初は負担だったことが1サイクル、2サイクルまわしてきた結果、慣れてきたという声も聞きます。
タレントマネジメントコミッティ常設で経営との連動を強化
これまでの人事制度改革の状況をどう評価されていますか。
大きな変革が進んでいることを従業員も感じているのは間違いないと思います。会社が変わろうとしていること、経営会議で議論をして方向性を決めたことなどを誰もが理解しています。個別の施策への評価はそれぞれだと思いますが、変革していく姿勢、方向性は共有されているということです。
ただ、丸紅人財エコシステムにしても、その考え方がようやく浸透し、まわりはじめたばかりの段階です。あらゆる施策を常にブラッシュアップし、メッセージも発信し続けなくてはなりません。
現在は、"GC2021"の次の段階として2022年度から3ヵ年の中期経営戦略"GC2024"に取り組んでいます。内容は"GC2021"を基本的に受け継いでいます。これだけの大きな変革ですから、3年ですぐに浸透できるとは考えていません。引き続き一段階上を目指して進めていきます。
まだ浸透しはじめた段階ということですが、その中でも目に見える成果は出てきているのでしょうか。
人事制度そのものがどこまで業績に貢献したのかは、評価が難しい部分です。ただ、エンゲージメントサーベイの結果が明らかに向上するなど、具体的に見えてきたところもあります。会社を変えようという経営の姿勢や人事制度改革のコンセプトなどが前向きに受け取られ、エンゲージメント向上につながったのではないかと考えています。
経営戦略と人事戦略の連動を重視されていますが、進める上で心がけていることがあればお聞かせください。
そもそも今回の人事制度の抜本的改革は、これまで経営戦略との連動がなかったのではないかという課題意識が起点になっています。
当社に限らず、昨今のトレンドとして人事戦略は中長期化し、逆に経営戦略は短期化しています。それだけに連動させていくこと自体がそもそも難しく、そこには経営の強い意思が不可欠です。だからこそ経営会議で人事について徹底的に議論するようになったわけですし、いったん方向性が固まったからといって安心せず、常にズレがないかを注視していくことを心がけています。
仕組みとして大きいのは、「タレントマネジメントコミッティ」の常設化です。これは社長・CAO(人事担当役員)・CSO(経営戦略担当役員)を核とする人財戦略会議で、私もそのメンバーのひとりです。
人事制度改革レビューに加えて、配置・リーダー開発・エンゲージメント・ダイバーシティといった人事面での重要課題を議論しPDCAをまわしています。人事部だけで考えるのではなく、常に経営と一体になって話しあうことで経営戦略と人事戦略が離れないようにし、経営戦略に沿った人事戦略の実現をめざすものです。
また、人的資本経営の考え方も広がり、人事部も社内だけでなく投資家など多くのステークホルダーから注目されているという意識を持たなくてはいけない時代だと思っています。
今後貴社で人事に関して予定されていること、取り組んでいきたいことなどがありましたらお聞かせください。
世の中の変化のスピードは速まり、新型コロナウイルスの蔓延やウクライナ情勢のような「まさか」という事態も起きています。これらは一過性のものではなく、今後ずっとそういう予測不能な世の中が続くと思わなくてはいけないと感じています。
人事部はそういった状況の変化に迅速に対応し、経営から求められる人財や制度を供給していかなくてはなりません。場合によっては、今回抜本的に変えた制度をまたすぐに変える必要に迫られるかもしれませんが、大事なのは変化に対応して機敏に動ける人事部であることです。
スピードが重視される時代になっているからこそ、人事部も社会全体のことを頭に入れて、取り組んでいく必要があると考えています。
(取材:2022年6月16日)