「共振の経営」を実現する「共振人材」は
いかに生まれるのか
社員の自律的行動を促す“ユニ・チャーム流”人材育成術(前編)
ユニ・チャーム株式会社 グローバル人事総務本部 キャリア開発グループ シニアマネージャー
中島 康徳さん
ユニ・チャームでは「企業間格差」を「個人能力格差」ではなく、「組織の運動能力格差」から生じるものとしています。会社組織において、異なる経験や知恵を持つ人が力を出し合えば、一人の経験・知恵の何倍もの力を発揮できると考えているからです。同社ではその状態を「共振の経営」と呼んでいますが、それを実現するにはどのように組織を改革し、人材を育てていけばいいのでしょうか。グローバル人事総務本部 キャリア開発グループ シニアマネージャー中島康徳さんに、「共振の経営」を実現していくための具体的な施策や取り組みについて、詳しいお話をうかがいました。
- 中島 康徳さん
- ユニ・チャーム株式会社
グローバル人事総務本部 キャリア開発グループ シニアマネージャー
なかじま・やすのり●1984年大学卒業後、ユニ・チャームに入社。全国各地の営業支店に勤務した後、2004年高原慶一郎会長の秘書となる。2005年秘書室長兼SAPS推進室長に任命され、当時取り組み始めたばかりの「SAPS手法」を社内に浸透させる事務局の担当者となる。2006年ナショナルアカウント(本社担当)部長を務めた後、2008年初めて人事の仕事を担当、グローバルSAPS人材開発部のSAPS教育グループマネージャーとなる。2009年広報室長・秘書室長、2010年「共振の経営」推進室長・秘書室長を務めた後、2011年から再び現場に戻り、2015年までプロケア(病院・施設向け)営業の東北支店長を務める。2016年1月、グローバル人事総務本部キャリア開発グループのシニアマネージャーとして、人材教育・採用を担当する部門に赴任、現在に至る。
ユニ・チャームが目指す「共振の経営」とは
最初に、中島さんのキャリアについてお聞かせください。
1984年に大学を卒業した後、新卒でユニ・チャームに就職しました。2003年までは全国各地の営業支店で営業畑を歩みましたが、大きな転機となったのは入社20年目の2004年です。創業者である高原慶一郎会長の秘書を務めることになったのです。2001年に現在の高原豪久社長へと経営が委譲されたので、私が秘書を担当したのは新社長体制になって3年目の時のことでした。
当時、会長は、「経営は社長に譲ったが、その後に続く人材をいかに育てていくか」という「次世代リーダー育成問題」に取組んでいました。そこで2001年から、1年交代で社内の元気がいい中堅人材を自分のそばに置き、将来のリーダーに必要なユニ・チャームの伝統やモノの見方・考え方などを伝授していくことになりました。私はその四人目に当たります。営業現場からいきなり会長秘書になったわけですが、それまで全く経験したことのないことばかりで、かなり慌てましたね。しかし、それまで雲の上の人だった会長の秘書を務めるということに、大変やりがいを感じましたし、それまでは営業の現場のことしか知りませんでしたが、経営に関わるいろいろな業務をダイレクトに学ぶことができ、非常に鍛えられたと思います。結局、予定よりも1年長く、2年間秘書を努めました。
2003年は、ユニ・チャームの経営変革元年とも言える年です。というのも、高原社長が「共振の経営」という経営スタイルを形にして、ビジネスモデル化していかなければならないと考え、「SAPS手法」など戦略的な取り組みを始めるようになった年だからです。それを受ける形で、2005年に秘書室長兼SAPS推進室長に任命され、取り組み始めたばかりの「SAPS手法」を社内に浸透させていく事務局の担当者になりました。
その後、2006~2007年は営業に戻りましたが、2008年にグローバルSAPS人材開発部のSAPS教育グループマネージャーとして、初めて「人事」の仕事を担当しました。2009年からは広報室長・秘書室長、2010年には「共振の経営」推進室長・秘書室長、2011年からは再び現場に戻り、2015年までプロケア(病院・施設向け)営業の東北支店長を務めました。そして2016年1月、現在のグローバル人事総務本部キャリア開発グループのシニアマネージャーに就任。人材教育や採用などに関する部門を担当することになりました。このように考えると、私は2003年以降、「SAPS手法」や「共振の経営」など、ユニ・チャームの経営スタイルに関わる仕事に営業の現場と並行しながら携わることで、全社的な観点から会社を見ることができていたのです。
ユニ・チャームが目指す「共振の経営」とは、具体的にどのような経営スタイルなのでしょうか。
組織内で生まれた日々の工夫や知恵は、現場の社員と経営層の間を行ったり来たりすることで「振り子」のような共振を生みます。つまり、現場の知恵を経営に生かすと同時に、現場も経営の視点を学びながら、共に目標に向かって進んでいく。それが、ユニ・チャームの目指す「共振の経営」です。
共振するためには、まず社員一人ひとりが自らの主体性、自律神経を働かせて、最適な意思決定を行いながら、自分の信じる行動を取っていかなくてはなりません。上司に言われたからやるのではなく、難しい案件や突発的な事故が起きても、その時々でベストの選択を考え、自分の手足を使って解決を図っていく。「共振の経営」とは、このように主体的な行動の取れる人の集まりを目指す経営手法であると、私は理解しています。
共振には「縦方向」と「横方向」の二つがあります。縦方向とは、経営層にとっては現場の持つ「一次情報」、現場にとっては経営層の「視野の広さ」といったように、お互いに「視座・視点」を合わせにいくこと。一方、横方向とは、部門の機能や役割を越え、共通の目標に向かってお互いの力を合わせていくことです。社内の課やグループといった小集団がどれも激しく縦方向・横方向に共振し、さらにその振動が全社に広まって、会社全体で大きく共鳴することにより、組織を伸張させていくのです。
現場は日ごろから経験と努力を重ね、いろいろな知恵や技を蓄えています。経営層にはそうした現場の知恵と技をしっかりと吸い上げ、組織の知恵・技へと展開していく視点が必要です。経営層は常に現場を知っていなければならない、ということですね。一方、現場は経営層がいま何をやろうとしているのか、何を志向してどのような施策を行おうとしているのかを理解しなければなりません。その意味を正しく理解していないと、目的と手段の関係が成立しないからです。経営層と現場がこのように行動することで、縦方向の関係性が共振し合い、共鳴していくのです。
組織にはいろいろな機能があり、川上から川下までさまざまな工程があります。そんな中で、一人ひとりが「部分最適」を考えて行動しているようでは、効率がよくありません。一人ひとりが前後の工程を含めた関係性を十分に考え、最適な方法を取っていけるようにする必要があります。
縦方向・横方向の共振が成立している会社組織を目指そうというのが、まさに「共振の経営」なのですね。このようなイメージを、高原社長は当初から描かれていたのでしょうか。
コンセプトは既に頭の中にあったと思いますが、2003年当時の状況を考えると、具体的な施策としてどう展開していけばいいのか、イメージ図までは必ずしも完成していたわけではないと思います。高原社長は1991年に入社していますが、当初は、会長から聞いていた会社の様子と実態が大きく違っていると感じたという話を聞いたことがあります。バブル経済崩壊後、当社を取り巻く経営環境は大きく変化しました。右肩上がりの成長が鈍化している状態だったので、それまでのようにカリスマ創業者が一人の判断で会社を引っ張っていくやり方だけでは、もはや経営が立ちいかない状況にあったのです。
経営のバトンを譲り受けたのはいいけれど、カリスマ創業者が引っ張ってきた会社経営のやり方に慣れ親しんだ組織や社員が多い中、どのような経営を行っていけばいいのか、高原社長は随分と悩み考えたようです。その苦悩の中で行きついた考えが、社員の自主性を生かす「共振の経営」なのです。問題は、それをどのように形にして、会社全体に浸透させていくか。ここに相当の苦労があったことは、言うまでもありません。
後述しますが、「共振の経営」を推進するために「SAPS手法」といった独自の施策を展開するにあたっては、経営層、役員、部門長クラスが「実践リーダー」となり、「勉強会」や「発表会」を実施するなど、自ら規範と行動を示して、社内への浸透を図りました。社内で変革を起こすには、トップ層による継続的な努力の積み重ねが不可欠だと考えたのです。