引き継ぎがうまくいかず、入社日延期を希望
「大企業」にあくまでこだわる
ちょくちょくある話ですが…
き継ぎがうまくいかない、入社日を遅らせたい
内定をもらって条件調整もすませたら、転職活動はほとんど終わったような気分になるのは仕方ないかもしれない。しかし、内定先の会社に入社する前にはもう一仕事ある。それが「引き継ぎ」。後任がしっかり決まっていれば問題ないが、退職が決まってから後任を探す…といった場合は注意が必要だ。入社日までに引き継ぎを終わらせないと、大問題になるケースもあるからだ。
引き継ぎするはずの人が辞めてしまった!
「Dさんからいきなりメールが送られてきました。転送しましたので、見ておいてください…」
H社の人事部からかかってきた電話の声は怒りを押し殺したようなトーンだった。Dさんとは、翌週H社に入社予定の方。何か良くないことが起きたのかな…と思いながらパソコンに向かいメールを見てみるとこんな文面だった。
「今週中に引き継ぎを終える予定で頑張ってきましたが、どうしても終わりません。つきましては入社日を1ヵ月延ばしていただけないでしょうか…」
いきなりこんなメールが来れば人事も慌てるだろうし、怒るのも当然かもしれない。翌週の入社ということは、もう受け入れの準備や配属部門での仕事の段取りなど、いろいろとスケジュールが動き出しているはずである。特にDさんは即戦力として期待されていた人材だから、入社後すぐにプロジェクトに組み込まれる…というような話も進んでいた可能性は高い。
「申し訳ありません! 大至急確認します…」
H社にはひとまずお詫びをして、すぐにDさんに電話をかけてみた。
「ああ、ごめんなさい。急なことだったので、まずは人事に知らせないといけないと思ってました…」
Dさんは意外と落ち着いている。事情を聞いた。
「仕事を引き継ぐはずだった後輩が、私が退職することを知ったら、自分も退職すると言い出してしまったんです。それで後任を新たに採用しようということになって、予想したよりも時間がかかってしまいました」
しかも、新たに採用した後任の人材はさまざまな都合で入社が遅れ、引き継ぎを開始したのはなんと今週になってからだという。
「お客さんには迷惑をかけられないので、引き継ぎにはあと1ヵ月くらいはかかると思うんです…」
「そうですか、事情は分かりました。まずはH社さんに入社延期が可能かどうかを確認してみますよ…」
大変なことになったなぁ、と思いながら私はH社の人事にDさんの引き継ぎの事情を伝えることにした。
最悪の場合は内定取り消しですか?
「入社日を延期できるか? 無理ですよ、そんなの! もう担当プロジェクトも決まっているんですよ。配属先の部門が何というか…。入社日の約束も守れない人が、今後ちゃんと仕事をしていけるのか、大いに疑問ですよ!」
改めて電話してみるとH社の人事はカンカンだ。想像以上に面倒なことになったが、Dさんの事情もちゃんと伝えなければいけない。ふとこんなことを提案してみた。
「一番ご迷惑がかかるのは配属先の部門ですよね。どうでしょう。Dさんから経緯を詳しく説明する手紙を書いてもらって、配属先の部門長に読んでいただくというのは…」
こういったケースは、人材紹介の世界では時々出くわす。過去の事例を振り返ってみると、人事が怒っているのは配属先部門から「何をやってるんだ!」と文句を言われるから…ということがけっこう多い。Dさんの置かれている状況が正しく配属先に伝われば、案外人事は味方になってくれるかもしれない。
「手紙? いいですね。できるだけ早く…今日中にお願いしますよ。来週になったらもう遅すぎますよ!」
どうやら人事も、何とか妥協点を探る方向になってくれたようだ。さっそくDさんに退職日がずれこんだ経緯を書面にしてもらうよう依頼した。
「分かりました、すぐ書きます」
Dさんにも事の重大さが分かってきたようだ。
「ひょっとして大変なことをしちゃいましたかね? 内定取り消しになることもあるでしょうか?」
今度はDさんを心配させないようにしないといけない。神経質な人だと「迷惑をかけた会社に入社できない」などと言い出しかねない。辞退される方がH社には迷惑だ。
「大丈夫ですよ。ただ、正式な書面があった方が社内調整がしやすいんだそうです。あと、Dさんも引き継ぎを1ヵ月じゃなく2週間くらいで終わらせることはできないですかね? 少しでも早い方がH社さんもうれしいそうですよ…」
結果的にDさんは2週間遅れで無事H社に入社した。入社日、そしてそれに先立つ引き継ぎを軽く考えすぎていると、往々にしてこういった騒ぎになるのである。
外資もベンチャーも眼中になし
大企業志向、それも一つの選択です
転職希望者の間でいまだに人気が高いのが大企業。中小に比べると安定しているうえ、スケールの大きい仕事ができるというイメージがあるからだろう。しかし、近年では大企業の破綻や合併なども珍しくなくなり、大企業信仰も以前よりは下火になってきた印象を受ける。大企業は将来もずっと安泰なのだろうか、それとも…。
希望企業は、東証一部上場企業だけ
「今いる会社よりスケールの小さい会社はやめようと思っています。やはり安定感のある職場で働きたいですから…」
最初の相談の際にこう切り出したTさん。今勤めている会社も東証一部上場の大手メーカーなのだが、本業の業績が思わしくなく社内の雰囲気も停滞しているのだという。
「会社は新しい分野に取り組むと言っていますが、われわれエンジニアは自分がこれまで培ってきた技術を生かせる仕事をしたいんです。違う分野に進出されても経験は生かせないし…」
たしかにそれはよく分かる話である。
「具体的にご希望の企業があるのですか?」
「ええ、ネットでいろいろ調べましてね。私のこれまでの経験が生かせそうな企業をリストアップしてきました。現在求人が出ているかどうかは分かりませんので、それを御社でお調べいただきたいのです…」
差し出された紙には数十社の企業名が並んでおり、志望度の高い順にAからEまで分類されていた。とても几帳面に表計算ソフトで作られている。さすがは技術者である。社名をざっと見るとどれも有名な、まさに東証一部上場クラスのメーカーばかり。Tさんは、そのリストにある企業の求人をすべて教えてほしいのだという。
「分かりました。ちょっとお時間をいただけますか…。そうですね、明日中にはお調べしてメールで結果をお送りします。それでもよろしいでしょうか?」
Tさんは承諾し、私はさっそくリストにある企業の求人を調べることにした。
調べてみると、中途採用を行っていない企業もかなりある。採用は新卒中心で、中途はスペシャリストの欠員が出たときだけ…というパターンも多い。また、大手ではあるのだが、業績の不振が新聞などで報じられている企業もあった。
「お調べしました。同時にリストになかった企業も何社かピックアップして求人票を添付しました。いずれもTさんのご希望に沿うのではないかと思いまして…」
結果的に当たっていたTさんの信念
「Tさんのキャリアはもったいないですね。外資系企業や新興企業なら、年収面でもかなりアップする会社がありますよ…」
社内で他のコンサルタントと相談していると、Tさんの経歴を見てそんな声が数多く上がった。たしかにエンジニアとして脂の乗った世代であるTさんの経歴なら、外資系企業やベンチャー企業からは引く手あまたなのだ。むしろ、日系の大手に行くよりも年収面などではアップが見込めるのは間違いない。Tさんは英語もある程度できるようなので、外資系でも問題はないだろう…。
私たちはそう思って、Tさんが作ったリスト以外の有力企業の求人票も見てもらうことにした。
「いや、外資もベンチャーも興味ないです…」
Tさんは即答した。それは求人票の中身どころか社名さえ見ていないのでは…と思える速さだった。
「でもTさん、いただいたリストにあった企業はたしかに大手ばかりですが、合併の噂があったり、現職の会社と同様にこの数年の業績が芳しくない企業も多いですよね。外資やベンチャーでも、求人票を添付した企業は安定度では負けてない会社ばかりを選んだつもりです…」
私はこう説明したがTさんは意見を変えようとはしなかった。
「いや、多少落ち込みがあっても、東証一部上場クラスのメーカーは必ず持ち直してきますから。ベンチャーや外資は何かあった時に持ち直しに時間がかかったり、結局撤退したり…が多いと思うんですよ」
きっぱりと言い切ったのだった。
実は、ここまで書いたTさんのエピソードは数年前の話である。結局、私たちはTさんには希望通り日系大手メーカーを紹介することにしたのだが、同時にTさんのような考え方は根拠のない一種の「大企業信仰」のように思えたものだった。
しかし、今振り返ってみると、当時、私たちが将来を懸念した大手メーカーは、その後数年かけて体質を改善し、現在はまた好業績に戻っている企業が多い。つまり、Tさんの言っていたことははからずも当たっていたということになる。
ふと、あの時Tさんが私たちのアドバイス通り外資系企業やベンチャー企業に転職していたらどうなっただろうかと思うことがある。私たち人材紹介会社のコンサルタントは転職者の将来を考えてさまざまな提案を行うが、未来が完全に見通せるわけではないのだ。
Tさんのことを思い出すたびに、転職というものの難しさを実感させられる。