経済損失約9兆円、「仕事と介護の両立」は経営課題
企業、人事が今取り組むべき支援策とは
経済産業省 商務・サービスグループ ヘルスケア産業課 課長補佐
水口 怜斉さん
少子高齢化の進行に伴い、仕事をしながら家族の介護を担う「ビジネスケアラー」が増加傾向にあります。2030年には318万人となり、経済損失は約9.2兆円にのぼると試算されています。そのような中、経済産業省は今年3月、「仕事と介護の両立支援に関する経営者向けガイドライン」を公表しました。経済産業省 商務・サービスグループ ヘルスケア産業課 課長補佐の水口怜斉さんは、「介護の課題はこれまで経営視点で語られることがほとんどなかった」とガイドライン作成の狙いを語ります。ビジネスケアラーの現状や課題、企業が取り組むべき施策、国として今後注力していく点などについてうかがいました。
- 水口 怜斉さん
- 経済産業省 商務・サービスグループ ヘルスケア産業課 課長補佐
みずぐち・りょうせい/長崎県生まれ。経済産業省に入省し、スタートアップ支援や起業家育成、2025年大阪・関西万博関連業務に従事。その後、内閣府に出向し、10兆円規模の大学ファンドの立ち上げを担当。現在は、経済産業省においてヘルスケア産業の振興を担当し、介護政策や医療の国際展開、ヘルスケアスタートアップ支援に取り組む。その他、個人として政策版デザインスクール「Policy Design School」や、政策立案にデザインアプローチを導入することを目指す「JAPAN+Dプロジェクト」の立ち上げに尽力。
誰もがビジネスケアラーになり得る
仕事と介護の両立に関する現状と、今後の展望を教えてください。
仕事をしながら家族の介護に従事する人、「ビジネスケアラー」や「ワーキングケアラー」と言われることもありますが、そうした方の数は年々増加傾向にあります。高齢者の増加に加え、共働き世帯が増えたことで、働く誰もが介護の担い手になり得る時代です。
2025年前後には団塊の世代が後期高齢者となることから、家族を介護する人は2030年ごろに向けて大きく増加します。2030年には家族介護者は833万人にのぼり、そのうち約4割の318万がビジネスケアラーに当たると予測されています。
試算では2030年をピークに家族介護者やビジネスケアラーの数自体は減っていきますが、高齢者の減少幅よりも現役世代の減少幅が大きいため、家族介護者一人当たりの要介護者数は2030年以降も増えていくことが見込まれます。そのため2030年を乗り越えれば安心というわけではなく、長く日本社会に尾を引く課題だと捉えるべきです。
仕事と介護の両立には、どのような難しさがあるのでしょうか。
ある程度計画を立てたり、先を見通したりしやすい育児と異なり、介護はいつ始まるか、いつ終わるかが予測しにくく、事前の備えが難しいことが挙げられます。例えば、最初は介護という認識がなくても少しずつ負担が重くなっていき、いつの間にか介護が始まっているパターンもあれば、親が足の骨を折って急に日常の世話が必要になるなど、ある日突然始まるケースもあります。また、いつまで続くのかが見通せないことが多い。短期間で終わる場合もあれば、10年、20年と介護を続けている人もいます。誰にも発生し得るライフイベントにもかかわらず、予測が難しいことが、両立の困難さにつながっています。
経済産業省は2024年3月、「仕事と介護の両立支援に関する経営者向けガイドライン」を公表しました。ガイドライン作成の背景や狙いをお聞かせください。
仕事と介護の両立が困難になると従業員のパフォーマンスが低下し、場合によっては離職せざるを得ない状況になるなど、企業活動そのものに影響が及びます。介護当事者個人だけでなく、企業にとっても大きな課題なのです。
仕事と育児の両立支援を巡っては活発な動きがある一方で、介護は一歩遅れていると思います。介護は実際に直面するまで「自分ごと化」しにくく、個人も企業も対応が後手にまわりやすいことが、要因の一つでしょう。しかし、当事者のみならず企業にとっても、育児と同じかそれ以上に大きな影響を与えるかもしれません。
仕事と介護の両立困難に伴う影響の大きさを踏まえ、深刻化する前に経営者の意識を高める必要があると考えて、今回のガイドライン作成に至りました。
経営・人事・現場。3視点のリスクとリターン
ビジネスケアラーが増えることで、企業はどのような影響を受けるでしょうか。
ガイドラインの作成にあたり、ビジネスケアラーに関連する経済的影響を試算しました。従業員の労働生産性の低下による損失額と介護離職者発生による損失額を合わせると、2030年時点で約9.2兆円の経済損失が発生すると推定されています。「従業員数3000人の製造業」という大企業モデルで1社あたり6億2415万円、「従業員数100人の製造業」の中小企業では773万円の損失です。
そのうち約7.9兆円と大部分を占めるのが、労働生産性の低下によるものです。調査の結果、介護の発生によって従業員の生産性は約27.5%低下することがわかりました。生産性低下の要因は二つ。一つは、介護によって働ける時間に制限が生まれ、できる仕事の量が減ってしまうこと。もう一つは介護に関する心配事や睡眠不足などにより、仕事のパフォーマンスが低下することです。
親の介護が発生するのは、企業の中核である40、50代の人材に多いのですが、そういう人たちが十分なパフォーマンスを発揮できなかったり離職したりすると、企業にとって大きなダメージとなります。特に従業員数が少なく、配置換えなどによる代替人員の確保が難しい中小企業は、より深刻な影響を受けます。
今後ますます人材不足が加速する中で、介護両立支援は従業員個人に対する福利厚生としての側面だけでなく、持続的な企業経営におけるリスクマネジメントという観点からも重要です。
企業経営におけるリスクマネジメントの観点について、詳しく教えてください。
ガイドラインでは、両立支援策を講じないリスクと、支援策によって得られるリターンについて、「現場パフォーマンス」「組織マネジメント」「経営戦略」という三つの視点から整理しました。この三つの視点に分けて示したことが、大きなポイントです。
仕事と介護の両立というと、労働者の権利保護の観点からの議論が多く、経営課題として語られることはあまりありませんでした。人的資本経営の文脈でも、介護はあまりフォーカスされず、抜け落ちていると感じています。そのため、介護支援に関する国からの発信は、介護当事者に向けた情報提供や、人事部門に向けた法定義務の周知などがほとんどで、経営とリンクさせて体系的に整理したものはこれまでありませんでした。そこで今回、介護の課題と経営視点を橋渡しできる枠組みを作成しました。
三つの視点におけるリスクとリターンについて、順にご説明します。まず現場パフォーマンスについて。介護者である従業員本人と、その上司である管理職の視点です。適切な両立支援策を講じないことで、業務遅延や生産性低下、介護の負担に起因する業務ミス、他の従業員の負担増加、取引先との関係性低下といったリスクが発生します。一方、両立支援策を講じることによって、生産性を維持し従来のパフォーマンスを発揮してもらうことが可能です。両立を前提にした業務改革の促進も期待できます。
組織マネジメントは、人事部門など組織全体を統括している立場からの視点です。リスクとしては、いわゆるプレゼンティーイズムやアブセンティーイズムの増加による生産性低下、急な配置換えや異動の発生、離職者の増加などが挙げられます。両立支援策を講じることでロイヤリティーやワークエンゲージメントの向上による生産性向上、従業員のキャリアの持続性維持による組織力強化といったリターンが期待できます。また「働きやすい会社」という認知が高まることで、採用力の強化にもつながるでしょう。
適切な両立支援策を講じることで、現場のパフォーマンスや組織マネジメントの各階層でリターンを得られると、経営戦略(経営層視点)にもつながります。生産性維持・向上やイノベーション創出、ステークホルダーからのレピュテーション向上などにより、結果的に企業の競争力が上がります。
個人レベルの話になりがちですが、その影響については、現場と人事部門、経営層それぞれ考えるべき粒度が全く異なります。どんなリスクがあり、対策を講じることでどのようなリターンが得られるのか。三つの視点から体系的に整理し、客観視することが大切です。社内で議論する際の土台としてこうした枠組みを活用してほしいと思います。
平均年齢40歳は要注意、実態把握が第一歩
企業は何から取り組み始めるべきでしょうか。
まず大切なのは実態把握です。社内の介護に関する実態は表面化しづらいという特徴があります。介護が緩やかに始まったため職場に伝えるタイミングを逃してしまったケースもあれば、自身のキャリアに影響が出ることを恐れて言い出せないケースもあります。しかし、どれくらいの従業員が介護に直面しているのかを把握しなければ、誰に対して、どのような施策を打てばいいのかがわかりませんし、効果検証もできません。法定義務ではありませんが、施策を成果につなげるために、実態把握から取り組んでほしいと思います。
実態を把握したうえで、両立支援の優先順位を下げると判断することもあるでしょう。ただ、アンケートで社内の実態を目の当たりにすると「こんなに介護当事者がいるとは思わなかった」と驚く経営者や人事担当者は少なくありません。見えていないだけで、意外と切迫している可能性も大いにあります。特に従業員の平均年齢が40歳に近づいている企業では、介護両立支援のニーズが高くなる傾向があると実感しており、要注意です。
ある程度規模の大きな企業では、まずアンケート調査を行うのがよいでしょう。ただ、人事部に知られたくないと感じる人もいます。人事部主導でうまく情報収集できなければ、外部サービスを利用したり、匿名方式にして全体傾向だけをつかんだりするなど、情報の取り扱いに配慮すると実態を把握しやすいと思います。一方、中小企業では、匿名ではなく一人ひとりの具体的な実態を細かにヒアリングした方が対策を打ちやすい場合もあります。実態把握の手段は、自社の企業規模や風土に合わせて検討してください。
アンケートやヒアリングで聞く内容はシンプルに、従業員の親の年齢を聞くだけでもいいでしょう。今の日本では60代で要介護状態になる方はあまり多くありませんが、70歳や80歳を超えると何かしら不調を抱える方が増えることを踏まえると、親の年齢が70~80歳前後になる従業員が何人いるかを知るだけでも、社内のリスクを統計的に把握することが可能です。
ニーズを明らかにした後に、具体的な取り組みへと移っていくのですね。
具体的な施策としては、情報発信や研修によるリテラシー向上、個別相談の充実、人事労務制度の整備やコミュニティ形成などが効果的です。
育児・介護休業法の改正により、2025年4月から40歳以上の従業員に対する早期の情報提供が義務化されますが、プッシュ型で行うことが重要です。「困ってから手を打つ」と後手に回りがちですが、介護保険制度などの基礎情報をプッシュ型で発信することで従業員の準備を促し、離職や生産性の低下をある程度未然に防ぐことができます。当事者が知るべき情報はある程度パターンが決まっているので、まずは一般的な知識を身につけてもらうことを目指すといいでしょう。あわせて、従業員からの希望に応じて個別具体的にアドバイスする相談窓口の設置など、プル型の施策も必要です。
人事労務制度面の充実も欠かせません。制度面のニーズとしてよく聞くのは、時間単位の有給です。通院の付き添いやケアマネージャーとの面談など、1〜2時間程度で済む用事も多いので、介護休暇や年次有給休暇を時間単位で取得できるとありがたいという声をよく聞きます。
制度の充実と併せて取り組んでほしいのが、コミュニティの形成です。介護の悩みを一人で抱え込んでしまう人は少なくありません。自分と同じように仕事と介護を両立している人が社内にいるとわかるだけでも気持ちが楽になるでしょうし、働き方の工夫や制度の活用方法など、参考になる情報を共有できるメリットもあります。
また、当事者同士だけでなく、これから介護を担う可能性のある従業員が、介護経験者の話を聞くことができる場もあるとよいでしょう。介護の必要性が出てくるのは40代以上が多いのですが、20代や30代で直面する方も大勢います。介護者の年齢が若いほど、介護との両立困難による生産性低下の幅が大きくなるというデータもあり、影響は深刻です。晩婚化が進み、出産のタイミングが遅くなっていることを踏まえると、親の介護に直面する年齢は徐々に下がっていくことが見込まれます。若い層にも介護について知ってもらう機会をつくることが大切です。
経営層の意識改革で「負のサイクル」打破
ガイドラインでは、企業における介護両立支援の取り組みが進みづらい構造的な課題があると指摘されています。
私たちが「負のサイクル」と呼んでいる、構造的な課題があると感じています。介護両立支援の優先順位が低い状態の企業では、積極的な取り組みが進みません。すると社内でのリテラシーが向上せず、介護に直面した従業員は周囲に開示しづらく感じてしまう。開示がないと社内の現状が正しく可視化されず、経営層は「介護の両立支援はニーズがない」と判断してしまいます。その結果優先順位が低いまま、という悪循環に陥ってしまうわけです。すると、見えないところで生産性が下がり続けることになります。
この負のサイクルを断ち切るためには、経営層のコミットメントが必要です。社長の一声で社内の雰囲気が一変し、介護との両立で困難を抱えている方が周囲に打ち明けやすくなった、といった話をよく聞きます。
人事部門からのミドルアップで、経営層の意識改革に至ったケースもあります。経営層への上申の際に当ガイドラインを活用するケースもあるようです。経済産業省がガイドラインを出すことで、介護両立支援は経営全体に関わるのだというメッセージを強く伝えられるのではないかと思います。人事の皆さんにはぜひ、自社の調査結果にこのガイドラインを添えて、経営層へ働きかけてほしいですね。
今後、国はどのように両立支援をするか、ビジョンや具体的な計画があれば教えてください。
仕事と介護の両立支援の現状としては、マーケティング用語でいうと「アーリーアダプター」に当たる企業が先行して取り組んでいる状態だと捉えています。これを大多数の企業に広めるためにどのような施策を打つべきか、戦略的に検討中です。ガイドラインの公開もその一環で、メディアへの露出も含めて広く情報発信を進めており、少しずつ認知が広がっていると感じています。
一方で、企業にダイレクトに届ける施策も必要です。大企業向けには、人的資本経営コンソーシアムでの啓蒙活動の他、介護両立支援に取り組む企業のコミュニティをつくって好事例やノウハウを共有するといった取り組みを始めています。また、企業が積極的に取り組むインセンティブとなるよう、昨年度から、健康経営の評価指標の中に仕事と介護の両立に関する項目を盛り込んでいます。
中小企業に対してはもう少し具体的な支援が必要だと考えており、2024年秋から「介護両立支援ハブ」という実証事業に乗り出しました。中小企業は介護両立支援を自社で完結させるリソースがないことが多いため、従業員向けの研修を合同で実施するなど、地域の複数社で協力することで乗り越えていこうというモデルです。
そうした複数の中小企業を地域でサポートする主体を「ハブ」と呼んでいます。例えば特定の業界団体や地域の商工会がハブになり得るでしょう。こうした組織を増やしていきたいと思っています。
人事発信で機運高揚を
最後に、仕事と介護の両立支援に取り組む人事部門の方へメッセージをお願いします。
仕事と介護の両立支援において、人事部門の役割はとても重要です。先ほどもお伝えしたように、人事部からの発信で経営トップや組織全体の意識を変えることができます。人事部から機運を高めてください。
最近では両立支援事業関連のサービスを提供する事業者が増えているので、例えば従業員の実態把握のためのツールなどもうまく活用するといいでしょう。私たちも一緒になって、仕事と介護を両立しやすい社会をつくっていきたいと思います。
また、人事担当者のみならず、経営者や管理職ら介護を行う従業員を支える全ての方にお伝えしたいことがあります。ぜひ、従業員本人の希望に沿った支援をお願いします。「両立は大変だろう」と配慮するあまり、負担の少ないポジションへの異動を打診するケースがありますが、本人が希望しているかどうかを、常に意識する必要があります。当事者に話を聞くと、仕事をしている間は介護のことを忘れられるおかげでメンタルバランスが保たれている、という方が多くいます。そういった人たちから仕事で活躍する機会を奪うことは、避けなければなりません。
全ての希望を叶えることは難しいと思いますが、できる限り本人が希望する形で仕事を続けてもらうことはモチベーションやパフォーマンスの維持につながり、企業の競争力の向上を実現します。
さまざまなジャンルのオピニオンリーダーが続々登場。それぞれの観点から、人事・人材開発に関する最新の知見をお話しいただきます。