変革の時代を勝ち抜く! これからの教育体系のありかた
三菱UFJリサーチ&コンサルティング 経営戦略部[名古屋]シニアコンサルタント 有馬祥子氏
はじめに
新型コロナウイルス感染症の影響により、企業の人材育成の現場は教育計画や研修スケジュール、研修内容や方法の見直しを迫られ、大きな影響を受けた。筆者は企業の経営層や人材育成担当と接する機会が多いが、外部環境の大きな変化により、これを機に今後の社員教育・研修の方法や内容を見直したいという声をよく聞く。
過去にもバブル崩壊やリーマンショックなど、社会経済活動の大きな転換点は何度かあったが、今回の新型コロナウイルス感染症は、「経済危機」と「働き方の変化」という二つの複合型である点に大きな特徴があり、そのことが今まで経験したことのない事態を生み出している。このような状況において、これまで実施してきたことをオンラインに置き換えるだけでは、外部環境の変化に対応できない。この変化を踏まえ、求める人材像、スキル、そしてそれをレベルアップしていくために教育体系を構築し直すときなのである。
しかし、「教育体系など無くても、人材育成はできるのではないか」と考える方もいるのではないだろうか。その考え方自体は否定しないが、明確な教育体系を持たないため、「明確な育成像をもっているのは社長だけ」、「経営層と人材育成担当、現場の意見がズレている」、「人材育成担当が会社の考えを理解していない」といったことが実はよくある。
人材育成でもP(教育体系構築)→D(教育・研修の実施)→C(教育効果・育成結果の検証)→A(教育・研修の改善・見直し)のようにPDCAサイクルを回すことが肝要だ。PDCAサイクルのはじまりである教育体系が整備構築できている企業は、人材育成の土台となる考え方や教育研修の目的、社員に学んでほしい習得要件が明確であるため、目的に叶った教育メニューを選択でき、効果検証もしやすい。
本レポートでは、新型コロナウイルス感染症がもたらす経済・社会的影響による人材育成の変化と、教育体系構築のポイントを解説する。
1. なぜ今教育体系の構築や見直しが必要か
新型コロナウイルス感染症の影響により、企業における人材育成は「事業環境の変化」、「働き方の変化」、「学習方法の多様化」の三つの影響を受けている。
1)事業環境の変化
まず、世界的な経済の低迷や「ニューノーマル」と呼ばれる生活様式の急激な変化が進んでいる。BtoC企業では、消費者の生活様式の変化は即ち顧客ニーズの変化を意味する。例えば飲食業では、3密を避けるために休業や客席減少を余儀なくされている。テイクアウトやデリバリーを行い、売上減少をカバーしているが、これらはあくまでも当面の施策であり、別途長期の視点での戦略立案が不可欠になる。加えて人件費や賃料などの固定費負担も重くのしかかり、固定費を圧縮して利益を確保するコスト構造の変化も求められる。
以前から、先の見えない今の社会を「VUCA(※1)の時代」と呼ぶことがあるが、新型コロナウイルス感染症拡大以降、VUCAの色合いがより強くなった。変動性があり、不確実で、複雑、曖昧な事業環境に対して、社員が知恵を出し合い、乗り越えていく必要に迫られている。
With&Postコロナ対応では、環境変化への対応力や新ビジネスの創造力が求められる。長期的で幅広い視野に立って考えられる人材を育て、自由な発想・発言を通じてアイデアを出し合える環境づくりを重視していかなければ、機動的な対応ができない。
2)働き方の変化
従来、我が国ではテレワークの普及率は20%程度(※2)と高くなかったものの、今回、感染症対策の一環としてテレワークが急速に浸透した。製造業やサービス業の現場など、テレワークが難しい業務はあるが、事務・企画系の職場や専門職などは、そもそも毎日会社に出勤しなくても業務が回ることも分かってきた。緊急事態宣言解除後も、テレワークを継続する企業もあり、この傾向は今後も続くであろう。
テレワークの推進により職場でのOJT機会、特に 顧客訪問時の立ち居振る舞いや対外折衝、プレゼンテーションのように、先輩が実践して見せて、後輩が見て学ぶスタイルのOJT機会は減少している。これから経験を重ね、社会人として成長していく若手社員にとって、OJT機会が少なくなることは成長機会の減少を意味する。
例えば、若手の営業社員は顧客企業に上司・先輩と同行することを通じて、その企業の雰囲気やお客さまの表情、反応などを肌で感じながら、先輩社員のプレゼンテーションやクロージングの仕方を学ぶことができた。しかし、Web会議による商談は、言語情報のやりとりが中心で、PCの画面越しではお客さまの表情の変化は読み取りにくい。また、画面を見て話を聞くだけでは、商談のコツをつかむことは難しい。営業訪問ならば帰り道で質問もできるが、Web会議ではそれもやりづらい。
テレワークによる働き方の変化、OJTの機会の減少により、習得しづらくなったスキルは、OFF-JTなど、別の形で学習する必要がある。何が習得できていて、何ができていないのかを把握するためには、階層や職種ごとに身に付けるべきスキルと習得方法を網羅的に定義した教育体系が必要なのである。特に、これから業務経験を重ね、成長していく若手社員に対しては、個人別育成計画を立て、実務を絡めた育成・フォローを、今まで以上に計画的に、丁寧に行う必要があるだろう。
3)学習方法の多様化
企業の人材育成では、感染症対策として集合研修の代わりに、オンライン研修やe- leaningを利用する企業が増えた。オンライン研修(e-learningを含む)とオフライン研修(集合研修)にはそれぞれの長所がある。オンライン研修は、時間や場所の制約なく学ぶことができ、知識習得に適している。オフライン研修は、リアルな場を共有するため、話し手の思いや熱意を伝えやすく、受講者間のつながりを作りやすい。
従来の企業の人材育成は、集合研修を前提として考えられていた。学習方法が多様化した今、学習の目的やテーマにあわせて、オンとオフそれぞれの長所を組み合わせて、最適な方法を選択し、よりよい学びの場を提供することが求められている。
2. どうやって教育体系を構築するか
1)教育体系構築の全体像
本節では教育体系の構築方法について述べていくが、そもそも、何のために教育体系を構築するのだろうか。それは、企業としての理念や戦略を実現できる人材を育成するためである。
教育体系構築というと、図表1中央から右のスキルマップの作成とスキル習得方法の定義のみをイメージされたかもしれない。ただ、新型コロナウイルス感染症の影響で、外部環境変化のインパクトが大きい今後は、教育体系構築においても経営戦略とのつながりが特に重要である。教育体系を単独で検討するのではなく、経営戦略・人事戦略を策定し、そこから教育体系を構築するという一貫性・整合性がより求められる。
2)教育体系構築のステップ
図表1「教育体系構築の全体像」について、各ステップの具体的な実施事項および 想定されるアウトプットを、図表2「教育体系構築のステップ」に一覧として示す。
3)変革の時代を勝ち抜くための、教育体系構築のポイント
新型コロナウイルス感染症の影響を踏まえて、教育体系構築を行う場合、今までのそれと一体何が違うのだろうか。ポイントは次の2点である。
1点目は、短期的視点と長期的視点を分けて考えることである。短期的視点とは各種教育手法(オンとオフ、自己啓発支援など)の組み合わせを再考することであり、長期的視点とは、どのような人材を育成したいかを明確にすることである。
2点目は、この長期的視点(どのような人材を育成したいのか)に基づき、強化すべきスキルや新しく追加すべきスキルとその教育方法を明確にすることである。2020年度上期は感染症対策として、3密を避けるため、集合研修をオンライン研修などに切り替える企業が多いようだが、新型コロナウイルス感染症を踏まえての対応はそれで終わりではない。外部環境が大きく変化するなかで、求められるスキルや教育内容も変化する。
長期的に育成すべき人材像や強化すべきスキル、新しく追加すべきスキルは、前章で述べた(1)事業環境の変化と(2)働き方の変化の影響を受ける。筆者の考える具体的な変化と必要なスキルの例を図表3に示すが、これはあくまでも一例であり、業種や組織風土により起こりうる環境変化や求められるスキルは異なる。自社の経営戦略、人事戦略に基づき、With & Postコロナにより起こりうる変化と、変化に対応するために求められるスキルが何であるかをご検討いただきたい。なお、スキルを身に付けるための手法は、前出の(3)学習方法の多様化で述べた「オンとオフそれぞれの長所を組み合わせて、最適な方法を選択」することが重要であり、ブレンド型人材育成(※3)を取り入れることをお勧めする。
おわりに
人材育成の設計図「教育体系」を携え、変革の時代を勝ち抜こう教育体系は、企業の経営理念、経営戦略を実現に導く人材を育てるためにある。実際には人材育成部門が中心となって構築することが多いが、経営理念~経営戦略~人事戦略~教育体系の一連の整合性を担保し、実効性のある教育体系とするためには、人材育成部門の意識改革も必要と考える。
人材育成部門として、自社や他社の人材育成への関心はあるが、経営や現場への関心が薄いケースもある。また、経営方針のことはよく知っているが、営業や開発など、事業推進を担う現場の実情をあまり把握していないケースも見受けられる。教育体系構築にあたっては、経営戦略と人材育成を結び付けて考えることが重要である。そのためにも、人材育成部門の担当者には、社会や経済の動向、事業の方向性、業界動向など、経営全般に幅広く関心を持ち、情報収集できる人材であることが求められる。あわせて、自社の経営層や企画部門とのネットワーク構築、営業や開発、製造などの事業推進を担う現場との関係構築を普段から積極的に行い、社内の生の情報も教育体系に織り込んでいくことも必要である 。
最後に、教育体系構築を通じて、人材育成担当者を育成した経営者の事例を紹介したい。A氏は従業員数100人程度のサービス業の社長である。社長就任当時、社内には人材育成部門も担当者も無く、社長自らが教育体系を構築し、研修事務局の役割も担っていた。しばらくして、有能な中堅社員を抜擢し、人材育成担当に任命した。社長はその担当者を社外研修や業界団体の集まりに派遣して、業界動向を学ぶ機会を作ったり、同業他社や外部講師との人脈を広げたりする機会を作った。人材育成担当として経営戦略や専門知識、人材育成をバランス良く身に付けたその担当者は、社長に代わり、社内教育体系の構築にもかかわり、現在も社内のキーパーソンとして活躍している。またA氏は情報発信にも熱心で、自社公式ホームページに教育体系や研修風景を掲載していた。ある新入社員が「ホームページを見て、教育に力を入れている会社なので、自分も働きたいと思った」と語っていたのも筆者の印象に残っている。A氏は教育熱心であったが、自社の教育を「見える化」したことで、採用面でもプラスの効果を実現した。
変革の時代を勝ち抜くために、経営者は人材育成に一層の関心を持つこと、さらに、人材育成部門は設計図となる教育体系を構築することが望まれる。
(※1)Volatility(変動性)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性)の頭文字をとって「VUCA」と言う。
(※2)「令和元年通信動向調査結果」(総務省)『6 テレワークの導入状況等(企業)』より。
(※3)ブレンド型人材育成については、三菱UFJリサーチ&コンサルティング コンサルティングレポート 三村宗充著「テレワーク普及で実践すべきオンライン×オフラインの“ブレンド型人材育成”」を参照されたい。https://www.murc.jp/report/rc/report/consulting_report/cr_200617_2/
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