《論談時評》第6回 労働時間規制の見直しで残業代がなくなる?議論沸騰中の「労働法制改革」を読み解く
ここに来て、「労働法制改革」をめぐる議論が盛んになっています。2006年6月、厚生労働省は「労働契約法制及び労働時間法制の在り方について」(案)(http://www.mhlw.go.jp/shingi/2006/06/s0613-5.html)を発表し、労働政策審議会労働条件分科会で検討作業に入りました。この案は労使双方の反発を受け、いったん議論は中断していましたが、9月に入り厚労省は修正案(http://www.mhlw.go.jp/shingi/2006/09/s0911-3.html)を提示し、分科会審議が再開されています。今後、早ければ2007年の通常国会にも関連法案が提出される可能性があります。今、いったいなぜ労働法制改革なのか。一連の改革構想の背景、および重要な論点を整理してみました。
(text by 松田尚之=ライター)
会社と個人のトラブル増加に対応しきれない「労働基準法」
現存する日本の労働ルールに関する基本法としては、1947年に制定された労働基準法がある。これは、労働者の権利を守る労働法の中核として、賃金、労働時間、休日など、最低限の労働条件の基準を定めたものだ。しかし労働基準法には、配転・出向などの人事、就業規則や労働条件の変更、解雇など、採用から退職までの各ステージで実際に企業と労働者の間でしばしば起きるトラブルについては、とくに何の規定も定められていなかった。その背景には、同法が当時の社会状況を反映し、主として工場労働者など、第二次産業で働くブルーカラーの権利擁護を主に想定された法律であるという事情がある。
しかし現在では産業構造が大きく変化し、人びとが従事する職務の内容が複雑化、多様化する一方、労働組合の組織率が低下し、正規雇用以外の契約社員、パートなどの働き方も一般化した。こうした中、会社と個人の間で労使紛争の数が激増し、2005年度に全国の労働局が受けた労働相談は2001年度の約4倍、90万件を超えている。これらに関しては、過去の判例や労働委員会の調停事例をもとにそのつど解決がはかられているが、裁判の場にまで争いが持ち込まれるケースも急速に増えてきた。
労働契約法(案)には、まずこうした労働契約に関するルールを法律で明確化することにより、トラブル発生の防止、労使紛争発生時の解決を速やかにしようという狙いがある。
ただしこれに関しては、裁判で解雇無効が決定されても使用者側が解決金を支払えば労働契約を解消できる解雇の金銭的解決制度が盛り込まれている点などで、労働団体、学識経験者などが強く反発している。一方、日本経団連など財界側も、雇用ルールの厳格化で個別企業の人事・労務管理が規制されることに警戒感を示している。本格的な論議のスタートはまだこれからというのが現状だ。
こうしたこれまでの労働契約法(案)をめぐる動きを完結にまとめた資料としては、『週刊エコノミスト』(毎日新聞社)2006年9月19日号の特集「残業代が消える労働ルール『最終戦』」がある。また雇用契約、ワークスタイルが多様化した現代の企業社会の中での労使トラブルとその解決については、菅野和夫、安西愈、野川忍編『実践・変化する雇用社会と法』(有斐閣)が数多くの事例を紹介しつつ詳述している。さらに海外の状況などについては、荒木尚志、山川隆一、労働政策研究・研修機構編『諸外国の労働契約法制』(労働政策研究・研修機構)の他、同機構のホームページからの調査報告リンク(http://www.jil.go.jp/tokusyu/keiyaku.htm)が参考になる。
労働時間規制見直し論の背景にある「裁量労働制の広がり」
しかし、今回の労働法制改革案でより大きな注目を集めているのは、もうひとつのポイントである労働時間法制の見直し、すなわち労働時間規制の適用除外というテーマだ。
厚生労働省の案には、労働基準法で定められた労働時間(1日8時間、週40時間)や残業代に関する規定の適用を受けない社員を増やす「ホワイトカラー・エグゼンプション」制度の創設が盛り込まれている。こうした方向性について、一方では時代の実情、要請に合った「時間にとらわれない働き方」に対する法的後ろ盾をつくるものという評価がある。しかしもう一方では、事実上のサービス残業の合法化など、社会問題化している過労死にまで至る歯止めのない労働強化につながる改悪ではないかとの懸念の声も上がり、侃々諤々の様相を呈しているのだ。
法案、制度について具体的に考える前に、問題の背景となる見取り図を整理しておこう。前記したように、現在の日本では、第二次産業から第三次産業への産業構造の転換が進み、広い意味での自らのもつ情報や知識といった知的資産を主たる労働価値として提供する新しいホワイトカラー労働者が増えている。すなわち、労働の「量」が期待されるブルーカラー労働者と根本的に異なり、労働の「質」でその価値の本質を評価されるのがふさわしいワーカーが労働市場で徐々に多数を占めるようになってきたという構造変化がある。
こうした経営環境の変化に対応し、企業はその競争力を維持発展させるため、さまざまな人事・労務管理改革を行なってきた。1990年代後半から一気に進んだ成果主義型賃金制度への転換も、こうした流れの中に位置づけることができる。
そしてそれと並行するように進んだのが、従来の「9時から5時まで」型労働時間管理に代わる裁量労働制の広がりだった。裁量労働制とは、業務遂行の方法を大幅に労働者の裁量に任せ、同時に労働時間管理も一定程度まで本人の自由に任せるマネジメントのことを言う。すなわち裁量労働制とは、成果さえ上げれば9時から5時までオフィスに縛られる必要はない、好きな時間に働いてくれ、という労務管理法だ。この間多くの企業は、裁量労働制の積極的採用で徐々に経営体質を変え、経営効率を上げることを目指してきた。
経営論、マネジメント論的な視点からこうした動向を詳しく研究した著作には、佐藤厚『ホワイトカラーの世界』(日本労働研究機構)、中村圭介、石田光男編『ホワイトカラーの仕事と成果』(東洋経済新報社)がある。いずれも数多くの業種、職種で働く新ホワイトカラーへの聞き取り調査をもとに、そうした裁量労働的働き方をするワーカーが、現代企業に欠かせない重要な経営資源となりつつあることを明らかにしている。
労働時間規制見直しの目的は残業代カットと労働強化?
ただし、ここでひとつ重要な問題がある。裁量労働制のもとで働く労働者は、労働基準法で定められた労働時間規制の対象外におかれるということだ。その場合、たとえばいくら残業をしても一定の「見なし残業時間」分以上の残業代を受け取る権利がなくなるなど、実質的な賃金切り下げのもと長時間労働にさらされる危険がある。
そもそもこうした裁量労働制の広がりは、1日8時間1週間40時間の労働時間規制を定めた労働基準法の段階的規制緩和と並行して進められてきた。当初裁量労働制を採用することが認められていたのは研究開発、取材編集、デザイナーなど11の業務の従事者のみ。次第にそれが拡大解釈されて適用されてきたのだが、今回の労働時間法制見直し、すなわち「ホワイトカラー・エグゼンプション」制度創設の動きは、この枠組みを一気に広げるものだ。同制度がもし実現すると、一定の年収(日本経団連の主張では400万円)以上のホワイトカラー労働者はすべて労働時間規制から外されることになり、その社会的影響の広がりは計り知れないほど大きい。
「ホワイトカラー・エグゼンプション」制度は、表面的上多くの労働者に労働時間に関する自由度を保障し、自分に合ったワークスタイルを選択しながら成果に応じた賃金が受け取れる制度に見える。しかし、これを後押しする財界の本音はなしくずしに労働者の権利を奪い、総人件費を抑制することにあるのではないか。労働組合関係者などからは、こうした批判の声も目立っている。
こうした見方に立つレポートは、日本経団連が「ホワイトカラー・エグゼンプション」制度の素案を発表した2005年以降、各誌に目立っている。『週刊ポスト』(小学館)2005年7月22日号の特集「サラリーマンから残業代を奪え!」は、業界として裁量労働制の導入に積極的だった電機業界各社に取材し、裁量労働制の拡大はサービス残業合法化に他ならず、それを後押しする労働法制改革の動きは労働者の権利を切り捨て経営者の利益を守るものと断じている。
『日経ビジネス』(日経BP社)2005年10月24日号の特集「社員が壊れる」は、政府統計数値を引きながら、2003年から2004年にかけての企業業績の劇的回復の背景で労働者一人あたりの平均残業時間が大きく伸び、平均年収が低下している様子を客観的に詳しく解説している。この現象の陰にもまた裁量労働制の広がり、サービス残業の一般化があることは明らかだ。
ちなみに同特集では、人が減る一方で仕事が増え続ける労働条件悪化現象の一例としてマクドナルドの店長の1日が紹介されている。同店長は日本マクドナルドホールディングス社を相手取って不払い残業代の支払いを求める訴訟を起こした。争点は「マクドナルド店長は時間外労働に割増料金を払う必要のない管理監督者か」という点にあり、「ホワイトカラー・エグゼンプション」制度をめぐる論議にも大きな影響を与えるものとして注目を集めている(裁判情報サイト(http://macdnalds.exblog.jp/))。
『フォーブス』(ぎょうせい)2006年2月号の囲み記事「残業代未払いを容認!?どうなる『ホワイトカラー・エグゼンプション』」は、同制度のモデルともなった米国の事情を紹介している。米国でこの制度の対象となるのは賃金と職務の2要件でかなり限定される労働者であるのに対し、日本のそれは実質的にすべてのホワイトカラーに広げるものとし、職場環境や労働慣行が異なる日本での導入は乱暴ではないかとの見方を紹介している。
前出『週刊エコノミスト』(毎日新聞社)2006年9月19日号特集内「忙しすぎるホワイトカラー延びる労働時間、抑え込まれる賃金」は、民間シンクタンク等の調査をもとに、「仕事が忙しすぎる」「職場での仕事の負担が大きすぎる」等の不満を持つホワイトカラーの声を紹介している。さらに職場で激増する30代の「心の病」の背景に重い責任と軽い権限のアンバランスがあり、「職場の人間関係」以上に「仕事の困難度上昇」がストレスの本質的原因となっていると指摘している。
21世紀社会のグランドデザインを踏まえた議論を
今回の労働法制改革、労働時間法制見直し案に対しては、財界を代表する日本経団連、労働界を代表する連合の双方が、「必要性は認めるものの、個別テーマについてはまだ検討の余地が大きい」という見方を示している。こうした反応のあり方は、このテーマがそれだけ諸要素が絡み合った複雑な問題であることを証明している。
『世界』(岩波書店)2006年6月号の座談会「新たな労働政策が人間らしい生き方を支える」は、グローバルな市場競争社会の中で労働規制緩和が進められてきた経緯を踏まえつつ、あらためて「人間らしい生き方」という理念を中心に据えた労働政策を模索している。また日本労働法学会編集『21世紀労働法の展望』(有斐閣)は、21世紀の労働者概念の再検討という視点を打ち出し、その存在を支える法体系構築に意欲的に取り組んでいる。
これらの場で展開されている議論は、現在から未来の日本社会の中で、人が働くということの巨視的な意味づけから新時代の労働法制を考えているという点で価値を持つ。今後は、こうした社会のグランドデザイン論の視点からさらに論議が深められていくことが期待される。