《論談時評》第5回 働き方の多様化って何だ?「派遣労働の広がり」を読み解く
正社員、契約社員、派遣社員、パートやアルバイトなど、さまざまな雇用形態の人がひとつの職場で働く光景は、今やめずらしいものではありません。なかでも、この10年で爆発的に増えたのが派遣社員という働き方です。「気楽そう」「給料が安そう」などと、さまざまなイメージで語られがちですが、派遣という働き方が広まった背景と、その問題点がわかる論考に注目してみました。
(text by 松田尚之=ライター)
10年間で爆発的に増えた派遣社員、派遣業界も急成長
この10年で、日本社会の雇用環境は大きく変化した。最大の特徴は、戦後長く続いた正社員中心の雇用システムが大きく揺らぎ、雇用の流動化が一気に進んだことだ。背景には、グローバル競争が激化する中、ビジネス環境の変化に対応する企業の人事政策があった。もっとはっきり言えば、長引く不況下で、多くの企業が「聖域」として手付かずだった人件費コストの削減にとうとう踏み込んだのだ。総務省の調査によれば、1995年から2006年の間に正社員は439万人減り、非正社員は662万人増えた。これに伴い雇用者数に占める非正社員の割合は20.9%から33.2%に拡大した。
なかでもとりわけ目立つのが派遣社員の急増だ。1990年代末まで100万人前後だった派遣社員だが、2006年はじめに発表された2004年度統計では約227万人を数えるに至っている。またこれは同時に、いわゆる人材派遣ビジネスが大きく成長したことも意味している。ここ数年で、いわゆる大手6社はもちろん、派遣の原則自由化の中で隣接領域である業務請負業から新規参入を果たした企業など、フォロワーも大きく業績を伸ばした。今や派遣会社の事業所数は約2万所、派遣先は約50万件を超え、2004年度の業界年間売上高は5年前の約2倍の2兆8000億円を超える。
「派遣労働」が国民的な議論にならなかった理由
これだけの大転換、多くの人の社会経済生活に直接影響がある変化が起きたにもかかわらず、派遣労働というテーマは、終身雇用制の崩壊や成果主義の功罪などというテーマとは異なり、国民的な論議を呼ぶことがなかった。その最大の理由は、当事者である派遣社員の多くが「女性と若者に偏っていた」ことによると考えられる。世論をリードするマスコミも、男性正社員の枠外の話題に関しては反応が鈍かった。いわば派遣社員・派遣労働問題は最初から「見えない問題」「隠された問題」とされてきたのだ。
しかし、その風向きがここに来てやや変わってきた。きっかけのひとつは、2005年から2006年にかけて朝日新聞「分裂にっぽん」、毎日新聞「縦並び社会」など全国紙が"格差社会を検証する"系の連載キャンペーンを張ったことだ。同時期にはテレビ、雑誌、書籍でもこのテーマが盛んに論じられ、国会論戦でも取り上げられるようになった。その中で次第に派遣社員を含む非正規労働者の「低賃金」「不安定」雇用の現実が、なまなましい事例とともに明らかにされるようになってきたのである。
こうした報道のさきがけとなったのが、「週刊エコノミスト」(毎日新聞社)2005年3月22日号の特集「あなたは知っていますか?娘、息子の悲惨な職場」だ。この中では、まず1986年に労働者派遣法が施行されて以来、段階を追って規制緩和が行われ、今日の人材派遣原則自由化に至った経緯がまとめられる。さらにこの10年で派遣社員の平均賃金が切り下げ傾向にあること、かつてのような年間単位の契約が減り、1カ月、2カ月単位などの超短期契約を繰り返すことで、社会保険加入義務を逃れつつ状況に応じていつでもクビ切りができる契約形態が増えていることが示される。
最大の注目点、問題点は、かつて「臨時・一時的な労働」、すなわちパートやアルバイトの延長線上に位置づけられた派遣社員が、多くの職場で正社員並みの労働負担を負わされる存在になりつつあることだ。この特集をフォローした同誌2005年5月31日号には、グループ関連会社として人材派遣会社を設立し、営業職従事者をほぼ丸ごと派遣社員雇用にした製造業企業の例が紹介されている。しかしこうした経営施策は、今やけっしてめずらしくない。それどころか、工場の生産ライン、エンドユーザーに対応するコールセンター、店頭販売スタッフなど、業種職種を問わず多くの職場で今日のスタンダードになりつつある。
ろくな引継ぎもなく少人数職場のハードワークに放り込まれ、サービス残業はあたりまえ。少し続ければ昇給もないまま職場のリーダー格にさせられ、不満を口にすれば契約解除をちらつかせられる。そんな「やっている仕事は正社員となんら変わらず、待遇だけが非正規雇用者(年収にして数百万円の差、社会保険も不備)というダブルスタンダード」が多くの派遣社員が置かれている立場なのだ。同一労働同一賃金など、雇用と労働の「原則中の原則」を実現するためにも、実情に即した労働法制の整備が求められる。
なお、個別のケースに即し派遣社員がみずからの権利を守るための知識、トラブル解決法を得る情報源としては、派遣労働ネットワーク編『知らないと損する労働者派遣法』、酒井和子監修、清水直子著『知らないと損するパート&契約社員の労働法』(いずれも東洋経済新報社)がよくまとまっている。
「量の派遣」から「質の派遣」へと転換していく業界
ところで、こうした事態の進行は、一見、人件費コスト削減効果ばかりに着目して拙速に派遣労働者雇用を進めた企業の問題、あるいは日本の企業社会に人材派遣という雇用=労働関係が定着していないことから生まれる問題のように見えるかもしれない。もちろんそれはそれで当然十分に検討する必要があるテーマだ。しかしもう少していねいに現象の背景を探っていくと、本質は急膨張した人材派遣業界内部の問題、および人材派遣というビジネスモデルそのものにあることが見えてくる。
「週刊ダイヤモンド」(ダイヤモンド社)は、2004年12月11日号「人材派遣 急成長の光と影」特集以降2006年3月11日号に至るまで、こうした観点で業界に切り込む記事をしばしば掲載している。これらによると、派遣先企業から派遣会社に支払われる料金のうち、約8割が派遣労働者の賃金となり、その他必要コストを差し引いていくと、派遣会社の営業利益は2~3%がせいぜいだという。いわば人材派遣業は「いかにスピーディーに、一人でも多くの派遣労働者を客先に送り込むか」が競争力に直結する薄利多売ビジネスとして伸びてきたのだ。
しかし、現在の派遣労働市場はすでに過当競争で、受注交渉ではダンピング合戦が日常化している。一方でスキルの高い契約労働者を他社に奪われぬようつなぎとめる広告、教育コストなどもふくれあがってきた。こうした中で派遣会社間の「勝ち組」「負け組」がはっきりし、同時に業界全体として従来の基本的な収益モデルに限界が見えつつあるのだ。
買い手市場のもと、派遣会社はクライアント企業に対して非常に弱い立場にある。だからこそ派遣会社には、派遣社員の立場で能力を伸ばしつつ本人のニーズに合ったしっかり権利の守られた働き方を提供する余裕がない。ゆえにますます派遣会社の存在意義が問われ、足元を見られたビジネスを余儀なくされる。一部の派遣会社は、すでにこうした悪循環にはまりつつある。
今後派遣業界は、登録者の労働力付加価値を高め、「組織を活性化させられる」「リーダーシップを発揮できる」など、非定型的な能力を持つ人材に育てることで生き残りをはかることになるだろう。いわゆる「量の派遣」から「質の派遣」への転換である。言うまでもなくこれは、「派遣社員って、実はあまり使い勝手が良くないのでは」という、最近受け入れ企業側に高まっている不満への解答でもある。しかし、果たしてそれを成功させられる派遣会社がどれだけ育ってきているかは疑問が残る。
人材派遣業界に関する概説本、派遣契約についての実務本は数多いが、こうした構造的問題が見えてくるものはまだ少ない。中でユニークな存在なのが原田二郎『あなたの知らない人材派遣』(文芸社)だ。著者は人材派遣会社の営業担当者の立場から、業界の裏表を明かしつつ、「人材派遣会社内部の人材開発の遅れ」などについて辛口の提言を行っている。
また個別の派遣会社についての評判はインターネット上にいくつか有力なサイト等がある(例:「都合の良い派遣社員にならないために!」http://haken.but.jp/ 同サイトのリンク集なども良質)。最近では「派遣さんのたまり場SNS」http://paketama.jp/がオープンするなど、派遣労働者相互のネットワークもさまざまな形で広がってきた。
働き方が多様化した時代に合った社会システムとは
その他、書店の店頭には、「派遣先企業のマネージャーが、受け入れた派遣社員をどうマネジメントするか」および「派遣社員自身がどうスキルアップし、職場に適応しながら自分のキャリアを切り開いていくか」といった書籍があふれている。しかし、現状ではそれぞれマネジメント一般、キャリア開発一般の応用といった内容にとどまっている。今後、議論の深まりが待たれる領域だ。
むしろ注目したいのは、このような働き方が多様化した時代に合った社会システムとはどのようなものなのかという論点である。派遣社員を含む非正規雇用者の増加を、「正社員的な働き方の退潮」と見たとき何が言えるか。日本に限らず、近代国家の労働法制、社会制度の多くは、産業革命当時の工場労働者を「労働者モデル」として成り立っている。産業構造が大きく変化した現代、そもそもその前提で労働者の雇用契約、賃金などを考えるのが適当なのかについては、世界中の産業界、労働界、学界で激論がかわされている。
詳細はともかく、こうした問題意識に基づく議論のおおまかについては、ダニエル・ピンク著、池村千秋訳『フリーエージェント社会の到来』(ダイヤモンド社)が興味深い。すでに日本でも自営業者を含めた「働く人」の半分が労働法の枠外に生きている。既成概念を離れてあるべき社会のグランドデザインを描く作業も今後の大きな課題といえるだろう。