《論談時評》第4回 「できない人」を「できる人」に変えられる?「リーダーシップ」を読み解く
スポーツの世界では「名選手は名監督にあらず」、といわれますが、これビジネスの世界でも同じかも。立派な実績のある人がリーダーになれば、その下のスタッフはモチベーションが上がるというわけでもありません。「リーダーシップ」とは人が人に対して影響力を発揮することですが、では、どうすれば人は人にいい影響を与えることができるのか。「できる人」が「できない人」をうまく指導できないのは、なぜか?人材業の専門家、スポーツジャーナリスト、経営コンサルタント、企業経営者、小説家――がそれぞれ書いたベストセラー5冊を紹介しながら考えます。
(text by 朝山実=書評家)
「一方通行の指導」が多い「できる人」
こんにちは。きょうは、「リーダーシップ」について考えてみましょう。
最初に取り上げる本は、吉田典生『なぜ、「できる人」は「できない人」を育てられないのか?』(日本実業出版社)。あなたもタイトルから思い当たるケースが浮かんできたのではありませんか?
輝かしい実績の人がトップについても、いっこうに組織がよくならない。「できない人」をこきおろすのが簡単ならば、「育てられないリーダー」を批判するのも簡単です。しかし、批評するだけではすまされない立場の人に向けた、これは「考え方」を点検するための本です。
「できる人」の最大の特徴は、自分の培ってきた技能のエッセンスをスピーディーに伝えようとすることにあります。同じレベル、経験を共有する人の間では、多くを語らずともツーカーで理解しあえる。それが技能というものです。
しかし、相手のレベルが低く、その分野に予備知識がないとなると、「できる人」は何から説明したらいいものか。相手が「なぜ、わからないのか」が理解できないものです。
口に出されなくとも、「できる人」の戸惑いの態度から、逆に「できない人」は敏感に萎縮してしまいます。「どこがわからないのか」と問われても、何を質問すべきかが思いつかない。言ってみれば、それが「できない」ことの根本原因でもあります。
この本を読んでいて浮かんだのは、こんな場面です。閑古鳥のラーメン店のご主人が、繁盛店の厨房に弟子入りし、達人に怒鳴られながら見よう見まねでコツを覚える、というテレビ番組がありました。お手上げのご主人たちに共通していたのは、達人がお手本をやってみせているときにも、ただ眺めているだけ。言われるまで、メモをとろうともしない。盗む(まねる)ポイントがどこなのかが、まずわかっていない。それでも、いかにも努力していますよ、というフリだけは見事でした。
視聴者は、困っている「できない」ご主人たちを笑い、ときには同情を寄せたりしながらも成り行きを見守ることになります。登場するのは選りすぐりの「できない人」たちです。
では、ここで視点を「達人」の目線に切り替えてみましょうか。あまりのテイタラクを目の当たりにして、唖然の連続。やってられないよ、と怒りだす。おうおうにして「できる人」が指導するときに、自分でやってみせるという方法があります。「見ておぼえろ」ということです。『なぜ……』の著者・吉田氏は、これが問題だといいます。
「一方通行の指導」が「できる人」には多いと吉田氏は指摘しています。見本を見せても「できない人」は自分に欠けているものが何なのか飲み込めない。その人たちに習得してもらうと思わば、さらに一歩踏み込んで伝える努力を「できる人」がしなければいけないのです。
赤ん坊の気持ちを知ろうとしたら、上から見下ろすのではなく、いっしょになって床をハイハイしてみると思わぬ発見がある、とある小児科医が言っていました。「できない人」が、自分が教えたのとは違うことをなぜ繰り返すのか。それもこんな簡単なことを。「できる人」は頭を悩ますわけですが、人の行動にはどんな場合にも、そうするにいたる理由が存在します。「できる人」の掴んだマニュアルは、「できる人」のためのものであり、「できない人」からすると、チンプンカンプンのパソコンのマニュアルを与えられたも同然なのです。
吉田氏は「できる人」に、「できない人」とどう向き合うべきか、こんなふうにアドバイスしています。自分ができたからといって「高い目標」を押し付けない。最初から到底無理だと思うものに対して、人は頑張ろうとはなかなか思わないものです。
もう一つ大事なことは、スピード。ものごとを習得するのには速い人もいれば遅い人もいる。それぞれの人にそった調整をしてあげなければいけない。もっともだと思います。しかし、では実践するとなると忍耐がいります。なにしろ基本は、自分とはまったく異なる他者、まるで異星人の心の中を想像しなさいということなのですから。
「過去の成功体験」に胡座をかいて失敗する
取り上げる2冊目の本は、二宮清純『勝者の組織改革』(PHP新書)です。ここで「不作為の病」について何度も論じておられます。
「できる人」が失敗するケースに共通してみられるのは「過去の成功体験」に胡坐をかき、自らの判断を鈍らせることです。とくにスポーツの世界は日進月歩、たえず新しいチャレンジをしていかねばならない世界です。
<自分が落ち目になってからやり方を変えるのではない。まだ調子がよくて、周りから見れば「そのままでいいんじゃないの?」と思えるときに、あえて「次」の手を打つ>
二宮氏は大事なことはこれだと説いておられます。今日の自分に満足してはならない。言うは易し、しかし実行するとなると簡単ではありません。とくに成功し、実績をあげたほど障害となることは多いものです。
その例としてプロ野球やバレーボールなどが挙げられています。意外だったのは、いちばん腰が重たいと思われる「大相撲」が、かつては「改革」に機敏だったという紹介です。
土俵の広さを大きくしたり小さくしたり「おもしろく見せる」ための工夫。天井から吊り下げられている屋根、判定にビデオを導入するのもいち早く決断した。そんな改革者が、ブーム凋落のいま「伝統」を強調するばかりで、何一つ改革に着手しようする意思がうかがえない。「前例がない」と何もしないでいる現体制の弁明について著者は、<不作為の言い訳>と断じています。
もうひとつ紹介しましょう。「決定力不足」と言われ続けているサッカーについて。元日本代表ハンス・オフト監督から、ミスを恐れてシュートしようとしない選手について、「なぜ日本人は決断して行動するのが苦手なのか」と問われた二宮氏は後日、「日本の試験制度に原因があるのではないか」と推論を話したといいます。
日本の試験には「引っかけ問題」が多い。ミスをしない、慎重型の人間が重んじられるのが日本の特徴。業績の評価も多くが「減点主義」ともなれば、大事な局面で「臆病」になるのもいたしかたない。指導者選びよりも、日本社会のあり方が問題なのだとすると、「結果」を最短で求められる側は大変です。
危機感のない社員に怒声を浴びせたリーダー
三枝匡『V字回復の経営』(日経ビジネス人文庫)は、累積赤字が膨らんで低迷する企業の再建を小説風に描いたビジネス書。経営コンサルタントである著者が、関わった5社での経験をもとに書き下ろしたというものです。
「不作為」ということでは、重症の現場が舞台。社員に当事者意識は薄く、危機感のかけらもない。調べてみると累積赤字は膨大、社内の連携もちぐはぐ。そんな事業部を、外から乗り込んできた主人公のリーダー(事業部長)が、タイムリミットを「2年」と区切り、経営回復させていくというスジ立てです。
問題点を洗い出し、明示する。主人公のリーダーと社員たちとの問答は、NHKの企業ドキュメンタリーを見るようで、熱い盛り上がりも仕込んであります。
「まだ大丈夫」と安穏としている社員たちに、「このままでは終わりだ」と訴えてまわる主人公の孤軍奮闘。やがて改革に同調する若手が集まり、社内の空気は逆転する。いかにして猿やキジを集めたのか、桃太郎にリーダーシップの極意を請うような内容です。
たとえば、こんな場面が描かれています。何カ月もかけてつくりあげた改革プランの説明会で、ある幹部社員が堂々と遅刻して現れた。あからさまに反発的な態度。しかし諌める者は誰ひとりない。
そこで温厚だった主人公が怒声を浴びせるのです。まさにキレまくる。これを境に、社内の流れは一転。「リーダーシップ」を発揮するとは、こういうことだという見本ですね。
『「プロ経営者」の条件』(徳間書店)の著者・折口雅博氏は、1990年代に「ジュリアナ東京」、六本木の巨大デイスコ「ヴェルファーレ」を仕掛け、現在は人材派遣の総合会社「グッドウィル」グループの代表取締役会長件兼CEOという人物。この本は、ひらたく言えば成功したリーダーの自伝です。
陸上自衛隊少年工科学校を卒業し、防衛大学から日商岩井(現・双日)に入社。変わり者の経歴の陰には、大金持ちの坊ちゃん暮らしから、父親の会社の倒産で貧乏のどん底を味わったというハングリー伝。それはさておき折口氏が異色なのは、人材派遣とともに介護サービス事業に乗り出したことです。
「介護」と聞いて、浮かぶのは「福祉」一本で国会議員を続けた西川きよしさん。なんとも腰のひくい笑顔です。しかしこの本は毛色がちょっとちがいます。介護をビジネスチャンスとして考えた理由について、折口氏はクールに語りきるのです。提供するのは「まごころ」ではなく、支払っていただく金銭に見合う「サービス」である。
「仕事」として割り切らないことには、続かない。それが「介護」の現実でしょう。折口氏は、なぜ介護を選んだのか。自分の会社が倒産してから衰え、介護を必要とした折口氏の父親との体験を綴っています。
家族が介護すべきだという根強い考え方に対して、一昔前は医療がいまほどではなく、3カ月の「看護」で老人は亡くなった。いまの「介護」は何年にも及ぶ。それでは、家族が先にまいってしまう。「仕事」としての介護の必要性については、もっともだと思います。
リーダーとしての折口氏のユニークなところをもう一つあげると、「完璧を目指さない」という考え方です。派遣事業を始めるにあたり、支店長教育をわずか1カ月で終わらせたといいます。
<完璧を目指すのはとてもいいことでもあるのですが、9割まで固めていくのと、7割の出来で次に進むのとでは、時間が3倍違ってきます>
完璧にしてから次に進もうとすると慎重型が標準でしょう。しかしこれでは時間がかかる。7割ではもちろん不安がつきまとうけれども、やっていくうちに7割は9割にまで成長する。仕事が完全にできるからポストにつけるのではなく、仕事を任せることで人はポストに見合う人材に伸びるものだという。この考え方が、ベンチャービジネスとしての急成長の基盤になっているのでしょう。そこから、「できない人」を「できる人」に変えていくための発想転換が見出せるかもしれません。
頼るべきリーダー不在で集団はどうなる?
最後の1冊は、『シネマ・シネマ・シネマ』(光文社)。作家・梁石日さんの実話風長編小説です。失敗の連続のおもしろいお話としてお読みいただけたら。
見せ場は、梁さんらしき主人公が、映画に主演する話を安請け合いしてから。「在日」女性作家の家族を描いた作品を、新進気鋭の韓国人監督が映画にするという。そのキーパーソンとなる父親役に抜擢されるのです。初めての体験に胸を高鳴らせ、現場に足を踏み入れたところが……。
スタッフの大半は韓国人とあって、日本の地方都市を舞台にしたロケでは、民家の貸し借りなど初歩的な段取りからしてトラブル続出。さらに毎日三食の韓国料理をめぐっても不満は募る。監督は新進気鋭でも、プロデューサーを筆頭にスタッフの大半が半ば素人。まるで「007」映画に登場するニッポンの食卓を準備する監督に、間違いを指摘すると、「大丈夫、大丈夫、ケンチャナヨ(なんとかなる)」ですませてしまう。撮影に必要なタバコを買いに走らせた助監督は行ったきり帰ってこず、現場は延々と「タバコ待ち」。学生の自主制作映画を思わせるドタバタぶりは、誰の目にもこれで本当に映画はできあがるのかと不安にさせる。ミスのほとんどが熟練スタッフならばしないものばかり。新人社員を助っ人に付けられたために、余計に仕事が大変になるという経験を思い浮かべるところでしょう。
悲劇を通り越し、もはや喜劇。これで映画はお流れか?
一見何を考えているのか掴めない集団ながら、共通していたのは一点。「いい映画を完成させたい」。低予算の劣悪な条件ならばこその、きっとこけが世に出れば評価されるのは間違いないという「野心」がツッパリ棒になっています。頼るべきリーダー不在の混乱した集団の「自生」物語としては爆笑の反面教材です。