正岡 幸伸さん~定着のために「和式人材経営」へ変革せよ
労働政策研究・研修機構、社会経済生産性本部、日本経済新聞社……。成果主義の人事制度を導入する企業が相次ぐ中で、その実際の「効果」について調査を実施する機関もまた相次いでいます。各機関の調査結果が毎週のように新聞に掲載されていますが、それらを読み比べて気づくのは、企業側に訊いた結果と従業員側に訊いた結果の間にギャップがある、ということです。「成果主義に対する企業の満足度が高まっている」といった結果がある一方で、「企業の従業員の多くが『成果主義は役立っていない』と感じている」というような結果もあるからです。
このギャップの原因として、「運用」面での不備を指摘する機関は数多くありますが、野村総合研究所で同様の成果主義の調査を企画・統括した正岡幸伸さんはその原因を具体的に分析、「企業の『人の絆』に問題があるからだ」と指摘します。
(取材・構成=笠井有紀子、写真=菊地健)
- 正岡幸伸さん
- 野村総合研究所 上級コンサルタント
まさおか・ゆきのぶ/1962年愛媛県生まれ。86年一橋大学商学部卒業後、野村総合研究所(NRI)に入社。公認会計士2次試験合格の知見を生かし、入社後は財務・管理会計や投資意思決定計画のプロジェクトに多数参画。その後、数値の裏にある組織や人のエネルギーに魅せられて、組織・人事領域に傾注。91年から米国現地法人NRIアメリカに勤務。ニューヨーク大学の国際人材マネジメント・コースを履修。現在は経営コンサルティング部で、人材マネジメント改革に取り組む。主な著書に『実践バランス・スコアカード』(共著:日本経済新聞社)『野村総合研究所戦略実践ノート』(共著:ダイヤモンド社)など。
成果主義がうまく進まない原因は何か?
アンケートで浮かび上がった人事部と社員の認識のギャップ
野村総合研究所では昨年11月、成果主義型の人事制度改革に関する大規模なアンケートを実施しましたね。
ここ数年、多くの企業で「成果主義」を導入した人事制度改革が行われています。それが企業と社員にどのように評価されているのかを把握したくて、国内の主要上場企業1,000社の人事担当者を対象にアンケート(「人事制度改革のプロセス等に関する実態調査」)を実施しました。また、それと同時期に、過去2~5年の間に人事制度改革を行った上場企業に勤務する社員1000名を対象にアンケート(「会社の人事制度に関するアンケート」)も実施しました。
アンケート結果から、どのようなことが見えてきますか。
ひとことで言えば、人事部と社員の間で、成果主義の人事制度改革に対する認識に大きなギャップがある、ということです。たとえば、成果主義の人事制度改革の達成状況に関して人事部は66.4%が「満足」と答えているのに対して、社員は40.6%と、人事部よりも25ポイント以上も低い回答でした。成果主義の目的については、人事部も社員も「成果に応じた適正な報酬配分を行うため」「やる気のある社員のモラルアップを図るため」「会社業績向上のため」という項目への回答率が高く、両者の見方はほぼ一致していますが、「人件費管理を容易にするため」「リストラのため」といった項目への回答率は人事部よりも社員のほうが上回っているんですね。人事部に比べると社員は成果主義に対して冷めた見方をしていると言うことができますね。
人事部と社員のギャップは他の項目でもありますか。
成果主義の人事制度改革のどの部分を評価しているか、という設問でもギャップがありました。人事部が「成果・貢献と処遇が整合した」「評価への納得感が向上した」「上司・部下とのコミュニケーションが円滑になった」「人材育成の意識が高まった」などを評価項目として多く挙げているのに対して、社員のほうは「チャレンジングで、前向きな組織になった」「自主的・自立的人材が育った」という項目に着目している。成果主義による効果の捉え方に差がありますね。
コミュニケーションの「運用」が見落とされている
成果主義の人事制度改革をめぐり、人事部と社員の間にそのようなギャップが生じている。やはり成果主義はうまくいかないのではと思えてきます。
「成果」の定義によりますが、継続的に成果志向であることは、どの企業にとっても当然のことだと思います。ただ、成果主義型の人事制度を導入した企業の社員の方々から聞こえてくる不満の声として、「人事部は成果主義をカタチだけ入れて、その運用がさっぱりできていない。だからうまくいかないんだ」などとよく言われるでしょう。でも成果主義の「運用」とは、何でしょうか。今回のアンケートに回答をくださった企業でも、成果主義を運用する側の人事部の人たちはさまざまな思いを込めて、真剣に取り組んでいるはずです。ところが、その人事部の思いが社員たちには十分に伝わらずに、ギャップとなって結果に現れている。「運用」と言われている、その部分に成果主義がうまくいかない原因が隠されているのではないでしょうか。
「運用」について、「人事制度を設計する人と運用する人」などという言い方もよくしますね。
ええ。ただ、成果主義がうまくいかない原因となっている「運用」というのは、「使う」意味での「運用」だけではないのでは、と思います。人事評価や、それに伴う格差処遇の実施などを指す「運用」だけのことではない。成果主義がうまくいかない原因を隠している「運用」というのは、上司と部下の間の必要なコミュニケーションや仕事上のやりとりなど、それらに関するさまざまな「運用」のほうではないか。私はそう思うんです。年功序列型の人事制度から成果主義の人事制度へシステムが変われば、おのずと上司と部下の間のコミュニケーションのやり方も変わってくるのに、お互い新しい制度にまだ慣れていないものだから、「運用」がうまくいかないんじゃないか、と。そこで、「運用」と言われているものの正体を知りたくなったわけです。
人事部と社員の間にギャップがあるのも、やっぱり十分なコミュニケーションがないということが原因ですか。
そう思います。実際、成果主義がうまく進んでいない企業では、人事部が一生懸命に取り組んでいるのに、それを社員にきちんと伝えるコミュニケーションが十分でない、というケースが多い。成果主義に慣れていない中間管理職が部下とのコミュニケーションの取り方や仕事の進め方に今も戸惑っている、というケースも少なくありません。反対に、成果主義がうまく進んでいる企業では、人事部が各部門と連携して頻繁に足を運び、管理職は部下との日頃からのコミュニケーションをしっかり行っている。従来の人事制度から成果主義の制度に変わるのに合わせて、そういった関係の再構築を図っているんです。例を挙げれば、新人事制度の詳細を社内のサイト上へ情報公開したり、管理職に評価者研修をしたりするだけではなく、労働組合を制度の設計過程から巻き込んだり、導入後の現場マネジメントに役立つように調整を支援したり。そうした取り組みの実施率が高い企業ほど、成果主義の人事改革の達成状況に「満足」と答える社員が多いということも、先のアンケートの結果からわかっています。
成果主義で職場の人間関係はどうなるか?
目標数字の背景にある経営トップの意図を社員へ伝える
成果主義がうまく進んでいる企業は、具体的にどういうコミュニケーションをしているのでしょうか。
ある専門商社のケースですが、そこは急成長する中で社員数がどんどん増えていって、それまではお互い顔の見える距離にあった社長と社員との関係がだんだんと疎遠になっていったんですね。そんな状態で目標管理を行ったりしたら、数字だけを追うようになりがちです。しかしこの企業では、目標は目標として数字を示しながら、その数字の背景にある社長の思いを社員一人ひとりにまで伝えるようにしたんです。
社長のどんな思いを伝えたのでしょう。
社長は今期目標の数字を掲げると同時に、顧客に対して自分たちはどういう企業になりたいのか、そのために会社の成長基盤をどう支えていくかということと、目標数字との関連性をどう捉えているのか――といったことを、目標連鎖図、今流に言えばバランス・スコアカードの様式を使って、具体的に各事業部長に伝えたんです。それを受けた事業部長は、社長の考え方に対する自分なりの考えも添えて、今度は各部の部長に伝える。それを受けた各部の部長は――とリレー方式で一人ひとりの社員にまで伝えていったわけです。
そうやって社長や事業部長のメッセージを全社員が共有した。
そう。ただ単に目標数字を掲げるだけでは、お互いの距離が物理的に近い経営トップと経営幹部の間ならまだしも、経営層とあまり顔を合わせることのない一般社員は、「上が数字だけでものを言っている」と、受け取るかもしれません。ある会社では、「自分が会社の歯車になっているかどうかすらもわからない」という社員の声までありました。そうすると、この専門商社の成果主義がうまくいっているのは、うなずけます。半期に1度の年行事的に上司と部下が顔を突き合わせて形式的に目標を合わせる目標管理制度よりも、この会社のように、社長から社員まで全員が、目標に込められている戦略メッセージをしっかりと共有し合うことのほうが大事ではないでしょうか。
「人の絆」を手厚くケアする取り組みが欠かせない
成果主義の人事制度をうまく進めていくためには、社内の関係づくりが重要だということですか。
そういうことですね。社内の「人の絆」に関する部分を手厚くケアする取り組みが欠かせないと思います。これも先のアンケートで明らかになったことですが、成果主義型の人事制度は社員の主体性や危機意識を高めることには効果が認められるものの、職場やチームのあり方への満足感、自分自身の仕事への満足感には必ずしもつながってはいない。実際、成果主義が導入されてから、職場の人間関係に問題が起きたというケースも少なくありません。
日本企業は組織の強さや親密さに定評があったはずですが。
成果主義によって個人の意識は目覚めたけれど、半面、従来の強みと言われていた組織や集団の力が忘れられている――そう言えるかもしれません。集団、とくに人と人との関係の部分がおざなりにされているように思いますね。
成果主義が目指す組織・人材像を実現する経営とは?
「自分の会社の存在意義は何か」を共有する
社員個人の主体性を生かしながら組織の力も高めていく。そういうことができないでしょうか。
組織力の良さや強さを生かしつつ、成果主義が目指した組織・人材像を実現するためには、経営の質的な変革が必要でしょう。成果主義で自立化が求められる個々人を生かす。同時に、職場やチームの力も継続的に高めていく――そんな「和式人材経営」へと変革していくことです。和魂洋才、もともと日本は西洋の文化を「和」の魂と融合させながら近代化を進めてきました。成果主義も、ただカタチだけ入れるのではなく、そこに日本企業、いや「当社ならでは」の強みを与えることが大事だと思います。
従来の日本型経営に戻るべきだということですか。
いえ、そういう意味ではありません。激しい環境変化に適応して成果を発揮し続けていくために、集団力の強みを生かした日本企業にふさわしい、個人と集団の調和がとれた人材経営を行っていこうというものです。「和式人材経営」の「和」は日本の集団力を生かした経営の復権の思いも込めていますが、それ以上に「個人を生かす集団=和に求められる経営方式」というのが大元の意図です。
どうすれば「和式人材経営」を実践できますか。
日本企業に限らず、分析ソフトのSASインスティチュートやゴアテックスのW.L.ゴア・アンド・アソシエーツ、電力大手のAESなど、米国にも日本企業以上に日本企業らしい企業がたくさんあります。それらのエキスを抽出したところ、6つの要件があると思っています。一つは、自分の企業は社会の中でどういう存在意義があるのか、その使命は何で、どういう価値観を持って活動しているのか、といったことを社員に浸透させることです。そういう企業の「大義」を理解していると、社員は不測の事態に遭っても上司の指示を仰ぐことなく自分で判断し行動できる。その「大義」に照らして判断し行動していけばいいですからね。そのような「大義の実践」は企業全体のベクトルを統一するためにも大切です。
でも、社員がその「大義」に寄りかかってしまい、何をやっても「これは会社の大義だから」などと無責任になっては困りますね。
社員がそうならないためにも、2つ目の要件として「所有者意識づけ」が大事です。企業は、社員が全体の目標や課題に関しておのずと「所有者意識」を持つように導かなくてはいけません。「所有者意識づけ」ができている企業では、小さな自律集団が主役となり、顧客や市場と直接向き合っていたり、本社が自律集団に大幅な権限委譲を行っていたり、集団の中における各人が主体的に活動している特徴がありますね。
6つの要件で社員の「心のPDS」を回していく
その他、「和式人材経営」の要件は何でしょう。
要件の3つ目は「見える化」。これは、トヨタ自動車で使われている用語の一つだと聞きます。問題点が常に「見える」ようにしておく工夫を意味します。誰もが見て問題だとわかれば、それに対してぶれることなく改善策を施せる。それに、ありたい姿と自分の現状のギャップを「見える化」することで、社員はおのずと変革への情熱をかき立てられます。また4つ目は「安心ある挑戦」です。企業は成果を高めていくために、社員に対して、変化を恐れず挑戦していく姿勢を求める。しかし、挑戦には失敗がつきもの。社員は失敗をいちいち責任追及されると、情熱や所有者意識が萎えてしまうでしょう。でも、安心しすぎると挑戦する気が逆に失せる。この矛盾の微妙なバランスをとることは難しいですが、企業は、社員が「安心ある挑戦」をできる土壌をつくらなければなりません。5つ目は「認め合い」ということ。社員の力量を認めたり、大義に根ざして賞賛・叱責したりと、絶えず役員も含む社員同士がフィードバックをしていくことです。そして将来に向けて、個々人の成長を通じた企業の成長へとダイナミックに進めるための「成長機会の提供」が6つ目です。
6つの要件はすべて、企業と社員、集団と個人の関係性に着目していますね。
6つの要件を備えることによって集団における人々の「心のPDS」を回すのです。一般に、PDSと言えば、P(Plan:計画)、D(Do:実行)、S(See:評価)の経営管理サイクルのことですが、ここで言う「心のPDS」とは、社員のP(Passion:情熱)、D(Desire:欲求)、S(Share:共有)のプロセスを意味します。若干こじつけですが(笑)、「大義の実践」と「見える化」で組織における個々人のPassionに火をつけ、彼らのDesireを具体的な行動として自ら実践できるようにするため「安心ある挑戦」の基盤を備えるとともに「所有者意識づけ」し、その成功・失敗について「認め合い」、さらなる高みへと「成長機会」をShareすることで、次のPassionにつながっていく。このサイクルを回すのです。「和式人材経営」が実践されている企業では、意識する・しないを問わず、6つの要件が組織集団内に組み込まれて機能し、おのずと社員の「心のPDS」がうまく回っているものです。