「EAP」はメンタルヘルスの決め手となるか?
「改正労働安全衛生法」で企業に対策を義務付け
社員の「心の病」から家庭問題まで援助するプログラム
成果主義の導入や働き方の多様化が急速に進む一方、労働者のストレスなどによる健康障害も急増しています。そうした中、今通常国会に「改正労働安全衛生法」が提出され、企業にメンタルヘルス(心の健康)対策の充実が求められるようになりました。労働者のメンタルヘルスの悪化は企業の業績にも大きく影響します。しかし心の病気だけに個人差が大きく、労働者によって対応も違ってくることなどから、「どう対策を進めればよいのかわからない」という戸惑いも企業側にはあるようです。そこで、メンタルヘルスに関する改正法のポイントを紹介するとともに、企業にメンタルヘルスサービスを提供しているEAPカウンセラーなどに話を聞きました。
(取材・構成=編集部)
義務付けられた医師による面接指導
企業間競争の激化、成果主義的な賃金・処遇制度の導入など、人事労務管理の個別化が進む中で、仕事に対して強い不安やストレスを感じている労働者は年々増加の一途をたどり、全国約1万6000人の労働者を対象とした調査によると、実に61.5%に達しています(2002年、厚生労働省の労働者健康状況調査)。また、精神障害等に関係する労災認定件数も、1999年度には14件(うち自殺11件)だったのが、2003年度は108件(同40件)と約7.7倍にまで急増しました。
一方、最近の民事訴訟の判例では、「企業が労働者の健康状態を把握していながら、業務軽減措置を怠ったことにより、労働者に精神障害等が生じた場合、安全配慮義務違反になる」(厚生労働省労働基準局労働衛生課)ため、労働者のメンタルヘルス管理は企業の責任という考えが定着してきました。リスク・マネジメントの観点からも、企業にとってメンタルヘルス対策は看過できない問題となっているのです。
これまで企業のメンタルヘルス対策については、強制力のない指針によって国の対策が示されていただけでした。しかし、今回の改正労働安全衛生法(2006年4月1日施行)により、一定時間(月100時間)を超える時間外労働を行った労働者について、企業は医師による面接指導(問診やその他の方法で心身の状況を把握し、面接で必要な指導を行うこと)を行い、必要と認められる場合には就業場所の変更、労働時間の短縮、休暇の付与、深夜業の回数の減少など、適切な措置を講じなければならないことが義務付けられました。
ただ実際には労働者が企業指定の医師に相談しにくいケースもあると思われます。このため、労働者が外部の医師の診断を受けて結果を提出した場合でも、企業は同様の措置を講じなければならないとされました。改正法では、違反した場合の罰則規定はとくに設けていません。しかし「過重労働が原因で精神疾患を患った従業員が、企業を相手に損害賠償請求訴訟などを起こした場合、改正法によって企業の不作為が問われるケースが想定される」(労働基準局勤労者生活部企画課)ため、これまで以上に重い司法判断が下ると予測されています。
30代の働き盛りや真面目な男性が危ない
このように企業のメンタルヘルス対策に関する法整備が進められる中で、最近、認知度が高まりつつあるのが「EAP」です。EAPとは、主にアメリカなどで普及している従業員援助プログラム(Employee Assistance Programs)の略称。簡単に言えば、医師や臨床心理士、産業カンウセラーなどの専門家が、契約企業のメンタルヘルス、カウンセリング、心の病による休職者の復職支援など、従業員の業務パフォーマンス向上のために行うさまざまな支援活動のことです。
「月に150時間も残業をしているような人は、ストレスがたまったり、心身不調に陥ってうつ状態になりやすい。身近な人を亡くすといった身辺の出来事が、発症のきっかけになる場合もあります。とくに30代の働き盛りの男性や、性格が真面目で白黒をハッキリさせたがる完璧主義の人は、うつになりやすい傾向があります」
こう指摘するのは、医療業務関係者で組織しているEAP専門会社「ジャパンEAPシステムズ」(東京)のカウンセラー、涌井美和子さん(臨床心理士、社会保険労務士)。カウンセリングの件数が多いときで1日に8~10件、少ない場合でも3~4件という涌井さんは、よくあるパターンとして次のような事例を紹介してくれました(ただし匿名性に配慮していくつかのケースを合成しているとのことです)。
半導体メーカーに勤めるAさん(35歳・男性)は、専門性が要求される技術職で複数の資格を取得、職務経験を積みながら仕事に励んできました。そんな中で会社から大きなプロジェクトを任されます。本人も「スキルを認められる絶好のチャンス」と仕事に没頭、1カ月の残業時間が月150時間を超えました。ところが2カ月を過ぎた頃から、だんだん熟睡できなくなり、がんばろうと思っても頭が働かず、ついには業務に支障が出て、「自分は役立たずではないか」と思い込むようになります。がんばろうと思えば思うほど、焦りやイライラが募る悪循環。EAPに相談したところ、カウンセラーから「うつ病の疑いがあるから無理してはいけない」と助言されました。
EAP利用で人事担当者の負担が軽減できる
「このように責任感の強い人が、長時間労働や重いプレッシャーに押し潰され、気がついたときにはうつ病になっていたというケースが少なくありません。職場の上司が早く『異変』に気づいて適切な対応をとることが大切なのですが、昨今の職場は上司が部下の話にじっくり耳を傾ける余裕のないところが多い。企業間や職場間の競争が激化し、上司も毎日の仕事に追われているからです。専門家であるEAPに任せることで、質の高いメンタルヘルス対策が可能になり、上司や人事担当者も通常業務により専念できると思います」(涌井さん)
涌井さんの会社のサービスの利用者は契約企業の従業員と家族など(契約内容によって異なる)。従業員数100人以上の企業がほとんどです。以前は福利厚生面での利用が多かったそうですが、最近では「企業のリスク・マネジメントの観点からの利用が増えている」と言います。契約企業数もこの2年間でかなり増えたそうです。
カウンセリングの方法はメール、電話、面接の3つ。このうちメールによる相談が増える傾向にあると言います。「メールのいい点は、書くことで自分を振り返ることができるところです」(涌井さん)。電話では短くて5分~10分、長い場合は1時間ほど話すそうですが、メールや電話によるカウンセリングでは情報量が限られてしまうため「ご本人が希望すれば面接の方もお勧めしています」と言い、面接時間は初回が1時間半、2回目からは50分から1時間が標準とのことです。ただし、企業によって契約内容が異なり、面接費用は本人負担というところもありますが、相談時のプライバシーは原則的に守られ、会社に知らされることはありません。
「最近の傾向としては、職場での嫌がらせ(ハラスメント)が原因でストレスを感じ、心の病に陥るケースも目立ちます。たとえば、実現不可能なノルマを要求するなど、業務指導の範囲を超えて執拗に相手を追い詰めて、言葉や態度で侮辱するなどの苦痛を与える。いわゆるパワー・ハラスメントですが、これは上司から部下に対して行われることが多く、加害者(=上司)のそばにいるだけで心臓がドキドキしたり、冷や汗が出たりします。大事なことは『我慢して当然』などと無理しないこと。ストレスを感じたらカウンセラーに相談するなど、早めに解消し無理をしないことです」(涌井さん)
EAPカウンセリングの「出張型サービス」も
現在のEAPはうつ病などの疾病対策だけでなく、その予防やカウンセリング、家族や夫婦、子供の教育などのプライベートな問題から将来的なキャリア開発まで幅広くカバーするようになっています。これもEAPの利用が増えてきた大きな理由の一つと言えそうですが、6年前から活動している業界大手でISO9001(品質)取得の「ヒューマン・フロンティア」(東京)の佐久間万夫社長は「当社のクライアントの場合、医療の必要がないノンメディカル系の相談が7割強を占め、メディカル系は3割以下」と言います。
「相談は職場や家庭生活、自分自身の悩みが中心で、家庭で多いのは(1)配偶者(2)子供(3)親の問題です。相談に乗るのは契約会社の従業員が8割、その家族が2割。まず相手の辛い気持を聞いてあげて、たとえば問題解決の方向性が精神科医など専門家のアドバイスによって達成されるのなら、その人を当社と提携している専門家につなぎます。医療系のEAPは1990年代からありましたが、我々のようなビジネス系のEAPは2000年頃から増えてきましたね」(佐久間さん)
佐久間さんの会社のサービスは有資格の企業経験者による面談重視がモットー。東京・地方を問わず、常に相手が希望する場所に出向いて直接話を聞く「現場主義」を貫き、電話やメールはあくまで補助的な手段と位置付けています。「全国どこにでも出張します」(佐久間さん)。また、契約企業の従業員に対しては、EAPサービスの利用方法をイントラネットや文書で告知、従業員の自宅に郵送するなど、広報活動にも力を入れています。カンウセラーは現在、35人いるとのこと。
「あるとき社内報を読んだという契約企業の社員の奥さんが静岡県の沼津からフリーダイヤルで電話をかけてきました。『相談に乗ってもらいたいけれど、身体の状態が悪くて、近くに買い物に行くのがやっとなんです。とても東京までは行けません』と言う。そこで、当社のカウンセラーが沼津の自宅まで訪ねて面談したところ、うつ病の疑いがあることがわかり、医者を紹介するなど、早急に必要な措置を取りました。そんなふうに積極的に出向くことで問題を迅速に解決できるケースが多い。でも『全国出張サービス』をやっているのはおそらく当社だけでしょう」(佐久間さん)
クリントン前大統領も利用したNLPのメソッド
メンタルヘルス対策としてEAPを導入する企業がこれから増えていくのは必至と見られています。ただ、歴史が浅いEAP業界には未成熟な部分もあり、玉石混淆の感があるのは否めません。一番の課題はカウンセラーの質の問題と言われています。「最先端のカウンセラー養成プログラムを持っていなければ、レベルの高いカウンセラーが育たない」(EAP業界関係者)からです。
EAPの先進国であるアメリカでは、短期療法(ブリーフセラピー)と言われる、従来のカウンセリングよりも少ない面接回数で好ましい変化が起きる手法が広がっています。その中でも注目されているメソッドの一つがNLP(神経言語プログラミング)と呼ばれるものです。
「NLPは1970年代に開発されたプログラムで、催眠療法や家族療法などがベースになっています。アメリカでは数万人がトレーニングを受け、心理療法、医療、教育、ビジネスなどさまざまな分野に利用が拡大しています。クリントン前大統領が演説の達人だったのは、NLPの本格的な訓練を受けたからだと言われています」と、コンサルティング会社「知足庵」(京都)の田村俊之さんは言います。
「たとえば従来のカウンセリングでは何十回という面接回数が必要とされた恐怖症の場合、NLPなら30分から1時間程度で改善するなど、際立った効果を見せています。しかも、後戻りしにくいのが特徴です。NLPがアメリカで広がったのは、カウンセリングの生産性が高いからです」(田村さん)
田村さんによれば、NLPは(1)相手の無意識にアプローチするため、意識レベルに負担をかけずに正常な状態になる(2)未来の障害や目標に対して効果的なアプローチができ、強力なモチベーションにつながる(3)後戻りしにくい、といった特徴があり、(4)短期間で効果を上げやすい(5)応用範囲が非常に広い、という成果につながると言います。
ともあれ改正労働安全衛生法の施行が約1年後に迫り、企業のメンタルヘルス対策への取り組みは待ったなしの状況です。人事担当者は違法性が問われないように十分に配慮することが求められます。そのためにはメンタルヘルスに対する社内の理解を促すとともに、社内規定などを設けて会社の方針や支援体制を明確にすることが必要になります。またEAP会社を選ぶ際には「管理体制が整っているか」「プライバシーは守られる仕組みになっているか」「さまざまなケースに対応できるネットワーク(紹介先)を持っているか」「スピーディなブッキングができるか」などを事前にチェックすべきでしょう。