「現場の理解」と「経営との一体化」が未来を拓く
前例にとらわれず新たな価値を創る、真のCHROの使命とは
いすゞ自動車株式会社 常務執行役員EVP CHRO
有沢 正人さん

「人的資本経営」の重要性が説かれる一方で、人事の現場には依然として「管理」の意識が根強く残っています。激変する市場環境において、人事はどうすれば経営をけん引する存在へと脱皮できるのでしょうか。数々のグローバル企業で人事変革の最前線に立ち続けてきた、いすゞ自動車の有沢正人さんは、「人事担当役員」と「CHRO」の間には、埋めがたい決定的な差があると指摘します。銀行を振り出しに、外資・内資の枠を超えて人事の要職を歴任してきた有沢さん。その歩みは、常に組織の古い常識を塗り替える挑戦の連続でした。有沢さんはいかにして「修羅場」を乗り越え、組織を動かしてきたのか。現場主義を貫くその哲学と、CHROという仕事の本質に迫ります。

- 有沢 正人さん
- いすゞ自動車株式会社 常務執行役員EVP CHRO
ありさわ・まさと/1984年に協和銀行(現りそな銀行)に入行。銀行派遣により米国でMBAを取得後、主に人事、経営企画に携わる。その後、HOYAやAIUで職務等級制度やグローバル人事制度構築の多くを主導。2012年よりカゴメで全世界共通の人事制度を整備。2025年4月よりいすゞ自動車のCHROに就任し、人的資本経営に基づく人事戦略の実行をけん引している。
CHROの役割は新しいものをゼロから作り出すこと
有沢さんは「CHRO」の役割をどのように定義されていますか。従来の「人事担当役員」との違いも含めてお聞かせください。
人事担当役員とCHROの間には、大きな違いがあると考えています。一言で述べれば、人事担当役員の本質は「オペレーション(operation)」であり、CHROの本質は経営戦略上の効果、すなわち「エフェクティブ(effective)」であることです。
一般的に、人事担当役員は社員を「コスト(cost)」として捉える傾向が強くあります。会計的な視点に基づき人員数で社員を見るので、いかに効率化するかという「エフィエンシー(efficiency)」を追求します。そのため、人員を減らして生産効率を上げるといった、マイナスの管理に意識が向きがちです。
一方、CHROが目指すべきは「投資対効果」です。社員は一人ひとり違うという前提に立ち、そのマーケットバリューをどうやって上げるのかを考えます。人を単なる数字として捉えるのではなく、一人ひとりの違いを認識し、その価値を最大化させる。「減らす」のではなく「増やす」という、人事担当役員とは根本的に異なる発想が求められます。
また私は、CHROには四つの進化段階があると考えています。最初は改善を意味する「インプルーブ(improve)」で、この段階はまだ人事担当役員の領域です。次が変革を意味する「イノベーション(Innovation)」で、ここからCHROの役割が色濃くなります。さらにその先には進化を意味する「エボリューション(evolution)」があり、最終的に新しいものをゼロから作り出す「クリエイション(creation)」まで到達できれば、CHROとして十分な役割を果たしていると言えるでしょう。
経営戦略や事業戦略と人事戦略を連動させることは既にわかっている条件であり、その上で新しい戦略に基づいた新しいものを創造していくことが、CHROの役割だと考えています。
「クリエイション」まで至るには、既存の枠組みを疑う力も必要になりそうですね。
前例踏襲という姿勢を私は最も嫌います。前例はあくまで過去のものであり、新しい付加価値を生み出すためには、自ら前例を作る側にならなければなりません。新しい価値を社員に対して、あるいは市場に対して提供する。現場の声を聞き、経営の方向性を理解した上で、そのクロスポイントにおいて最適な打ち手を創造する。創造性の有無こそが、人事部長や人事担当役員と、真のCHROを分かつ境界線だと確信しています。
銀行員時代の「痛み」が人事の原点
有沢さんのこれまでのキャリアの変遷について、お聞かせください。
私のキャリアの原点は、1984年に入行した協和銀行(現りそな銀行)にあります。入行当初は営業店で融資渉外を担当していました。融資判断のために稟議書を書いたり、顧客の事業を支援したりする日々でした。バブルが崩壊する前で、お金を貸すことが企業の成長を助けることだと信じ、夢中で取り組んでいました。
しかし、銀行派遣により米国でMBAを取得して日本に戻ってくると、状況は一変。かつて融資していた顧客の多くが苦境に立たされ、私は焼け野原のような債権回収の現場に放り込まれました。更生案を作り、再建計画を練る。メインバンクとしての責任を負いながら、顧客の痛みを目の前で感じる日々でした。このとき、お金を貸すことの怖さと、顧客から預かった大切なお金を運用する重みを思い知らされました。預かったお金を大切に扱わなかったからこそ、このような惨状を招いたのではないか。その反省が、現在の私の仕事観の根底にあります。
その後、人事部に配属され、「人事グループ臨店班」という仕事を経験しました。新人から支店長まで、店舗の全社員と一対一で面談し、現場の課題を吸い上げる仕事です。ここで徹底的に叩き込まれたのが、「ハウ(How)」ではなく「ホワイ(Why)」と「ホワット(What)」を問い続ける姿勢でした。なぜ問題が起きているのか、あなたは何を成し遂げたいのか。この問いを粘り強く投げかけ、現場の本質を理解することが、私の基本的な姿勢となっています。
銀行時代には、最もつらい仕事である「大規模リストラ」も担当しました。公的資金が投入され、業務改善計画を策定する中で、先輩や同期に辞めてもらわなければならない。割増金も十分に払えない厳しい状況下で、一人ひとりと向き合いました。ただ、この修羅場を通じて、人事の決定一つで社員の人生が変わってしまうという重みを深く学びました。当時の上司から言われた「人の一生を考えない人事担当者は辞めてくれ」という言葉は、今も私の信念として残っています。
その後、製造業やグローバル企業へと転じられた経緯を教えてください。

2004年にHOYAに移り、当時の鈴木社長から「事業部ごとにバラバラな人事制度をグローバルで統一する」という過酷なミッションを与えられました。当時のHOYAには指名委員会、報酬委員会があり、日本を代表する経営者たちが社外取締役として名を連ねていました。彼らから薫陶を受けたことは、私の財産です。
例えば、指名委員会の席で、「もし社長が急に亡くなったらどうするのか。コンティンジェンシープラン(緊急時対応計画)はないのか」と怒鳴られたことがあります。そこから必死で走り回り、社内外から候補者を探し、サクセッションの大切さを叩き込まれました。
報酬についても「なぜ社長の報酬がこんなに低いのか。社長が多くもらっていないと、みんながもらえなくなるんだ」と、そのあり方について学びました。経営の継続性を担保し、ふさわしい対価を払う。これはCHROとして避けて通れない責任です。
このように厳しく指導していただきながら、グローバルで職務等級制度を導入。全世界のジョブグレードを統一するプロジェクトを完遂しました。
その後、2008年のリーマンショックの時期にAIU保険会社に転じましたが、入社直後に親会社が経営危機に陥り、再び公的資金が投入される中でリストラを主導することになりました。驚いたのは、そのような状況下でも「人を育成すること」にかける執念です。EDP(エデュケーショナル・デベロップメント・プラン)において、役員が集まって一人ひとりの将来を議論する姿は、まさに銀行の人事で学んだ一人ひとりの人生に向き合う姿勢そのものでした。
2012年からは10年間、カゴメの人事責任者を務めました。当時の西社長から「人事からグローバル化してくれ」と言われたことは非常に衝撃的でしたね。最初の半年間は世界中の現場と国内の全ての工場、営業店を回り、徹底的にファクトを集めました。そこでわかったのは、カゴメが「ウルトラ・コンサバティブ・カンパニー(超保守的な会社)」であること。その後はスピード感をもって、ジョブ型人事制度の導入や、ガバナンスと連動したサクセッションプランを構築しました。また、当初はプロパーの幹部から猛反対を受けましたが、粘り強く説得を重ね、新旧の社長が共にサクセッションプランを通過して選出される体制を確立しました。
このように私のキャリアは、現場の事実から本質的な問いを立て、経営戦略を具現化するための「人事の仕組み」を創造し、運用し続ける挑戦の連続でした。
現場への「謝罪」から始まった信頼関係の構築
現在は、いすゞ自動車でCHROとして新たな変革に挑まれています。就任以来、どのような点に注力されてきたのでしょうか。
いすゞ自動車でも、私のスタイルは全く変わりません。まずは現場に行くことです。私は「CHROはかくあるべき」という理想論を語るのではなく、まず現場に行くことが何よりも大切だと思っています。事業のことが分からない人間にCHROは務まりません。新しい会社に入ったとき、多くの人が過去の成功体験を引きずってしまいがちですが、まずはその会社のバリューチェーン、つまり何を作って、どういうお客さんにどう届けているのかを理解することが不可欠です。製造業であれば、実際に工場で何が作られ、どのような苦労や痛みがあるのかを自分の目で確認する必要があります。
いすゞでも、栃木や藤沢の工場へ何度も足を運びました。そこで見えてきたのは、現場の中核を担う「グループリーダー(課長級)」が、組織の中で最も強い不満や不安を抱えているという事実でした。板挟みの中で大きな負担を感じていたのです。彼らの満足度をどう上げるかが、組織変革の最大のポイントだと確信しました。
いすゞのCHROに就任した際、私がまず行ったのは、1,000名以上のグループリーダーに対する謝罪でした。「これまでの人事は皆さんの意に添えていなかった、申し訳なかった」と、組織のトップとして非を認める姿勢を示したのです。このような対応はいすゞの過去30年で一度もなかったことだそうですが、「間違ったことは謝る」という姿勢こそが大切だと考えています。そこから始めなければ、人の心は動きません。
これは単なるパフォーマンスではなく、心理的安全性を担保するために極めて重要なプロセスです。人事は社員から警戒されがちな存在ですが、トップが自らの非を認め、謝罪することで、現場のガードが下がります。そこから初めて本音の対話が始まり、本当の意味で現場を味方につけることができるのです。
現場の「痛み」を知ることには、どのような意味があるのでしょうか。
いすゞのような自動車メーカー、あるいはかつて在籍したカゴメのような食品メーカーは、人の命や健康に直結する製品を作っています。そこには計り知れない緊張感があります。顧客から厳しい要求を受け、コスト削減と品質維持の狭間で戦っている現場の苦しみ。それを理解せず、机上の空論で制度をいじっても、誰もついてきません。
私は銀行員時代の債権管理を通じて、企業の再建がいかに人の心に寄り添わなければならないかを学びました。相手の立場に立って考える。特に厳しい局面にあるときほど、その痛みを分かち合う姿勢が求められます。現場の納得感を得られない施策はやるべきではありませんし、納得感がないと思えば、私はその施策を中止する勇気も持っています。現場主義とは、単に現場に行くことではなく、現場と同じ目線で未来を語ることなのです。
現場の声を聞いた後、それをどのように具体的な施策に結びつけているのでしょうか。
現場の声を聞きっぱなしにすることは最も避けるべき行為です。エンゲージメントサーベイなどのアンケートを実施して満足している企業は多いようですが、重要なのはそこからどんな打ち手を出すかです。いすゞでは、浮き彫りになった課題に対して具体的な解決策を提示し、迅速にロードマップを作って実行に移すことを公言しています。
例えば、グループリーダーの負担を軽減するための制度変更や、現場が必要としている研修の提供など、目に見える変化を起こすことが重要です。「有沢が来てから何かが変わった」と現場に感じてもらうこと。その小さな成功体験の積み重ねが、大きな組織変革の推進力になります。
トップとの共犯関係と説明責任
人事戦略を遂行する上で、経営トップとの関係性をどう構築されていますか。
人事戦略がうまくいかない最大の要因は、CHROが孤軍奮闘し、経営トップの強力なサポートが得られないこと、あるいは、いざというときに、はしごを外されてしまうことにあります。そのため、私はまずトップを味方につけることに全力を注ぎます。
例えば、人事制度を変える際、なぜこの変革が必要なのか、現状(ビフォー)と将来(アフター)で何が良くなるのかをトップに理解してもらいます。その上で、トップ自らが「これは私の強い意志であり、みんなのマーケットバリューを上げるためのものだ」と全社員に語りかけてもらいます。私がやりたい人事施策を、経営トップの口から「会社全体の意志」として発信してもらうことで、現場も巻き込んでいくのです。
トップとの握り合いには、相当な覚悟が必要ですね。
その通りです。私はトップに対して「あなたが途中ではしごを外すようなことがあれば、私は必ず相応の対応をする」という緊張感を持って対峙します。それくらいの覚悟がなければ、CHROという重責は務まりません。人事制度は誰にでも作れますが、それを確実に動かすには人を動かす力、すなわち経営トップのコミットメントが不可欠。トップとCHROが深い信頼に基づいた「共犯関係」になり、退路を断って変革に挑むのです。
説得においては、論理的な軸が重要です。5W1Hを明確にし、施策によってどのような効果が期待できるのかを提示します。今のままよりは絶対に良くなるという確信を、事実と情熱を持って伝えます。経営と人事が深い信頼に基づいた共犯関係になり、退路を断って変革に挑む姿勢が不可欠なのです。経営と現場の間に立ち、双方を巻き込む。それができるのはCHROしかいません。

サクセッションプランの本質とHRBPに求められる要件
次世代リーダーの育成、サクセッションプランについても有沢さんは非常に重視されていますね。
サクセッションプランは、企業が継続し発展していくための生命線です。各部門任せにしてはいけません。部門任せにすると、その分野の専門家である「ファンクションリーダー」は育ちますが、会社全体を俯瞰し経営を担う「経営人材」は育たないからです。
経営人材を育成するのは人事の大きな仕事です。異なる部門を経験させる「タフアサインメント」を意図的に行い、5年後、10年後を見据えて経営チームを作っていく必要があります。
具体的にどのようなプロセスで進めているのですか。
本人の希望、ポテンシャル、パフォーマンスを見極めるタレントレビューやアセスメントを重視しています。ナインボックスなどの手法を用い、ポテンシャルが高い人材をどう引き上げるかを議論します。いすゞでは、部長候補、執行役員候補、CXO候補と3段階に分け、連続的な育成プランを構築しています。
ここでCHROに求められるのは、極めて重い説明責任です。選抜された本人に対し、なぜあなたがこのプランに入っているのか、会社としてどのような意図を持ってどのような苦労をさせたいのかを明確に伝えます。本人に誤ったメッセージが伝わらないよう、「あなたは将来の経営を担う存在として期待されている。だから厳しい課題に挑んでもらう」と誠実に対話することが、本人の覚悟を促します。
人材の見極めについては、現場の意見を尊重しつつ、ある一定のレベル以上の選抜には経営トップやCHROが深く関与し、全社最適な判断を下す場を主導すべきです。人材委員会のような公的な場を主導して、会社として必要な人材を意図的に作っていく。これは部門の利益を超えた、全社的な視点を持つCHROにしかできない重要なミッションです。
多くの企業が導入を進めているHRBPについても、有沢さんのお考えをお聞かせください。
HRBPのあり方は、企業の文化や歴史、フェーズによって異なります。カゴメでは、工場長や支店長といった、事業の痛みを骨の髄まで理解しているプロフェッショナルをHRBPに抜てきしました。事業のことが分からない人間がHRBPを務めることは不可能だ、というのが私の考えです。人事の専門性を「オペレーション」だと思っている人からは反対されましたが、人事は「戦略」です。事業の痛みが分かっている人間が人事を担当し、事業と共に歩むことで、経営、事業、人事が真に一体化することができます。
もちろん、誰でも良いわけではありません。人の成長に喜びを感じ、コミュニケーション能力が高い、いわゆる「徳」のある人材をトップと議論しながら選抜する必要があります。経営人材へのキャリアパスの一環として人事という領域を通ってもらい、社員のキャリア意識を高めていく。彼ら彼女らが事業部に戻ったとき、あるいは経営層に上がったとき、そこで培った「人を活かす」視点が組織に定着します。これが組織を成熟させる一つの解だと信じています。
もちろん、企業によっては外から人事プロフェッショナルの力を借りる方が適切な場合もあります。会社の文化や直面している課題によって、使い分ければ良いのです。大切なのは「誰のため、何のためにHRBPを置くのか」という目的を明確にすることです。
「定量化」と「感性」の両輪で未来を拓く
最後に、現場で奮闘している人事パーソン、そしてCHROを目指す方々に向けて、メッセージをお願いします。
これからの人事パーソンには、「科学的な視点」と「人間的な感性」の両輪が求められます。
まず科学的な視点とは、定量化できるものを徹底的に定量化する姿勢です。人的資本経営の本質は、投資に対する効果を客観的に示すことにあります。KPIを設定し、データを可視化することで、人事の議論から主観を排除し、透明性と公正さを担保しなければなりません。評価においても、誰から見ても納得感のある客観的な指標を持つことが、エンゲージメント向上の鍵となります。私は銀行員時代から、「ホワイトカラーの営業能力は定量化できる」と信じて取り組んできました。人事の仕事は感性だけではなく、データに裏打ちされた論理が必要なのです。
一方で、人間的な感性も忘れてはなりません。人間は感情の生き物であり、理屈だけで納得しても感情が納得しなければ動きません。相手がなぜ怒っているのか、何に不安を感じているのか、という感情の起伏に敏感であってほしいと思います。一人ひとりが背負っている人生の重みを、共に背負う覚悟を持つこと。数値という「科学」と、感情という「感性」の双方を使いこなすことが、これからの人事パーソンに求められます。
また「これは面白いな」「なぜこれが流行しているんだろう」という純粋な好奇心を持つことが、結果として人事の仕事に深みを与えます。自分の常識を疑い、既存のものを壊して新しい価値を創造する。人事は誰よりも多様な視点を持っている必要があります。
人事の仕事に正解はありません。つらいことも多いでしょうが、「人と組織を良くする」という、これほどやりがいのある仕事はありません。自らの好奇心を大切にし、社内外の多様な人と出会い、新しい視点を取り入れ続けてください。
当たり前だと思っていることを疑う勇気を持つこと。それが「クリエイション」への第一歩です。皆さんも、この素晴らしい人事という仕事を楽しんでほしいと思います。

(取材:2026年1月6日)
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