田中潤の「酒場学習論」
【第15回】西荻窪「カントニクス」と企業内専門家としてのHR
株式会社Jストリーム 管理本部 人事部長
田中 潤さん
古今東西、人は酒場で育てられてきました。上司に悩み事を相談した場末の酒場、仕事を振り返りつつ一人で呑んだあのカウンター。あなたにもそんな記憶がありませんか。「酒場学習論」は、そんな酒場と人事に関する学びをつなぎます。
私は、自他ともに認める燗酒好き。燗酒にあわせるアテとして、個人的に大好きなものがいくつかあるのですが、その中でもカレーとラム肉は最高のアテだと思っています。その双方を美味しくいただけるのが、西荻窪の「カントニクス」。生ハムスライサーも置いている、燗(カン)と肉(ニク)を心底から楽しめる素晴らしい酒場です。カウンターに居並ぶ純米酒の一升瓶を片っ端からお薦めでいただき、ひと手間かけたアテをいただくのは、まさに至福のときです。また、この酒場は看板、のれん、徳利、平盃、いずれをとってもデザインが秀逸で呑み手を魅了します。
今回のコロナ禍では、多くの酒場が苦労しながらさまざまなチャレンジをしてきましたが、カントニクスの努力にはなかなか頭が下がるものがあります。一言で言うと「できることは何でもやってみる」という心意気です。それもできる限り「やるからには面白くやってみよう」という気概がとても伝わってきます。
私の自宅からは距離があるので買いに行くことはできませんでしたが、一時期のテイクアウトの充実ぶりは西荻窪在住の皆さんが本当にうらやましくなるほどでした。ゆるいオンライン企画もさまざまな趣向で開催していて、特に緊急事態宣言中に博多の燗酒酒場と蔵の皆さんをつないで開催された会には、実に癒されました。毎月、満月の日には「満月燗」のイベント、さらには全国をつないで各地の満月を見ようというオンライン企画も開催しています。創意工夫の嵐です。
カントニクス発の企画はたくさんあるのですが、最大の企画は何といっても「御酒燗帖」でしょう。名前を聞けば、御朱印帖からインスパイアされたと誰もが気づくかと思いますが、酒場を巡って各酒場独自の印をいただいて歩く、という企画です。燗酒酒場ばかりが対象店になっているので、名付けて「御酒燗帖」。思いつく人はいるかもしれませんが、実行に移せる人はそうそういないでしょう。私が好きな酒場も、大半がこの企画に参画しています。もともと燗酒推しの酒場同士はとても仲が良いのです。
今年は残念ながら開催できませんでしたが、「上方日本酒ワールド」「大江戸日本酒祭り」のようなイベントがあったり、純米酒推しの酒販店つながりがあったり、酒蔵のさまざまな企画があったりと、酒場の皆さん同士が出会う場がいろいろとあります。また、あの店で修業をした、といった師弟関係もあります。
日本酒全体の中では、まだまだ燗酒はマイナーな部類に甘んじているといえますが、それが逆に連帯感を強める効果があるようにも思います。何かのイベントに行くと、とある酒場のブースにさまざまな酒場の大将や女将が手伝いに来ていて、燗酒酒場好きからするとドリームチームのような様子を見ることができたりします。それぞれが自分の酒場に属しているのは当然のことですが、同時に燗酒酒場の仲間という大きなネットワークにも属しているんだな、とうれしくなります。
さて、私たち人事の仕事をする人間にも、同じようなことを感じることがあります。私たちは企業内専門家です。自分自身の専門性を最大限に発揮して、自組織に貢献するのが役目です。経理や法務などの職についている人も同様でしょう。
企業内専門家は、内にこもっていては仕事になりません。常に自分の知識・ノウハウをアップデートさせ、新たな刺激を社内に持ち帰らなければいけません。企業内専門家である人事の仕事は、実に外に開けているのです。どこの会社でも似たようなことに悩み、似たようなことに取り組んでいるのですから、ともに考えることに大きな意味があるのです。
『日本の人事部』の主催で、各社の人事トップが集まる「日本の人事リーダー会」に私も参加させていただいていますが、年に数回のメンバーが集まる機会では、たいてい誰か一人、二人は所属企業が変わっています。組織内専門家は、自組織に属しているのと同時に、専門家として人事という領域のネットワークにも属しています。ですから、社内でまったく異なる職種に異動するよりも、他社に転職というかたちで異動するというマーケットが自然にできているのは当然のことです。
企業内専門家には、二人の上司がいると私は思っています。一人目の上司は言うまでもなく自社の社長ですが、もう一人の上司は専門家としての人事職の倫理です。自社の社長に命じられても、人事の専門家の倫理に照らし合わせてみて、絶対にやるべきではないと判断できることはやらない。逆に、やらなければいけないと思うことはやる。そういう意思をもって、社長に進言しなければなりません。専門職を専門職として成り立たせる一つの条件は、その専門職なりの倫理観が確立されていることです。燗酒酒場の大将・女将と話をしていても、共通する何かがこの方たちの間にはあるなと感じます。
私たちは、多くの社員にさまざまな影響を与える仕事をつかさどっています。企業内専門家である人事職にとって、まさに職業倫理は大切な要素なのです。片方の上司だけのいいなりにならないことが、企業にとって必ずプラスになるのだという信念をもって、さまざまな決断と対峙し続けるのです。
- 田中 潤
株式会社Jストリーム 管理本部 人事部長
たなか・じゅん/1985年一橋大学社会学部出身。日清製粉株式会社で人事・営業の業務を経験した後、株式会社ぐるなびで約10年間人事責任者を務める。2019年7月から現職。『日本の人事部』にはサイト開設当初から登場。『日本の人事部』が主催するイベント「HRカンファレンス」や「HRコンソーシアム」への登壇、情報誌『日本の人事部LEADERS』への寄稿などを行っている。経営学習研究所(MALL)理事、慶応義塾大学キャリアラボ登録キャリアアドバイザー、キャリアカウンセリング協会gcdf養成講座トレーナー、キャリアデザイン学会代議員。にっぽんお好み焼き協会監事。
HR領域のオピニオンリーダーによる金言・名言。人事部に立ちはだかる悩みや課題を克服し、前進していくためのヒントを投げかけます。