大人の発達障害だからこそ“天職”に巡りあえた!!
働きづらさを働く喜びに変える、特性の活かし方とは(前編)
発達障害の「生き方」研究所‐Hライフラボ
岩本 友規さん
「電話番もできない」という現実に直面、そして転職を繰り返す
学生時代まで順調に過ごしてきた岩本さんが、新卒で就職した外資系商社で、最初に突き当たった問題は「電話応対」だったそうですね。
配属されたのが営業部で、新人だから電話番をしなければいけなかったのですが、とにかく電話を受けてメモをとるという、それだけのことがうまくできなかったんです。電話にうまく応答しようとするとメモをする手が止まり、メモをちゃんととろうとすると、相手の話している内容が頭に入ってこない。そのうち慣れるかと思っていましたが、いつまでたってもできなくて、本当に参りました。社会へ出るまでは何事も比較的うまくやってきたつもりでしたし、入社後の研修やOJTでもそれなりの成果が出ていただけに、「電話番一つできないのか」と大きなショックを受けたのを覚えています。部署でただ一人の新人でしたから、毎日すごく気を使い、ストレスで胃を傷めたりもしました。
電話を受けて自社の名前を名乗ろうと思っても、出てこないことがあったとか。
やはり緊張していたんでしょう。学生時代にトラッグストアでアルバイトをしていたときも、接客の最後の「ありがとうございました」がどうしても言えなくなったことがありました。言おうとするとウッと詰まって、どもる感じになってしまう。電話の際にも、同じような症状が起こったのだと思います。しかし、新人ですから、電話を取らないという選択肢はありえません。とにかく相手の話す内容に集中し、大切な情報の断片やキーワードの頭文字だけでもメモに書きとめておく、電話が終わったらすぐに思い出して補完するという工夫で何とかしのいでいました。今でも、苦手意識は残っています。同じような経験をもつ当事者の方も多くて、皆さん苦労されているようです。
そうした“働きづらさ”につきあたりながら、それでも自分のキャリアを摸索して、何度か転職を重ねられましたね。そのあたりの経緯を少し振り返っていただけますか。
新卒で入った職場を、会社の先輩が立ち上げたITベンチャー企業に誘われる形で辞めたのが23歳のときでした。その頃はもっとうまくやれるという自信もまだ残っていましたし、何度か転職をしていくことを前提にしたキャリアプランがあり、ベンチャーという響きへの憧れもあって、最初の転職に踏み切ったんです。従業員数名の小さな会社ですから、仕事自体はいろいろと経験できましたし、アットホームな職場で居心地も悪くありませんでした。
ところが、そのベンチャーがほどなく倒産してしまったのです。会社がつぶれるという経験に衝撃を受け、自分に経営の知識や会社の先行きを見きわめる力がないことを反省した私は、いったん大学院で経営管理者養成の短期コースを受講し、次の仕事に備えました。そして、3社目のオンライン販売事業を展開する会社に移り、そこで働き初めて2年ほどたった頃、あるモバイル通信事業の会社から突然、転職サイト経由でオファーをいただきました。提示された年収は当時よりも高く、しかもIT系の新製品開発にも関われるポジションだということで、断る理由はありませんでした。
さまざまなジャンルのオピニオンリーダーが続々登場。それぞれの観点から、人事・人材開発に関する最新の知見をお話しいただきます。