「男性学」が読み解く「働く男のしんどさ」とは?
働き方の変革は、企業にとっての「リスクヘッジ」
武蔵大学社会学部助教
田中俊之さん
誰にも弱みを見せないのは本当のプライドではない
ところで、先生ご自身はどうしてこういうテーマに関心を持たれたのですか。
ちょうど僕たちが学生の頃、大学にジェンダーの講座が新設され始めました。ジェンダー論を大学の授業で学んだ最初の世代だということも、少なからず影響しているかもしれません。僕は大学院に進んだわけですが、進路を決める上で、やはりいろいろと疑問に思うことが出てきたんです。どうして一生フルタイムで、がむしゃらに働かなければならないのか。男性の場合は、ほとんどの人がそれを自明のこととして生活しているでしょう。なぜそうなのか。別に働きたくないということではなく、もっと違うやり方もあるでのはと単純に思ったのが、僕自身の根本的な問題意識です。
先生が大学を卒業されたのは1999年。就職氷河期まっただなかですね。
本当の氷河期でしたね。上に団塊世代の方がまだ詰まっていましたし、自分たちの世代も数が多い。まさに八方ふさがりで、だからこそ気づいたというか、それまでの生き方や働き方に疑問を持ちやすかったのかもしれません。それから、社会は企業だけでなく、家庭とか地域とかいろいろな要素で構成されているはずなのに、日本ではなぜか「社会人になる=会社に入って働く」のような雰囲気がありますよね。あれもずっと不思議でした。社会の他の領域を見ないで、そこだけに引っ張られてしまうのは問題があるのではないかと。
実際、企業に就職した友人と会って話すと、二言目には「社会はそんなに甘くない」「正論は通じないんだ」「おまえは大学院に残ったからわからない」と、お説教ですよ。初めてそれを聞いたとき、孤独を感じると同時に恐ろしくなりましたね。ついこの間までそんなことを言っていなかった友人が、彼らだって自分たちの会社しか知らないのに、その経験だけをもって「社会は甘くない」と異口同音に言い出すんですから。会社はこわいところなんじゃないか、彼らに疑問を持たせないような、何か恐ろしい仕組みがあるんじゃないかと本気で疑いました(笑)。そういう個人的な思いもあって、もうかれこれ十何年、男性学を研究しています。
仕事や会社がすべてになってしまうほど、“働くこと”との結びつきが強いのはなぜでしょうか。何が男性の生き方や働き方を縛っているとお考えですか。
一つには、育てられ方の問題が大きいと思います。女性の場合は、小さい頃からみんなと仲良くしなさいと、協調することを教えられますが、男性は協調より“競争”がベースです。人よりもいい学校へ、いい会社へ。極端な話、他人を出し抜いてでも、自分のほうが上へ行くことを期待されて育てられます。でも、ずっと勝ち続けられるわけではありませんよね。競争すればどこかで必ず負けるし、自分の思い通りにいかないことも多い。むしろ負けるほうが普通でしょう。それでも「男はそんなことで傷ついていちゃダメ」とか「また立ち上がって戦わないと」と言われてしまう。過労死の問題でも、家のローンがあるから仕事を辞められないというような現実的な理由の他に、男性本人の“競争から降りられない”という強迫観念もあるのではないかと思います。小さい頃から親にそう刷りこまれ、社会や企業からも競い合うことを求められてきた。いまやその企業自体が激しい生き残り競争にさらされているときに、「僕、もう降ります」といって、誰がそれを認めてくれるのかという話です。
先ほどもあったように、「そんなことを言っている場合じゃない」となるわけですね。男性がどれだけ生きにくいか、だんだん見えてきました。
女性は女性で、競争したくてもさせてもらえない、いわゆる「ガラスの天井」的な差別がありますが、会社で頑張っても偉くなれないなら、辞めて留学するとか、大学院に進むとか、趣味に生きるとか、けっこう仕事以外の選択肢が採れるんですね。男性には、それができない。「男がフルタイムで働いていないなんてとんでもない」という社会的な“脅し”が効いているために、違う生き方を選べないんです。仕事中心以外の生き方をイメージすることさえ難しい。でも、仕事にはほとんど定年退職があり、男性も最終的には家庭や地域に帰ってこざるをえません。「退職後の生き方を考える」といったテーマで市民講座を開くと、どの自治体でも人気があります。僕は30歳の頃から講座で教えていますが、そんな自分の子どもみたいな若造の話でも、皆さん、メモを取りながら熱心に聞いてくださるんですよ。それくらい、どうしていいかわからないんでしょう。仕事しか知らない男性は、家庭や地域のルールや価値観が理解できず、みんな苦労していますね。さらに深刻な“生きにくさ”の事例として挙げられるのが、自殺の問題です。
日本の男性の自殺者数は女性の約2倍。年間約2万人です。
二つの要因があると思います。まず一つは、男性の多くは人に弱みを見せようとしません。これを男のプライドだという人がいますが、僕はそうではなくて、ただの見栄だと思うんです。プライドは、自分にとってこれだけは譲れないという部分ですから、他者を気にする必要はありませんが、見栄が入るとどうしても人と比べてしまう。人より弱い自分を見せたくない、自分を少しでも強く見せたいという気持ちが邪魔をするので、苦しいときに弱音を吐いたり、相談したりできないんです。現に、行政が各地に男性用の相談窓口を設けても、相談者はほとんど来ません。来ないから問題がないのではなく、男性の場合、相談に来ないことが問題なんですけどね。
男性が相談しないもう一つの理由は、考え方が「合理的」だからです。相談したり、愚痴をこぼしたりしても、会社の体制が変わるわけでも、嫌な上司がいなくなるわけでもない。それなら相談する意味はない、と。男性はそう結論づけてしまうんです。問題解決だけを求め過ぎる、と言い換えてもいいでしょう。たとえ問題が解決しなくても、自分が抱える悩みを誰かと共有し、共感し合うだけで、気が楽になるというか、情緒的に大きな効果が得られるわけです。男性には、そのことの大切さを軽んじないでほしいと思いますね。他者と共感することができれば、家族や周りの人たちのことを考え、自殺を踏みとどまれるのではないでしょうか。「責任を取る」形としての「自殺」なんてあってはならないと思うんです。
さまざまなジャンルのオピニオンリーダーが続々登場。それぞれの観点から、人事・人材開発に関する最新の知見をお話しいただきます。