「他の会社はどうしている?」
~人事における他社事例の必要性~
マーサージャパン グローバル・ベネフィット・コンサルティング / Mercer Marsh Benefits アソシエイトコンサルタント 宇都宮 友美氏
筆者は前職で海外人事を担当しており、新規プロジェクトにもいくつか参画していた。新規プロジェクトを進めるには幾多の障壁があるが、その一つは、上層部から必ずと言っていいほど飛んでくる「他の会社はどうしている?」という問いかけである。その度に、「大切なのは自社での必要性では…?」という言葉を飲み込み、事例やデータの収集に奔走していた。マーサーでセミナーを開催する際にも、参加の動機を伺うと「他社事例を聞きたいから」という声が多数寄せられ、ご苦労されている担当者も多いのではないだろうか。
本コラムでは、他社事例・データ収集に活用できるリソース、情報収集の際に担当者が意識しておくべきポイントをお伝えしたい。
実務的な観点から参考となる他社事例のリソース
他社事例は人事専門誌などで紹介されているのをよく目にするが、当たり障りのない内容にまとめられていることも多い。細かい実務や実際の課題などを知りたい場合には、やはり担当者に直接話を聞く必要がある。例えば、下記のような機会が考えられる。
外部が主催するセミナー・研修への参加
専門家や企業がスピーカーになり、用意されたトピックに関する事例紹介、参加企業でのディスカッションというのが想定される。「他社はどうしている?」の質問に対しては、まずはこのような集まりでスピーカー企業から直接情報を得るのが効率的だ。
次に述べるネットワーキングセッションとセットで参加すると、裏話も合わせて情報収集ができるためプラスアルファの収穫が得られる。他社の担当者に質問をするのを躊躇する方もいるようだが、大変な機会損失ではないだろうか。海外では人事担当者のネットワーキングは定期的に行われており、重要な相互の学びの機会として活用されている。
ネットワーキングセッションへの参加
セミナーとセットで開催されることが多いネットワーキングセッション(いわゆる名刺&情報交換会)は情報収集に最適な場だ。名刺交換をするだけではなく、共通の話題を見つけて交流するコミュニケーションスキルが求められるが、必ずしも自社の規程や情報を細かに暴露する必要はない。プロフェッショナル同士が何に困っているのか課題感を共有することで十分分かることも多く、お互いのためになる。
話をスムーズに進めるためには、ビジネスモデルに共通点がある企業とつながることが重要だ。そういった企業は人事まわりでも似たような課題に直面していることが多い。また、具体的な課題をすでに解決した企業を見つけ、それまでのプロセスを個別に聞く方法もある。担当者レベルでコネクションを広げれば、その後、詳細な文脈での相談や事例交換の場につなげることができる。
従来対面開催が通常だったセミナーは、コロナ禍で多くがオンライン開催に切り替わっている。初対面の場合、オンラインでのコミュニケーションは難しさが目立ち、情報交換のハードルは以前より高くなっているかもしれないが、少し積極的に参加してみてはどうだろうか。進んで発言してくれる参加者がいるとセッションが有意義になり、他の参加者は心の中で感謝しているはずだ。オンラインには、移動時間・交通費をかけずに参加でき、また、地域を問わず交流できるという利点がある。オンラインセッションをどんどん活用してネットワークを広げてほしい。
第三者機関が提供するデータの活用
マーケットを絞って競合他社の情報を調べたい場合や報酬などの生々しいデータが必要な場合、また海外の企業の情報を集めたい時は、前述した2つのリソースでカバーすることが難しい。そこで次に挙げるのが、第三者機関を介して集められたデータだ。
サーベイへの参加
データを手軽に収集できる手段の一つにマーサーも定期的に実施している「スナップショットサーベイ」がある。特定のトピックについてサーベイに回答すると、サマリーレポートが無償で提供される。不参加の企業は有償でデータを購入するのが基本形だろう。
また、大掛かりなサーベイが実施されていることもある。この場合、回答に際して下調べや自社情報の取りまとめが必要なため時間を要するものの、その分入手できるデータの幅も広がる。こちらも、参加した企業には割引金額でデータが提供されるなどの特典がある。
これらのサーベイは短いもので5~10分程度であり、いくつかの質問に答えるだけで他社の情報も手に入るのだから、活用しない手はない。
データの購入
特に報酬に関しては、リサーチ会社やプロフェッショナルファームのデータを利用するのが確実だ。対象企業、データ項目、客観性、経年での蓄積等、自社のコネクションだけでは集めることができないデータが揃う。釈迦に説法ではあるが、このデータをベンチマークとして利用することで自社の現在のポジションを確認し、今後目指すべき姿の議論が行える。
筆者の人事部時代にも、他社とのコネクションには規程や運用面の情報収集に大変助けられた。しかし、いざ具体的な水準が絡む話になると手当の額1つでもなかなか答えてもらえず、聞かれても具体的な額をお伝えするのが困難だった。さらに、親しい企業1~2社にデータをもらえたとしても、その額が適切かどうかは客観的に判断できず、上席者の質問に明確に答えられず苦しい思いをした。
アクセシビリティの点にも触れておきたい。これまで人事系のセミナーや情報交換会にも多く出席したが、そういった機会には役職者が参加することも多く、当時新人の私は萎縮して数枚の名刺交換のみで帰ることもあった。その点、サーベイやデータは役職に関係なくアクセスできるリソースだと現職で強く感じる。これからは外部のベンチマークを使いこなし、自社を客観的に分析できるデータドリブンなアプローチがますます必要になってきている。
意識しておくべきポイント
ここまで活用できるリソースの例を述べてきたが、他社事例・データ収集にとりかかる前には一度「なぜそれを行うのか」、立ち止まって考えていただきたい。
- 自社が進めようとしていることのバックアップ、またはゼロから方向性を検討するためか
- 他社と足並みを揃えるためか、他社から一歩抜き出るためか。“他社”とは、同じグループ内の会社か、地理的な近隣他社か、マーケットで人材を取り合うような会社か、もしくは海外にある会社か
他社事例やデータは非常に興味深く、重要な情報であるがゆえに、情報に溺れてしまう担当者も見受けられるが、目的が社内で十分に検討できていれば、効率的に情報収集することができる。パッチワーク的に様々な要素を組み合わせた結果、いつの間にかちぐはぐな規定になっていた、というようなことも避けられるだろう。日頃から目的を意識しながら様々なリソースにアクセスしていただきたい。
なお、他社事例やデータを利用する際に一つ考えていただきたいのは、日本企業では「他社と足並みを揃える」「同業種の中で突出しない」ことを重視する傾向が強いが、今後もその方針で社員また社会からのニーズに応えていくことができるのかという点だ。
現在は、自社が魅力的な会社かどうかが中からも外からもジャッジされる時代だ。例えば人材のリテンションという観点では、「他社に“劣らない”」ことを重視した現行制度であれば、人材がより良い報酬を求めて転職していくリスクもある。そのような人材流出は想定内か。また、特定のスキルを持った人材を外部採用する際に、思い切った報酬を提示できなければ、本当に欲しい人材は採用できないだろう。内部公平性が自社にとって最重要なのかを考えた上での報酬設定なのだろうか。
各社のフィロソフィーや最終的に目指す姿を十分に議論し、その方針に基づいた情報・データで裏付けされた人事制度・運営であれば問題ないが、「他社に劣らない」という意識が先立つ場合には一度見直しが必要だと考える。
組織・人事、福利厚生、年金、資産運用分野でサービスを提供するグローバル・コンサルティング・ファーム。全世界約25,000名のスタッフが130ヵ国以上にわたるクライアント企業に対し総合的なソリューションを展開している。
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