経営者は「会社の所有者」ではない
良い人材を集め、
会社のポテンシャルを最大化することが使命
株式会社セルム 代表取締役社長
加島禎二さん
関西支社での「チームづくり」体験が経営の原点に
現在のセルムは人材開発・組織開発にフォーカスされていますが、当時はどのような事業が中心だったのでしょうか。
セルムは、私に声をかけてくれた磯野と中小企業診断士の資格を持つ松川好孝が、共同で創業した会社でした。私が入社するまでは、経営コンサルティングや会社顧問などを引き受ける、いわゆるコンサルタント会社で、研修などはごく一部。一人ひとりがそれぞれ強みを持つ分野で仕事をしていました。そのため、私も次第にリクルート映像時代の得意分野であった、人材開発をメインに取り組むようになっていきました。
仕事が軌道に乗ったのは、入社2年目から。創業メンバーたちと相談し、思い切って大手企業だけを対象に営業することにしたのです。中小企業では一つ成果を上げても、なかなかリピートにつながりません。しかし、大手ならきっかけさえつかめば、ほかの部署を紹介してもらえるなど、広がりが全く違います。これは、今も「パートナーシップ戦略」と呼ぶセルムの営業の基本方針になっています。
大手にシフトすると、いろいろな案件が舞い込みます。少しずつメンバーも増えていましたが、ほとんどが未経験者なので、いただいた仕事を形にする企画力がありません。また、研修の依頼を受けても、講師を依頼できるコンサルタントが決定的に足りません。そこで、「企画開発本部」を立ち上げて、私自身も営業をしながらほかのメンバーの企画書を書き、同時にコンサルタントのネットワークを拡大する仕事も兼務していました。当然ハードでしたが、自分のカラーを打ち出して仕事ができるため、非常に面白かったです。
時には朝まで企画書を書いて、それをプレゼンして受注が決まる。頑張った分だけ、会社の業績も伸びる。そんな第一線の仕事の面白さにとりつかれていました。「企画の職人」であることに喜びを見出していたのだと思います。
そんな加島さんが、経営の道に進まれた契機はどのようなものだったのでしょう。
入社10年目から、関西支社長を経験したことですね。企画の仕事に手ごたえを感じてはいましたが、プロフィットセンター長の経験はそれまでありませんでした。もう40歳。そろそろそういう経験を積みたいなと思っていた時に、関西支社を立ち上げた初代支社長が、東京に戻ることになったのです。すぐに手を挙げて、大阪に行くことにしました。不思議と迷いはありませんでした。
関西支社には3年いましたが、ものすごく内容の濃い期間だったと思います。まだ組織が安定しきっていなかったところに、「東京から新しい支社長がくる」という反発もありました。さらに、赴任直後に支社の売上の2割以上を占めていた大型案件を失う、という事態にも直面します。数字の落ち込みをカバーしながら、支社をまとめていかなくてはいけない。最初はがむしゃらでしたね。
2年目あたりから、現在も私たちの営業戦略の骨格である「パートナーシップ戦略」「アカウントマネジメント」などを導入した組織づくりを行いました。それらのすべての土台にあったのは、支社全体でチーム営業をする、という考え方です。当時の私は、「関西支社で自分の理想とするセルムの形を作ってみたい」という思いがありました。採用面接も全て自分で行いました。当時、関西で私が採用したメンバーが、現在の中核メンバーの中に何人もいます。
3年かけて組織と顧客の基盤を強化し、次の年には大きな成果が期待できる、という状態になった時に、創業者の二人から「東京に戻って社長をやってくれないか」という話がありました。正直言って、自分が理想形をつくったと自負する関西支社を、結果が出るまで見ていたかった気持ちが強かったのでとても迷いました。ただ、私が新卒のとき、「君は(編集を希望しているが)営業の方ができるのではないか?」と第一志望だった出版業界の面接でたびたび言われたことを思い出し、他人の評価は自分の評価より案外正しいかもしれないと思い直し、その話を受けることにしました。そして、2010年から社長に就任しました。
日本を代表するHRソリューション業界の経営者に、企業理念、現在の取り組みや業界で働く後輩へのメッセージについてインタビューしました。