判断基準の策定、事例共有や研修実施で社員に「後ろ盾」を提供
日本航空におけるカスタマーハラスメント対策の取り組み
サービスや商品を利用する顧客などが、優越的な立場を利用して社員に著しい迷惑行為をすることを指す「カスタマーハラスメント」。このところ社会的な認知や問題意識が高まっていますが、日本航空株式会社では4年前からグループ全体でカスタマーハラスメント対策に取り組んできました。従業員が安心して働ける職場環境を実現し、生産性の向上、ひいてはサービス品質の向上にもつながるカスタマーハラスメント対策。取り組みの背景や具体的な施策について、同社カスタマー・エクスペリエンス本部 CX推進部 お客さまサポート室の方々にお話をうかがいました。
- 安部 省志さん
- 日本航空株式会社 カスタマー・エクスペリエンス本部 CX推進部
お客さまサポート室 室長(※)
あべ・さとし/1988年入社。那覇空港での旅客サービス業務を振り出しに、空港関連、客室関連の間接部門に従事。このほか、労務部門・法務部門も累計で約12年経験。カナダ・バンクーバー支店長を経て、2020年8月よりお客さまサポート室長に従事。
(※2024年6月より(株)ZIPAIR Tokyo勤務)
- 田中 雄作さん
- 日本航空株式会社カスタマー・エクスペリエンス本部 CX推進部
お客さまサポート室 渉外グループ グループ長
たなか・ゆうさく/2002年入社。入社後、羽田空港国内旅客対応、国際線客室乗務を経験。その後人事部門にてHRDや意識改革に10年間従事。2018年から3年半、中国/北京にて支店運営の実務を担うとともに、コロナ禍、日中間の定期路線維持のため中国航空当局との折衝等を担当。帰国後、DE&I促進を担う特例子会社(JALサンライト社)への出向を経て、2024年3月から現職。
- 土田 秀則さん
- 日本航空株式会社 カスタマー・エクスペリエンス本部 CX推進部
お客さまサポート室 渉外グループ 主席マネジャー
つちだ・ひでのり/1988年入社。入社後、成田空港国際旅客、沖縄国内旅客、グアム空港所にて旅客対応業務を経験。続いて、客室乗務員の乗務スケジュールなどを作成する業務に従事。その後、国際旅客販売部にて企業セールスを行い、中国/青島へ赴任。現地では主にお客さま業務全般に従事。帰国後、国際線旅客予約、羽田空港国内旅客対応、JMB事務局コールセンター業務などを経て、2016年5月から現職。
顧客に寄り添いつつも、客観的な判断を行う「2.5人称の視点」
貴社では4年前からカスタマーハラスメントに対する取り組みに力を入れているとのことですが、取り組みを始めた背景をお聞かせください。
土田:「JALフィロソフィ」というグループ企業理念でもうたわれているとおり、私たちはお客さまに最高のサービスを提供することを目標に従業員一丸となって取り組んでいます。一方で、お客さまからの明らかに過剰で理不尽な要求に対しても寄り添い続けてしまうことが恒常的に発生していました。対応にあたる従業員に多大な精神的な負担がかかり、休職や、最悪の場合は離職に追い込まれることも少なくありませんでした。将来を担う大切な従業員がそのような理由で職場を離脱していくことに会社として強い危機感を覚えていました。
そのような中、令和2年6月の厚生労働省告示第5号で、顧客などからの著しい迷惑行為に関して事業主が行うことが望ましい取り組みの内容が示されたことを機に、社内に「カスタマーハラスメント分科会」を立ち上げ、お客さまの迷惑行為に対する取り組みを行うことになりました。
安部:カスタマーハラスメント分科会では、厚生労働省によるマニュアルを参考に自社でのカスタマーハラスメントの判断基準を策定しました。実は、飛行機内では航空法が適用されるため、安全阻害行為に該当するような行為に対しては毅然(きぜん)とした対応をとることができていました。一方で予約部門や空港・市内カウンターなどの地上部門では、明確な後ろ盾となるものがありませんでした。そのため、まずは判断のよりどころになるような基準を定めたという経緯です。
貴社では「カスタマーハラスメント」をどのように定義しているのでしょうか。また、現場で起きている事案としてはどのようなものが多いのでしょうか。
土田:厚生労働省の定義をふまえ、当社におけるカスタマーハラスメントの定義を「顧客または取引先などからの優越的な立場を利用した、航空法に定める安全阻害行為と、他の不法行為に該当する行為およびこれにつながりかねない行為、または義務のないことや社会通念上相当な範囲を超える対応を要求する行為により従業員の就業環境を害されること」と定めました。その上で、具体的にどのようなカスタマーハラスメントが存在しているのか、お客さま対応が発生する予約部門、空港、客室部門、および市内発券部門などの実態を調査し、現状把握を行いました。その結果を基に現場で起きている事例を16項目に分類し、カスタマーハラスメントに該当するか否かの判断基準として定めました。
田中:カスタマーハラスメント該当項目のうち、特に多いものとしては暴言、大声、暴力行為、長時間に及ぶ従業員の拘束などが挙げられます。当社は女性従業員が多いため、残念ながらセクハラ行為もあります。
通常の範囲内の要望とハラスメントとの間の線引きが難しいと思いますが、どのように切り分けているのでしょうか。
土田:おっしゃるとおり、通常の要望とカスタマーハラスメントを切り分けるのは非常に難しいことです。そのため、「2.5人称の視点」を意識するようにしています。当社では「安全の砦」というお客さまに対する提言書を作成しており、そこに明記されている言葉です。安全管理の観点で使われている言葉でもありますが、お客さまの接客においても2.5人称の視点がとても重要であると考えています。
安部:2.5人称の視点とは、「自分や自分の家族が乗客だったら」という視点(1人称、2人称の視点)と、客観的な視点(3人称の視点)を併せ持った視点のことです。つまり、お客さまの要望や不満に対して、まずは「私や私の家族だったらどう思うだろう」という視点で真剣に傾聴し、誠意を持って説明を尽くします。その上で複数の人の目で客観的に確認し、度を越えた言動であるかどうかを判断する、ということです。
土田:判断する際は、単に「声が大きい」「怒鳴っている」といったことだけでハラスメントだと認定するのではなく、お客さまの主張に耳を傾けた上で慎重に判断しています。応対している社員の経験が浅い場合などは上席担当者が対応を代わったり、さらに上のマネジャーの判断を仰いだりして、複数の目で確認します。その結果、やはりお客さまの行為が過度であるいう判断に至った場合は、会社はその判断を尊重して全面的に社員をバックアップします。
事例を基にしたシナリオ集や研修コンテンツを作成
カスタマーハラスメント対策における、具体的な取り組みについて教えてください。
田中:まずは先ほどお伝えしたとおり、厚生労働省によるマニュアルを参考に自社でのカスタマーハラスメントの判断基準を策定しました。その基準を既存のお客さま対応マニュアルやガイドラインの内容に追記する形で社内規定の中に盛り込みました。さらに現場レベルで活用できるように具体的な事例を基にしたシナリオ集やQ&A集を作成し、既存の研修や訓練の枠組みの中に盛り込むことで、国内のJALグループ全体に向けて展開しています。
土田:シナリオ集やQ&A集の作成では、場面別に具体例を用意しました。お客さまからの要望に対して社員ごとに異なる対応をしてしまうと、「あのときはこうしてくれたのに」と別のご意見が発生してしまう可能性があります。そのため、具体的な事例を多く載せることで想定されるパターンを網羅し、誰が対応しても同じ回答ができるようにしました。
田中:併せてe-learningでの研修コンテンツも作成し、啓発を図っています。JALグループ社員3万5000人のうち、2万人が受講済みです。特に顧客接点の多いサービスフロントの社員には重点的に視聴してもらうことを意図していますが、社内のイントラネット上に掲載し、JALグループ社員であれば誰でも閲覧できる状態にしています。
研修コンテンツやシナリオ集などは、お客さまサポート室で作成されているのでしょうか。
田中:はい。客室部門や管理職層などから具体的な事例が報告されてくるため、それらを参考にしながらお客さまサポート室で教材を作成しています。とは言え、我々の力だけでは難しいため、法務部スタッフや社外弁護士など法律の専門家、安全推進本部や各サービスラインの空港本部、客室本部などの関係部署と連携しながら教材を作成しています。
内容に関しては、カスタマーハラスメント対応だけにフォーカスしないように気をつけています。サービス品質を向上させること、お客さまの意見や要望に対して誠実に対応することが大原則であることを再確認します。それでもトラブルになってしまったケースに対してはこのように対応していきましょう、という一連のストーリーで伝えることを意識しています。
シナリオなどでは、例えば顧客の発言内容や拘束時間など、毅然とした対応に移る際の具体的な目安も示されているのでしょうか。
安部:これ以上のことがあった場合はカスタマーハラスメントとして毅然とした対応をしてよい、という一定の目安を示してはいます。ただ、その目安に達したからといって機械的に線引きするのではなく、あくまで一例として伝えています。その時々によってお客さまの置かれている状況やそれまでのやりとりの経緯、 きっかけが私たちの不手際の場合であれば、その度合いも違うので、総合的に判断し適切に対応する必要があります。
一例が示されていなかったときは、明らかに理不尽な状況でも「我慢しなければ」と思っていた社員たちが、「理不尽な状況ではNOと言っていいのだ」と思えるようになったという点で、基準を示した意義があったと思います。
ただ、先ほどの2.5人称の話にもつながりますが、お客さまの声を誠実に傾聴して共感することが大前提です。それでも度を越していると判断される場合や、他のお客さまの迷惑となるような場合には毅然とした対応が必要ですが、あくまで前提を忘れないことをセットで伝えるように意識しています。基準は判断を助けるものではありますが、あくまで基準です。個々のお客さまの声を傾聴して、状況によって判断していくことが一番大切です。
田中:マニュアルを整備することも大切ですが、画一的にしすぎないことも大切です。我々としては、多様な事例を共有することで継続的に粘り強く浸透させていきたいと考えています。
「声をあげていい」と思えることが社員の安心感につながる
取り組みの結果、具体的な効果や変化は見られましたか。
安部:お客さまからの著しい迷惑行為に対して、毅然とした対応ができるようになったという反応が現場からありました。これまでは、「どこまではサービスとして対応する必要があり、どこからがいわゆるカスタマーハラスメントに該当するのか」という明確な線引きがわからなかった、そもそも線引きしてよいのかもわからなかったといいます。しかし、会社としてカスタマーハラスメントにしっかりと向き合う姿勢と具体的な基準を提示したことで、社員が明確な後ろ盾を持って対応できるようになりました。これは大きな変化だと感じています。
土田:必要な際に毅然とした対応をとれるようになったことで、サービスに集中できるようになり、結果としてより良いお客さま対応につながっているといった声もありました。
カスタマーハラスメント事案の報告件数に変化はありましたか。
安部:判断基準を策定した時期が、ちょうどコロナ禍によりお客さまが極端に少ない時期と重なっていたため、定量的な変化をみることは難しいのですが、肌感覚としては、報告件数は増えているように思います。以前であれば報告されなかった案件もきちんと報告されるようになったのです。会社がカスタマーハラスメントに関する指針を出したことによって、「声をあげていいんだ」と感じてもらえているのではないでしょうか。
田中:研修や啓発の効果からか、大きなトラブルに発展する前に収められたケースも増えていると感じています。誠意を持って対応した上で「これ以降の対応はいたしかねます」と線を引くことで、お客さまも「わかった」と理解してくださることもあります。社員には「お客さまからの過度な言動によって、怖い、つらいと感じた際はその気持ちを表現してもよい」と伝えているのですが、そうした気持ちを伝えることで、お客さまに冷静さを取り戻していただけたケースもありました。会社の一連の取り組みによって、社員がハラスメント行為を我慢して受け入れることなく、必要な場合に毅然とした対応をとることへの後押しができたと感じています。
カスタマーハラスメントに遭った社員に対するメンタルケアなどで、何か実施していることはありますか。
土田:そうした事案が起きてしまった場合、会社は全面的に社員をバックアップし、社員個人の負担を最小限に抑える努力をすると、全社員にメッセージとして伝えています。
それでも大きな精神的な負担がかかることもあるため、心の不調を感じた際は社内の産業医やカウンセラーに相談できる体制を構築しました。グループを含めて全国各地に事業所や営業所があるので、 必要に応じて現地の外部機関と契約するサポートも本社で行っています。
他社と連携しながら、社会的認知の向上に努めたい
現在直面されている課題や、今後取り組んでいきたいことはありますか。
田中:まずは現在の取り組みを継続していきたいと考えています。お客さまサポート室には客室乗務員出身の社員など、現場をよく知るメンバーも在籍しています。さまざまなバックグラウンドを持った社員が力を合わせて取り組んでいきたいですね。
一方で、社内だけで取り組みを行っても、多くのお客さまにご理解いただけない現状もあります。適切なタイミングで企業としての対応方針を社外にも示し、お客さまにカスタマーハラスメントの定義をご理解、ご認識いただいて、さらに防止していくことが重要です。そのために業界団体や同業他社などと連携しながら、準備を進めていきたいですね。
安部:カスタマーハラスメントの領域では、まだ法的な後ろ盾がないため苦慮している部分もあります。だからこそ社内で基準を作ったのですが、整備が進めば、社会的にもカスタマーハラスメントに対する認知が広がります。昨今ではメディアで取り上げられることも増え、旅館業界など他業界で法整備が進むなど、社会の動きも加速しています。そうした動きに期待しつつ、我々も感度を上げて、動きがあった際は連動して規程などに反映していきたいですね。
田中:法的な後ろ盾ができると我々としても心のゆとりを持ってより良いサービスにつなげられます。社会の認知が上がって発生率自体が減るとありがたいですね。
最後に、これからカスタマーハラスメント対策に取り組もうとしている企業に向けて、メッセージをお願いします。
土田:まずはサービスや商品の品質を上げることが第一です。お客さまに満足していただくことでクレーム自体を減らすことは、あらゆる業種で重要だと考えています。そのうえで、社内でカスタマーハラスメント対策の体制を構築し、社員が安心してサービスにあたれるようにしていけると良いのではないでしょうか。
田中:私たちもまだ学びながら、試行錯誤をして取り組んでいます。当社の取り組みが何かの参考になれば非常にうれしいですが、他の業種の企業も含めて一緒に頑張っていきたいという気持ちが強いです。カスタマーハラスメント対策に取り組む企業が増えることで、世の中の認知が広がり、好循環が生まれていくと思いますので、ぜひ一緒に取り組んでいきましょう。