ヒト・モノ・カネの崩壊から「1万社のインフラ」へ
「明日の仕事が楽しみな世の中」へと導く採用テクノロジーの本質
HRクラウド株式会社 代表取締役社長
中島 悠揮さん

「稼ぐ」ことだけにまい進した20代前半の野心と、その裏で直面した手痛い「組織崩壊」の洗礼。ヒト・モノ・カネのすべてを失いかけた修羅場の底で、自らの経営姿勢を省み、見いだした「ミスマッチのない世の中」というビジョン。採用AIエージェント「採用一括かんりくん」を展開する、HRクラウド株式会社 代表取締役社長の中島悠揮さんは、自らの歩みを「圧倒的な量の積み上げ」だったと語ります。AIの登場によって採用市場が激変しつつある今、人事パーソンが向き合うべき真の時間、そして働く人々が手にするべき「成長実感」とは――。
- 中島 悠揮さん
- HRクラウド株式会社 代表取締役社長
なかしま・ゆうき/大学に進学後、2009年、大手就職情報会社へ入社。2011年、楽天へ転職。27歳となった2014年にかねてからの目標であった起業を果たし、採用AIエージェント「採用一括かんりくん」をリリース。テクノロジーによる徹底的な採用業務の効率化と、求職者と企業が深く相互理解できる仕組みづくりを追求し、日本全体の採用力向上と適材適所の実現を支援している。
憧れる経営者との出会い。野心に燃えた学生時代
どのような学生時代を過ごされていましたか。
高校生のときに祖父が入院したことがきっかけで介護の世界に興味を持ち、福祉を学べる大学に進学しました。当時は本気で介護の勉強をして社会に貢献しようと考えていたんです。ところが、大学に進学する直前に祖父が亡くなってしまいました。さらに、実際に介護現場の実態を深く知るにつれて、あまりの過酷な労働環境に直面し、「自分が一生の仕事として選択するのは難しいのではないか」と気づかされました。そこからは、福祉の勉強にほとんど身が入らなくなっていったんです。
勉強に代わって熱中したのが、他大学のサークルと連携して毎月100人規模の就活イベントやパーティーを企画・主催するビジネスのような活動でした。自分でイベントを企画し、集客し、利益を出す。その過程が面白くてたまりませんでした。
その頃、アルバイト先であるバーで出会った、30代前半の若い経営者の方が、私をすごくかわいがってくれたんです。彼が若くして数千万円、数億円という大金を動かし、堂々と会社を経営している姿を見て、強烈に憧れると同時に野心を抱きました。「自分がこの人と同じ年齢になったときは、絶対にこの人が出している数字を超えてみせる」と心に誓いました。そこから、27歳での起業と「30歳までに1億円の規模の会社にする」という具体的な目標を設定し、逆算するように学生生活を過ごすようになりました。
大学を卒業されてから、人材・広告系の会社を選ばれたのはどのような理由からですか。
大学を卒業する時点では、具体的に何の事業で起業すればいいのかが全く見えていませんでした。そこで、まずは世の中の縮図を知るために「最も多くの業界、最も多くの会社の内情を短期間でのぞき見ることができる場所に行こう」と考えたんです。そうなると、選択肢は自然と人材業界か広告業界に絞られました。
その両方を手掛けていた、大手の就職情報会社に入社し、営業職として2年間お世話になりました。当時の直属の上司だった方には、マンツーマンで営業のイロハを徹底的にたたき込んでいただきました。今の私の営業の基礎は、間違いなくこの2年間で培われたものです。
ただ、タイミングとしては最悪でした。当時はリーマンショックの直後で、日本経済全体が完全に冷え切っているどん底の時代です。どの企業も採用予算を真っ先に削る。そんな中で毎日飛び込み営業を繰り返していました。インターホンを押しても断られ、ようやくアポを獲得して訪問できても、目の前で名刺を破り捨てられるような理不尽な洗礼を何度も受けました。インセンティブ制度はありましたが、不景気ゆえに誰も成果を出せていない。成果が正当な報酬に直結しにくい環境に、非常にもどかしい思いを抱えていました。
その後、24歳という若さで楽天へと転職されますが、どんな転機があったのでしょうか。
当時は、ガラケーからスマートフォンへと世の中の通信インフラが劇的に移行し始めていました。それまで会社が多額の予算を投じていたサービスが、スマホの登場によって一瞬で過去の遺物になっていく。そのスピードを見たときに、「これからの時代、ITというトレンドを味方につけなければ、どんなビジネスを立ち上げても一瞬でつぶれる」と確信しました。そこで、最先端のITビジネスとWebマーケティングを学ぶために、楽天への転職を志願したんです。
楽天では、「みん就」という新卒採用に特化した口コミメディアの部署に配属され、広告営業を担当しました。前職のような求人広告の枠売りとは全く異なり、メディアの特性を生かして企業の採用課題を根本から解決する「コンサルティング営業」でした。これが本当に面白かった。
特に印象に残っているのは、ある大手の予備校から「とにかく他社に負けない規模の母集団が欲しい」という難易度の高い相談を受けたときのことです。私は、学生が必ずチェックするライバル企業の掲示板や、特定の志望企業のページをジャックし、就活生の興味を引く「適職診断」のバナーを網羅的に仕掛けるという施策を提案しました。
これが狙い通りに爆発的なヒットを記録し、その年の予備校の母集団形成は過去最高を記録してお客さまに喜ばれました。この成果が社内でも高く評価され、クオーターで最も活躍した社員に贈られる「楽天賞」をいただくことができました。

27歳で待望の起業。その裏で待っていた組織の崩壊
27歳になり、起業されます。どのようなスタートだったのですか。
有言実行で27歳のときに登記はしたものの、まだ具体的な自社プロダクトはありませんでした。そこでまずは、当時新卒紹介ビジネスを立ち上げたばかりで、公私ともに仲の良かった先輩経営者の会社に参画し、立ち上げのサポートを行いました。彼らのオフィスの一角に自分のデスクを置かせてもらい、私がこれまで培った営業とマーケティングのノウハウをフルに注ぎ込んで、新卒のメンバーを教育していきました。彼らの事業が完全に軌道に乗ったのを見届けてから、半年後にようやく自分の独立したオフィスを構えることになりました。
最初は、新卒の人材紹介や求人媒体の代理店など、キャッシュが回る仕事であれば何でもやりました。とにかく学生を集めて企業に引き合わせる。一見、売り上げは順調に伸びているように見えましたが、華々しい数字の裏側で、組織としては厳しい局面を迎えていました。
私たちが必死に企業へ紹介し、入社が決まった学生たちが、1年を待たずに次々と早期退職してしまったんです。入社前は「中島さんのおかげで最高の会社に出合えました!」と目を輝かせていた若者たちが、数ヵ月後には暗い顔をして「申し訳ありません。あの会社、辞めました」と連絡してくる。そんな事例が何度も繰り返されるうちに、自分の仕事に対する疑問がわいてきました。単発の人材紹介という「点」のビジネスではなく、企業と求職者が本質的にマッチングし合える「インフラ」そのものを作らなければダメだと、強く思うようになったんです。
社内の組織マネジメントでも、大きな挫折を経験しました。当時の私は、最悪な社長でした。「みんなで稼ごう」「早く上場して金持ちになろう」という表面的な言葉ばかりを並べ、自分が大きな案件を取ってくることだけに満足していたからです。社内の仕組みづくりや、メンバーの精神的なケアといったマネジメント業務を完全に放棄していたんです。
当時、私の「稼ごう」というギラギラした熱量にひかれて、多くの優秀な若者たちが入社してくれていました。しかし、社内に入ってみれば社長は外を飛び回っているだけで、自分たちは具体的なビジョンも共有されず、ただ数字を追わされるだけ。完全に放置状態です。そんな環境に耐えられるはずもなく、メンバーは一人、また一人と去っていきました。
ある日、新卒の社員から「中島さん、この会社の成長を妨げているのは、あなた自身です」と、涙ながらに突きつけられました。あのときの言葉は、今でも胸に突き刺さっています。
さらに追い打ちをかけるように、私が最も信頼し、右腕として会社のナンバー2に据えていた昔からの親しい仲間が、突然会社に来なくなるという事態も発生しました。
信頼していた仲間の裏切り、新卒社員たちの離反、そしてビジネスモデルへの不信感。ヒト・モノ・カネ、すべてが崩壊し、会社は倒産寸前まで追い込まれました。当時の私は、毎朝会社に向かうために家のドアノブを握るだけで、手の震えが止まらなくなるほどの状態に陥っていました。
「採用一括かんりくん」誕生、コロナ禍で賭けた大勝負
文字通りのどん底から、どのようにして現在の主要プロダクトである「採用一括かんりくん」の成功へとはい上がったのでしょうか。
「採用一括かんりくん」の最初のコンセプトは、今とは全く違うものでした。当初は、他社で不合格になった求職者のデータを、クラウド上でシェアし合えるプラットフォームとして開発をスタートしたんです。「A社では不採用だったけれどB社の人材要件にはマッチする」という学生を救い出せる画期的な仕組みだと信じていました。
しかし、実際に開発して多くの企業に提案して回ると、反応は冷酷そのもの。「わざわざ他社が落とした売れ残りの学生データなんて、お金を払ってまで欲しくない」と一蹴される日々が続きました。さらに、ある高名な経営者の方にアドバイスを求めにいったところ、「このシステムは学生を甘やかす」と、完全に否定されました。
その瞬間に私の心は完全にポキリと折れ、他社とのデータシェアというメイン機能を捨てることを決断しました。提案に回る中で、企業が口をそろえて「自社の採用進捗(しんちょく)をクラウド上で一元管理できるシステムとしてはすごく使いやすいので、そこだけ売ってほしい」と言ってくれたんです。市場の生の声に耳を傾け、自社のエゴを捨てて「クラウド型採用管理システム」へと舵(かじ)を切り直しました。2017年ごろ、現在の「採用一括かんりくん」の誕生の瞬間です。
そして、2018年から2019年にかけて、一つの大きな転機が訪れました。当時は新卒の人材紹介事業も手掛けていたのですが、学生を呼び込むための「集客」の仕組みがようやく軌道に乗ったのです。
アフィリエイト広告を活用した学生の集客施策をスタート。当時はまだ、新卒採用の領域でアフィリエイト広告を本格的に運用している競合他社がほとんど存在していなかったため、市場にうまくはまりました。他社よりも圧倒的に安いコストで、効率的に学生を集客できる仕組みを確立することに成功したのです。
同時にそのころ、社内組織を根本から作り直すために、二つの大きなメスを入れました。
一つ目は、単に「稼ごう」という数字の目標を廃止し、「明日の仕事が楽しみな世の中を創る」という明確な会社のミッションを掲げたこと。外面の条件ではなく、このビジョンに本気で共感してくれる人だけを採用する「ビジョン採用」に変えました。
二つ目は、感覚的でブラックボックス化していた評価制度を廃止し、何をどれだけ達成すれば、どのように基本給が上がっていくのかを透明化したこと。この二つの改革によって、それまで人が辞め続けていた組織の定着率が安定しました。そして、2019年頃にようやく安定的に「黒字」を出せる状態にまで持っていくことができたのです。
それまでに積み重なっていた累積の赤字が数億円規模に達していたため、依然として銀行から融資を受けられるような状況ではありませんでした。しかし、人材紹介事業によって手元のキャッシュ(現金)はなんとか回っていました。
人材紹介事業によって生まれた資金を元手に、私たちは「採用一括かんりくん」というプロダクトをより良いシステムにするための投資を、諦めることなくひたすら継続していくことができたのです。
そして2020年、世の中を襲ったコロナ禍が、最後の大きな転機になりました。
私たちが地道に積み上げてきた人材紹介の売り上げが半減。会社が倒産するのではないかという恐怖が頭をよぎりました。しかし、ここで奇跡が起きました。国からのコロナ対策の緊急融資として、過去の実績からは考えられない「2億円」という巨額の資金調達が無担保で実行されたのです。
同時に、多くの企業が「対面での面接が一切できない。リモートで人を採用しなければ会社がつぶれる」という、パニックに直面していました。画面越しでの採用管理、オンライン面接ツールのシームレスな連携、LINEでの迅速な学生フォロー。これらを一元管理できる私たちのシステムに対する問い合わせが、何倍にも急増したんです。
「歴史が動く瞬間は、今しかない」と確信しました。私は、調達したばかりの2億円のほとんどを全て突っ込んで、大勝負に出ました。当時はまだ競合がほとんど手を出していなかった「タクシーCM」に数千万円規模の予算を一気に投下。ギャンブルとも言える大勝負が見事に的中し、「採用一括かんりくん」の導入社数は爆発的なスピードで純増していきました。

日本の採用が抱える「3重苦」の解消と、業務自動化の先にある未来
長年、採用市場の前線で戦ってこられて、現在の日本企業の「人事・採用」に関する課題をどう捉えていますか。
日本の採用担当者は今、構造的な「3重苦」の中にいます。少子化により「母集団が形成できないこと」、売り手市場ゆえに「内定を出しても簡単に辞退されてしまうこと」、それらを処理するための「人事の人手が圧倒的に足りないこと」です。
特に問題なのは、人手不足によって、採用担当者が面接日程の調整や、メールやチャットでの返信といった単純業務に忙殺されていることです。本来、人事が最もクリエイティブに時間をかけるべきは、「目の前の学生の悩みに寄り添い、自社の魅力を深く語り合う時間」であるはずなのに、そのための時間が残されていない。これではミスマッチが起きて当然です。
私たちの「採用一括かんりくん」を導入すれば、独自のAIと高度なロボティクス機能によって、人事が手作業で行っていたルーティン業務の「約8割」を完全に自動化できます。システムによって単純業務から完全に解放された人事が、求職者一人ひとりと本質的な対話に向き合える環境を作ること。それこそが、日本の採用のミスマッチを根本から解消する唯一の解決策だと確信しています。
日本の新卒市場において、これまで数多くのミスマッチが起きていたのはなぜでしょうか。
現在の就職活動の仕組みそのものに構造的な原因があります。
現在、多くの学生が利用する大手就職情報メディアには、膨大な数の企業情報が掲載されています。社会に出たことのない学生が自分に本当に合った企業を自力で見つけ出すのは、至難の業と言えるでしょう。
結果として、学生側は「なんか自分に合いそうだ」という漠然としたイメージや、誰もが知っている「有名企業」「ネームバリューのある企業」を基準に選ばざるを得なくなっているのが現状です。企業側がいかに学生に対して「当たり障りのないきれいな言葉」を並べ、学生側もそれに対して「当たり障りのない志望動機」を語って内定を獲得したとしても、そこには本質的な相互理解が存在していません。
今後、採用支援業界全体はどのように変化していくとお考えでしょうか。
AIの登場や普及によって、採用支援業界には間違いなくパラダイムシフトが起きます。これまではホワイトカラーの採用支援が中心でしたが、AIによってホワイトカラーの仕事自体が減少していくと、日本の採用市場もアメリカのようにブルーカラーの比率が高い構造へと変わっていくはずです。
こうした大きな変化が起きる過渡期は、一時的に採用支援業界全体の市場が落ち込むリスクもあります。だからこそ、新たなターゲットへのアプローチや、単に「業務が効率化する」だけではない、業界のイノベーションを先導するような付加価値の提供が、これからの採用支援ベンダーには強く求められると考えています。
「1万社の採用インフラ」の構築から、日本の労働幸福度の底上げへ
貴社の今後の展望をお聞かせください。
私たちが今、最も力を入れているのは、導入企業数を一刻も早く「1万社」の大台に乗せることです。単に自社のシェアを広げたいという話ではありません。「採用一括かんりくん」を導入する企業が1万社を超えると、膨大なリアルな採用データ、選考データ、定着データが集積されることになります。
この日本最大級のデータをベースにAIを機能させることで、これまでどこの人材会社も成し遂げられなかった、日本全体での高精度な「最適配置(適材適所)」のプラットフォームを構築できると考えています。
世界各国の労働状況の調査において、日本の「仕事を楽しめている人の割合」は驚くほど低い数値を記録しています。このゆがんだ構造の原因は、学生時代や転職時の「相互理解の不足」によるミスマッチにあります。この不幸な構造を、私たちのシステムというインフラを通じて破壊し、日本中の働く人々が「明日仕事に行くのが楽しみだ」と思える世の中に変えていく。これが、私のこれからの人生をかけた使命です。
企業と求職者のミスマッチをなくしていくことが、なぜ「仕事が楽しい」と感じる世の中をつくることにつながるのでしょうか。
人が仕事に対して「楽しい」と感じたり、前向きに取り組めたりするようになるための最も大きな要素は、日々の業務における「成長実感」の有無にあると考えています。
もちろん、成果に対する正当な「報酬」があることもビジネスパーソンにとっては非常に大切な要素です。しかし、それ以上に「昨日までできなかったことができるようになった」「自分のスキルが上がっている」という内発的な成長の実感が、働く喜びの根底にあると思います。
今、日本の労働市場において「仕事を楽しめている」と感じる人の割合が劇的に低い状態にあるのも、多くの人が自分の能力を最大限に発揮し、成長を実感できる環境に出合えていないからではないでしょうか。
だからこそ、私たちは企業と求職者の間にある「ミスマッチ」をシステムによって徹底的に排除したいと考えています。自分にマッチした環境、つまり自分の強みを生かせる組織に入社できれば、おのずと周囲から求められるようになります。そこで適切な挑戦を繰り返し、成功体験を積むことで、初めて本質的な「成長実感」を得られるのです。さらに、そうして自分が成長しているという確かな手応えが得られれば、承認欲求も満たされ、自律的にモチベーション高く働き続けることが可能になります。
中島さんは、数々の修羅場を経験されながらも、ぶれずに一貫して挑戦を継続されています。その力は、どこから生まれているのでしょうか。
自分一人で何かを成し遂げているという感覚は全くありません。むしろ私は、これまでのキャリアを通じて常に「周りの人たちに助けられてきた」タイプの人間だと思っています。
例えば、当社のサービスが多くのお客さまに使っていただけるようになったのは、どんなに売れない時期でも、メンバーが諦めずにプロダクトを作り、改善し続けてくれたからです。特に創業期から一緒にサービスを作り上げてきたCTOは、最初の3年間、会社に寝泊まりすることも珍しくないほど開発に打ち込み、サービスの成長を支えてくれました。
人が辞め続けてボロボロだった組織が安定したのも、新しく加わってくれたメンバーが中間層となり、下を育てる組織の「厚み」を必死に作ってくれたおかげです。
CMを打って勝負に出た時も当時の営業部長が「これは社長が人生を賭けた大勝負だから俺が絶対に成功に導いてみせる」と言ってくれました。
社内のメンバーだけでなく、社外でも多くの経営者の先輩方に支えていただきました。特にコロナ禍で会社の存続すら危ぶまれた時には、「中島の会社は俺が潰させない。だから大丈夫だ」と声をかけていただき、その言葉に何度も救われました。
私が一人でやっていたら、間違いなく心が折れていました。私がぶれずに続けられているのは、「ついてきてくれた仲間を絶対に裏切りたくない」「この人たちと一緒に次の素晴らしいステージへ行きたい」「いただいた恩をしっかり返したい」という強い思いがあるからです。
中島さんの歩みをうかがっていると、周囲の人々が思わず「助けたくなる」ような不思議な魅力を感じます。その理由はご自身でどう捉えていますか。
私は「人への感謝」と「尊重」という姿勢を何よりも大切にしています。幼い頃から父親に「とにかく人を尊重しろ」と口酸っぱく言われ続けてきたこの価値観は、当社の一番のコアバリューにしている言葉でもあります。
誰かが何かに新しく「チャレンジしよう」としているとき、私はそれを否定したり、止めたりしません。いつでもその人の一番の応援団長になることを心がけています。たまに本質から外れた行動をするメンバーがいれば注意しますが、基本的には「相手の思いや挑戦を尊重する」という姿勢を貫いています。そうした私のスタンスが、結果として周りの人たちに伝わり、困ったときに手を差し伸べてもらえる関係性につながっているのかもしれません。
これからのHR業界を担っていく若きビジネスパーソンへのメッセージをお願いします。
20代のうちはとにかく「圧倒的な量」にコミットしてほしい、ということです。
最近の世の中は、タイパや効率、スマートな働き方がもてはやされ、20代の若いうちから「量より質で勝負します」と賢く立ち回ろうとする人が増えているように感じます。しかし、それは大きな勘違いです。30代、40代になれば、体力的にも、背負う社会的・家庭的責任の面でも、物理的に「圧倒的な量をこなす」という働き方はできなくなっていきます。人生において、損得を抜きにして、打席に立ち続けられるのは、20代のわずかな期間だけです。
「量」の経験の先にしか、本質的な「質の変化」や「自分の中の基準値の引き上げ」は絶対に起きません。圧倒的な量に挑んだ経験は、10年後、20年後にあなたを支える絶対的な自信というインフラになります。
AIがどれだけ賢くなろうとも、最後にビジネスを動かし、人を感動させるのは、生身の人間が持つ情熱と執着です。自分たちがこの国のインフラを変え、働く人々を幸せにするんだという高い誇りと野心を胸に、共にこのHRの世界で、圧倒的な挑戦を続けていきましょう。

(取材:2026年5月27日)
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- 理解しやすい
| 社名 | HRクラウド株式会社 |
|---|---|
| 本社所在地 | 東京都千代田区紀尾井町3-6 紀尾井町パークビル7階 |
| 事業内容 | HRテック事業 |
| 設立 | 2014年4月2日 |

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