「みんなが言っているから」で選ばない――「合理」と「人間」を突き詰めたキャリアと人材ビジネス経営
縄文アソシエイツ株式会社 代表取締役社長
古田 直裕さん

不登校を経験した少年時代、戦略的に理系を選んだ大学受験、業界トップの企業からの内定を蹴って選んだ工場勤務。エグゼクティブ・サーチを手掛ける、縄文アソシエイツ株式会社の代表取締役社長・古田直裕さんのキャリアは、常に「多数派への疑義」と「独自の合理性」に貫かれています。MBA取得後、世界的企業での経験を経て、なぜ古田さんは「エグゼクティブ・サーチ」という人材ビジネス領域に足を踏み入れたのでしょうか。そこには、天才たちと渡り合うための冷徹な自己分析と、日本の産業構造を変えたいという熱い思いがありました。キャリアの岐路で何を考え、どう決断してきたのか。人材ビジネス業界を担う若手へ伝えたい哲学とは。古田さんの半生と仕事観に迫ります。
- 古田 直裕さん
- 縄文アソシエイツ株式会社 代表取締役社長
ふるた・なおひろ/立教大学理学部卒業後、巴川製紙所(現・巴川コーポレーション)に入社。工場実習や生産管理を経て、事業企画部門にて海外事業の運営に携わる。その後、カーネギーメロン大学テッパー経営大学院を修了(MBA)。米国グレンジャー社に入社し、中国・インドでの販路拡大やモノタロウの海外事業支援を行う。帰国後、日本人がグローバルに活躍する環境を支援すべく縄文アソシエイツに参画。2020年、代表取締役に就任。カーネギーメロン日本同窓会幹事も務める。2025年から、世界最大級のエグゼクティブ・サーチのネットワークであるAMROPのグローバルボードメンバーにも就任。
戦略的な「理系」選択と、反骨の就職活動
どのような少年時代を過ごされたのでしょうか。
小学校4年生の後半から不登校になり、学校に行ったり行かなかったりを繰り返していました。中学受験を経て、渋谷教育学園幕張中学校・高等学校(渋幕)に進学しましたが、当時はまだ現在ほど偏差値が高い学校ではありませんでした。中学1年の最初の半年ほどは毎日通いましたが、トータルで見るとあまり通えず、悩み多き中高生時代だったといえます。
そこから勉強し、立教大学理学部に進まれたのですね。
1年浪人をして入学しました。浪人しているときも、このまま大学に進学するか迷っているぐらいだったのですが、夏を過ぎた頃に「さすがにどこかの大学には入らなければ」と焦り始めました。不登校の期間が長かったため、そこから文系科目を勉強しても間に合いません。国公立は無理ですが、私立理系であれば、数学、化学または物理、英語の3教科で勝負ができます。半年間の勉強でなんとか行けて、行きたいと思える大学と学部を戦略的に選んだ、というのが実情です。
大学ではどのような学生生活を送られましたか。
理系でしたが、研究者になりたいという強い動機があったわけではなく、4年間学んだら就職するつもりでした。そのため、研究室選びも「大学院進学を前提としない」場所を選びました。教授が30代後半と若く、雰囲気も良かったのでその研究室に決めましたが、たまたま触媒の立体構造の計算、いわゆるコンピューターケミストリーを扱う研究室でした。プログラミングなどに触れる機会はありましたが、学問そのものへの深い探求心というよりも、就職を見据えた現実的な選択でした。
製紙メーカーである巴川製紙所(現・巴川コーポレーション)に入社された理由をお聞かせください。
本を読むことが好きで、印刷会社や紙を作る会社であれば、発売前の本が読めるのではないかという、今思えば安直な動機もありましたが、真剣に考えたのは「メーカーであること」「BtoCよりBtoB」という点です。消費財や小売りにはあまり関心が持てず、化学の知識が活かせるメーカーが良いと考えました。
就職活動の際、それぞれ業界は違いますが、業界トップの会社と、巴川製紙所の2社から内定をいただきました。周囲の友人やキャリアセンターの担当者は、10人中9人が「業界トップの会社に行くべきだ」と助言してくれました。売上などの規模感も圧倒的に違いましたし、業界トップの会社なら最初の配属は東京の営業職が確約されているけれど、巴川製紙所なら静岡の工場勤務になるかもしれないからです。
それでも、巴川製紙所を選んだ理由は二つあります。一つは当時の巴川製紙所の社長が40歳前後と若く、会社の可能性を感じたこと。もう一つは、私の反骨心といえるかもしれません。業界トップの会社の選考過程にどうも納得がいかず、そのような採用方針の会社には行きたくない、と直感的に思ったのです。
私は「みんなが言っているから」という理由で物事を決めるのが好きではありません。たとえ売り上げ規模が違っても、自分を必要としてオファーを出してくれた会社を選ぶほうが、筋が通っていると考えました。この決断が正しかったかどうかはわかりませんが、私の価値観が色濃く反映された選択だったと思います。
現場での「修羅場」と、組織の論理
入社後は、予想通り静岡の工場に配属されたのですか。
はい。結果として非常に良い経験でした。同期は10人程度と少なかったので、一人ひとりに対する会社の期待値が違います。また、最初に作業服を着て、ヘルメットと安全靴を履き、三交代制の実習を行ったことは、今の私にとって大きな財産です。最初から東京の本社で数字だけを見るのではなく、現場で汗をかき、物が作られる過程を知ることができたからこそ、ビジネスの本質が理解できたと考えています。
工場勤務時代に印象に残っている出来事はありますか。
入社して1年ほど経ったところで、大きな失敗を経験しました。工場の事務所では、生活のために夜の9時ごろまで残業をする、いわゆる「生活残業」をしている人が複数いました。私は当時、「仕事が終わったらさっさと帰りたい」と考えていて、周囲との温度差がありました。そうなると、早く帰れるのであればもっと仕事ができるだろうと、どんどん周囲から降ってくる仕事を引き受け続けたところ、キャパシティーオーバーになり、発注ミスをしてしまったのです。

その損失額は約1,000万円に上りました。隠そうと思えば隠せるミスでしたが、私は正直に報告することを選びました。責任逃れをするわけではないですが、新入社員が誰のチェックも受けずに1,000万円の損害が出るミスを起こしてしまう仕組み自体に問題があると考えたからです。しかし、当然ですが、「まずは自分の起こしたミスを反省しろ」と叱られ、異動を命じられました。
隠さずに報告したこと自体は後悔していませんが、組織には組織の論理があり、人の指示や感情が絡む以上、子どもじみた正義だけでは動かないことを痛感しました。
異動先の部署では、あまり仕事内容に興味を持てずにいましたが、幸いなことに先輩に恵まれ、何かとかわいがってもらっていたので腐らずにいられました。ただ、上司に「みそぎが終わったら、異動させてください」と頼み込んでいたところ、入社3年目で事業部の企画職に異動。大企業であれば10年はかかるポジションです。工場建設や投資計画、銀行対応などを早期に経験できたのは、この会社を選んで良かったと思える点の一つです。
その後、リーマンショックのあおりを受け、会社の業績が悪化。それでも、当時の上司が目を掛けてくれて、私を昇格させるという話が出ていましたが、最終的には白紙になりました。理由は「まだ若いから」。また、先述の過去の失敗の話も影響したのかもしれません。能力や直近の実績ではなく、年齢や過去の失敗を理由に機会が閉ざされるのであれば、この環境に居続けるのは難しいと感じました。まだこの会社で学べることは十分にあったと思いますし、尊敬できる上司もいたのですが、若さゆえの近視眼もあり、退職を考えるようになりました。最後、上司は私の決断を応援してくれましたが、今思い返すと、だいぶ浅慮だったと感じています。
「本当に価値あるものは何か、正しいものは何か」
そこで退職を決意し、海外の大学院への留学を選ばれたのですね。
最初は、留学でなく転職を考えていたのですが、リーマンショックの影響で、なかなか良さそうな求人がありません。ちょうどその頃、母が脳腫瘍で亡くなったんです。私は母に対して、不登校で非常に迷惑をかけた、という思いがありました。母は東京大学(東大)出身だったのですが、亡くなる直前、せん妄状態の中で「あなたにも東大に行ってほしかった」と私に漏らしたのです。そこで「東大には行けなかったけれど、これから海外の大学院に行く、というのはどうだろうか」と聞くと、母はとても喜んでくれました。
英語は大の苦手でしたが、会社を辞めてまで学ぶのであれば、中途半端な投資では意味がありません。「母への誓い」と「キャリアへの投資」という二つの理由から、海外MBA(経営学修士)を目指す覚悟を決めました。
進学先にカーネギーメロン大学を選ばれた理由を教えてください。
当時、MBA留学を目指す人の多くは予備校に通い、ランキング上位の有名校を狙うのが定石でした。しかし私は予備校には通わず、独自の戦略を立てました。すでに評価が定まったトップ校ではなく、「これから伸びる大学」に行こうと考えたのです。投資と同じで、現在価値がピークにあるものよりも、これから価値が上がる「上昇局面(登り坂)」にあるものを選ぶべきだ、という信念があったからです。
カーネギーメロン大学はITやデータサイエンスに強みを持っていました。今後社会のデジタル化が進めば、この大学の価値は上がる可能性が高いと予測したのです。また、私の理系バックグラウンドや前職でのERP導入経験も生かせると考えました。結果として奨学金付きで合格し、読み通りその後のITブームで大学の評価も高まりました。
渋幕、カーネギーメロン、そして後に加わるモノタロウ。すべて「これから伸びる」タイミングで選択されていますね。その先見の明はどこから来るのでしょうか。
先見の明というよりは、気質の問題でしょう。「みんなが競争している場所に飛び込まない」と決めているだけです。まだみんなが手をつけていない場所を選ぶ。「本当に価値があるもの、正しいものは何か」と考え続ける。10戦10勝は無理でも、負けても致命傷にならないようにしながら、手数を増やして、その分、より多くの勝負に勝つのが最良と考えています。
「天才」との出会い、そして人材ビジネスへ
MBA修了後、モノタロウの親会社である米国のグレンジャー社に入社されました。
当時、MBA卒業生の就職先として人気があったのは、戦略コンサルティングファーム、金融、製薬企業などでした。私もいくつかオファーをいただきましたが、「MBAで差別化を学んだのに、なぜみんな同じ就職先を選ぶのか」という疑問を持ちました。
優秀なMBAホルダーたちが集まる場所で、長い労働時間を前提としたアウトプットや、政治力を駆使して出世争いをするのは、私の性分に合いません。そんな中、当時モノタロウ(製造業、工事業、自動車整備業など現場で必要なモノのネット通販事業を展開する会社)を率いていた瀬戸欣哉さん(現・LIXIL社長)に出会い、圧倒的な頭の良さ、「人をだましたり、搾取したりしない」という姿勢にひかれました。MBAホルダーが集まる世界では、いかに他人を出し抜くか、という競争になりがちですが、瀬戸さんは真面目で、人を大切にしながらビジネスを構築している。この人の下で働きたいと強く思ったのです。
瀬戸さんとの出会いによって、私のキャリアの方向性が定まりました。「優秀な人たちと同じフィールドで勝負するのではなく、優秀な人たちとは違う視点で貢献する」という道です。
正直なところ、私もそれなりに優秀だという自負はありました。しかし、瀬戸さんを目の当たりにして、自信は打ち砕かれました。瀬戸さんの優秀さは、単に個人の能力が高いだけでなく、ビジネス全体を動かす「仕組み」そのものを創り出せる点にあります。同じ土俵で戦っても、絶対に勝てないと痛感しました。
では、今から私が瀬戸さんのように優秀な人たちと一緒に仕事をし、対等に渡り合うためには何が必要か。考え抜いた末に行き着いたのが、「人材」ビジネスでした。
どれほど優秀なリーダーでも、自分自身のキャリアを客観的に設計することや、自分と同じレベルの優秀な人材を周りに集めることは、難しいものです。一方、人材ビジネスで働けば、人材市場を横断的に俯瞰(ふかん)し、「今、市場はどうなっているか」「あなたのキャリアをどう生かすべきか」といった視点を提供できます。
ビジネスの実績で本人には追いつけなくても、優秀な人たちのキャリアを支援したり、彼らが必要とするエグゼクティブを探してきたりすることなら、役に立てるかもしれない。エグゼクティブ・サーチの仕事に携わりたいと思い、当社に入社しました。私は人事のバックグラウンドが全くありませんし、化学やITといった全く関係のない業界を歩んできました。振り返ってみれば、常に「その場その場で、どうすれば自分が勝負できるか」を必死に考えてきた結果が、今のキャリアにつながっているのだと思います。

「合理的に正しい」ことを追求する人材ビジネス
現在、縄文アソシエイツの代表として、どのようなことに力を入れていますか。
当社は、エグゼクティブ・サーチにおいて「差別化」を徹底しています。多くの人材紹介会社は、効率を重視し、決まりやすい案件を数多くこなすことで収益を上げようとします。年収3,000万円の経営幹部を1人決めるよりも、年収1,000万円の人材を5人決めるほうが、ビジネスとしては楽で確実だからです。
しかし、私はそのようなトランザクショナル(業者的)な仕事には興味がありません。難易度が高くても、企業の命運を左右するようなリーダーを決める仕事のほうが面白いし、社会的意義があると考えています。
私には常に「他の人がやらないこと」をやってみたいという欲求があるのです。私が社長に就任する前、一人のコンサルタントとして現場に立っていた頃から、その姿勢は変わりません。
例えば、プロスポーツチームのマーケティング責任者という案件を取りに行き、成約させたことがあります。また、残念ながら最終決定には至りませんでしたが、アーティストの組織運営を手伝おうとしたこともありました。人材ニーズは、メーカーや一般企業だけに存在するわけではありません。スポーツチームやアートの世界など、これまで人材業界があまり目を向けてこなかった領域にも、ニーズはあるはずです。
どうすれば、他社と差別化した面白い仕事ができるか。そして、それをいかに経済的に正当化できるか。これを考え続けることでしか、会社は伸びないと考えています。
私にとって「面白い仕事」とは、一言でいうと、「合理的に正しいはずなのに、なぜかみんながやっていないこと」です。私の人生におけるテーマの一つかもしれません。
「合理的だが、みんながやっていないこと」の具体例はありますか。
例えば、「日本の上場企業数の適正化」です。 日本のGDPは米国の数分の一ですが、上場企業数は米国と同等の約4,000社もあります。小規模な上場企業が乱立し、新陳代謝が進まない結果、一社当たりの体力がつかず、働く人の報酬も上がりません。構造的にM&Aや統合を進め、上場企業を1,500社程度に集約すれば、企業利益も個人の給与も上がるはずです。これは日本経済にとって合理的に正しい方向性ですが、なかなか誰もやろうとしない。だからこそ、上場企業の経営者に提案していく意義があると考えています。
人材ビジネス業界の慣習に対しても、そのようなことはありますか。
はい。特に「成功報酬型」のビジネスモデルには疑問を持っています。成功報酬型は、採用が決まらなければ一銭も入らないため、人材紹介会社はどうしても「決まりやすい人」を推薦し、「決めること」を優先します。
しかし、本当に企業にとって必要なのは、採用の成否にかかわらず、最高の人材候補と出会い続けることです。私たちは「着手金型」を採用しており、無理に採用をせかすことなく、真にマッチする人材を納得できるまで探すことができます。これが、顧客に対する誠実さであり、プロフェッショナルのあるべき姿だと信じています。
人をモノのように扱ったり数字だけで判断したりしない
最後に、人材ビジネスに携わる若手の読者に向けて、メッセージをお願いします。
人材ビジネスの最大の魅力は、モノではなく「人」を扱うことです。だからこそ陥りやすいわながあります。人をモノのように扱い、数字だけで判断してしまうことです。
ビジネスである以上、人に対して「年収〇〇万円」という値付けをすることは避けられません。しかし、強調しておきたいのは、「報酬の高さと、人間としての価値は全く無関係である」ということです。年収が高くても人間的に尊敬できない人はいますし、年収が低くても素晴らしい人格を持った人はたくさんいます。たまたま属している業界や会社の収益構造によって、給与が決まっているに過ぎません。
私たち人材のプロフェッショナルは、人を値付けするという業務上の行為と、その人への敬意をごちゃ混ぜにしてはいけないのです。もし、人を単なる商材として扱い、敬意を忘れてしまったら、いずれ自分の仕事に誇りを持てなくなり、後悔することになるでしょう。
人の人生の岐路に立ち会い、人のビジネスパーソンとしての価値を正当に評価し、新たな活躍の場を提供する。そのためには、相手を一人の人間として深く尊重する姿勢が不可欠です。合理的なビジネスの判断と、人間に対する温かいまなざし。両方を持ち続けることが、この仕事の奥深さであり、長く続けていくための秘訣(ひけつ)ではないでしょうか。

(取材:2026年2月3日)
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| 社名 | 縄文アソシエイツ株式会社 |
|---|---|
| 本社所在地 | 東京都港区虎ノ門1-3-1 東京虎ノ門グローバルスクエア13F |
| 事業内容 | エグゼクティブ・サーチ/アセスメント(役員評価)/コーチング/縄文塾(経営者向け交流会) |
| 設立 | 1996年 |

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