「野心」で挑み、「意地」で貫き、「仕組化」で勝つ――人材業界をアップデートする林徹郎の仕事論
株式会社ワークポート 代表取締役社長 COO
林 徹郎さん

アメリカンフットボールの夢を絶たれた大学生時代から、いかにして全国47都道府県に展開する総合型人材紹介エージェントの社長へと上り詰めたのか――。株式会社インテリジェンス(現 パーソルキャリア株式会社)でのアルバイト時代にインターネット黎明期の波を捉え、学生のまま子会社役員に就任。その後、2003年に株式会社ワークポートを仲間とともに創業し、リーマン・ショックという会社存続の危機を「仕組み化」と「決断」で乗り越えてきた、代表取締役社長COO・林徹郎さん。日本人材紹介事業協会の会長も務める林さんに、波乱万丈な歩みと人材業界が抱える課題、次世代を担う若手ビジネスパーソンへのメッセージをうかがいました。
- 林 徹郎さん
- 株式会社ワークポート 代表取締役社長 COO
はやし・てつろう/早稲田大学在学時より、株式会社インテリジェンス(現 パーソルキャリア株式会社)にて新卒採用コンサルティング事業に従事。卒業後はそのまま同社に在籍し、大学生派遣事業やアルバイト募集サイト立ち上げ事業等のマネージャー、子会社役員を歴任。2003年に現会長である田村高広と共に株式会社ワークポートを設立し、代表取締役副社長に就任。2022年6月には、一般社団法人日本人材紹介事業協会(略称「人材協」)の会長に就任し、人材業界全体の発展に尽力。2023年4月1日付で、ワークポートの代表取締役社長COOに就任。
アメフトでの挫折。単調な「DM管理」アルバイトから見いだした価値
まずは、学生時代についてお聞かせください。
早稲田大学 人間科学部に在籍していました。最初からビジネスや起業に興味があったわけではありません。中学時代からずっとアメリカンフットボールに打ち込んでいて、大学にもアメフトの特別推薦で入学したのです。大学の4年間は厳しい練習に明け暮れる日々を思い描いていました。しかし、入学して1年目に、膝の靭帯を切る大けがをしてしまったんです。思い描いた大学生活の夢は絶たれてしまいました。
そんな中、見かねた友人が「楽で割のいいバイトがある」と声をかけてくれました。アメフトができないなら、せめて学校の外で何かを見つけよう。そう思って向かった先が、「株式会社インテリジェンス(現・パーソルキャリア株式会社)」でした。
インテリジェンスは1989年創業で、当時はまだ従業員が100人にも満たない規模のベンチャー企業でした。リクルート出身の優秀でエネルギーにあふれる方々が集まっていました。ただ、私が最初に任された仕事は、そんな勢いのあるベンチャーのイメージとは程遠い、単調な裏方の作業だったんです。当時の学生アルバイトとしては割の良い時給でしたが、仕事はひたすら「各企業から学生宛てに送られるダイレクトメール(DM)の集約と管理」をすることでした。
インターネットでの就職活動が普及する前の1990年代半ば、企業は学生を採用するため、自宅宛てに大量のハガキや封筒のDMを郵送していました。当時のインテリジェンスは、新卒採用のコンサルティング事業を手掛けていて、その一環として、学生に届く企業からのDMを収集し、採用市場の動向をリサーチしていたのです。
私の仕事は、DMの束をひたすら仕分けして管理することでした。最初は「本当に楽だな」としか思っていませんでしたが、毎日、膨大な量のDMを処理しているうちに、ふと気づいたんです。「これは、ただの紙の束じゃない。日本の新卒採用市場の縮図だ」と。
私は少しパソコンを使うことができたので、届いたDMをただ箱にしまうのではなく、自発的にデータベース化してみることにしました。ある日、そのデータベースを会社の営業担当者に見せたところ、非常に驚かれました。
当時の新卒採用は、「とにかく予算の許す限り大量のDMをばらまく」アプローチが主流でした。しかし、私の作ったデータを使えば、営業担当者はクライアント企業に対して、事実に基づいた戦略提案ができるようになったんです。私が作ったこの仕組みは、社内で高く評価されました。

インターネット黎明期の新サービスと、起業の決断
その後、さらなる大きなビジネスチャンスを生み出したそうですね。
1995年頃、「Windows 95」が発売される前夜のタイミングです。大学にも少しずつインターネットの波が押し寄せ、学生一人ひとりにメールアドレスが付与されるようになりました。
その状況を見て、「電子メールという新しいツールを活用すれば、企業と学生をもっと効率的に結びつける、これまでにないネットワークが作れる」とひらめいたのです。紙のDMであれば、印刷費や郵送費で1通あたり数十円〜数百円の膨大なコストがかかります。しかし、メールを使えば、コストを大幅に抑えつつ、学生に対してダイレクトに情報を届けることができます。企業にとっても学生にとっても絶対に価値のある事業になる、と確信。すぐに経営陣に直談判しました。「企業からセミナー集客などの原稿をもらい、それを学生宛てにメールで配信するビジネスをやりましょう」と。
結果は大ヒットでした。IT企業を中心に「全国の学生に直接メールでアプローチできるとは画期的だ」と話題になり、飛ぶように売れました。紙からデジタルへの転換点に、コストを抑えながら高い効果を生むビジネスは大きな利益をもたらし、社内は熱狂状態でした。
事業はその後、どのように発展していったのでしょうか。
新卒採用の集客代行で大きな利益が出た後、「これだけ全国の優秀な大学生の連絡先を網羅しているのだから、採用活動以外にも何か使えるのではないか」と考えました。そこで立ち上げたのが「大学生の派遣ビジネス」です。
当時は、日本で「人材派遣」が少しずつ認知され、成長し始めていた時期でした。私は自分が構築したメールリストを活用し、優秀な学生をアルバイトとして派遣するビジネスモデルを構築しました。メールで登録学生に一斉に求人を告知し、瞬時に人を集めて企業にアサインする。この短期派遣・アルバイト募集の収集システムは効率が良く、すぐに軌道に乗りました。
事業が軌道に乗ったことで、インテリジェンスの社内に子会社が設立されることになり、事業をけん引してきた私は取締役に抜てきされました。就職活動をすることもなく、学生の身分のまま、いきなり役員として「社会人デビュー」を果たしました。
しかし、順風満帆に見えたインテリジェンス内での事業に、転機が訪れます。私たちが立ち上げた、短期派遣・アルバイトのビジネスは、会社の中でどんどん規模を拡大していきました。ここで親会社であるインテリジェンスの通常の人材派遣事業との間に、カニバリゼーション(売上の食い合い)が起きてしまったのです。
私は、インターネットの力を使えばもっと効率的に人を集められ、企業にとっても求職者にとってもメリットのある仕組みが作れると確信していました。しかし、大きな組織の中では、それを純粋に追求することが難しくなってしまったんです。「自分たちでやるしかない。インターネットと人材ビジネスの掛け合わせを、ゼロから思う存分追求できる環境を作ろう」と考えました。
2003年3月、当時のインテリジェンスで苦楽を共にしてきた仲間に声をかけ、現会長である田村高広と共に設立したのが「株式会社ワークポート」です。私は代表取締役副社長として、新たな船出をすることになりました。最初は10人ほどの組織でした。
実家を抵当に入れた3000万円。三方よしの事業への転換
「ワークポート」という社名には、どのような思いが込められていたのでしょうか。
「仕事(WORK)の港(PORT)」という意味ですが、創業当時は、「新たな可能性を持った若い労働力を、世の中に輩出していくための港になりたい」という思いで名付けました。当時は大学生向けの短期派遣事業が主軸だったこともあり、まずは若者を社会へと送り出す役割を目指していたんです。
その後、多くの求職者の皆さまと向き合う中で、一度送り出すだけでなく「キャリアを見直すときにまた戻ってきていただける場所」でありたいという思いが強まりました。それが、現在掲げている「キャリアの港のようなインフラを創る」というビジョンへとつながっています。
創業資金はどのように調達されたのですか。
派遣事業は、クライアントから料金をいただく前に、派遣スタッフへ給与を支払わなければならないため、莫大な運転資金が必要です。当時26歳だった私は、田村と一緒に国民生活金融公庫(現・日本政策金融公庫)に行き、資金を借りました。
その際、私の実家の土地を抵当に入れたんです。今思えば、親もよく承諾してくれたなと思いますね(笑)。田村と私で自己資金も出し合い、会社をスタートさせました。当時は「自分たちがやれば絶対にうまくいく」という若さゆえの根拠のない自信だけで突っ走っていました。
短期派遣事業での立ち上げは、順調に進んだのでしょうか。
初年度から高い利益が出るなど、ビジネスとしては非常に順調でした。例えば、有名ハイブランドのファミリーセールのような大型イベントでは、「週末だけで200人のスタッフを集めてほしい」といったオーダーが飛び込んできます。人が足りないときは、私や田村も含めて役員陣が自ら店頭に立ち、声を張り上げて集客したり、レジでひたすら商品を袋に詰めたりと、泥臭い現場作業をこなしていました。
そこから現在の人材紹介事業へと転換した理由をお聞かせください。
短期派遣事業は確かにもうかるのですが、仕事は過酷でした。土日は大型イベントの対応に追われ、平日は平日で新規営業に走り回る。1年も経たないうちに「いつまで続けるんだろう」という疲弊感が社内に漂い始めました。
何より、当時の派遣事業は「クレーム産業」だったんです。クライアントからは「スタッフの動きが遅い」とおしかりを受け、スタッフからは「職場がタバコ臭い」「現場の指示がわかりにくい」と不満をぶつけられる。営業担当者は日々、板挟みになってクレーム処理に追われていました。
そんな状況を打開するため、立ち上げからしばらく経った頃に、クライアントから要望が多かった「人材紹介事業」を並行して始めました。人材紹介は、いわば企業と求職者のお見合いをセッティングする仕事です。マッチングが成功すれば、企業からは「良い人を紹介してくれてありがとう」と感謝され、求職者からは「人生を変える転職ができました」と感謝される。さらに利益率も高い。この「三方よし」のビジネスモデルこそが、従業員が幸せに長く働き続けられる道だと確信しました。
2008年、会社をさらに成長させるため、大きな売上の柱であった「人材派遣事業」を他社へ売却し、「人材紹介事業」に注力する、と決断しました。事業を切り売りして得たキャッシュを元手に、人材紹介会社として「第2の創業」に踏み切ったのです。
直後に「リーマン・ショック」が起こりました。本当に神がかった、奇跡のようなタイミングでした。もしあのとき、事業売却の決断が少しでも遅れていたら、派遣事業を買ってくれる会社など一社もなかったことでしょう。
人材紹介事業に注力したとはいえ、リーマン・ショックの打撃はすさまじいものでした。当時お付き合いのあった約8000社のクライアントが、一気に10分の1の800社にまで減りました。企業が真っ先に採用活動を凍結したからです。
会社は創業以降初めての赤字に転落し、一時は50人ほどいた従業員も、将来への不安から次々と会社を去り、20人にまで減ってしまいました。経営者として底知れぬ恐怖と無力感を味わった時期です。
リーマン・ショックを越え、全国47都道府県の「働く人たちの“港”」へ
絶望的な状況から、どのようにしてV字回復を果たしたのでしょうか。
私たちを救ってくれたのは、2010年代初頭から巻き起こった「スマートフォンの普及」と「ソーシャルゲーム・アプリ市場の爆発的な成長」でした。
ワークポートは創業以来、IT・インターネット業界に特化して人材紹介のノウハウを蓄積していました。新興のIT企業が、スマホゲームの開発エンジニアやクリエイターを「のどから手が出るほど欲しい」という状況になったとき、そのニーズにスピーディーに、かつ高い解像度で応えられたのが私たちだったのです。この波に乗り、業績は一気に回復。右肩上がりの急成長軌道に乗ることができました。
IT・インターネット特化型の人材紹介会社として確固たる地位を築いた後、なぜ「総合型」への転換を図ったのでしょうか。
2014年頃、従業員数が150人近くなり、IT・インターネット業界における紹介実績が大幅に伸びたときのことです。営業の鬼とも言える田村の指揮のもと、ほぼすべてのIT企業へ営業し尽くしてしまった感覚がありました。「ワークポートが一段上のステージへ上がるためにはどうすべきか」。経営陣で議論を重ねた結果、出した答えが「総合型への転換」と「全国展開」でした。
ITだけでなく、製造業、建設、営業、管理部門など全方位の業種・職種を網羅し、日本全国のあらゆる地域をカバーする。「売上100億円、従業員1000人、年間の転職決定人数1万人」という規模に到達する。この「トリプル1」を実現できる人材紹介会社になろうと決意しました。
特定領域の紹介会社のままでは、真の意味での「働く人たちの“港”」にはなれません。日本で、労働移動の流動性を高め、あらゆる産業の血流を良くしていくためには、我々自身が大きな規模と総合力を持たなければならないと考えたのです。
全国展開の大きな節目として、2024年に山口県と鳥取県に拠点を新設し、ついに全国47都道府県すべてにワークポートの支社を構えることができました。ただ、全都道府県に拠点を持つことが、短期的な利益に直結するわけではありません。人口や企業が少ない地域では、ビジネスとしての採算を合わせるのは難しい。業界内の他社を見渡しても、全都道府県に直営拠点を展開している人材紹介会社はなかなかないと思います。
なぜ、そこまでして「全都道府県」を追求したのでしょうか。
「意地」ですね(笑)。やるからには全部やり切る。日本全国どこに住んでいる求職者であっても、等しく高品質なキャリア支援サービスを直接提供できる体制を整えること。それがワークポートの存在意義の証明です。

人材紹介業界に必要なのは「野心」と「泥臭い開拓」
現在の日本の雇用や採用の現状、あるいは人材紹介業界全体をどのようにご覧になっていますか。
現在、日本の人材紹介業界はある意味で「停滞期」に入っていると分析しています。コロナ禍で一時的に市場が落ち込んだ後、リバウンドとして2021年頃は人材業界全体が大きく伸びました。しかし現在、伸びは一服しているトレンドが見て取れます。「職業紹介会社大手3社転職紹介実績」(半年ごとに日本人材紹介事業協会が発表している数値)の推移などを見ても明らかです。
日本の雇用の流動化そのものが鈍ったわけではありません。大きな要因として、「募集情報等提供事業」が台頭し、オンライン上で完結するような転職サービスが伸びてきていることが挙げられます。
募集情報等提供事業も広義の人材ビジネスではありますが、我々のような人材紹介業との決定的な違いは、「最終的な責任の所在」にあります。我々は、企業に直接人材を推薦し、最終的に私たちが責任を持って「人と人をつなげる」ビジネスです。求職者と直接会う「フェース・トゥ・フェース」でのサポートが不可欠であり、日本の人材紹介ビジネスはそうした「矜持」を大切にしていくべきだと考えています。
業界全体を見渡すと、例えば地方進出などを積極的に進めている紹介会社はほとんどありません。当社は全国展開を進めていますが、他の紹介会社は効率の良い場所で、効率の良いビジネスを好む傾向にあります。つまり、事業を大胆に拡大しようとする会社が少なくなっているのです。
私は日本人材紹介事業協会の会長も務めていて、さまざまな紹介会社の方とお会いする機会がありますが、最近は業界全体から「野心」めいたものが感じられないことを危惧しています。大手企業に至っては「AIでどれだけ効率化できるか」「人を増やさずに仕組みだけでどうにかできないか」といった方向に向かいがちです。
野心が薄れることで、どのような問題が生じるのでしょうか。
最も大きな問題は、「顧客の開拓」をしなくなることです。人材紹介ビジネスがこれまで成長してきた源泉は、しっかりと足を運んで営業してきたことにあります。「年収の35〜40%の手数料はかかりますが、完全成功報酬なので決して高くない。素晴らしいサービスです」と根気よく説明し、利用してもらい、成果を出してきたからこそ、今の市場があるのです。
しかし今の紹介会社は、採用管理システム(ATS)経由で案件が自動的に入ってくる環境に慣れてしまい、「人が不足している時代、新規開拓しなくても案件はいくらでもある」と錯覚してしまっている部分があります。これでは市場は広がっていきません。
新規開拓の余地は、まだ日本社会に多く残されているのでしょうか。
非常に多く残されています。例えば当社は今、地方の新規顧客開拓において、全国の地方銀行との提携を強力に推し進めています。2026年5月時点で、国内29行の地方銀行と提携しています。
現在、地方銀行は本業の融資ビジネスだけでは生き残りが難しく、金融庁からも「先導的人材マッチング(人材紹介事業)」を行うよう強く求められています。地方銀行は地元企業の求人案件は豊富に持っているものの、「転職を希望する個人」を集めるノウハウがありません。そこで、我々のような人材紹介会社が地方銀行と提携し、銀行から顧客企業を紹介してもらう枠組みを作りました。
銀行から紹介される企業の中には、我々が名前を聞いたこともない、採用ニーズを検知できないような企業がたくさん含まれています。銀行から見れば「優良企業なのに、人がいなくて成長できていない」というリアルな課題を抱えている企業です。そこに私たちが求職者を紹介すると、驚くほどスピーディーに採用が決定します。
この事実は、都市部・地方を問わず、我々が地域に根ざして営業しきれていない企業が、まだまだ存在することを意味します。日本には数百万社の企業がありますが、人材紹介を利用しているのはおそらく20万社にも満たないでしょう。残りは「人材紹介の未開拓市場」なのです。
雇用の流動化の一翼を担う人材紹介業は、大切なインフラだと信じています。だからこそ、同業の方々には、このビジネスの「意義」を強く感じ、泥臭い開拓や地方進出にもっと野心を持って挑戦してほしいと願っています。
未経験をプロにする“仕組み化”の真髄
ここまでお話をうかがい、林さんからすさまじい「野心」や「意地」を感じました。そのルーツはどこにあるのでしょうか。
根本にあるのは、負けず嫌いな性格だと思います。ただ、ビジネスパーソンとしてのルーツは、学生時代から働いていたインテリジェンスという会社での経験にすべて詰まっています。
当時のインテリジェンスは、リクルート出身の方々が立ち上げた会社で、「リクルートのDNA」が色濃く流れていました。「毎年1.3倍の成長を続けられないと会社じゃない」という熱量の中で、「圧倒的な当事者意識」や「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」といった教えを山のように叩き込まれました。そうした考え方が、私や共同創業者の田村の中に刷り込まれているんです。どれだけ規模が大きくなっても現状に満足せず、野心を持って事業を拡大し続けるという使命感を持っています。
林さんのように、新しいことを実現し、ビジネスとして大きくしていくために必要なことは何ですか。
「こんなサービスがあったらいいな」というアイデアを、「誰でもできる」状態に落とし込むことです。
ワークポートの人材紹介事業を伸ばす上で、私には「新卒が携われる人材紹介じゃないと意味がない」という強い考えがありました。新卒、つまり「転職したことがない人」が転職のサポートをするということです。
私たちはほぼ毎年3桁の人数の新卒を採用していますが、彼らは転職の経験がないにもかかわらず、求職者に対して転職のプロとしてアドバイスしなければなりません。転職する際に気をつけるべきこと、魅力の伝え方、会社の辞め方、新しい会社での振る舞い方。これらをアドバイスできるようになるためには、徹底した「仕組み化」が必要なのです。
当社の現場には、「人材業界経験者」はほとんどいません。全くの異業種から来た人間や新卒社員が、当社の仕組みに乗ることで人材紹介のプロフェッショナルとして活躍できています。私は、たまたまパソコンやデータベース、インターネットが登場した時代を生きたため、エンジニアとしての経験を生かして自動化や機械化を進めることができました。システムで他社と差をつけるアプローチができたのはラッキーでした。
ビジネスにおいて「新しいアイデア」を思いつく人はたくさんいます。しかし、それを属人的なスキルに頼らず、「誰でもできる」仕組みへと移行させられるかどうかが、その事業が拡大し、成立するかどうかの最大の分水嶺なのです。
人材業界で働く若い人たちに向けて、メッセージをお願いします。
現在、人材業界には「募集情報等提供事業」という新たな枠組みが登場し、スマホでのマッチングやAIが職業を案内するといった新規事業が次々と生まれています。既存の紹介会社にとっては一つの脅威ですが、私は同時にうれしく思っているんです。
AIやインターネットが登場するまで、派遣・求人広告・人材紹介と、長らく業態が固定されていました。しかし、若い方々が新しい技術を使って新しい価値観を生み出してくれない限り、業界全体のパイは大きくなりません。
人材紹介業は、1990年代の終盤から広まりだした、まだまだ若いビジネスです。新しい取り組みができる余地、新しい仕組みを生み出せる余地はいくらでもあります。私自身が、まさにそのように新しい価値を生み出すことでここまで来ました。新しい価値を生み出せば、既存の事業と融合し、もっと大きな価値へと成長していくはずです。ぜひ、恐れずに新しいことに挑戦してほしいですね。

(取材:2026年4月28日)
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- 理解しやすい 3
| 社名 | 株式会社ワークポート(WORKPORT, Inc.) |
|---|---|
| 本社所在地 | 東京本社:東京都品川区東品川2-2-4 天王洲ファーストタワー6F/福岡本社:福岡県福岡市博多区博多駅前4-4-15 博多駅前H44ビル7F |
| 事業内容 | 人材紹介サービス(有料職業紹介事業 許可番号:13-ユ-040590)/人材育成サービス/公共事業受託サービス |
| 設立 | 2003年3月 |

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