失敗、挫折……
あらゆる経験を生かせるのが人材ビジネス
営業からの叩き上げトップとして
日本法人でグループの先頭に立つ
マンパワーグループ株式会社 代表取締役社長
池田匡弥さん
日本でもアメリカでも「自分にできることは何か」を考え必死に働く
初めての人材業界ではどのような仕事を担当されたのでしょうか。
いわゆる派遣の営業です。新規開拓、既存顧客管理に加えて、当時はスタッフのインタビューやコーディネートも営業の仕事でした。実際にやってみると、サントリー退職後の数年間の経験が生きました。オフィス勤務のスタッフには、本当にさまざまな人がいます。自分もたくさん失敗を経験しているから、「なんとかこの人の仕事を決めたい」「この人の人生をつくってあげたい」、そういう熱い気持ちがわいてくるんです。最初から必死に働きました。
再び会社に所属して働き始めると、毎月25日にきちんと給与が振り込まれる、そんな当たり前のこともしみじみとありがたく感じられました。社内でも取引先でも、接する人たちからいろいろな機会をつくってもらえるし、期待もされる。そういうことに飢えていたので、感謝の気持ちとともに、まさに水を得た魚のように働いていたと思います。
がむしゃらに取り組んでいるうちに、人材ビジネスにのめりこんでいきました。派遣の営業はあらゆる業界が対象。それぞれの業界について勉強していないと、スタッフに会社を紹介できません。「顧客企業は業界の中でどういう位置づけで、どんな特色があるのか」「派遣先の部署にはどういう役割があり、その中であなたにお願いしたい仕事は何なのか」といったことを、わかりやすく説明しなければならない。顧客企業にいろいろと質問したり、本を読んで勉強したりしているうちに、担当クライアントを通じて経済に明るくなりました。人事という企業の中枢を担う部門と接する仕事で、知的好奇心によって自分自身が成長でき、顧客やスタッフにも喜ばれる――人材ビジネスの営業は、私にとって非常にポジティブなイメージの仕事でしたね。
ひたむきに取り組まれた結果、2年間の米国勤務にも抜てきされます。アメリカではどんなご経験をされたのでしょうか。
首都圏統括部長になってからしばらくして、社長から直接「英語を勉強しておけよ」と言われました。外資系企業ですから「いつかはアメリカ本社に行く機会があるかもしれない」と考え、TOEICの勉強に力を入れました。アメリカに赴任したのは36歳の時です。決まった時はうれしかったですね。
アメリカでは、ミルウォーキーを皮切りにシカゴ、ロサンゼルス、ダラスなど2年間で6ヵ所の拠点を異動しました。アメリカは州によって法律が違いますし、北部と南部、東部と西部では、人種構成、人の雰囲気、英語のスピードなど、すべてが異なります。全米のさまざまな地域を経験して、そのカルチャーに浸りながら、本場の人材ビジネスを体感できたのは素晴らしい経験でした。
ただ、最初の半年くらいは英語で苦労しました。ジョークにも会話のスピードにもまったくついていけません。ところがミーティングでは、そんな自分にも「マサ、君はどう思う?」と、どんどん話を振られるんです。つたない英語で発言すると、みんなで「いい意見だ」「ポイントを突いてるよ」とすごく持ち上げてくれる。内容はともかく自分から発信する人に対しては、「グッドファイト!」と常に賞賛するアメリカの良さを肌で感じました。
しかし最初は歓迎してくれていても、少し慣れてくると「さて、あなたは何を提供してくれるの?」という雰囲気になってくる。非常に合理的でアメリカらしいところです。そこで、今の自分にできることは何かを考え、日系企業、現地法人の新規開拓に取り組みました。当時、アメリカのマンパワーには日系企業の顧客がほとんどなかったので、マンパワージャパンからいろんなデータを送ってもらって、アポをとっていく。主に製造業でしたが、相手先の社長や役員が日本人だとわかったら、会えるまで粘り強くアタックしました。成果を上げると、周りの仲間が賞賛し感謝してくれるのですが、受け身ではダメだと思って、自分なりに「何を提供できるのか」を考え抜いて必死に取り組みました。結果的に、アメリカの人材ビジネスをより深く知ることができたと思います。
日本を代表するHRソリューション業界の経営者に、企業理念、現在の取り組みや業界で働く後輩へのメッセージについてインタビューしました。