邂逅がキャリアを拓く【第1回】
「一億総哲学者」時代の人事
株式会社ブレインパッド 常務執行役員 CHRO
西田 政之氏
時代の変化とともに人事に関する課題が増えるなか、自身の学びやキャリアについて想いを巡らせる人事パーソンも多いのではないでしょうか。長年にわたり人事の要職を務めてきたブレインパッドの西田政之氏は、これまでにさまざまな「邂逅」があり、それらが今の自分をつくってきたと言います。偶然のめぐり逢いや思いがけない出逢いから何を学び、どう行動すべきなのか……。西田氏が人事パーソンに必要な学びについて語ります。
「問いを立てる」とは
このたび、連載コラムを執筆することになりました株式会社ブレインパッドの西田政之と申します。既に還暦のオジサンです。タレントの高田純次さんの「歳を取ったらしてはいけないこと」の名言に従って、「昔話」「自慢話」「説教」はしないように努めたいと思います。
さて、私の大好きな言葉に「邂逅」(かいこう)があります。その意味するところは、「人と人との偶然の出会い」です。私のキャリアはまさにこの「邂逅」によって拓かれてきたと言っても過言ではありません。この連載では「邂逅」という言葉を軸に、人のみならず、哲学やアート、音楽、趣味嗜好に至るまで、さまざまな事象との偶然の出会いと、そこから得られた学びやエピソードをご紹介していけたらと思います。
初回は簡単な自己紹介と、ここ最近考えていることを綴ってみます。
私は北海道十勝南部にある大樹町という小さな町で生まれ育ちました。今でこそ堀江貴文さん率いるインターステラ・テクノロジズ社がロケットの製造・打ち上げにチャレンジするなど、種子島に続く第二の宇宙ロケット発射基地候補として脚光を浴びていますが、元々は人間よりも牛の数の方が圧倒的に多い酪農の町です。
そんな田舎町から東京に出て、何の意志もないままに日系証券会社の営業職に就きました。その後、社費留学を経てファンドマネージャーになったのを皮切りに、外資系金融機関を渡り歩くことになります。そして厄年を迎えた頃、一転して金融分野から人事分野へとキャリアを転換し、外資系人事コンサルティング会社、ネット生保、大手ホームセンターにて人・組織に関する課題に向き合ってきました。
時代は移ろいます。VUCAの時代と言われて久しいですが、本当に何が起きるかわからない時代になりました。ただ、いつの時代も先なんて見通せるわけではありません。実は今は、紀元前5世紀に似ていると言われています。
紀元前5世紀は農耕による開発と人口の急速な増加が進んだ結果として、森林の枯渇や土壌の浸食がすすみ、農耕文明がある種の資源、環境制約に直面して閉塞感が生まれた時代でもありました。そんなときに、世界同時多発的に普遍的な原理を提唱する思想、例えば、ソクラテスやプラトン、セネカなどに象徴されるギリシャ哲学、仏教や儒教、イスラム教やキリスト教のルーツとなる旧約聖書に基づく思想など、物質的な欲望を超越した中に、新たな価値観や倫理観を見出そうとする動きが生まれます。
まさに今、私たちは地球環境の悪化、限界を日々痛感しています。人間の果てしない欲望が地球の浄化システムを稼働させ、自然災害や疫病などによって諸悪の根源である人間を駆逐しようとしているのではないかと思わずにはいられません。私たちはあらためて「何のために生きるのか」「何のために働くのか」といった根源的な問いを立てることの必要性に迫られているわけです。
「他人の頭で考える」とは
そんな閉塞感が漂う中で、私たちは何をすべきでしょう?
現状を打開するためには、人間の叡智を集めるしかありません。勢いのある人についていけば何とかなる時代は終わりました。であれば、後悔しないためにも、“自分の頭で考える”しかありません。ゆえに、私は「一億総哲学者の時代」になったと言っています。なぜなら、哲学というのは、物事の本質を徹底的に考えて解き明かす営みだからです。
では具体的に“自分の頭で考える”とはどういうことなのでしょう。実は“自分の頭で考えるとは、他人の頭で考える”ということに相違ありません。認知科学者スティーブン・スローマンとフィリップ・ファーンバックがその著書『The Knowledge Illusion』でこんなことを言っています。
出典:『知ってるつもり:無知の科学』(ハヤカワ文庫)スティーブン・スローマン&フィリップ・ファーンバンク著「どんなに頭がよくても、一人の人間の知識なんてたかが知れています。人間が繁栄した最大の理由は、自らの頭蓋の中に保持された知識だけでなく、他の場所、例えば自らの身体、環境、とりわけ他の人々のなかに蓄えられた知識に頼ることで、そうした知識を全てたしあわせることにより驚異的な思考力を発揮してきたわけです。よって、自らが知のコミュニティーに参加し、それを活用することができる人が本当の意味で優れた人であると言えます」
他人の頭で考えるとは、換言すると、私たち一人ひとりの“イントラパーソナルダイバーシティ”を鍛えることであるとも言えます。すなわち、古の哲学者をはじめとする過去の偉人、自分の尊敬する人の思考をなぞらえてみて、「あの人だったらどう考えるだろう?」と思考してみる。そうすることで、自分の頭の中で、自らの思考と他人の思考が交わって創発が起こり、新たなイノベーションにつながる可能性が生まれます。人間が2500年の歳月をかけて蓄積した叡智を利用しない手はありません。
「人的資本経営の本質」とは
では次に「一億総哲学者時代」における私たち人事の役割とはいったいどんなことでしょう?
私は三つあると思っています。
一つ目は「社員がより豊かに“イマジン(想像)”できる環境を整えること」。今、図らずもデータアナリティクスの会社にいますが、AIにできない人間としての強みはイマジンです。ベネディクトアンダーソンはその著書『定本 想像の共同体』の中で、ナショナリズムですら想像の産物であると言っています。すべてのイノベーションは想像から始まります。想像できないものは発明できません。経営も人事も、社員に思う存分、想像力を膨らませてもらえるような環境を整えることが何よりも大切になってくるのではないでしょうか。
二つ目は、「人の覚醒をサポートすること」です。そのためにはまず「人は変われる」ということを誰よりも信じなければなりません。残念ながら人を覚醒させるための万能薬は存在しません。理想的にはクリスマスミサのキャンドルライトサービスのように、隣の人に順に蝋燭の灯りを分けていくような覚醒の集団的メカニズムを作ることですが、現実的にはその人にあった処方箋を個々に考えていく必要もあります。これが本当に難しい。だからこそ、価値があり、覚醒したときの喜びがあります。
三つ目は「人事施策をアート作品として仕上げること」。もともとアートは、自分の思想や意見を、作品を通じて相手に伝えるための表現手段です。そこに、美と魂が込められた物語が包含されることで、人々をひきつけます。よって、人事の中で生み出された戦略や施策も一つの「アート作品」として、魅力的かどうかを意識することが極めて重要です。どんなに良い施策や制度であっても、伝わらなければ意味がありません。ゆえに、人事こそ魅力的なアート作品をマーケティング思考で訴求することが大切です。
前職では、施策自体を商標登録するなど意表を突くようなアプローチをしました。ただ、なんといっても大切なのは、できるだけ多くの社員に直に向き合うという姿勢です。人数が多くても諦めずに、自分の言葉でストーリーを語ることに勝るものはありません。組織文化を体現するロールモデルは経営陣であり、人事部門であるからです。
企業としても同じで、勝ち筋が見えていたときには明確な方向性をもって一丸となって動くというやり方が有効でした。ところが、先が見えない時代においては、個々の社員の能力を最大限に活かしてイノベーションにつなげていくしかありません。今しきりに叫ばれている人的資本経営の本質はそこにあります。人的資本経営の具体的投資対象や方法論は企業の特徴そのものであり、本来一律に管理されるべきものではありません。従って、目的意識なく義務感だけで人的資本経営の状況開示や施策の検討をするのではなく、まさに、その企業の経営戦略が人的資本経営に現れる必要があります。
- 西田 政之氏
- 株式会社ブレインパッド 常務執行役員 CHRO
にしだ・まさゆき/1987年に金融分野からキャリアをスタート。1993年米国社費留学を経て、内外の投資会社でファンドマネージャー、金融法人営業、事業開発担当ディレクターなどを経験。2004年に人事コンサルティング会社マーサーへ転じたのを機に、人事・経営分野へキャリアを転換。2006年に同社取締役クライアントサービス代表を経て、2013年同社取締役COOに就任。その後、2015年にライフネット生命保険株式会社へ移籍し、同社取締役副社長兼CHROに就任。2021年6月に株式会社カインズ執行役員CHRO(最高人事責任者)兼 CAINZアカデミア学長に就任。2023年7月より現職。日本証券アナリスト協会検定会員、MBTI認定ユーザー、幕別町森林組合員。日本CHRO協会 理事、日本アンガーマネジメント協会 顧問も務める。
HR領域のオピニオンリーダーによる金言・名言。人事部に立ちはだかる悩みや課題を克服し、前進していくためのヒントを投げかけます。