ビジネスと人権に中小企業が取組む意義-取組みの加速に必要なもの
ニッセイ基礎研究所 総合政策研究部 准主任研究員 鈴木 智也氏
要旨
2023年7月24日から8月4日までの12日間の日程で、国連人権理事会のビジネスと人権作業部会による調査が行われた。同調査は、国連人権理事会の特別手続きの一つであり、独立した人権の専門家で構成される作業部会が、人権侵害の可能性のある個々のケースやより幅広い懸念について調査し、その結果を公表することで、人権尊重に対する国民の意識向上や国の取組みを促すものである。
今般、日本で実施された調査では、人権を尊重する企業の責任について、大きく三つの課題が指摘されている。
一つ目の課題は、企業間で「ビジネスと人権に関する指導原則(UNGPs)」への理解と履行に大きなギャップが存在すること。「大企業、特にHRDDプロセスに関するものを含め、UNGPsによって企業に要求されることをかなり詳しく理解している多国籍企業」がある一方で、家族企業を含む「中小企業との間に、大きな認識の隔たりがある」ことが指摘されている。
二つ目の課題は、政府による積極的な関与が不足していること。政府は「企業をさらに巻き込み、積極的な実践や残る課題について、共通の理解の構築を図るべき」と指摘する。企業からは「実践的なガイダンスの提供」を求める声があり、「公正な競争条件」を確保するため「HRDDを義務づけることが望ましい」といった意見もあったことが示されている。
三つ目の課題は、中小企業等が人権尊重経営を実践するための能力(調査ノウハウや法律知識など、人権擁護に必要な技能)を構築する必要があること。大企業や市民社会が「取引先でのUNGPs関連の啓発と研修を進めてゆく」には、「政府がこの分野に関与すること」が重要だと指摘している。
本稿では、上記で浮き彫りになった課題のうち、三つの課題に共通する中小企業に焦点を当て、人権尊重経営の取組みについて考察する。
1――はじめに
2023年7月24日から8月4日までの12日間の日程で、国連人権理事会のビジネスと人権作業部会による調査が行われた。同調査は、国連人権理事会の特別手続きの一つであり、独立した人権の専門家で構成される作業部会が、人権侵害の可能性のある個々のケースやより幅広い懸念について調査し、その結果を公表することで、人権尊重に対する国民の意識向上や国の取組みを促すものである。
今般、日本で実施された調査では、人権を尊重する企業の責任について、大きく三つの課題が指摘されている。
一つ目の課題は、企業間で「ビジネスと人権に関する指導原則(UNGPs 1)」への理解と履行に大きなギャップが存在すること。「大企業、特にHRDD 2 プロセスに関するものを含め、UNGPsによって企業に要求されることをかなり詳しく理解している多国籍企業」がある一方で、家族企業を含む「中小企業との間に、大きな認識の隔たりがある」ことが指摘されている。
二つ目の課題は、政府による積極的な関与が不足していること。政府は「企業をさらに巻き込み、積極的な実践や残る課題について、共通の理解の構築を図るべき」と指摘する。企業からは「実践的なガイダンスの提供」を求める声があり、「公正な競争条件」を確保するため「HRDDを義務づけることが望ましい」といった意見もあったことが示されている。
三つ目の課題は、中小企業等が人権尊重経営を実践するための能力(調査ノウハウや法律知識など、人権擁護に必要な技能)を構築する必要があること。大企業や市民社会が「取引先でのUNGPs関連の啓発と研修を進めてゆく」には、「政府がこの分野に関与すること」が重要だと指摘している。
本稿では、上記で浮き彫りになった課題のうち、三つの課題に共通する中小企業に焦点を当て、人権尊重経営の取組みについて考察する。
1 ビジネスと人権に関する指導原則などの詳細は、「世界的な潮流「ビジネスと人権」-先進的取組みと情報発信が肝」(2022年11月11日)を参照。
2 HDRR:Human Rights Due Diligence(人権デューディリジェンス、人権DD)
2――中小企業の人権尊重経営の実態
中小企業は、全企業数の99.7%、全従業者総数の68.8%、付加価値総額の52.9%を占める。日本経済に占めるプレゼンスの大きさから、中小企業を抜きにして、企業活動における人権尊重の実態を語ることはできない。
企業の人権尊重経営について、従業員の規模別でみると、実施段階(人権方針の策定や人権DD3 の実践)にある企業は、大企業(従業員301人以上)でも2~3割に過ぎず、日本全体の人権取組みは、緒に就いたばかりだということが分かる[図表1]。
とりわけ、大企業の取組みを追いかける中小企業では、従業員規模が小さいほどキャッチアップが遅れている。実際、すべての企業が認識すべき、人権尊重の重要性について理解している割合は、従業員5人以下では7割程度であり、実践段階に進んだ企業は1割にも達していない。
地理的には、大企業の約4割は東京に存在する。東京都と他の道府県では、企業数に占める大企業の割合が10倍から3倍の差がある。知識や経験のスピルオーバーは、地理的に近いほど強い傾向があることを踏まえると、人権尊重経営への取り組み状況には、大企業が多い都市部と少ない地方部で濃淡が生じている可能性は否めない。
日本全体に企業の人権取組みを浸透させるには、中小企業でその必要性が認知され、実施されることが不可欠だと言える。
3 ここでは「事業活動に伴う人権侵害リスクの把握・予防・軽減策を講じること」を指す。
3――中小企業における人権取組みの必要性
人権尊重の取組みが、社会的な影響力が大きい大企業だけでなく、中小企業にも求められる理由は、主に二つある。一つは、規模の大小を問わず、全ての企業が原理原則に基づく道義的、倫理的な責任を負うからであり、もう一つは、より現実的な問題として、人権軽視が企業経営に直接的な影響を及ぼすからである。
まず、原理原則に従えば、企業活動における人権尊重の義務は、企業規模を問わず、すべての企業に適用される。国連の指導原則には、「人権を尊重する企業の責任は、その規模、業種、事業状況、所有形態及び組織構造に関わらず、すべての企業に適用される」とあり、人権を尊重する責任は、企業規模に関係なく存在する。事業規模が小さな中小企業であっても、人権に対する潜在的・実際的な影響が必ずしも小さいとは言えず、人権に対する企業の責任は変わらないというのが、ビジネスと人権における基本的な考え方である。
なお、その際、企業の果たすべき責任は、たとえその企業の業容が国内に限られたものであったとしても、国際的に認められた全ての人権範囲に及ぶことになる。その理由は、当該企業が国際展開をしていなくても、サプライチェーンなどを通じて、何らかの形で海外とつながる可能性が生じ得るからである。企業は潜在的に、全ての人権領域に影響を及ぼす可能性がある。その前提に立ち、企業には国際スタンダードに則った人権尊重の取組に最大限努めることが求められる。
二つ目の現実的な側面として、人権軽視の経営が企業活動に直接的な影響を及ぼすことが挙げられる。例えば、人権に対する配慮が欠けた企業は、人権侵害を理由として、取引先から取引を停止されるリスクがある。
その背景として、近年、欧米を中心に、人権侵害の是正を企業に義務付ける法律の導入が進んでいることがある。それらの法律は、企業に調達先の人権リスクに関する調査や報告を義務付け、間接的に法域外の企業に影響を及ぼしている。日本でも2022年9月に「責任あるサプライチェーン等における人権尊重のためのガイドライン」が策定され、サプライチェーン等における人権リスクへの配慮が明確に求められるようになった。人権への負の影響を取り除くためには、取引先との取引停止も最終手段として検討される。さらに今年4月には、政府調達において人権尊重の取組みを行うことを、企業の努力義務とする方針が公表された。これは、政府調達の入札に参加する企業に、実質的に人権DD 4 の実施を義務付けるものであり、国として企業の取組みを促したものだと言える。
法規制などを通じて、サプライチェーン等における人権侵害の是正に取り組む企業が増えることは、中小企業が人権尊重経営に取組む積極的な理由となる。
なお、企業の人権取組みは自社内の人権リスクの低減に留まらず、企業価値の向上にも大きな効果がある。例えば、生産性の改善、ブランド価値の向上、投資家からの評価向上などの様々な効果が期待できる。実際、経済産業省と外務省が2021年に実施した「日本企業のサプライチェーンにおける人権に関する取組状況のアンケート調査」によると、人権方針を策定し、人権DDなどの基礎項目 5 を全て実施している企業は、複数項目で効果を実感している[図表2]。
中でも、中小企業において特に注目されるのは、企業の人材確保に関わる項目だろう。日銀短観の雇用人員判断D.I.(「過剰」-「不足」)をみると、中小企業の人手不足はコロナ禍前のピーク時の水準に近づいている。中小企業にとって人手不足は、大きな機会損失となるだけでなく、事業の継続そのものが危ぶまれる経営危機に発展する原因にもなる。現在の人手不足は、労働受給のミスマッチや景況感の改善によるところが大きいが、今後は人口減少という構造的な要因が、人手不足に拍車を掛けることになる。そのような人材獲得競争で優位に立つには、あらゆる努力をしていく必要がある。
とりわけ、これから労働市場に出て来るZ世代は、「長時間労働」「ジェンダーにもとづく差別」といった人権に関わる問題への関心が高い 6。企業イメージは採用活動でも重要な要素であり、企業文化(社内の風通し)や従業員関係(ハラスメント)、労働条件(本人同意がない転居を伴う転勤)などが、働き手を惹きつける要素となる。
ただ、これらの動機付けは、差し迫った危機感を感じにくいこともあって、中小企業が実際の行動に移るには弱いことも事実である。実際、東京商工リサーチの調査によると、販売先から人権尊重に関する取組の働きかけや要請を受けたことがあると回答した企業は、従業員規模301人以上の大企業でも1割程度に過ぎない[図表3]。サプライチェ―ン等を通じて人、権尊重経営の実践を求められている企業は、まだ少ないのが実態である。加えて、中小企業には、人権対応に割ける人員や予算が少ないと言った事情や、人権DDに関するノウハウが不足しているといった課題もあり、原理原則は理解できても、実際の取組みには踏み込めないという企業が多いと推察される。
4 企業が自らの事業活動に関連する人権侵害リスクを特定し、それを予防・軽減・是正し、その進捗や結果について、外部公表することで、継続的に改善していくためのプロセス。
5 人権方針策定、人権DD実施状況、外部ステークホルダー関与、組織体制、情報公開状況、救済・通報体制、研修実施状況、サステナブル調達基準
6 日本労働組合総連合会「Z世代が考える社会を良くするための社会運動調査」(2022年3月3日)
4――中小企業の取組みを促す方法
人権尊重の重要性を認識段階から実践段階に進めるためには、人権尊重経営に対する動機付けを高めることが重要になる。そのうえで、具体的な実践の手順を定めた手掛かりを示し、導入を促していくことが必要になろう。
その手段としては、社会全体で人権感度を高める啓発の取組みが、先ず以て重要である。学校での教育や政府広報キャンペーン、企業への研修などを行い、国民や企業の人権に対する感度を高めることが必要である。取引先や商品サービスを選ぶ価値基準として、人権への配慮が定着すれば、企業にとって人権に関する取組みを実践する強力な動機となる。
また、より実効的な方法として、企業に人権DDの実施を義務付ける法律の導入も考えられる。欧米に比べて、人権取組みの遅れが指摘される日本では、今年5月、与野党議員でつくる「人権外交を超党派で考える議員連盟」が、2023年度内の人権DDの法制化に向けて提言を提出した。実際に導入される場合には、欧米と同じく一定規模以上の企業に対象が限定されることは考えられるが、その効果は、サプライチェーンを通じて、中小企業にも及ぶ可能性が高い。
さらに、人権取組みを実践したいがリソースやノウハウが乏しく、やり方が分からないという中小企業には、具体的な手順を示したガイドラインがある。2022年9月に政府が策定した「責任あるサプライチェーン等における人権尊重のためのガイドライン」には、国連のビジネスと人権に関する指導原則に基づく内容が整理されている。海外法制の概要や各プロセスにおける取組み上の留意点が記載されており、人権取組みの全体像を把握するうえで有用である。また、今年4月には、経済産業省から具体的なステップや取組み事例が紹介された「責任あるサプライチェーン等における人権尊重のための実務参照資料」が公表されている。その別添資料には、事業分野別の人権課題も例示されており、自社のリスクを洗い出すうえで参考になる。
なお、中小企業における人権取組みでは、初めから大企業と同じ広範囲な取組みが求められている訳ではない 7。中小企業はリソースも限られていることから、当面は直接のステークホルダー(顧客や従業員、取引先など)に対象を絞って、取組みを始めることも現実的な選択肢となる。また、人権リスクの特定に不可欠な人権DDは、最初から厳格な実地調査を行うのではなく、質問票によるセルフアセスメントを行うことで、特に懸念がある先に絞って詳細な調査をする方法もあり得る。
中小企業の人権取組みは、手探りでも「まずやってみる」こと、「まずできることから」始めることが重要だとされる 8。中小企業が人権取組みに踏み出すには、第一歩を踏み出すことが肝心であるという認識を持つことも重要である。
7 国連「ビジネスと人権に関する指導原則」:企業が人権を尊重する責任を果たす手段は、とりわけその規模に比例する。中小企業は、大企業に比べると、余力が少なく、略式のプロセスや経営構造をとっているため、その方針及びプロセスは異なる形を取りうる。しかしながら、中小企業のなかにも人権に対し重大な影響を及ぼすものがあり、その規模に関係なくそれに見合った措置を求められる。影響の深刻さはその規模、範囲及び是正困難度で判断される。企業が人権を尊重する責任を果たすためにとる手段もまた、企業が事業を企業グループで展開しているのか、単体で展開しているのか、またどの程度の範囲で展開しているかによって異なることもあろう。しかしながら、人権を尊重する責任は、すべての企業に完全にかつ平等に課される。
8 一般財団法人国際経済連携推進センター「中小企業のための人権デュー・ディリジェンス・ガイドライン~持続可能な社会を実現するために~」(2022年2月)
5――おわりに
ビジネスと人権の取組みは、中小企業抜きに日本全土に普及、定着させることはできない。中小企業は、規模などの面でとかく不利と思われがちであるが、人権取組みでは有利な点も多くある。
例えば、経営者のリーダーシップがよりダイレクトに反映され易い中小企業は、意思決定が早く、組織としての機動力を発揮しやすいという強みがある。中小企業のトップがビジネスと人権への取組みにコミットし行動を起こせば、組織も力強く動き出す。また、中小企業は、組織構造やサプライチェーンなどの取引関係が、大企業ほど複雑でないことが多い。これは、自社の人権リスクを把握し、特定することにおいて非常に有利な点となる。大きな調査コストを負担しなくても、人権取組みを迅速に進めることができる。加えて、中小企業には、従業員や顧客、取引先、地域など、あらゆるステークホルダーとの関係が近いという利点もある。自らが実践した人権取組みの効果は、ステークホルダーから直接実感することができる。それが、更なる人権取組みにつながる好循環を生む。
企業の人権尊重への対応は、規模の別なく、待ったなしの課題である。最近の事例を見ても、人権軽視が企業の大きな経営リスクとなり得ることは明らかだ。ビジネスの世界で人権を重視する風潮は、今後ますます強くなっていくことが予想される。企業は人権を尊重する義務と責任、人権尊重に取り組む意義と、軽視した場合のリスクを踏まえたうえで、自社の取組みに落とし込むことが求められる。
【参考文献】
・国連ビジネスと人権の作業部会「訪日調査、2023 年7月24日~8月4 日ミッション終了ステートメント」(2023年8月4日)
・経済産業省「責任あるサプライチェーン等における人権尊重のための実務参照資料」(2023 年4月4日)
・中小企業庁「中小企業白書」(2022年7月25日)
・経済産業省「責任あるサプライチェーン等における人権尊重のためのガイドライン」(2022年9月13日)
・一般財団法人国際経済連携推進センター「中小企業のための人権デュー・ディリジェンス・ガイドライン~持続可能な社会を実現するために~」(2022年2月)
・経済産業省、外務省「日本企業のサプライチェーンにおける人権に関する取組状況のアンケート調査 集計結果」(2021年11月)
・藤川信夫「中小企業におけるビジネスと人権デューディリジェンスの実際」千葉商科大学中小企業支援研究ISSN 2188-5052
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