ステノキャプショナー(字幕速記者)
聴覚障害者やスマホ視聴者に文字で情報を届ける
1分間で300文字を打ち込む指の魔術師
テレビ・リモコンの「字幕」ボタンを押すと画面に文字が表示される、字幕放送。出演者が話した言葉を、耳の不自由な人などが理解できるよう、逐次、文字にして表示していくものだ。病院の待合室や高齢者向け住宅、フィットネスクラブなどにあるテレビで、目にしたことがある人も多いだろう。実は、あの字幕は手仕事で制作されている。自動音声入力技術が発達した現在でも、「ステノキャプショナー」と呼ばれる人の手で、リアルタイムに入力されているのだ。「ステノ」は速記、「キャプショナー」は字幕入力者という意味を持つ。ものすごい速さでタイピングを行う彼らの技能は、どのように身に着けられたのだろうか。
ステノキャプショナーのタイピング速度は1分300字!
私たちが一番理解しやすい話のペースは、「1分間に300字」と言われている。話のプロであるアナウンサーが読み上げる原稿も、1分間に300~350字が適切な長さだという。では、タイピングはどうだろうか。日本語は、異口同音の漢字変換もある、ややこしい言語である。単にタイピングするだけでなく、正しい漢字を選ばなければならないことも考えると、1秒間に2~3文字打つことができれば速い方ではないだろうか。すると、1分間で150字程度が“一般的な速いタイピング”ということになる。単純に計算すると、ステノキャプショナーはその倍の量を打ち込んでいることになる。
ステノキャプショナーというと、映画に字幕をつける映像翻訳家のような仕事と混同されやすいが、その違いはなんといっても、即時性だ。動画市場が急速に拡大する昨今、字幕は誰にでも身近な存在だが、もともとは全国に600万人ほどいると言われている、聴覚障害者のために導入された。聴覚に障害を持つ人々にとって、映画や収録番組のようにテロップの出ないニュースや生放送を理解することは難しかったが、平成に入ってから、欧米でのバリアフリーや高齢者向け施策を参考にテレビの字幕付けが推進され、字幕は一気に身近なものになったのである。
さて、ステノキャプショナーはどのように1分間に300字ものボリュームを打ち込んでいるのだろう。その秘訣は、専用に開発されたタイピング機器にあった。仕組みは一見シンプルだ。文字入力キーはわずか10個しかなく、右側5個のキーに母音、左側5個のキーに子音が割り当てられている。そして、この10個のキーの組み合わせによって1アクションで「ありました」や「だそうです」といった文節を入力していく。このパターン数が膨大で、プロのステノキャプショナーが記憶するキーの組み合わせは3000種類にものぼるという。操作方法を覚えるだけでも参考書を数冊、パターン数を頭に入れるのにも相当な労力と時間を要するが、それをマスターすることで、1アクションで2~20字といった打ち込みをできるようになる。打ち込みの様子はピアノで和音を奏でているかのようで、まさに職人技だ。
集中力を研ぎ澄ませなければならない同時通訳者や手話通訳者は、時間ごとの交代制で職務にあたるが、ステノキャプショナーでは、それ以上の緻密なフォーメーションが組まれる。入力役・校閲役が二人一組になり、複数の組みが待機。一定の文章を打ち終わると次の組に切り替わるという仕組みで、正確なタイピングに万全を期している。
ステノキャプショナーは特別な訓練が必要?
ステノキャプショナーには専門の養成機関があり、専門知識や技術を学ぶことができる。若手社会人を中心に、現在も全国で250名ほどが高速字幕入力について学んでいる。特別な国家的資格などは必要ないが、1年に4回実施される「スピードワープロ技能検定試験」ではオペレーターの技能レベルを社会的に認定しており、プロとして活躍する際の一つの指針となっている。
特にステノキャプショナーに向いている素養を挙げるならば、「集中力」に尽きるだろう。それと同時に「臨機応変」であることも大切だ。人の口から出てくる言葉は、パターン化しきれないこともあるからだ。もちろん、「国語力」においても高いレベルが求められる。音で聞いた異口同音を文脈から正しく判断したり、専門用語を正確に聞き取ったりする技能は、普段から活字に触れ、言葉への感度を高めておかなければ一朝一夕で身に着くものではない。いずれにしても、現場で活躍できるレベルに達するまでには数年を要することになりそうだ。
テレビ離れが進む今、ステノキャプショナーの将来性は?
現代は、昔ほどテレビが見られる時代ではなくなっているが、字幕の用途はむしろ増えている。病院や高齢者向け住宅といった福祉施設だけでなく、電車内やカフェといった「テレビは見たいけれど音を出せない」状況の中で字幕は活躍する。また、昨今の動画市場の拡大により、リアルタイム配信中の字幕もますます需要が高まっている。「AIに置き換えられるのでは?」と心配する声も聞こえてきそうだが、人間の手入力でも校閲役が存在するように、OKか否かの最終判断は人の手によって行われる。ニーズが拡大する中で、AIによる音声入力はむしろ補助的存在として、ステノキャプショナーを助ける存在になるのではないだろうか。
雇用形態・収入面ではどうだろう。ステノキャプショナーの就職先には、速記事務所のほか、字幕制作会社や映像会社などが考えられる。雇用形態は、正社員、パート、在宅ワークなど多岐にわたる。テレビの字幕速記の場合、朝のニュース番組か夜のバラエティー番組かでシフトを組むことができ、自分で働く時間を決められることがメリット。そのため、ステノキャプショナーには育児中の女性なども多く働いているという。時給の場合は1200円くらいから。正社員の場合は初任給で月20万円ほどのところが多いようだ。特殊技能が必要とされる割には劇的に稼げる職業ではない、というのが正直なところだが、時事や言葉に触れながら好きな時間に働きたい人にとっては、刺激の多い職業であることは間違いないだろう。
この仕事のポイント
やりがい | 人の役に立つ社会的な仕事であること。自分の字幕速記により多くの人に情報を届けることができ、常に情報に触れるため自身の知的好奇心も満たされる。 |
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就く方法 | まずはステノキャプショナーに必要なタイピング機器の技術習得が必要。専門学校で学び、卒業後に仕事を紹介してもらう流れが一般的だろう。 |
必要な適性・能力 | 最も重要なのは「集中力」。聞こえてきた音を、数千通りものタイピングパターンの中から即座に打ち込まなければならない。異口同音をしっかり見極めるため、「国語力」も欠かせない。 |
収入 | 時給の場合は1200円ほどから。正社員の場合は、初任給が20万円ほどということが多い。スピードや正確さのレベルに応じて、収入も変動する。 |
あまり実情が知られていない仕事をピックアップし、やりがいや収入、その仕事に就く方法などを、エピソードとともに紹介します。