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人的資本経営は「開示元年」から「実践元年」へ。重要なのは、個人の資本と組織のエンゲージメント

昨今、「人的資本経営」への注目がますます高まっている。2023年3月期より、有価証券報告書において人的資本情報の開示が義務化。人的資本経営の取り組みが本格的にスタートした。とはいえ、人的資本経営の取り組み状況は企業によって差がある。また、「人的資本経営とは何か」についての認識や理解も、企業によって異なるのが現状だ。

人的資本情報の開示は、あくまでも現状報告に過ぎない。重要なのは、人的資本経営の実践。すなわち経営戦略と人事戦略を連動・整合させ、人的資本への積極的な投資を行い、企業価値の向上を実現することである。ここでは、人的資本経営のこれまでの経緯と現状の課題を整理し、今後の人的資本経営の取り組みの方向性、そして、それを真の人事変革へとつなげるための要件について考える。

「人的資本経営」とは何か~人材は管理の対象ではなく資本である

経済産業省は、人的資本経営を「人材を『資本』として捉え、その価値を最大限に引き出すことで、中長期的な企業価値向上につなげる経営のあり方」と定義している。

近年、経営環境の不確実性・不透明感の増大、デジタル・イノベーションの進展、ESG投資の拡大、さらには個人の価値観や働き方の多様化、少子化に伴う人材不足などが影響し、企業を取り巻く環境が大きく変化している。その中で、経営戦略と人事戦略を連動させ、企業の持続的な成長につなげることが人的資本経営の狙いとされている。

2022年5月に公開された「人的資本経営の実現に向けた検討会報告書~人材版伊藤レポート2.0~」(経済産業省)では、その冒頭で「人材は『管理』の対象ではなく、その価値が伸び縮みする『資本』なのである」と述べている。また、「企業側が適切な機会や環境を提供すれば人材価値は上昇し、放置すれば価値が縮減してしまう。人材の潜在力を見出し、活かし、育成することが、今まさに求められている」という。そうしてこそ、「個人と組織が互いに選び選ばれる関係が構築できる」と展望が語られている。

人的資本経営における人材戦略変革の「羅針盤」

「人材版伊藤レポート」(初版は2020年9月発行)が発表され、「人的資本経営」は多くの企業経営者や人事関係者、研究者から大きな関心を集めた。それ以降、「なぜいま人的資本経営に注目すべきなのか」「企業が人的資本経営に取り組むメリットは何か」「どのように取り組めばいいのか」など、その定義から内容の理解、実践の方法まで、さまざまな議論や検討、問題提起がなされてきた。

伊藤レポートは、企業・個人を取り巻く環境が大きな変化を迎えていることを踏まえて、議論・検討・計画・実践の「羅針盤」として、大きく六つの観点から「人材戦略の変革の方向性」を示している。

図:変革の方向性

この観点に基づいて多くの議論や検討がなされ、現在もさまざまな問題提起や提案が行われている。以下にその一例を紹介する。

経営戦略と連動した人事戦略の実現

かつては長期雇用の前提のもとで画一的な人材管理が行われてきたが、現在は経営戦略と連動した柔軟な人材の活用が強く求められている。従業員の自律的な成長を促し、経営環境の変化に対応できる人材を育成することは、持続的な企業価値向上の実現につながる。

CHROに求められる役割

人事部門の最高責任者であるCHRO(Chief Human Resource Officer)の重要性が高まっている。これは、予測不能な時代の中で人材の価値が向上しているからにほかならない。CHROには、人事の立場から「会社を変えていくこと」が求められている。

人事データやHRテクノロジーの活用

人事部門はこれまで、業務を勘や経験に頼りがちだった。しかし、人的資本経営においては客観的な数値(データ)にもとづいて経営陣や投資家、従業員と対話し、自社の方針や取り組みの納得性を高める必要がある。

人的資本情報開示の動き

上記の動きと並行して投資家からの関心も高まり、人的資本情報開示の動きが着実に進んだ。

2021年:東京証券取引所 コーポレートガバナンス・コード改訂

上場企業に対する企業統治のガイドラインが改訂。人的資本について「自社の経営戦略・経営課題との整合性を意識しつつ、分かりやすく具体的に情報を開示・提供すべきである」という指針が追加された。

2022年:内閣官房・非財務情報開示研究会 人的資本可視化指針

上場企業向けの人的資本開示のガイドラインが発表され、19項目について「価値向上」「リスクマネジメント」の観点からの開示が促された。

2023年:金融庁 有価証券報告書への記載義務付け

上場企業に対する非財務情報開示において、「従業員の状況」に新たに女性管理職比率、男性の育児休業取得率、男女間賃金格差の開示が義務付けられた。また、「サステナビリティの考え方及び取組」の記載欄が新設された。

人的資本経営の現状と課題~人的資本経営は「開示元年」から「実践元年」へ

2023年3月期の有価証券報告書から、上場企業において人的資本情報の開示が義務化された。そのため、2023年は「人的資本開示元年」とも呼ばれている。

人的資本経営の実践や従業員エンゲージメント向上など、企業の組織変革を支援する、株式会社リンクアンドモチベーション 組織開発本部企画室 エグゼクティブディレクターの冨樫智昭氏は、これからが本格的な「人的資本経営元年だ」と話す。

「2023年は“実践”よりも『対外にどう見せるか』という“開示”に意識が向いていたように思います。本来は“開示”する情報を良く見せようとするのではなく、経営戦略と人事戦略を紐づけ、経営と現場が一体となって実践し、企業価値を向上させることこそが重要です。しかしながら、昨年は“開示”に向けた対応にリソースを割かざるを得なかった企業が多かったように思います。その意味では、2023年はあくまで人的資本情報の『開示元年』であり、2024年こそが人的資本経営の『実践元年』と言えるのではないでしょうか」

冨樫智昭氏(株式会社リンクアンドモチベーション エグゼクティブディレクター) 

とはいえ、人的資本経営の取り組み状況や意識は企業によって差が大きく、「必ずしも一斉にスタートを切れるわけではない」と、冨樫氏は言う。

「人的資本情報開示が義務化されてから取り組み始めて開示が先行している企業もあれば、すでに本格的に実践をしている企業もあります。あくまでも私個人の感覚ですが、現在、人的資本経営の実践が評価されている企業の多くは、5~10年ほど前の段階で経営トップが『このままでは企業が存続できない』と危機感を抱き、事業の立て直しとセットで組織・人材戦略の改革に動き出していました。

中長期目線で「事業戦略と整合した人材戦略」の“骨組み”を設計し、実践・評価・再設計を繰り返してきて成果につながり始めたところに、人的資本情報の“開示”が求められた。“開示”のために慌てて体裁を整えるのではなく、長年取り組んできた骨組みや中身がすでにあったのです。人的資本経営の『実践元年』に向けては、そのような組織・人材戦略の設計・実践・評価・再設計の動きができているかを問うことが重要でしょう。」

組織へのエンゲージメントが推進力になる

「人的資本経営」は、2020年の「人材版伊藤レポート」で提起され、2023年の情報開示フェーズを経て、2024年に本格的な実践フェーズに入った。これからの具体的な取り組みに向けて、どのような考え方や進め方が必要になるのだろうか。

人的資本経営の実践・推進の実情に詳しい冨樫氏は、次のように語る。

「人材版伊藤レポートでも指摘されているように、経営戦略と人事戦略を連動・整合させることが重要です。間違ってはならないのは、経営戦略と人事戦略はあくまでも“対等”の関係であり、“上下”の関係ではないこと。よく、上位概念である経営戦略から下位概念である人事戦略に“落とし込む”という言い方をすることがありますが、捉え方から見直す必要があると考えています。

かつて、未来を見通しやすかった時代においては、経営戦略を人事戦略に落とし込めば良かったのですが、現在の先が読めない時代においては、経営戦略自体を頻繁に変える必要があります。そのときに上下の関係にあると、上位の経営戦略が変わることで下位の人事戦略が機能しなくなる危険性があります。大切なのは、どんなに経営戦略が変わろうともすぐに適応できる、人や組織のアジリティ(変化適応力)を高める人事戦略です。そのときに、アジリティのエンジンになるのが、組織力の土台としての従業員の『エンゲージメント』です」

人的資本経営は従業員個人を起点に

「個人の人的資本」に関して、企業の人材活用を研究し、人的資源管理論を専門とする島貫智行氏(中央大学大学院 戦略経営研究科(ビジネススクール) 教授)は、「人的資本経営は従業員個人の意思や主体性を起点とすべきだ」と述べている。

「人的資本経営が重視するのは、実際に人的資本を蓄積し発揮する従業員自身の意思や主体性です。従業員個人が保持する資本は、能力やスキル、知識といった人的資本に限りません。個人のポジティブな心理的発達状態(自己効力感、希望、楽観主義、レジリエンス)である『心理的資本』や、組織内外の他者との人間関係や信頼関係といった『社会関係資本』も、重要な人的資本です。従業員個人はこれらの資本に積極的に自己投資し、企業はそれを促進・支援することが重要です」

その上で、個人の人的資本から組織的人的資本を創出して持続的な企業価値の向上に結び付ける「価値連鎖」を描くことが、人的資本経営の実践において求められるという。

「人的資本経営で重要なのは、『従業員個人の人的資本』を起点として企業の『組織的人的資本』を創出することで、顧客価値を提供し収益を上げ、その結果として投資家から評価されて企業価値が高まり、それが更なる人的資本の蓄積につながるという一連のサイクルなのです」

経営戦略と人事戦略をつなげるという人的資本経営支援

「人材こそ、企業にとって最大・最強の資本である」という考えのもと、2000年の創業以来、人的資本経営の実践や従業員エンゲージメント向上などを幅広く支援しているリンクアンドモチベーション。冨樫氏は次のように自社の姿勢を語る。

「私たちは、経営戦略と人事戦略との『つながり』を重視しています。いくら立派な経営戦略や経営計画を立てても、現場の一人ひとりの従業員の意識や行動が変わらなければ、企業価値向上につながりません。そのため、経営戦略や事業戦略の策定だけでなく、従業員の意識・行動変革まで厳密に設計し、解像度の高いKPIを設定することを通じて、戦略と意識・行動変革がつながるような施策を実行する必要があります。そのつながりの土台となるのが『エンゲージメント』なのです」

従業員の意識や組織を変革することで企業の成長を支援する領域に特化してきた同社だからこそ可能となる、人的資本経営実践の考え方・進め方がある。

同社が行う人的資本経営支援の柱は、次の4点だ。

  1. 戦略設計:事業と組織の「戦略的なつながり」を創る
  2. 施策設計:施策と施策の「有機的なつながり」を創る
  3. 指標設計:実践と成果の「定量的なつながり」を創る
  4. ストーリー設計:企業とステークホルダーの「共感的なつながり」を創る

同社では、人的資本経営計画および開示戦略をこの四つのステップで策定し、その戦略に則って以下の三つをサイクルとして回すことで、企業のミッション実現に向けたワンストップの事業成長支援を行っている。

  1. 診断(基幹技術「モチベーションエンジニアリング」を駆使した組織課題の特定)
  2. 変革(採用・育成・制度・風土をトータルにサポート)
  3. 公表(診断・変革を踏まえたコーポレートブランディング)

「私たちが人的資本経営を実践する上で重要だと考えているポイントは、『経営戦略と人事戦略を整合させる』こと、そして、どんな経営・人事戦略変更にも適応できる実行力を持つ『エンゲージメントが高い組織を作る』ことの二つです」

人的資本経営を実践する上で人事がすべきこと~人事責任者はいま何を考えているのか~

人的資本経営の実践フェーズにおいて、人事に課せられる役割は何か。また、取り組むにあたって人事は自らをどう変革しなければならないのか。

2024年2月2日に行われた日本の人事部 「HRカンファレンス2024-冬-」~リーダーズミーティング~では、日本企業を代表する企業の人事責任者が集まり、議論が行われた。人事リーダーが、人的資本経営をどう捉えているのか、また、実践にあたってどのような変革の必要性を感じているのか、意見の一部を紹介する。

人的資本経営における評価のあり方について日々議論している。管理やジャッジが目的ではなく、成長支援のためのツールにしたい。

重要なことは、従業員がこの会社で働き続けたいか、人に勧められるか、誇りを持てるか、である。そのため、eNPS(Employee Net Promoter Score:職場推奨度)をKPIに置いて、取り組んでいる。

人的資本経営に関する取り組みを社内に浸透させるには、相手の立場や属性に応じた言葉を使うことが重要。「人的資本経営」「エンゲージメント」といった言葉を使っているのは人事だけで、現場では通じない。

サーベイ結果の活用方法が課題になっている。数値が一人歩きしてしまうと、本来の目的が見えなくなる。数値はあくまでスタートライン。そこから議論し、アクションにつなげることが大事だと考えている。

リーダーズミーティングでは、人事責任者たちによる活発な意見交換が行われた。当日の詳細レポートは、以下の記事から確認できる。

現場マネジャーの実践意欲と人事の自己変革が重要に~「人的資本経営」の今後~

2024年に「実践元年」を迎える人的資本経営への取り組みだが、今後はどのように展開するのだろうか。また、その際にはどのような課題があるのか、冨樫氏が展望を語った。

「今後は計画し、実践したことが想定通りに機能しているか、実際に企業価値向上につながっているかがますます問われるでしょう。その際に重要なのが、人材投資のリターンを実際の数値データに基づいて科学的に分析・把握し、ボトルネックの発見や実効性のある強化ポイントの創出を行う戦略人事です。計画し、実践し、評価し、全体を振り返る。うまくいかなかったところがあれば、全体のストーリーを再設計し、新たな実践につなげる。この一連のサイクルを確立し、回し続けることが重要だと思います」

今後の人事部門の課題としては、現場のマネジメントレイヤーの意識改革と実践意欲を挙げた。

「これまでは、経営層や人事部門が主体となって人的資本経営への取り組みを行っていたと思います。しかし、実践サイクルを回すフェーズでは、現場のマネジャークラスが人的資本経営を自分事として捉え、人的資本への投資を企業成長につなげることを自身の組織で実践していく必要があります。

事業が忙しいと組織・人材に関する取組みは後回しにされがちですが、事業か組織か、ではなく事業も組織も、と考えていただきたいと思います。事業と整合するように人材・組織に投資し、事業成長と人材・組織の成長を同時実現させるという感覚を、現場へ広めていくことが重要です」

人事部に求められる自己変革

一方、島貫氏は「人事部門にとっては、人的資本経営の動きを好機として捉え自己変革の契機にできるかどうかが重要である」とした上で、人事部門には「企業の視点」ではなく「個人の視点」からの発想が必要になると言う。

「これまでの人事部門は、企業主導の人材育成やキャリア開発施策は得意とする一方で、個人の主体的な意思やキャリアオーナーシップを尊重した学習支援は十分ではありませんでした。しかし、人的資本経営が企業視点からの従業員の管理手法ではなく、人材の自律的な意思と多様な能力・スキルを通じて企業価値を創造する経営活動であることを考えると、従業員個人の人的資本を起点とする人事制度や施策の設計・実行が重要になるでしょう」

島貫智行氏(中央大学大学院 戦略経営研究科(ビジネススクール) 教授)

実践フェーズに入った人的資本経営。物事の変革・実践に際しては、常にその原点・目的を忘れないことが重要だ。

まとめ:人的資本経営は人事変革の好機である

企業を取り巻く環境が大きく変化する中、経営戦略と人事戦略を連動させ、企業の持続的な成長につなげることを狙いとする「人的資本経営」への取り組みが企業に求められている。その際に重要となるのは、人材は「管理」の対象ではなく「資本」であると捉える人材観だ。

2023年3月期の有価証券報告書から、上場企業において新たに人的資本情報の開示が義務化された。しかし、重要なのは「開示」ではなく「実践」である。その意味では、2024年こそが「人的資本経営の実践元年」と言えるであろう。

人的資本経営の実践にあたって大切なのは、変化に柔軟に対応できる「人や組織のアジリティ(変化適応力)」である。そのためには、土台として、従業員のエンゲージメントが必要だ。

また、人的資本を蓄積し発揮するためには、従業員自身の意思や主体性といった「個人の人的資本」が重要になる。今後はますます、個人の意思や主体性を起点とした人的資本経営が求められていくだろう。

企業の人事部門においては、人的資本経営の動きを好機として捉え、自己変革の契機にできるかどうかが重要なポイントとなる。人事部門が主体となり、従業員個人の人的資本を起点とする人事制度や施策を設計・実行することが、人的資本経営の実現・成功につながるのである。

「人的資本経営」のリーディングカンパニー

経営学・社会システム論・行動経済学・心理学などの学術的背景を基盤にした、基幹技術「モチベーションエンジニアリング」を用いた、組織や人事の経営コンサルティング。コンサルティング・クラウドサービスを通じて「診断」と「変革」のサイクルを提供することで、企業の「従業員エンゲージメント」向上をワンストップで支援。

所在地:東京都中央区銀座4丁目12−15 歌舞伎座タワー 15階

「人的資本経営」のリーディングカンパニー

企画・編集:『日本の人事部』編集部

Webサイト『日本の人事部』の「インタビューコラム」「人事辞典「HRペディア」」「調査レポート」などの記事の企画・編集を手がけるほか、「HRカンファレンス」「HRアカデミー」「HRコンソーシアム」などの講演の企画を担当し、HRのオピニオンリーダーとのネットワークを構築している。

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