日本企業を取り巻く経営環境は、今、大きく変わりつつある。経営のグローバル化、デジタルイノベーションの進展、少子化に伴う人材不足、働き方の多様化による個人のキャリア意識の変化など、企業は経営環境の変化に合わせて、経営戦略や事業戦略を意識的・機動的に組み替えていくことを求められている。これらの変化に伴い、もう一つ大きな転換期を迎えているのが「人事・人材マネジメントのあり方」だ。
企業が理想的な経営戦略を描き、大きな戦略転換を図ろうとしても、それを実行できる「人材」がいなければ、その戦略は「絵に描いた餅」になってしまう。そのため、経営戦略や事業戦略の転換に合わせて、人事・人材戦略も柔軟に組み替える姿勢が欠かせない。
そこで重要になるのが、人事・人材戦略のベースとなる人材ポートフォリオだ。ここでは人材ポートフォリオについて解説したのち、8月2日に開催された日本の人事部「HRカンファレンス2024-夏-」での議論と合わせて人材ポートフォリオの課題や重要性についても掘り下げる。
人材ポートフォリオとは~経営戦略の実現に必要な人材を、バックキャストで定義すること~
人材ポートフォリオとは人事マネジメント手法の一つで、事業活動に必要な人材タイプを明確にした上で、組織内の人的資源がどのように分類・構成されているか、あるいは必要となるのかを分析するもの。自社の人材のタイプを把握することで、適材適所の実現が可能となる。
変化が激しい時代においては、一度策定した中期的な経営・事業戦略も、環境の変化に応じて柔軟に組み替えることが必要になる。一方で、従業員個人の能力やスキル、意識や志向も、常に成長・変化し続けるものだ。
このような状況で掲げた経営・事業戦略を実現し、持続的に企業を成長させるには、人材を迅速・柔軟かつ適確に採用・配置・育成するための重要な人事・人材マネジメント戦略が欠かせない。
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人的資本経営の実践に向けた人材戦略
人材ポートフォリオの重要性が認識されるようになったのは、2020年9月に経済産業省が公表した「持続的な企業価値の向上と人的資本に関する研究会報告書~人材版伊藤レポート~」において「人的資本経営」が提唱されてからである。
この報告書では、企業の持続的な成長や価値創造に向けて人材を「資産」と捉えるのではなく、価値が伸び縮みする「資本」として捉える「人的資本経営」の重要性が提唱されている。
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人的資本経営では、経営戦略と人材戦略を連動させることの重要性が強調されているが、そのために必要となる人事・人材戦略の第一に挙げられているのが「動的な人材ポートフォリオ」だ。
動的な人材ポートフォリオとは、経営戦略の変更に応じて機動的かつ柔軟に組み替える人材ポートフォリオのこと。経済産業省は、動的な人材ポートフォリオについて以下のとおり言及する。
さらに「伊藤レポート2.0」では、将来の事業構想を踏まえた中期的な人材ポートフォリオの“ギャップ分析”が必要であることに触れている。
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将来の事業構想を踏まえた中期的な人材ポートフォリオのギャップ分析
CEO・CHROは、中期的な経営戦略の実現に向け、各事業が中期的に必要とする人材の質と量を整理し、現状とのギャップを明確にした上で、人事施策を立案する。 - ギャップを踏まえた、平時からの人材の再配置、外部からの獲得
CEO・CHROは、人材ポートフォリオのギャップに基づき、可能な限り早期に、社員の再配置や外部人材の獲得を検討し、実行する。
人材ポートフォリオの策定ステップ
人材ポートフォリオはどのように作られ、どのように活用されるのだろうか。作成ステップにはさまざまな方法論があり、企業で実際に行われるプロセスも異なるが、ここでは基本的な作成ステップを紹介する。
ステップ1:目指すべき企業の姿と戦略の明確化
自社のビジョンやパーパス、経営戦略などにもとづき、理想とする会社の状態を明確化。その実現に向けた変革のシナリオを描き、取り組むべき課題を抽出する。
ステップ2:必要となる人材像(質・量)の具体化
経営戦略を実現する上でのシナリオを実行するため、どのような人材に、どのようなパフォーマンスを発揮してもらうのかという、「戦略成功の鍵を握る人材」の役割・スキル定義を行う(質の具体化)。その上で、役割・スキルごとに必要となる人材の数を算出する(量の具体化)。
ステップ3:理想と現状のギャップをバックキャストで可視化
現在の人材状況を推し量るための定量データを収集・分析し、現状(As Is)の人材ポートフォリオを作成。あわせて、将来(To Be)の人材ポートフォリオを明確化する。その上で、As Is/To Beの人材ポートフォリオを比較し、解消すべきギャップをバックキャスト(ゴールから現状の課題を考える方法)で可視化する。
ステップ4:ギャップを解消する施策の策定・実行・モニタリング
ギャップを解消するためのプランを策定し、実行する。そして、施策実行後に定量データを用いて施策の効果検証(モニタリング)を行う。経営戦略と人材戦略が連動しているかを随時判断し、人材戦略を見直していくには、この一連の「人材ポートフォリオのPDCA」を回さなければならない。
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進みつつある日本企業の人材ポートフォリオの取り組み
目まぐるしく変化する経営環境の中で、必要性の認識が高まっている人材ポートフォリオだが、実際にはどの程度の取り組みが進んでいるだろうか。
経済産業省および人的資本経営コンソーシアム(※)では、日本企業の人的資本経営に関する現状および傾向を把握するために、2022年と2024年に「人的資本経営に関する調査」を実施している。
(※)人的資本経営コンソーシアム:日本企業における人的資本経営を実践と開示の両面から促進することを目的として、2022年8月に設立された団体(発起人代表は一橋大学CFO教育研究センター長の伊藤邦雄氏)。経済産業省および金融庁がオブザーバー参加。
日本企業における人材ポートフォリオに関する取り組み状況は、2024年時点においても6点満点中3点台のため、決して「高い」とは言えない。だが、2022年と2024年を比較すれば着実に「進んでいる」とは言えるだろう。
また同調査(2022年)では、「人材ポートフォリオの進捗状況」と特に強い正の相関を示す項目として、次の三つの項目が挙げられている。
- 「経営戦略と人材戦略の連動」:相関係数≒0.7
- 「As is-To beギャップの定量把握」:相関係数≒0.8
- 「リスキル・学び直し」:相関係数≒0.7
人材ポートフォリオの進捗度合いが高い企業ほど「経営戦略と人材戦略の連動度合いが高く」、「理想と現状のギャップが定量的に把握されており」、「リスキルや学び直しなどの人材育成が進んでいる」という傾向があることが分かる。
日本企業の人材ポートフォリオに関する課題
日本企業における人材ポートフォリオの取り組みは進みつつある。しかし、取り組みが進むにつれてさまざまな課題も出てきている。前述の「人的資本経営に関する調査結果(2024)」から分かる、企業が抱える課題について見ていきたい。なお、「最適な人材ポートフォリオの実現に向けて、どのような課題を感じているか」という質問への回答は以下のとおりだ。
最適な人材ポートフォリオの実現に向けた最も大きな課題は、「中長期的に求められる人材の質と量を把握できないこと」だという。なぜ、このような課題が生じるのだろうか。
同調査によれば、人的資本経営に取り組む上で人事部門の課題として最も多かったのが「人事部門の企画機能不足」。2番目が「人事部門の要員数不足」で、「人材情報基盤の未活用」と「人材情報基盤の未整備」がこれに続いた。
また、従業員から収集した「データの活用に向けた課題」としては、「データを収集・更新する仕組みが不十分」「収集したデータの記載感や粒度が整っていない」などが挙げられている。
この調査結果から、人的資本経営の推進や人材ポートフォリオの活用に関して、企業の人事部門が上記のような「人材の質・量の把握」や「人事データの収集・活用」に関する課題を抱えていることがわかる。
客観性のあるデータで、理想と現状とのギャップを正確に把握する
人材ポートフォリオの策定・活用において、「人事・人材データ」の重要性を指摘するのは、オープンワーク株式会社の執行役員・栗本廉氏だ。オープンワーク株式会社は、「ひとりひとりが輝く、ジョブマーケットを創る。」をミッションに、良い会社に人が集まり、良くない会社には人が集まらず、一人ひとりが主体的に仕事を選択する社会の実現を目指している。
栗本氏は、日本企業における人材ポートフォリオの課題について次のように語る。
「各企業での人材ポートフォリオの設計・策定は、大手企業を中心に徐々に進み始めているのが現状です。しかし同時に、課題も顕在化してきています。ボトルネックは、企業が自社の状態・状況を推し量るための『客観的な人事・人材データ』を十分に持てていないことだと考えています。
社員に関する客観的なデータがなければ、理想と現状のギャップを正確に把握できず、経営戦略の実現に向けた実質的かつ効果的な施策が打てません。また、施策実行後の効果も正しくモニタリングできず、求める成果の進捗について把握するのも難しくなるでしょう」
その上で、栗本氏は持つべきデータの内容や性質について次のように語る。
「そもそも把握すべきデータとして、社員のスキルやパフォーマンス、エンゲージメントなどが挙げられます。また、退職理由などの定量化しにくいものよりも、本音に近い生のデータも重要です。いずれも立場や役職、部門、性別に偏りのない全方位的なデータが必要になります。
これらのデータは、企業の主観が入らない『客観性のある本音』であることが肝要です。そうでなければ自社の現状を正確に把握できず、社員の本音をとらえた納得感のある施策につながらないためです。
以上を踏まえると、どのようなデータを、どのように(社外からも含めて)収集・蓄積するか。そして、収集・蓄積したデータを用い、自社の現状と経営戦略上の理想の正確なギャップを把握すること。これが人材ポートフォリオ設計・運用の第一歩です」
ビジネス環境の変化を背景に必要な人材要件が多様化し、さまざまな組織課題に直面している日本企業。その中で、個々人の能力や意識、また、組織状態の適確な把握とデータにもとづいた課題解決が求められている。
その課題解決には人事・人材面での客観的な生のデータが必要であり、それによって初めて理想と現状のギャップを正確に把握し、解消を図ることができる。ここで重要なツールとなるのが、「客観的なデータに基づく人材ポートフォリオ」だ。
「従業員クチコミレポート」で、真の組織文化・働きがい・働きやすさを見える化する
オープンワーク株式会社が運営する「OpenWork」は、国内最大級の社員クチコミデータを有する人材情報プラットフォーム。現在、1,700万件以上の社員クチコミ・評価スコアが収集・蓄積されている。
これまでは主に、その企業で実際に働いた経験のある社員や元社員の生の声をシェアし、本音の「働きがい」を抽出することを通して、企業と個人のより良いマッチングをサポートしてきた。
今後は、就職・転職というシーンのみならず、人的資本経営の推進や人材ポートフォリオの策定・活用の支援を行う「組織開発」サービスにも力を入れるという。
その具体的なサービスが「従業員クチコミレポート」だ。OpenWorkに蓄積されているクチコミ情報をAIで分析・スコア化し、社員(退職者含む)の「本音」をベースに、企業の主観が入らない「客観的な組織風土」を可視化できるサービスである。
レポートの基となるのは定性(文章)データであり、社員・元社員の本音が表れる「社員クチコミ」だ。一人ひとりの本音、すなわち、1件1件の社員クチコミをAIによって定量データに変換・集計しスコア化、「組織文化(組織環境、雰囲気)」「働きがい(モチベーション、成長実感)」「働きやすさ(ワークライフバランス)」の3領域に分けて「生の声」を基にした組織風土評価が可視化されるサービスとなっている。
レポート上では、自社のスコア推移を「時系列」で確認できるだけでなく、東証プライム・スタンダード上場企業平均スコア・競合企業スコアとの「比較」が可能となっている。
また、自社の特徴を示す「ワードクラウド」も作成される。なお、退職者分析(退職者の退職検討理由に投稿されたクチコミ文章の分析)も可能であり、日頃なかなかアクセスが難しい「退職者の生の声」のデータを収集できる手段となっている。
こういった企業の主観が入らない客観的なデータを用いることで、人材ポートフォリオは本来の価値を発揮する。まずは正確な現状把握からスタートできるため、自社の経営戦略に基づく「理想」との ギャップがより具体的に見えてくる。その結果、ギャップを埋めるための施策の精度も高まっていき、結果として追うべきものも明確になる......というサイクルだ。
人材ポートフォリオに関する人事責任者の取り組みや考え方
人材ポートフォリオについて、日本企業の人事責任者たちはどのような問題意識を持ち、どのように取り組んでいるのだろうか。
2024年8月2日に行われた日本の人事部主催の「HRカンファレンス2024-夏-」では、日本企業を代表する人事責任者が集まり、人材ポートフォリオをテーマに議論した。人材ポートフォリオを設計・活用する上での問題意識、現状の課題などについて、ディスカッションでかわされた意見の一部を紹介する。
- 人材ポートフォリオは、企業の規模や業種、成長ステージ(創業期、成長期、成熟期、変革期)に応じて変わるものだと思う。自社の位置づけや組織状況を踏まえて考える必要がある。
- 人材ポートフォリオは制度や施策ではなく、あくまでもツール。そのため、「ジョブ型雇用」「タレントマネジメント」などの制度といかに連動させるかが重要。
- 人材のAsIs/ToBeを把握・検討するためには、バイアス(先入観)のない客観性のある人材データをいかに収集・蓄積するかが重要。そうしないと、打ち手も間違えてしまう。
日本の人事部「HRカンファレンス2024-夏-」では、人事責任者たちによる活発な意見交換が行われた。当日の詳細レポートは、以下の記事で確認できる。
人事リーダーの視点からさらに学ぶ
人的資本経営で重要な「人材ポートフォリオ」の作成には、 客観的な人的資本情報による人材把握が肝
人材ポートフォリオの今後~人材の「相互選択型社会」における人事・人材戦略~
今後、日本社会の少子化が進むにつれて、企業の人手不足はますます深刻になるだろう。それに伴い、企業のリテンション(定着)戦略もより重要になる。今後の人材ポートフォリオの意義・活用について、栗本氏は次のように言う。
「今後は労働市場の人手不足により、ますます人材の採用や定着が難しい時代になるでしょう。個人から見れば、企業選択の幅が広がる時代ということでもあります。別の見方をすれば、会社と個人が終身雇用という形で互いに依存・拘束し合っていた『相互依存型社会』から、会社と個人が互いに選び合う『相互選択型社会』へ移行するのではないかと思います。
ですから、企業においては、自社の経営戦略を実現するための『人材ポートフォリオ』を描き、必要な人材を効果的・効率的に採用・配置することが重要になるでしょう。同時に個人としては、『人材ポートフォリオ』があることで自分の活躍するフィールドが分かり、人材価値が明確になります。
その意味でも『人材ポートフォリオ』は、企業の経営戦略の実現と同時に、社員のリテンション戦略、個人の価値向上のためにもより重要な存在になるでしょう」
まとめ
環境の変化が激しく先行きが見通せない時代だからこそ、経営戦略と連動した人材開発・人員配置の重要性が高まる。経営戦略や事業戦略の転換に合わせて、人材を迅速・柔軟かつ適確に採用・配置・育成し、従業員の能力を最大限に引き出す人材マネジメントに欠かせないのが人材ポートフォリオだ。人材ポートフォリオの作り方に正解はなく、企業のパーパスや目標、置かれた位置づけ、組織文化によって大きく変わる。そのため、人材ポートフォリオを考えることは自社のあり方そのものを考えることと同義であり、その意味でも「人材の時代」を生き抜く企業にとってますます重要な取り組みと言えるだろう。
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