人事未経験からCHROへ
ビジネス部門の経験を生かして、ひとの力を業績と企業価値に転換する
株式会社三越伊勢丹ホールディングス 執行役員CHRO 兼 株式会社三越伊勢丹 執行役員 人事部長
嘉納 亜紀子さん

株式会社三越伊勢丹ホールディングスは、店舗へ足を運ぶ顧客を待つマス向けの従来のビジネスモデル「館業(やかたぎょう)」から、データを介して三越伊勢丹とつながった顧客一人ひとりに合わせてさまざまな価値提供を行い長期的な関係を築く「個客業(こきゃくぎょう)」への進化を加速させています。この変革を人事の側面から担うのが、同社 執行役員CHRO 兼 株式会社三越伊勢丹 執行役員 人事部長の嘉納亜紀子さんです。嘉納さんは1992年に株式会社伊勢丹に入社し、営業本部でのマーケティング業務や、伊勢丹と三越の経営統合の旗振り役など、人事部門以外でキャリアを歩んできました。女性活躍推進、経営戦略と人事戦略の連動――ビジネスの最前線で得た知見をCHROとしてどのように生かしていくのか。その挑戦に迫ります。

- 嘉納 亜紀子さん
- 株式会社三越伊勢丹ホールディングス 執行役員CHRO 兼 株式会社三越伊勢丹 執行役員 人事部長
1992年株式会社伊勢丹入社。2008年に経営統合した三越伊勢丹ホールディングスで、営業本部の社員としてマーケティングやCRM(顧客関係管理)領域に従事。2016年マーケティング戦略部顧客政策担当長に就任。2022年三越伊勢丹執行役員 営業本部MD(商品政策)部門グループ長。2024年三越伊勢丹ホールディングス執行役員、2025年4月より現職。
個性的でエネルギッシュ。ひとの魅力に惹かれ入社
嘉納さんは1992年に伊勢丹へ入社されました。伊勢丹に入社を決めた理由をお聞かせください。
自らの財布を開くとき、ひとは誰しも真剣になります。お客さまの心を動かし「これを買おう」という決意を促す。その瞬間に立ち会える小売業という仕事に、何物にも代えがたい魅力を感じました。大学の同期の多くが華やかなイメージのある金融業界やマスコミ業界へと進む中、私はひとの心が動く瞬間に立ち会う仕事に惹かれたのです。
小売業を中心に面接を受ける中で、伊勢丹の社風に魅力を感じました。他社の社員からはスマートな印象を受ける一方で、伊勢丹の社員は個性的でエネルギッシュだったのです。活気あふれるこの組織に身を置けば濃密な時間を過ごせるに違いないと、胸が高鳴ったことを昨日のことのように覚えています。
入社してから伊勢丹のイメージは変わりましたか。
面接で受けた印象通りでした。伊勢丹の社員は明るく情熱的で、「ひと」が好き。催事をはじめとしたイベントがあれば、社員一丸となって盛り上がります。伊勢丹と三越が統合し、三越伊勢丹となった現在もこの活気は受け継がれています。
キャリアのスタートは、やはり店頭販売からだったのでしょうか。
同期の多くが店舗へと配属される中で、私はカード推進部へ配属。三越伊勢丹グループが発行しているクレジットカードの購買データを活用し、顧客と良好な関係を構築する方法を考えるCRM(顧客関係管理)業務に従事することになりました。
入社した1992年当時、「ビッグデータ」という言葉は一般的ではありませんでしたが、伊勢丹では既にデータを重視していました。「誰が、いつ、何を、どのような思いで購入したのか」という情報を読み解き、お客さまそれぞれに最適化された提案を行うことに取り組んでいたのです。
現在、三越伊勢丹では、データを介してお客さま一人ひとりに合わせた価値提供を行う「個客業」をビジネスモデルの柱として掲げています。「お客さまを『個』として捉える視点」を新入社員の時から叩き込まれたことは、私にとって大きな財産となりました。

「辞書づくり」から始まった、伊勢丹と三越の経営統合
2008年、伊勢丹と三越の経営統合という歴史的な転換期を迎えました。2社の統合を主導する統合準備室でのご経験について教えてください。
伊勢丹にとって最大のライバルである三越と一つの組織になる。2008年に統合準備室への異動を命じられたときは、大きな戸惑いとともに身が引き締まる思いでした。最初に着手したのは「辞書作り」です。伊勢丹と三越で使用する用語が異なっていたので、お互いの言葉を正しく理解し合うことから関係性を築こうと考えました。
統合準備室が目指していたのは、二つのブランドを強引に混ぜて「新しい百貨店」を作ることではありません。むしろ、それぞれの「のれん」が持つ良さを生かすことを大切にしていました。そのため、用語を「統一」するのではなく、相手の言葉の意味を理解できる状態を目指したのです。
異なる文化を持つ伊勢丹と三越が理解し合うまでには、時間を要したのではないでしょうか。
伊勢丹と三越、異なる文化を持つ両者が真に理解し合うまでには、相応の時間が必要でした。用語や業務フローといった「形」を共有するだけでは、ひとの心を動かすことはできません。
その状況を打破するきっかけとなったのが、大規模な人材交流でした。旧伊勢丹の社員が三越へ、旧三越の社員が伊勢丹へ。あえて異動の機会を作ったのです。
お互いの仕事のスタイルを肌で感じることで、社員間に「相手のカルチャーには、自分たちにはない素晴らしい強みがある」という敬意が芽生えました。統合から10年以上が経った今は、伊勢丹と三越がそれぞれの魅力を理解し、互いの強みを自分のことのように誇る文化が根付いています。
CHROに就任。武器は、ビジネスの最前線である「現場」の視点
嘉納さんはビジネス部門で長く活躍され、2025年4月にCHROに就任されました。打診を受けた時のお気持ちはいかがでしたか。
人事部門での経験が皆無だったので、正直なところ驚きました。一方で、昨今はビジネス部門からCHROを登用する企業が増えています。人事部門は、投資家をはじめとしたステークホルダーに対して、経営戦略と人事戦略の連動について説明する必要がありますよね。そのため、KPIを意識しつつ利益拡大に向けて突き進んできたビジネス部門の経験が生かせるのではないかと考え、CHROを引き受けました。
また、ビジネスの最前線である「現場」を知っているからこそ、できることがあると考えています。私はエステをはじめとした美容関連の事業を展開するグループ会社に出向していた時期がありました。その会社では、個々の技術と接客力が売上に直結するため、歩合給として還元される仕組みを導入していました。若手の社員が売り上げに責任を持ち、能力に見合った報酬を得る。社員が仕事に誇りを持ち、主体的に働いていた姿が印象に残っています。
私は、これまでのキャリアを通じて、現場にはどのような社員がいて、何が社員のモチベーションにつながるのかを知っています。三越伊勢丹の社員はコミュニケーション能力が高く、探求心があり優秀です。その力を最大化できる人事戦略を策定していこうと考えています。
ビジネス部門とは異なる「人事部門ならではの難しさ」はありますか。
ビジネス部門と人事部門の最も大きな違いは、成果が出るまでに要する時間の長さにあると感じています。ビジネス部門であれば、商品を店頭に並べることですぐに利益を出すことができますが、人事の領域ではそうはいきません。
例えば、外部から優秀な戦力を採用できたとしても、組織に定着し真価を発揮するまでには数年の歳月が必要です。「女性のリーダーが足りない」といった課題に対しても、「来月までに女性のリーダーを何人も増やす」ということは不可能に近いですよね。
そして何より痛感しているのが、ひとには「こころ」がある、ということです。会社側が「こうなってほしい」と青写真を描いても、社員が納得して自発的に動かなければ意味がありません。当社の企業理念である「こころ動かす、ひとの力で。」を体現するためには、まず私たちが社員の「こころ」を動かさなくてはなりません。
不確実な状況で、長い目を持って着実に変革に取り組む覚悟が求められていると感じています。

「対話」で組織を変革し、新たな価値を創出する
嘉納さんがCHROとして注力していることを教えてください。
女性の部長候補とキャリアについて考える「対話会」を実施しました。三越伊勢丹では自らの手挙げ制で昇格試験を受験します。そこで、部長に手挙げする権利がある女性社員約70名を対象に、人事部門が面談を実施。その後、女性初のCHROである私や現役の女性部長、そして部長候補の女性を交えて「対話会」を実施しました。
三越伊勢丹は社員の約7割が女性ですが、部長職以上になると約7割が男性という現状があります。この不均衡を是正するためには、まずは部長職を希望する女性を増やすことが不可欠だと考えたのです。
対話会を通じて、多くの社員が「会社から何を期待されているのか」を受け取れていないと痛感しました。
三越伊勢丹は2022年より「個客業」へビジネスモデルを転換しました。かつての百貨店は、店舗へ足を運んでくださる不特定多数のお客さまを待つ「館業」というビジネスモデルでした。しかし、人口が減少し、価値観が多様化する現代において、これまでの受動的な戦い方は通用しません。現在はグループのあらゆるリソースを駆使し、一人ひとりのお客さまに深く寄り添う「個客業」への変革を推進している最中です。
ビジネスモデルが変われば、求められる人財も変わります。分業化された環境で特定の仕事を長く担当するのではなく、今後は領域を横断してお客さまのために動く「自発的な挑戦者」が必要です。対話会を通じて、会社として求める人財像を分かりやすく発信する必要があると実感しました。
三越伊勢丹は、組織変革にあたって対話をする文化が醸成されているのですね。
きっかけは、新型コロナウイルス感染症の流行です。三越伊勢丹も休業を余儀なくされました。社員が不安を抱く中で、「個客業」へのビジネスモデル変革を宣言。社員の不安を払拭し、新しい戦略へ舵を切るために、様々なレイヤーでで「対話」を重ねてきました。
2023年4月に発表した新たな企業理念「こころ動かす、ひとの力で。」は、経営層と社員との対話から生まれたものです。理念の策定にあたり、全社員約1万4000人にアンケートを実施し、延べ1600回以上、1700時間に及ぶ対話会を積み重ねました。膨大な対話を経て生まれた理念だからこそ、社員からの納得感を得ることができました。
このプロセスを通して確信したのは、「三越伊勢丹の社員は対話が好きであり、対話によってエネルギーが湧き出る組織だ」ということ。今後は、対話文化を単なる意思疎通ではなく、新たな価値創造へとつなげていきたいですね。
人事部門は、利益拡大を支えるための「機能」――事業成長を促すCHROへ
嘉納さんはCHROの役割をどのように捉えていますか。
CHROのミッションは、「“ひとの力”を会社の業績と価値に転換させる」ことだと考えています。「“ひとの力”を最大化」するための仕組みや風土、メッセージを構築することが私の務めです。
今後、嘉納さんがCHROとして注力したいことを教えてください。
今後取り組みたいことは、主に三つあります。
一つ目は、利益創出に直結する人財像をより具体化すること。「個客業」へとビジネスモデルの転換を本格化させる中で、社員が目指すべき姿や人財育成の手法を明確に提示していきます。
二つ目は、人事戦略が企業の業績にどう結びついているのかを「見える化」するためのKPIを設定すること。特定のスキルを持つ社員が何人いて、その社員が活躍することでどの程度の利益が見込めるのか。「風が吹けば桶屋が儲かる」になぞらえた、「人事が動けば会社が儲かる」と論理的に説明できるようなKPIを構築しています。
三つ目は、会社全体が進むべき道筋を、温かみのあるメッセージで届けること。人事部門からの発信は、ルール説明や制度解説といった無機質な内容になりがちです。「こころ動かす、ひとの力で。」という企業理念通り、「三越伊勢丹は個人の力が強い」と評価される状態をいかに作り上げるか。施策だけでなく、メッセージを通して社員のポテンシャルを最大限に引き出すことが重要です。 入社時に私が魅了された、三越伊勢丹の「ひとの良さ」を生かし続けることができる組織をつくりたいですね。
最後に、次世代を担う人事パーソンに向けてメッセージをお願いします。
人事部門は、単一で独立して存在する組織ではありません。「人事」という名前の会社は存在しないのです。人事は常に事業と共にあるべきであり、会社が目指す方向性や戦略の実現、そして価値創造や利益拡大を支えるための「機能」であるという認識を持つことが、何よりも大切だと考えています。
「“ひとの力”を、会社の業績と価値へと転換させる」ためには、自社のビジネスモデルや市場環境はもちろん、最前線に立つ現場の苦労を深く理解しなければなりません。
「事業を成長させるために、人事に何ができるのか」。この問いに真摯に向き合い続ける高い視座が求められています。

取材:2026年1月9日
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