田中潤の「酒場学習論」【第18回】
葛西「La copa」とマルチ・タスクからの離脱
株式会社Jストリーム 管理本部 人事部長
田中 潤さん
古今東西、人は酒場で育てられてきました。上司に悩み事を相談した場末の酒場、仕事を振り返りつつ一人で呑んだあのカウンター。あなたにもそんな記憶がありませんか。「酒場学習論」は、そんな酒場と人事に関する学びをつなぎます。
東京都の東端、一駅過ぎるともう千葉県に入る、そんな街・葛西に今日ご紹介する酒場La copaはあります。美味極まりないメキシコ料理をいただけて、充実したテキーラの品揃えを誇る、愛すべき地元酒場です。
この酒場を印象づけるのは何といっても、弧を描く円形の美しいカウンターです。正確に言えば円の4分の1の弧なのですが、美しく丸みを帯びたカウンターの向こう側、そのバックカウンターに何層にもテキーラをはじめとする酒瓶が並ぶ姿は圧巻です。酒呑みであれば、この光景だけをアテにテキーラの2杯くらいいただけるほどです。
そして、この酒場のもう一つの魅力はカウンターに立つご夫妻です。主に旦那様が調理、奥様がアルコールを担当されます。もともとは一之江で開業され、葛西に移られてもうすぐ20年になるとのことですが、いつまでもこの地で素晴らしい料理とテキーラを提供し続けて欲しいと願います。
都内の主要繁華街ですら、本格的なメキシコ料理とテキーラの店はそう何軒もありません。一之江や葛西という土地でそれを貫き続けてきたのは、容易なことではなかったでしょう。しかし、そんなことを一切感じさせずに肩に力を入れない自然体で酒場を経営される姿は、訪れる私たちをリラックスさせ、1日の疲れを癒してくれます。ご夫妻の人柄もあって訪れる客層は幅広く、テキーラの入門酒場としても格好の酒場です。
最近私もテキーラを好んで呑むようになりましたが、知れば知るほど面白い世界です。個性あふれる多種多様な蔵ごとの味の違いや、ブランコ、レポサド、アガベと熟成期間によって変わる味わい、もう果てしなく楽しむことができます。若い頃は宴会の罰ゲーム的にショットガンで呑む酒かと勘違いしていましたが、基本的にはストレートでゆったりといただく酒です。
アルコール度数の強い酒を少量いただくのは1日の〆としても最高です。そして〆るというとアルコールだけでは終わらないのが、酒飲みのさが。葛西は地元街なので、La copaには都心で呑んできた最後に立ち寄ることも多いのですが、さっき直前の店で〆を食べてきたはずなのに、また〆たくなるのが酒呑みの可愛いらしいところ。そんなときにほぼ毎度のように頼むのが、ケサディーヤです。ケサディーヤとはトルティーヤにチーズそのほかいろいろなものを挟んで焼いたメキシコ風折り畳みピッツァという感じの料理です。La copaでは7種類のケサディーヤが提供されていますが、私が一番好きなのはチキンとレタスとアボガドを挟んだメキシカンケサディーヤ。一度ラーメンで〆た後の胃袋でも、ペロリといけます。〆のケサディーヤ、お薦めです。
弧を描くカウンターに陣取れば、一人ぼんやりするのも、カウンター越しに店主とお話しするのも、呑み手の自由です。ゆったりとした、いとおしい時間が流れます。
振り返ると、私たちの日常はマルチ・タスクに満ち溢れています。同時に進む複数のプロジェクト、プレーヤーとマネージャーの双方の仕事が求められる日々。同時並行的に複数の業務をこなすことにより、私たちは業務生産性を極限まで高める努力をし続けています。
思い起こすと、マッキントッシュとウィンドウズの出現がマルチ・タスクに拍車をかけました。一つのパソコンの画面上に複数のウィンドウを立ち上げ、同時並行的に作業ができる世界です。実に便利ですし、仕事ははかどります。でも、本当にそうでしょうか。
例えばワードで報告文書を作成していたとします。そこにチャットがきます。チャットに対応していたら、今度はメールが来ます。こちらも急ぎのようなので、すぐに返信メールを作成します。その中で内容確認が必要な事項があり、グーグル検索で調べます。ようやく返答を送ったところでまた次のメールがきます。そして、ワードの報告書に戻ったころには、何を書こうと思っていたのか忘れてしまい、また一から思考を始めるはめに陥ります。こんな日常が続いてはいないでしょうか。果たして、マルチ・タスクは本当に私たちの仕事の効率を上げているのでしょうか。
実は私たちの脳は、基本的に一度に一つのことしかできないという特徴があるそうです。同時に三つの業務を行っている場合、三つのことを頻繁に脳内で切り替えているだけで、同時並行でできているわけではないのです。注意の対象を連続的にシフトさせながら仕事をしているわけです。つまり、マルチ・タスクは、脳からみるとマルチ・シフトなのです。
そして、脳が注意をシフトするという行為は、脳に多大な負担をかけるそうです。ある研究で、メールを確認する回数を制限した集団と、メールが来るたびに確認をしている集団との間でのストレス調査をしたところ、明らかに前者の集団のストレスが少なかったといいます。私たちは知らず知らずのうちに、マルチ・シフトの罠に陥り、脳を疲れさせストレスを招いているようです。さらにいえば、自らマルチ・シフトの罠に飛び込んですらいます。隙間時間でスマホをいじるのも、まさにマルチ・シフトの罠。結果として脳は疲労し、ストレスは増大します。
La copaの円形カウンターでテキーラをいただくとき、私たちはマルチ・タスクからもマルチ・シフトからも解放された時間を過ごすことができます。これこそがまさに酒場浴であり、マインドフルネスに満ちた時間です。ちょうどよい暗さ、個性を競うテキーラのボトルたち、弧を描く美しいバーカウンター、美味しい料理。まさに脳が休まる時間です。そして、このような時間をつくる大切さを、このカウンターは思い出させてくれます。
- 田中 潤
株式会社Jストリーム 管理本部 人事部長
たなか・じゅん/1985年一橋大学社会学部出身。日清製粉株式会社で人事・営業の業務を経験した後、株式会社ぐるなびで約10年間人事責任者を務める。2019年7月から現職。『日本の人事部』にはサイト開設当初から登場。『日本の人事部』が主催するイベント「HRカンファレンス」や「HRコンソーシアム」への登壇、情報誌『日本の人事部LEADERS』への寄稿などを行っている。経営学習研究所(MALL)理事、慶応義塾大学キャリアラボ登録キャリアアドバイザー、キャリアカウンセリング協会gcdf養成講座トレーナー、キャリアデザイン学会代議員。にっぽんお好み焼き協会監事。
HR領域のオピニオンリーダーによる金言・名言。人事部に立ちはだかる悩みや課題を克服し、前進していくためのヒントを投げかけます。