「組織への帰属意識」は本当に必要か?
「心理的距離」の構築がもたらす、個人と組織の新たな可能性
大正大学 地域創生学部 地域創生学科 准教授
大橋 重子さん

組織への「一体感」が、実は優秀な人材の可能性を狭めているとしたら――。M&Aや働き方の多様化が当たり前となった今、一律の理念浸透や帰属意識の強要は、組織の適応力を奪う足かせとなり得ます。「個人と組織の心理的距離」という独自の概念を提唱する大橋重子さんは、従業員があえて組織と「距離を置き保つ」ことの効用を明らかにしました。同調圧力を手放し、個人の自律と組織の成長を両立させる「程よい距離感」とはどのようなものか。次世代に選ばれる企業になるための、全く新しいマネジメントの視点に迫ります。
- 大橋 重子さん
- 大正大学 地域創生学部 地域創生学科 准教授
おおはし・しげこ/横浜国立大学大学院 国際社会科学府経営学専攻 博士課程後期修了。博士(経営学)。総合商社、外資系ライフサイエンス企業を経て、2021年より現職。専門分野は、組織行動論、経営組織論、人的資源管理論、キャリア論。主なテーマは、個人と組織の関係性(Employee-Organization Relationship)。主な研究業績に、『個人と組織の心理的距離』(中央経済社)、『コロナ禍の生活とジェンダー』(共著、お茶の水書房)、『女性リーダー育成への挑戦』(共著、お茶の水書房)、『ダイバーシティと女性』(共著、お茶の水書房)などがある。
実務現場での葛藤から生まれた、既存概念への根源的な問い
大橋さんはもともと、企業で長く実務に携わられていたと伺いました。研究の道へ進まれた背景にあるご自身の実体験についてお聞かせください。
私は企業で働きながら社会人大学院に通い、学位を取得しました。研究を志した最大のきっかけは、企業で管理職を務めていた当時に直面した、部下のマネジメントに関する大きな壁にあります。現場をまとめる立場になり、年上のメンバーや子育て中のメンバーなど、多様なバックグラウンドを持つ人たちを束ねることになったのですが、各人の価値観や置かれている状況が全く異なる中で、自身の経験値や直感だけに頼ったマネジメントでは、組織を円滑に運営していくことは極めて困難であると痛感したのです。
自身の力不足を自覚すると同時に、実務の課題を解決するためには、きちんとした理論に基づいた体系的な知識が不可欠であると考えるようになりました。経営学の中でも、人材組織マネジメントの分野について基礎から深く学び直したいと強く思った経験が、大学院の門を叩く出発点となっています。
長年人事領域で使われてきた「組織コミットメント」や「同一化」といった既存概念ではなく、「個人と組織の心理的距離」に着目された理由をお聞かせください。
当初はチームマネジメントのあり方そのものに関心を抱いていましたが、研究を進めるうちに、個人と組織の関係性に関わる概念が非常に数多く存在することを知りました。代表的なものとして、「組織コミットメント」や「組織アイデンティフィケーション」が挙げられます。各種の理論が示唆する内容を頭では理解できるものの、実際の企業現場で働いていた感覚に照らし合わせると、少し違和感を覚える部分がありました。
従業員が組織に対して見せる態度は、「距離が近いか、遠いか」「コミットメントが高いか、低いか」という単純な二元論だけで説明できるものではありません。企業の中で働く人たちの動きを注意深く観察していると、既存の指標には当てはまらない、もっと複雑で多様な関わり方が存在しているという強い実感がありました。
また、組織と個人の距離が近く、強い一体感を持つことが、個人にとっても組織にとっても「常に良い状態」と言い切れるのか、という疑問もありました。既存の研究の多くは、組織への帰属意識やコミットメントを高めることが望ましいという前提に立っています。しかし、現場の実態を振り返ると、必ずしも一体感が強ければ高いパフォーマンスを発揮できるわけではなく、逆に一体感が強すぎることが弊害を生む場面も目にしてきました。
従業員側から見た組織との関わり方には、もっと多様なグラデーションが存在していて、既存概念の枠組みを超えた新たな評価軸が必要ではないかと考えた経験が、「個人と組織の心理的距離」という概念を探求する基盤となっています。
激変する経営環境下で形骸化する「一律の一体感」
昨今の雇用環境の変化を踏まえると、従業員が組織に抱く意識は過去と大きく変わってきていると推察されます。企業はこれまで従業員に組織との一体感を求めてきましたが、一律にこうした関係性を求めることには、どのような限界が生じているのでしょうか。
過去数十年間の歴史を振り返ると、最も顕著な変化は「同じ環境下で、長期にわたって安定的に経営を継続することが極めて困難な時代になった」という点に尽きます。その変化が最も如実に表れているのが、企業のM&Aや吸収合併の増加です。ビジネスパーソンの中で、所属する組織が買収されたり、他社と合併したりした経験を持つ方は決して少なくありません。突然の人事異動や組織改編によって、所属していた部署が丸ごと消滅してしまうといった事態も日常茶飯事に起こり得ます。こうした激しい環境変化の中では、ひとつの組織に対して永久不変の忠誠心を誓うことは現実的ではありません。
同時に、従業員の視点に立つと、職場環境の多様化が大きな影響を与えています。現在は、正社員という画一的な雇用形態だけでなく、パートタイム、アルバイト、派遣社員など、多様な雇用形態の人々が同じ職場で共に業務を遂行することが当たり前になりました。働く目的や組織に対する期待が全く異なるメンバーが混在している状況下において、全員に対して一律に「同じ方向を向いて一体感を持とう」「組織の目標に同一化しよう」と求めることには、明らかな無理が生じます。一体感を高めるための前提条件そのものが、既に根底から崩れ去っている状態と言えるでしょう。現場で働く従業員も、全員が同じ熱量で組織に関与することの難しさを、日々の業務を通じて肌で感じているはずです。
組織へのコミットメントが強すぎることが、かえってマイナスに働くケースもあるのでしょうか。
例えば自社が競合企業に買収され、全く異なる企業文化を持つ組織と統合される場面を想像してみてください。従業員が元の組織に対するコミットメントが極めて高く、企業文化や製品に対して強い愛着と誇りを持っていた場合、統合後の新しい組織に対して気持ちを切り替え、新たな方針に従うことは多大な心理的苦痛を伴います。
特に営業部門などで、長年「我々は競合他社とはここが違う」という強烈な差別化意識や競争心をモチベーションの源泉としてきた人材は、統合して「昨日までの敵と一緒になってシナジー効果を出しましょう」と言われても、到底納得できないでしょう。私自身も過去に統合を経験し、シナジー効果を求められた際に、混乱を覚えた記憶があります。
もちろん、組織に対する一体感や同一化そのものを全面的に否定するつもりはありません。個人と組織が適切な関係を結ぶ上で、愛着や信頼関係は不可欠な要素です。しかし、過去の右肩上がりの時代のように「とにかく一体感を高めれば良い」という一点張りで押し切れる環境ではなくなっている事実を、企業は冷静に受け止める必要があります。
従業員に対して一方的に「こうあるべきだ」と関係性を押し付けるのではなく、従業員も自らの意思で組織との関係性を考え、主体的に構築していく時代に移行している事実を、まずは経営陣や人事部門が共通認識として持つことが求められています。

「心理的距離」の構造――認知から行動へと至る動的なプロセス
「個人と組織の心理的距離」について、具体的な構造を詳しく教えてください。
心理的距離という概念自体は、もともと社会心理学の分野で対人関係を説明するために用いられてきたものです。例えば、初対面の人と接する際に、相手の出方をうかがいながら少し距離を取って接することは、誰もが経験しているはずです。
ただ、個人と組織の関係性を扱う分野においては、これまでほとんど注目されてきませんでした。しかし、企業内で働く従業員の行動を詳細に分析していくと、全く同じ事象に直面し、同じ経験をしているにもかかわらず、従業員ごとに取る態度や行動が明確に異なる事実が見えてきたのです。この行動の差異にこそ、心理的距離が多大な影響を及ぼしているのではないかという仮説に基づき、研究を進めました。
研究の結果として判明した最大の特徴は、心理的距離とは単なる個人の主観的な知覚や感情の状態を指すのではなく、経験、認知、行動が連鎖する動的なプロセスである点です。従業員は組織内で何らかの経験をし、対象となる事象を自分なりに認知、評価し、その結果として具体的な行動を選択します。そして、該当する行動の結果が再び自身の認知に影響を与えるという、ぐるぐると循環しながら絶えず変化し続けるプロセスそのものが、心理的距離の本質だと言えます。
単なる「気持ちの距離」ではなく、経験、認知、行動が連鎖する動的なプロセスであるという視点は非常に新鮮です。心理的距離にはどのようなパターンが存在するのでしょうか。
心理的距離は表1のように、認知レベルで2種類、行動レベルで3種類のパターンに整理することができます。
| レベル | 認知レベル | 行動レベル |
|---|---|---|
| 距離のパターン | 個人が組織を近く感じる | 個人が組織に近づく |
| 個人が組織を遠く感じる | 個人が組織と距離を置き保つ | |
| 個人が組織から離れる | ||
| 本人の意識 | 受動的 | 能動的・意識的 |
| 説明 | 経験することで認識する | 意図的に考えて行動している |
| もたらされる感情 | 安心感・不安感 | 安心感 |
行動レベルについて詳しくお話ししましょう。一つ目は組織に「近づく」行動、二つ目は組織から「離れる」行動、そして三つ目があえて一定の「距離を置き保つ」行動。私の研究では主に「離れる」行動と「距離を置き保つ」行動の二つに焦点を当てて分析を行いました。
実は「組織に近づく」行動をとっている従業員の中には、純粋な愛着や信頼感から近づいているケースだけでなく、「自身の身を守るため」にあえて意図的に組織に同調しているケースが存在します。激しく変化する組織の中で波風を立てず、自分自身の安全で安心なポジションを確保する手段として、本心では納得していない方針に対しても、表面上は逆らわずに完全に一体化して見せるわけです。
会社の方針に対して異論を唱えたり疑問を呈したりすることは、多大なエネルギーを消費し精神的な疲労を伴います。そのため、あえて自らの感情を押し殺して従順な態度を取ることで、安全を確保しようとしているのです。表面的には非常に従順で優良な社員に見えますが、本心から組織の目標に共感しているわけではないため、本当に組織にとって有益な人材と言えるのかどうかについては慎重な見極めが必要です。
一方で、組織から「離れる」行動をとる従業員に共通して見られる特徴は、仕事とプライベートの境界線を極めて明確に線引きしている点です。就業時間外や休日は組織との関わりを一切絶ち、仕事関連のコミュニケーションを意図的に遮断します。会社の飲み会や社内イベントなど、業務外の集まりには絶対に参加しないというスタンスを貫く人も多く存在します。
ここで重要なのは、該当する行動をとる人が必ずしも会社を憎悪していたり業務に対して不真面目であったりするわけではない、という点です。自身の生活において組織との関係性を必要最小限に留めるという明確なポリシーを持っているだけであり、決められた業務自体は滞りなく遂行するケースが多く見受けられます。
「距離を置き保つ」ことが、なぜ個人の成長につながるのか
組織から「離れる」行動とは対照的に、組織と「距離を置き保つ」行動をとる人々にはどのような特徴があるのでしょうか。
組織から完全に「離れる」行動が組織との関わりを断ち切ることを目的としているのに対し、「距離を置き保つ」行動は、従業員自身が主体的に組織との関係性を調整しようとする極めて高度なプロセスを含んでいます。
この行動をとる従業員は、まず前提として「現在の組織がどのような目標を持ち、どのような状況にあるのか」という組織理解に努めます。同時に「自分自身はキャリアを通じて何を成し遂げたいのか」「組織の中でどのような立ち位置にいたいのか」という深い自己理解も持っています。組織の状況と自身の価値観の双方を冷静に見つめ直した上で、近すぎず遠すぎない、自身にとって最も心地よくかつパフォーマンスを発揮できる程よい関係性を構築しようとしているのです。
例えば、上司から新しい指示や業務命令が下された場面を想像してください。組織に「近づく」ことを優先する従業員は、何も考えずに無条件でイエスと答えるでしょう。逆に「離れる」従業員は、最小限の労力で済ませようとするか、あるいは不満を抱えながら表面的に従います。
一方、「距離を置き保つ」従業員は、なぜそのような指示が出されたのか、その背景や目的を深く理解するために上司に対して率直に問いかけを行います。また自身の考えやキャリアの方向性と照らし合わせて納得がいかない部分があれば、単に拒絶するのではなく、論理的に自身の意見を伝え、相互理解を深めるための建設的なコミュニケーションを図ろうとします。単なるイエスマンでもなく無責任な反抗者でもない、自律したプロフェッショナルとしての態度と言えます。
非常に高度な調整能力を必要とする行動ですね。しかし、そうした「指示の背景を問う」態度によって、現場の管理職から「扱いづらい部下」と誤解される懸念はありませんか。
ご指摘の通り、企業の現場においては主体的な行動に対する理解が不足しているケースが多々見られます。指示するたびに目的を問い返してきたり、率直に意見を述べてきたりする部下は、上司から「従順でない」「扱いづらい」などとネガティブに評価されてしまう危険性があります。本人は組織をより良くするため、あるいは自分自身の職務を全うするために真剣に向き合っているにもかかわらず、上司の側が旧態依然とした「黙って従うのが良い部下」という価値観に囚われていると、深刻なコミュニケーションギャップが生じる可能性があります。対話を面倒くさがって建設的な意見を封殺してしまうと、せっかくの優秀な人材のモチベーションを大きく削ぐことになるかもしれません。
この点については、定量調査において明確なデータを確認できています。組織と「距離を置き保つ」行動をとる従業員は、無批判に組織へ従属する従業員や完全に組織から離脱してしまう従業員と比較して、いくつかの指標で明確に高い数値を示しています。具体的には、自身の仕事に対する満足度、自身の能力に対する自信を示す自己効力感、そして自らのキャリアを主体的に設計していくキャリア成熟度に、明確なプラスの効果が見られました。組織との関係性を自らの意思でコントロールできているという実感が、自身のキャリアに対する主体性を育み、結果として仕事への前向きな取り組み姿勢につながっていると考えられます。
やみくもに組織への一体感や同一化を強要し従業員を従属させようとする従来型のアプローチは、従業員から思考の機会を奪い、受け身の姿勢を助長する危険性を含んでいます。多様な価値観を持つ人材がそれぞれの能力を最大限に発揮するためには、組織と個人の間に適切な余白、すなわち心理的距離が存在することが不可欠です。
従業員が自ら考え、組織との関係性を調整しようとする動きを、組織に対する反抗と捉えるのではなく、自律的なプロフェッショナルへ成長していくための重要なプロセスとして肯定的に受け止める度量がこれからの企業には求められます。

「個」への興味から始まる、新たな関係性の再構築
従業員がネガティブな意味で「組織から離れる」行動をとりそうなとき、また一律の一体感醸成が難しくなっている現代において、管理職や人事部門は具体的にどのようなアプローチで関係性を構築していくべきでしょうか。
心理的距離とは日々の経験の蓄積によって絶えず変化していく動的なものです。したがって、現在組織から離れようとしている従業員に対しては、組織に対してポジティブな認知を持てるような新たな経験を提供することが何よりも重要です。
絶対に避けるべきなのは、「もっと会社に愛着を持て」「チームの一体感を高めるイベントに参加しろ」といった、強引に同一化を迫るような施策です。すでに組織に違和感を抱いて離れようとしている人間に対して一体感を押し付けると、確実に関係性が悪化します。
重要なのは、従業員個人の内面に深く寄り添い、対象となる人物を一人の人間としてきちんと理解しようと努めることに尽きます。なぜ組織から距離を置こうとしているのか、将来的にどのようなキャリアを築きたいと願い、仕事を通じて何を実現したいと考えているのか。そうした個人の価値観や問題意識に対して、組織側が「あなたに対して強い関心を持っています」「あなたのキャリアを真剣に支援したいと考えています」という明確なメッセージを発信し続けることが不可欠です。
本来であれば1on1ミーティングは個人の価値観やキャリア観について対話を行う絶好の場となるはずです。しかし企業の現場では、上司が一方的に業務の進捗状況を確認したり目先の目標達成度合いを詰めたりするだけの、単なる業務報告会になってしまっているケースが多いようです。これでは従業員との信頼関係を構築するどころか、かえって心理的距離を遠ざける結果を招きます。上司の側が「部下を知りたい」「部下のやりたいことをどう実現できるかを一緒に考えたい」という純粋な興味を持ち、対話に向き合う姿勢を持たなければ真の支援を行うことは不可能です。
若手社員の価値観の変化についても、管理職は理解をアップデートする必要があると感じます。
現在の若手世代は中学校や高校といった早い段階から、体系的なキャリア教育を受けて育ってきました。また、自身の考えを言語化し、他者に対して明確に意見を主張する訓練を、上の世代よりもはるかに多く経験しています。そのため上司からの指示に対して疑問を感じたとき、それを飲み込んで黙って従うのではなく、とりあえず自分の意見として発信するという行動スタイルが彼らにとってはごく自然な振る舞いとして定着しています。
一方、彼らをマネジメントする立場にある世代は、どちらかと言えば組織の論理に黙って従うことを美徳とする教育を受けてきた人たちが中心です。世代間のコミュニケーションスタイルの根本的なギャップを上司の側が認識していないと、意見を述べる若手に対して「口答えをする生意気なやつだ」という誤ったレッテルを貼りかねません。若手が意見を言うのは決して反抗したいからではなく、納得した上で業務に取り組みたいという真摯な態度の表れであることを理解する必要があります。
人事部門や管理職の方々に向けて、メッセージやアドバイスをお願いします。
従業員の誰もが同じ方向を向き、強固な一体感を持って突き進むという画一的な組織モデルは、もはや過去の幻想となりつつあります。価値観が多様化し雇用形態が複雑化する現代においては、従業員が自律的に組織との距離感を測り、主体的に関係性を調整していく心理的距離のマネジメントこそが健全な組織運営の鍵を握ります。
人事部門や管理職の皆さんには、従業員を組織の枠にはめ込もうとするのではなく、一人ひとりの異なる価値観やキャリア観を尊重し、対等なパートナーとして対話を重ねる努力を怠らないでほしいですね。従業員があえて距離を置き保つことを許容し、その自律性を後押しするような度量のある組織環境を構築することが、結果として持続的な企業の成長と従業員の真の幸福に結びつくと考えています。

取材:2026年4月20日
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