投資としての海外派遣
マーサージャパン株式会社 プロダクト・ソリューションズ マネージャー 白根 啓史氏
企業における海外派遣の目的は何か?
海外事業の立ち上げや拡大、技術移転、人材育成など、企業によって異なるだろうが、海外派遣にはあらゆる目的があるだろう。ここでは、海外派遣を投資という観点から考察する。そのためには、まず労働そのものを投資として捉えるところから始めたい。
労働の目的の時点はどこか?
労働には様々な時点を目的とした活動がある。営業職や販売職は今月、今年など短期的な目的のための活動が多くなるだろう。一方、経営企画職やシステム開発職は来年や5年後など将来に向けた活動を主としている。もちろん、営業職も来年のために活動するし、経営企画職も今期のために活動する。0か100かのように完全に割り切れる話ではなく、一つの活動をとっても今期のため、来期のためと複数時点を目的とした活動もある。しかし、活動に主な時点があることは確かだ。
これら時点の異なる労働は会計上、一部を除きほぼ全てが人件費として今期の経費に計上される 1。競合他社との財務分析を行った場合、労働分配率が仮に同じであっても、その中身は今期のための労働が多いのか、また来期以降のための労働が多いのかの判断は困難である。しかし、後者の比率が高い企業は、競合他社よりも将来的に有利な立場にあるだろう。
企業がモノを購入する場合、今期に消費するものは経費とされ、設備投資のように来期以降に消費するものは投資と区別されるが、これを労働について当てはめれば、今期のための労働は経費的労働、来期以降のための労働は投資的労働と言い換えても良いのではないか。企業の成長には投資が不可欠だが、それはモノの投資だけでなく、労働の投資も当てはまる。
1 研究開発に要した人件費は研究開発費として計上されるが、研究開発は必ずしも企業に利益をもたらすとは限らないため、経費として処理されるケースが多い。
従業員にとっての労働
ここで注意すべき点は、労働の所有者についてである。企業の購入したモノは企業の所有物であるため、基本的には好きなように扱えるが、労働は従業員の所有物だ。企業は従業員と雇用契約を結んでいるとはいえ、従業員は企業の所有物ではない。そのため、企業が労働を扱うには従業員に配慮する必要性が問われる。
企業にとって経費的労働と投資的労働があるように、従業員にとっても同様の観点がある。例えば、給料をもらうためにこなす仕事は今期のリターンを得るための経費的労働、スキルや経験を身に付けるための挑戦的に取り組む仕事は来期以降の所得拡大を目的とした投資的労働と言える。企業のケースと同様、0か100かのように完全に割り切れる話ではない。むしろ、経費的労働と投資的労働が混合しているケースがほとんどだ。しかし後者の労働は、将来のリターン拡大のための活動にも関わらず、今期においても給与というリターンが発生しているため、従業員にとっては前者よりもベネフィットが大きいと感じるだろう。
企業にとっての労働、従業員にとっての労働
それでは経費的労働と投資的労働は企業と従業員にとって必ずしも一致するかというと、そうではない。例えば、新規事業を立ち上げるために外部から十分な実績を有する人材を採用した場合、この人材の労働は企業にとっては投資的労働と言えるが、採用された従業員にとっては、これ以上身に付けるスキルや経験の余地があまりなければ経費的労働に近いだろう。
一方で、経験の浅い新入社員にとっての労働は投資的労働と言えるだろうが、それが企業にとって退職した社員のリプレイスなどビジネスに必要な労力の補充の意味合いであれば経費的労働と見なせる。
もちろん一致するケースもあり、例えば社内ベンチャーなど企業にとっても従業員にとっても将来的なリターンと新たな学びが期待される労働は両者にとって投資的労働と言える。このように、企業と従業員にとって同じ労働を見ても意味合いが異なってくる。
海外派遣の目的と処遇の考え方
それでは海外派遣を考えるにあたって、経費的労働と投資的労働を紐解いていきたい。以下の表では、企業と従業員にとって経費的労働か投資的労働かの組合わせを①~④の区分で表し、それぞれに代表例を記している。なお、この代表例は個社ごとに異なるであろうことは注意されたい。
企業 | |||
---|---|---|---|
経費的労働 (今期のための労働) |
投資的労働 (来期以降のための労働) |
||
従 業 員 |
経費的労働 | ①ジョブローテーションなど、既存の事業運営上必要な派遣 | ③技術移転や組織改革など、海外拠点の能力向上を目的とした派遣 |
投資的労働 | ②海外研修など、従業員には挑戦的だが、企業には経費に近い派遣 | ④新規拠点の開発など、企業・従業員ともにリスクをともなう派遣 |
まず企業の視点から整理すると、経費的労働と投資的労働の区分は比較的分かりやすい。既存ポストへのジョブローテーション(①)や海外経験を目的とした派遣(②)は経費的労働として捉えられる。これらは組織運営上必要な異動であり、経費的な側面が強い。一方、技術移転(③)や新規市場の開拓(④)は将来に向けての活動であり、投資的側面が強い。
次に従業員の視点で考えれば、①や③は特に新たなスキルの取得などが期待できない限り経費的労働、②や④は従業員にとって学習余地のあるチャレンジであれば投資的労働と捉えるだろう。従業員にとって経費的であるか投資的であるかは、保有している能力・スキルや学習意欲などによって個々で異なるため、一概に区分できない側面もある。しかし、この区分の割合を企業側がある程度把握しておくことは、従業員の処遇を決めるうえで重要だ。
例えば、①、③の色合いが強い海外派遣は従業員にとって投資的側目が少ないため、金銭的補助や福利厚生が十分でなければモチベーションはそれほど上がらないだろう。特に③のケースであれば、会社としても今後のリターン拡大につながるため、従業員のモチベーションを最大限に引き出すためにも①よりも厚遇しても良いのではないか。
一方で、②や④は従業員にとっても自身の人的資本への投資につながる点で報酬以外にも得るものが大きい。そのため、企業としては十分な金銭的なサポートや福利厚生も大事だが、それよりも学習意欲や挑戦意欲の高い従業員の選抜が鍵となる。特に④については、企業にとってもチャレンジだが、成功すれば今後のリターンの拡大につながるため、それに見合う成功報酬を設けるのが望ましいかもしれない。
実際には、ここまではっきりと区別し難く、処遇について従業員間で差を設けることが困難な企業も多いだろう。しかし、画一的な処遇は得てしてマジョリティに最適化される。①の派遣者が多い企業であれば、それ以外の区分の派遣者はモチベーションを失いかねない。また、④の派遣者が多い企業であれば、①に適した処遇ではなく、評価に応じた成功報酬を付与できる仕組みの必要性も問われる。複数の処遇を多く設ければそれだけ個別の派遣者にとって適したものとなるだろうが、制度設計や保守運用のコスト、複雑化による従業員への説明困難性などとトレードオフとなる。
企業ごとに最適な処遇の粒度は異なるが、適切な処遇を設定するためにも、企業としてどのような海外派遣が多いのか、また従業員は何を目的に海外へゆくのか、まずはそれを経費・投資という観点で捉えて考え直すところから、経営戦略、ファイナンスと連動した人事戦略へとつながるのではないか。
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