カギは「企業の繁栄」と「労働者の幸せ」の両立
組織の強みを引き出す、法との向き合い方
学習院大学 経済学部経営学科 教授 / 一橋大学 名誉教授
守島 基博 さん
慢性的な長時間労働に歯止めをかける時間外労働の上限規制、雇用形態によらず仕事内容に見合う待遇を設ける同一労働同一賃金、そして、企業が職場のパワーハラスメント防止策を講じることを義務化したパワハラ防止法の施行。いずれも全ての労働者の働き方に深く関わり、経営への影響も大きい内容であるため、慎重な対応を迫られている組織も多いことでしょう。人事はこの法改正を、どのように捉えればよいのでしょうか。また、組織づくりにどう生かすべきなのでしょうか。学習院大学の守島基博さんに、法整備の背景やマネジメントへの活用のポイントをお聞きしました。
- 守島 基博 さん
- 学習院大学 経済学部経営学科 教授 / 一橋大学 名誉教授
もりしま・もとひろ/人材論・人材マネジメント論専攻。1980年慶應義塾大学文学部卒業、同大学院社会研究科社会学専攻修士課程修了。86年米国イリノイ大学産業 労使関係研究所博士課程修了。組織行動論・人的資源論でPh.D.を取得後、カナダ国サイモン・フレーザー大学経営学部助教授。90年慶應義塾大学総合政策学部助教授、98年同大大学院経営管理研究科助教授・教授、2001年一橋大学大学院商学研究科教授を経て、2017年4月より現職。20年より一橋大学名誉教授。主な著書に『人材マネジメント入門』『人材の複雑方程式』『21世紀の“戦略型”人事部』『人事と法の対話』などがある。
“見えない格差”と労働慣習のひずみを解消する
国はここ数年で、働き方の根幹にあたる部分の法整備を行いました。これにはどのような意図があるのでしょうか。
ひと言でいえば、長年にわたって蓄積した労働市場のひずみを解消しよう、ということだと思います。
長時間労働は、高度経済成長の頃から問題でした。当時は“モーレツ社員”や“企業戦士”といった言葉が生まれ、家庭や家族を顧みずに働くことを美徳としていた部分がありました。以降、週休二日制の普及や有給休暇の取得奨励など、キャンペーンや法令の制定などを繰り返してきましたが、抜本的なテコ入れが必要なタイミングに来ていたといえます。
同一労働同一賃金も、日本的雇用の陰の部分であり、以前から検討すべき課題でした。労働者の非正規雇用の割合が増えていく過程で、契約社員やパートタイム労働者が担う職務の範囲が拡大しました。業務内容について正社員との境界があいまいになる一方で、雇用の違いによる待遇格差が生じていました。背景にある思い入れは少し違ったのですが、同一労働同一賃金を欧米諸国では早くから導入していました。しかし、日本では放置されていたのが実情です。
パワハラは言葉自体比較的新しいものですが、昔から職権による圧力や叱責などはあって、働く人たちも「会社とはそういうもの」と解釈していたのでしょう。しかし、仕事を理由にいじめを正当化することなど、本来あってはならないことです。
パワハラ防止法には、セクハラやマタハラなども含まれます。今は多様性の時代です。企業もさまざまな属性をもち、価値観も異なる人々が集まる集団となりました。属性などによる格差がある状態では、企業の人材マネジメントが立ち行かなくなる時代になってきたということでしょう。
同一労働同一賃金も含んで、こうした法整備の裏側には“見えない格差の解消”がキーワードとして挙げられるのではないでしょうか。
時間外労働の上限規制 | 大企業:2019年4月1日適用済み/ 中小企業:2020年4月1日から |
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同一労働同一賃金 | 労働者派遣法 | 2020年4月1日から |
パートタイム・有期雇用労働法 | 大企業:2020年4月1日から/ 中小企業:2021年4月1日から |
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パワハラ防止措置の義務化 | 大企業:2020年6月1日から/ 中小企業:2022年4月1日から |
どの課題も上司と部下の関係性に帰結する
今回の動きを、守島先生はどのように考えていらっしゃいますか。
率直に望ましいことですし、推進すべきだと思いますね。いずれの問題も、いつかは対処しなければならないことでした。しかし、自然の流れに任せていては、なかなか解決しません。
日本の労働市場は、慢性的な人材不足に陥っています。限られた人的資源で生産力を上げていくには、働く人のエンゲージメントを高め、能力を最大限発揮してもらうことがカギとなります。つまり、企業の繁栄と労働者の幸せは両輪の関係なのです。不当な格差は、働く人たちのエンゲージメントや幸せにマイナスであることは言うまでもありません。魅力ある企業となるために、社内の制度や仕組みを見直すいい機会だと捉えるべきです。
なぜ「魅力ある企業」をめざすべきなのでしょうか。
これからは、人材の確保がより難しくなります。「人材」というのは単なる「人手」とは違い、仕事にエンゲージされ、成果を出せる人的資源のことです。そうした人材は、その会社にいることのメリットを感じられなければついてきません。やりがいのある仕事に就き、正当な評価を受け、成長を実感できるといった「働きがい」の充実が問われるのです。当然ながら、働きやすさの面も大切で、特に心理的安全性が保たれていること、健康的に働ける環境であることなどが土台となります。
時間外労働の上限規制、同一労働同一賃金、パワハラ防止法はいずれも、働きがいの土台の整備です。非正規社員の働きがいという意味では、さらに能力が認められるパート社員を正社員に登用する仕組みの整備なども会社の魅力創出につなげることができます。
そうした仕組みは、マネジメントにも影響しますね。
そのとおりです。結局いずれの課題も、上司と部下の関係性に帰結するところが大きいのです。例えば長時間労働は、少し前まで残業=頑張っているアピールの手段でもありました。しかし、一方では成果主義をうたっていて、働く人からみると矛盾が生じているわけです。
そのため、かかった時間やあいまいな頑張りではなく、成果に結びつく工夫や結果を評価する仕組みに変えていかなければなりません。それには、従来とは違った職場でのコミュニケーションが必要となるでしょう。カギは目標管理にあると見ています。上からのノルマの丸投げではいけません。上司と部下で目標を握り合ったら、達成のために惜しまず支援します。そして成果を正当に見てあげるのです。
法を自社の強みを引き出すツールと捉える
上司と部下のコミュニケーションは、信頼関係がなければ、なかなか難しそうです。
パワハラも同じです。互いの関係性や言動に至った文脈によって、判断は変わるでしょう。多様な人材がいる組織では、同じ言葉でも人によって受け止め方が異なります。自分の基準では問題のない発言でも、他の誰かを深く傷つける可能性があることを肝に銘じるべきです。
しかし、パワハラが気になるからといって、対話を避けるのは間違った選択です。むしろ自分と違うからこそ、密なコミュニケーションを意識することが大切です。法令遵守により組織の活力が失われるというのは、おかしな話です。そのため、人事は今回の法整備についても内容の周知で終わらせるのではなく、もう一歩踏み込んで、現場での仕事の進め方やマネジメントのバージョンアップにつなげてほしいと思います。
人事が法とうまく向き合う秘訣はあるのでしょうか。
法令遵守が前提なのは言うまでもありませんが、法制度を生かし、自社の強みをどう引き出すかを考えることです。例えば外国人やLGBT、障がい者といったマイノリティーの優秀層は、支援が充実していて、能力や努力を正当に評価する環境に集まるでしょう。このようにこれまでは活用されにくかった人材を活用して、組織の成長につなげることが、今、求められる戦略人事なのだと思います。
人事は、組織の育成やコミュニケーションの変革において、重要な役目を果たします。もし管理職がいまだに「労働時間が減ると、若手が育たない」と考えていたのなら、とても悲しい。昔の育成モデルを引きずったままなのですから。人事は工夫を凝らし、新しいやり方を後押ししていかなければなりません。その工夫が会社の宝となり、新たな人材の獲得につながっていくはずです。
これからは働く人たちを真に重要な経営資源だと考え、大切にしていかなければ、企業は生き残れない時代です。それを念頭に置いて、法律改正に向き合ってください。
(取材は2020年4月、オンラインにて)